39、ダンジョン内BGM
バキッという嫌な音がダンジョンに響き、冒険者は糸の切れたマリオネットのように地面へ崩れ落ちた。その首はおかしな方向に折れ曲がり、もはやピクリとも動かない。
襲い来る敵から無害な食料へと変わった冒険者の傍らに立つのは、獲物を仕留めてご機嫌なゾンビちゃんである。
彼女の体はその死闘を物語るかのようにボロボロで、ワンピースは血だらけ、指は数本欠けている。
だがそんな事は気にする素振りも見せず、目の前の冒険者を見下ろしてそのツギハギのある蒼い顔を綻ばせた。彼女はおもむろに地面に座り込み、冒険者に手を伸ばす。
「あーッ、ダメダメ! ゾンビちゃんストップ!」
「厶……」
ゾンビちゃんは伸ばしかけていた手を辛うじて止め、眉間にシワを寄せつつもこちらへ視線を向ける。俺はゾンビちゃんに言い聞かせるようにして言った。
「食べたいのは分かるけど、吸血鬼が血を抜くまで我慢してね。じゃないとまた怒られるよ」
「エー」
ゾンビちゃんは頬を膨らませ、不満げに足をバタつかせる。
「ハヤクしてよー、お腹ヘッター」
「すぐに来るからもう少し待ってて。大丈夫、死体は逃げたりしないよ」
「ゾンビにナッタラ逃げるよ」
「うっ……ま、まぁ首の骨折れちゃってるしゾンビにはならないよ。多分」
「ンー、じゃあウデだけ! ウデだけ食べてもイイ?」
ゾンビちゃんは期待に満ち、輝いた眼で俺を見つめる
彼女が苦労して倒した冒険者だし、少しくらいなら……と思わないでもないが、問題は本当に「腕だけ」で済むかどうかというところである。
少し食べたことで食欲に歯止めが利かなくなれば、もはや俺にはゾンビちゃんを止める手立てがない。とにかくもう少しすれば吸血鬼がやってくるのだ。腕を食べる許可を出すのは最後の手段として、なにか違う事でゾンビちゃんの気を逸らす必要がある。
なにかないかと探したところ、冒険者の背負っている棺桶にも似た黒い鞄に目が留まった。
「そ、そうだゾンビちゃん。この鞄何が入ってるんだろ、開けてみてよ」
「エー?」
「俺じゃ開けられないからさ! ね、良いでしょ?」
「ンー、ワカッタ」
ゾンビちゃんは渋々ながらも俺の頼みを聞き入れ、その黒い鞄のファスナーを開ける。すると中から光沢のある木でできた茶色い弦楽器がその姿を現した。
「おっ、ギターじゃん」
ゾンビちゃんはギターを鞄から出し、それと死体を交互に眺めながら首を傾げる。
「冒険者なのにナンデ楽器?」
「いつもお宝が手に入るとは限らないからね、副業のある冒険者は多いよ。この人は流しか何かしてたのかな」
「ヘー」
ゾンビちゃんはギターを膝の上に乗せ、琴でも弾くようにしてぴんと張った弦をはじく。曲にはなっていないが、なんとなくもの悲しい綺麗な音がダンジョンに響いた。
「ワー、オモシロイ!」
「楽器にはあんまり詳しくないけど、良いギターだねこれ」
「ウマイ人のエンソウ聴きたいなぁ。レイスギター弾ける?」
「ムリムリ……二重の意味で」
この身体では弦を押さえることも弾くことも叶わないが、それ以前に俺は音楽に全く触れてこなかった人間である。楽譜も読めず、できる楽器といえばリコーダーかカスタネットくらいのものだ。俺にまともな身体があったとしても答えは変わらなかっただろう。
「ダレか弾けないかなぁ、弾いてるトコ見たい」
ゾンビちゃんはギターを抱えてキョロキョロと辺りを見回す。ちょうど通りがかったスケルトンの集団を呼び止め、強引に通路へ引っ張り込んだ。
「ネー、ギター弾いて!」
そう言ってゾンビちゃんは持っていたギターをスケルトンたちに押し付ける。スケルトンたちは突然のことに困惑しつつ互いに顔を見合わせ、少々の沈黙の後ある一体のスケルトンにギターを託した。
「ひ、弾けるの?」
尋ねると、ギターを抱えたスケルトンは小さく控えめに頷く。
『ちょっと齧ったことが』
自信の無さが滲み出るような小さな文字を載せた紙をサッと掲げ、スケルトンはギターを構えた。詳しくないので確かなことは言えないが、見た目だけ言えばなかなか様になっているように思う。
これはそこそこの演奏を見せてくれるかもしれない。俺たちはギターを持ったスケルトンを囲むようにして座り込み、その時を待つ。
結論から言えば、俺の予想は外れた。
