80、魔王様のダンジョン視察
「あのさぁ吸血鬼……コレどうにかなんないの?」
机の上に載った雑誌やカタログの山を見上げ、俺は思わずため息を吐く。定期購読している雑誌やカタログが一気に届き、月始めは毎回この調子だ。毎回注意しているのだが、毎回同じようにのらりくらりとかわされてしまう。今回もそうだった。
「冒険者が僕のところにたどり着くには結構な時間がかかるだろう? 君たちが戦ってる間暇なんだよ」
「俺らが戦ってる間雑誌読んでるなんて、呑気なもんだなぁ」
「それだけ君たちを信頼しているという事だ。ボスというのはどっかり構えていなくてはだろう? それとも待機している間中、僕は君たちの無事と勝利を祈り続けなくてはいけないのかな?」
「いや、別にそんな事する必要はないから普通に郵便物を片付けてよ」
別に吸血鬼の机の上が散らかっていようと片付いていようと構わないのだが、たまに雑誌と雑誌の間に書類が紛れてしまっている事もある。どうでも良いチラシの類なら良いが、それがもし重要な書類なら一大事だ。
吸血鬼は今にも崩れそうな山のてっぺんから一冊の雑誌を手に取ると、それをパラパラ捲りながら面倒そうに適当な返事をする。
「分かった分かった、そのうち片付けるよ。全く、小うるさい幽霊だな」
「早めに頼むよ」
とは言ったものの、正直あまり吸血鬼に期待はしていなかった。恐らく机の上から雑誌の山がなくなるまでに一週間近くはかかるだろう。いつものことだと諦めてしまっていたのである。
この時、無理矢理にでも書類の整理をさせておけば、俺たちを待ち受ける運命も少しは違っていたのかもしれない。
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重々しい甲冑に包まれた屈強な巨体を押し込めるようにしてその男はダンジョンへと入ってきた。
とんでもない冒険者が入ってきたと俺たちは一瞬身構えたが、どうにも様子がおかしい。その男の頭に付いているのは猛々しい雄牛のような太い角、そして狭い通路を半ば這うようにして進む男の皮膚は不自然なほど紫色をしていたし、よく見るとその身長は3メートル近くもあった。
「……魔族だ」
俺は通路の影からその男を観察しながらポツリと呟く。
魔族――古くから人間と対立してきた闇の一族。
人間と同じかもしくはそれ以上の知能を持ち、魔物たちのトップに君臨するとも言われている種族だ。個々の力も強く、文句なしの最強モンスターとして冒険者に恐れられている。
とはいえ、彼らは人間のいるような場所へ滅多に顔を出さない。その姿を見た者は少なく、ほとんどの冒険者は魔族に関する半ば伝説のような話を聞くのみである。
かく言う俺もその一人だった……今、この瞬間より前までは。
「も、もしかして知り合いだったりしない?」
俺は通路の影に顔を引っ込め、半ば祈るようにして吸血鬼にそう尋ねる。
だが吸血鬼は無情にも首を横に振ってみせた。
「それなりに長く生きてきたと自負しているが、魔族なんて見たことすら数回しかない」
「まぁそうだよね……魔族が一体うちになんの用だろう。まさか敵じゃないよね? 一応同じ魔物だし」
「どうだろうな。奴らは保守的で純血主義な上にプライドが高く、人間嫌いだ。後天的魔物、つまり元人間である僕らアンデッドを敵対視する魔族も多い」
「ええっ、そうなの? 過激派魔族だったら嫌だなぁ」
「何言ってる、どうせ君は戦わないじゃないか。憂鬱なのはこっち――」
そう言いかけたところで吸血鬼は言いかけた言葉を飲み込んだ。
通路の曲がり角から紫色の巨体が見えている。その魔族の男は、先程まで俺たちがそうしていたようにこちらを覗き込んでいたのだ。
男のすぐ目の前にいた吸血鬼はその姿を確認するやもの凄いスピードで男から飛び退き、彼を威嚇するように牙を剥く。
「な、なんだ貴様!」
吸血鬼は体勢を低くし、いつでも男に飛びかかれるポーズを取っている。妙な動きをしたらすぐさま攻撃に入れるようにするためだろう。まさに一触即発。想像以上に不穏な空気漂うファーストコンタクトとなってしまった。
俺は内心ドギマギしながら魔族の男の第一声を待つ。
すると男はその強面の顔に笑みを浮かべ、意外なほど明るい声を出してみせた。
「これは失礼した。いや、もちろん勝手に入るのは不躾だと思ったんだが、呼び鈴はおろか玄関に扉もないからノックもできない。人の姿も見当たらなかったし、なにより我輩のように目立つ魔物がいつまでも周辺を彷徨いているのも迷惑であろう?」
男はそう言ってガハハと豪快に笑う。ダンジョンに漂う張り詰めた空気が和らいでいくのを肌で感じることができた。
そこまで悪い人ではなさそう、少なくとも明確な敵意は今のところ感じられない。
吸血鬼はゆっくりと身体を起こし、先程よりは幾分落ち着いた声で魔族の男に尋ねる。
「ま、まぁ良い。それで、一体僕らに何の用だ」
「書簡を出したと思うんだが、届いてないかね?」
「書簡……」
俺はすぐさま悟った。
彼の出したという書簡、吸血鬼の机の上で山になっているカタログやら雑誌やらに紛れてるに違いない。恐れていた事態がとうとう起こったのだ。
声には出さずジロリと吸血鬼を睨むと、彼は俺からスッと目を逸らしつつ言った。
「と、届いていない」
「ふむ、送り忘れていたか、もしくは伝書コウモリが道に迷ったか。何分あちこちに送っているものだから吾輩も把握しきれていないのだ。まぁそれはそれで仕方あるまい。それでは今、書簡を渡すとしよう」
そんな事を言うと、男はまるで名刺のような大きさの封筒を取り出して吸血鬼に手渡す。ところが吸血鬼の手に渡ってみると、その封筒は手のひら程の至って一般的なサイズであった。この大男を見ていると、どうもサイズの感覚が狂ってしまう。
そしてもう一つ、その封筒にはサイズ以外に気になるところがある。
封筒に施された封蝋の紋章に見覚えがあったのだ。俺はそれをまじまじ見つめ、どこで見たのか辛うじて思い出した。
「このマーク、確か歴史の本で……」
それが歴史なのか神話なのか定かではないほどはるか昔、人間と魔族との世界の覇権をかけた大戦争が勃発した。
多大な犠牲を払いながらも人間側が勝利を収め今日に至るわけだが、その封蝋のマークは敵の魔族の鎧や旗に描かれていたものとそっくりだったのだ。
「ってことは――」
俺がその結論を出すより一瞬早く、吸血鬼が驚愕の表情と共にあっと声を上げた。
「こ、これは魔王の紋章……!」
「ああ、そうだ。諸君らがそれほど無知でなくてホッとしたぞ」
男はそう言ってまたガハハと笑う。
だがもし本当にこれが魔王の紋章だとしたら、そんなに呑気に笑っている場合ではない。
「つまりこれは魔王からの勅令で……あなたは魔王からの使者ってこと?」
恐る恐る尋ねると、男は意外にもあっさり首を横に振った。
そして次の瞬間、彼はとんでもないことを平然と言ってのけた。
「いや、魔王は我輩だ」
「……は?」
思わず目を点にする我々に向かって、男はもう一度サラリと告げる。
「だから、我輩が魔王」
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「魔王」という言葉には様々な意味が包括されている。
例えばアンデッドの王とも言われるリッチはたびたび畏怖と畏敬の念を込めて「魔王」などと呼ばれるが、彼に守るべき領土や国民はいない。彼に付けられた「魔王」という称号はあくまでその強大な力に敬意を表するための物なのだ。
だが俺たちの目の前にいる紫色の肌をした巨大な「魔王」は、それとは少し種類の違う魔王であるらしい。つまり、文字通り「魔物を総べる魔族の王」だと言うのだ。
「ま、先の大戦で魔族や配下の魔物は散り散り。国もいくつかに分割されてだいぶ小さくなってしまったがな」
男――もとい、魔王は俺に顔をズイッと近付け、ガハハと笑う。
「そ、そうなんですね……」
その得も言われぬ迫力に気圧され、さりげなく魔王との距離を取りながら俺は苦笑いを浮かべた。悪い人ではなさそうなのだが、なんだか一緒にいると妙に疲れる。だが少なくともこれから数時間、下手すれば一日中彼と共に過ごさねばならなくなってしまった。
あの仰々しい手紙の中身はダンジョン視察の許可を求めるものであったのだ。
今現在我々は魔王の「取り敢えずダンジョンの主要なアンデッドを見せてくれ」との要望を叶えるため、スケルトンたちの力も借りつつゾンビちゃんを探しているところである。
「でもどうして魔王直々にこんな場所へ?」
率直な疑問を口に出してみたところ、魔王は急に真面目な顔付きになり、声を低くして言った。
「……詳しい事は言えん。これは非常に重要かつ高い機密性の求められる案件なのだ。ところで君たち、口は堅いかね?」
「も、もちろんです」
「ふむ、よろしい」
俺の返答に魔王は満足げに頷く。
それ以上しつこく魔王に質問を重ねるなんて恐ろしい真似はできない。が、「詳しい事は言えん」なんて言われたら気にならないはずもなく。
「ねぇ、一体何しに来たんだと思う?」
魔王の相手をスケルトンに任せ、俺はこっそり吸血鬼に話しかける。
吸血鬼しばらく難しい顔をして黙っていたが、やがて深刻そうな表情を俺に向けて口を開いた。
「家来も連れず魔王自ら出向くなんて相当だ。もしかするとまた戦争が始まるのかもしれない。戦争の際、ダンジョンは魔王軍にとって軍事拠点となり得るからな」
「ええっ、そんなまさか……」
思いの外シリアスな話に目を丸くしつつそっと魔王を見やる。
が、見られていたのは俺の方であった。俺が視線を向けたその先に、魔王の顔が迫っていたのである。
「ヒッ!?」
パーソナルスペースというものを一切合切無視した距離感から、魔王はなんの躊躇いも遠慮もなく口を開く。
「おい君、探していたのはあちらの娘かね」
そう言って魔王が指差す先にいたのは、地面に伏せたままこちらをじっと見つめるゾンビちゃんだ。
紫色の肌の見知らぬ大男がいるせいか彼女の表情は固く、明らかに警戒心を剥き出しにしている。
「そ、そうです。このダンジョンの主要なメンバーはこれでだいたい揃いました」
魔王は俺の言葉に何度も頷き、どことなく満足げな表情を浮かべながら俺たちを見下ろす。
「ふうむ、若い者が多いようだな。それにみな小さい」
「はは……アンデッドなので見た目ほどは若くはないと思いますけどね」
「いや、大丈夫だ。最も大事なのはやはり見た目だからな」
そう言うと魔王はなんの躊躇いもなくその大きな手でゾンビちゃんを軽々持ち上げ、人形の品定めでもするかのように彼女を回したり傾けたりして隅々まで見回す。
そしてやはり魔王はパーソナルスペースを無視し、息がかかるほどギリギリまで顔を近づけ、相変わらず警戒心を剥き出しにしたゾンビちゃんの顔をじっと見つめた。
「ゾンビにしては綺麗な体をしているな。うむ、うむ、よろしいよろしい。やはりある程度若く、小さくなければ」
魔王はそう言ってまた満足げに頷いた。
その様を、俺たちはただただ眺めることしかできない。
「ヤ、ヤツは一体何をしているんだ?」
「ねぇ吸血鬼。俺、凄く嫌な事考えちゃったんだけど」
怪訝な表情を浮かべる吸血鬼に、俺は声を潜めてそっと耳打ちする。
「魔王の目的って、もしかして愛人作りとかなんじゃ……」
俺の話に、吸血鬼は困惑したように眉を顰める。
「な、なんだその突拍子もない話は」
「だってなんか怪しいじゃん。『大事なのは見た目』とか言うのも、妙に顔が近いのも。それにいくら機密性の高い案件って言っても、やっぱり魔王がたった一人でこんなところに来るなんておかしいよ。きっと凄く恐い奥さんがいて、こっそり外の世界に安らげる場所を作ろうとしてるんだ」
「そんな馬鹿な……いや、しかし『若く小さくなければ』というのは確かに怪しい……」
「でしょ? 不味いよ吸血鬼、このままじゃゾンビちゃんが――」
そう言いかけた時、突然吸血鬼がふわりと浮き上がった。その背後にいるのは巨体の魔王。その木の幹のような太い腕で吸血鬼の脇腹をガッシリ掴み、まるで子犬でも抱きかかえるようにいとも容易く持ち上げた。
ゾンビちゃんの時と同じく、人形の品定めでもするみたいに回したり傾けたりひっくり返したりして隅々まで吸血鬼を見回す。そしてやはりパーソナルスペースを無視した距離感から、思わず目を逸らしたくなるほどの強力な眼力で吸血鬼の顔をジッと見つめる。
「ふむ……なかなか綺麗な顔をしているが」
「ヒイッ!?」
上手く事態を飲み込めていないらしく、きょとんとした顔をしていた吸血鬼もその眼力と距離感からか明らかに怯えたような表情を浮かべる。
そして魔王は吸血鬼の恐怖感を一層深めるようなセリフをなんでもない事のようにサラリと言い放った。
「君、恋人はいるかい? 結婚は?」
この瞬間、俺の薄々感じていた疑問は確信へと一気に近付いた。
もしかしてこの魔王、男もイケるんじゃ……
「し、してますしてます! 既婚者です!」
吸血鬼は目を白黒させながら必死にそう訴える。
すると魔王はまたもや満足げな表情を浮かべながら何度もゆっくりと頷いた。
「そうかそうか。それは結構」
魔王はそう言いながら満面の笑みで吸血鬼を地面に降ろす。そして次に、魔王はその辺にいたスケルトンを持ち上げて再び品定めの作業に取り掛かった。
魔王の品定めがよほどストレスだったのだろうか。吸血鬼は冷や汗を流し、壁に手を付いて肩で息をしている。
「吸血鬼結婚してたの?」
魔王がこちらを見ていないことを横目で確かめつつ尋ねると、吸血鬼は恐ろしい顔でこちらを睨み付けた。
「でかい声出すな! ……そんな訳ないだろう、既婚者って言えば『余計なトラブル』を避けられると思ったんだよ」
「ふうん、でもなんか凄い笑顔だったよ。人の物の方が燃えるってやつなんじゃ?」
「き、気持ち悪い事言うな……」
その時、突然幹のように太い腕が吸血鬼の腹を突き破ってこちらへと出てきた。まるで人の腹に寄生したエイリアンが飛び出てきたかのようなショッキングな光景である。
いつの間に移動したのか、吸血鬼の背後には魔王が佇んでおり、その腕で背中から吸血鬼の腹を貫いていたのだ。
「な……なにを……」
魔王が腕を引き抜くと同時に、吸血鬼は自分の体を支えることができずそのまま地面に崩れ落ちる。
だが当然のことながら吸血鬼は死なない。腹に大穴があき、血溜まりができているにも関わらず、彼は意識すら失わなかった。
「ふむ、本当にちゃんと死なないのだね?」
魔王は感心したように血を流し続ける吸血鬼を見下ろし、満足げに数回頷く。
吸血鬼は血反吐を吐きながら困惑した表情で魔王を見上げる。
「な、なんなんだ本当に……」
「分かったぞ、過激なプレイに耐えられるか試したんだ!」
「下品なことを言うなビチグソ野郎ブチ殺すぞ」
「お、落ち着いて吸血鬼。言葉が汚いよ……」
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「ふむ、ただの洞穴かと思ったが部屋は綺麗なものだな。客室に娯楽室、まさか温泉まであるとは!」
魔王の大きな声が大浴場に反響する。この温泉が魔王に見せる最後の場所だ。
彼はダンジョンで取っている戦略や武器庫にはほとんど興味を示さず、こういった「楽しい場所」にばかり行きたがった。視察というよりは旅館でも見て回っているかのようだ。
魔王はその太い腕を湯船に入れ、軽く中をかき混ぜる。
「ふむふむ、良い泉質だ。これはお肌スベスベになりそうだな。ところでエステサロンとかはやってないのかね?」
魔王は上機嫌で側に付いたスケルトンに話しかけている。その隙を見て俺はこっそり蒼い顔した吸血鬼に近付いた。
「高い美意識……なるほどソッチ系か。よし、吸血鬼もご一緒に入浴して差し上げなよ。もしくはオイルマッサージ」
「何が『よし』だ、お前ほんと殺すぞ」
吸血鬼が牙を剥いたその時、不意に魔王が立ち上がって拳を振り上げた。
「よしっ、決めた! ここにするぞ!」
魔王が突然雄叫びにも似た声を上げた事で、ダンジョンに鋭い緊張が走った。
嫌な予感がしたのか、吸血鬼は強張った表情で震える声を上げる。
「な、なにを……決めたんだ?」
「俺はもう分かったよ吸血鬼! 魔王はここを愛人付き別荘にする気だーッ!」
「だ、誰もそんな事言ってないだろう!? 魔王、一体ここを何にする気なんだ!?」
吸血鬼は半ば縋るようにして魔王に尋ねる。
すると魔王は特に勿体ぶる様子もなくサラリと言ってみせた。
「娘の留学先」
「……えっ、なに?」
「娘の留学先」
「ええと、脈絡がなさ過ぎて意味が……」
俺は怪訝な表情を浮かべた吸血鬼と顔を見合わせ、首を傾げる。
意味はよく分からないが、一つだけ確かなことがある。
どうやらまた面倒な事に巻き込まれるようだ。