スケルトンのギターの腕は「そこそこ」どころではなかったのだ。
その激しくも軽快なギターサウンドは俺たちを骨の髄まで震わせた。ゾンビちゃんが弦を弾いたときには持ち主を失って物悲しそうな音を出したギターも今は新たな主人を得て生き生きと音楽を奏でているよう。このギターの持ち主だった冒険者も、まさかこんなに明るくて魂の震えるような熱いレクイエムで送り出されるとは思っていなかっただろう。
素人目――いや、素人耳にも分かる。このスケルトン只者じゃない。
演奏を終えてギターの音色が止んだ時、俺達は自然と立ち上がり彼に惜しみない拍手を送った。
「すごいよ、齧ったどころじゃないでしょ!」
「カッコイイ! スケルトンスゴイ!」
ゾンビちゃんはそう言って目を輝かせ、興奮気味に手を叩く。他のスケルトンたちも仲間の活躍をたたえる様に体を震わせて骨を鳴らせた。
この素晴らしい音楽に釣られてやって来たのか、スケルトンがダンジョンのあちこちから集まってきて、なんでもない殺風景な通路がさながらライブ会場のような騒ぎだ。そんな中、スケルトンの白い海を掻き分けて吸血鬼がようやくその姿を現した。
「さ、さっきのギターは君がやったのか?」
吸血鬼は血液を入れるための瓶を小脇に抱えたまま目を丸くして騒ぎの中心で屹立するスケルトンを見つめる。スケルトンは照れたように頭を掻くことでその質問に答えた。すると吸血鬼はますます大きく目を見開き、低く唸る。
「なかなかの腕を持っているな……よし、僕にもちょっとそのギター貸してくれ」
「ええっ、吸血鬼も弾けるの?」
「僕が何年生きてると思ってる。楽器の一つや二つ、ある程度教養のある吸血鬼ならばマスターしているものさ。ギターなどもう何年も弾いていないが、彼の演奏を耳にしたら久々に掻き鳴らしたくなったよ」
吸血鬼はそう言ってニッと笑い、スケルトンからギターを受け取る。
彼もギターの持ち方や佇まいはなかなか様になっているように思える。その無駄に端正な顔立ちと吸血鬼感を前面に押し出した派手な衣装も相まって、まるで舞台の上のロックスターのようだ。小器用な吸血鬼の事、きっとそこそこの演奏を聞かせてくれるに違いない。
オーディエンスが増え、込み合った通路の中心で吸血鬼はギターの弦を弾く。
結論から言うと、俺の予想はまたしても外れた。
吸血鬼は全くギターを弾けなかったのだ。
ただ弾けなかったのではない。彼がギターを指で弾いた瞬間、六本の弦の細いものから太いものまで、そのすべてが切れてしまったのである。
「ちょっと何してんだよ吸血鬼!」
「アーッ! ギター壊した!」
ゾンビちゃんは頬を膨らませて弦の切れたギターを指さす。
吸血鬼は無残に切れた弦と自分の爪とを見比べて慌てたように声を上げた。
「ああっ、爪だ、爪のせいで弦が切れたんだ」
吸血鬼の長く頑丈な爪は人の皮膚を切り裂き、時には骨をも断つ。そんな凶器がギターの弦に当たればぷっつりと切れてしまうのも無理はない。吸血鬼本人に悪気はないのだろうが、仲間の素晴らしい演奏が聴きたいがために集まったスケルトンたちは吸血鬼への不満で一杯である。うちのダンジョンにギターの弦などあるはずもなく、また冒険者の荷物からも替えの弦は出てこなかった。弦を通販で注文することは容易だが、届くのは早くとも明日以降だ。
「モー! 弾けないのにシャシャリ出てクルから!」
ゾンビちゃんは頬を膨らませて吸血鬼の手からギターを奪い取った。吸血鬼は奪われたギターを取り戻そうとはしなかったものの、しつこく言い訳を繰り返す。
「弾けるんだ! 爪さえなければ!」
『そんな事どうでも良い』
『演奏の邪魔するな!』
『死んで詫びろ』
スケルトンたちの容赦無い言葉が紙に載り高く掲げられる。さすがの吸血鬼も怒るスケルトンの軍団にやや気圧されたらしい。
「い、いや悪かったよ。まさか弦が切れるとは思わなかったんだ」
だがもはやその程度の謝罪ではスケルトンの軍勢を収めることはできない。スケルトンたちはどんどんその数を増やし、勢いは増すばかりだ。恐らく来るのが遅かった輪の最も外にいるスケルトンなどはどうしてこんな騒ぎが起こったのかも分からないままになんとなく怒っているに違いない。
吸血鬼は今にも暴動を起こしそうなスケルトンの集団を前に、思いついたように手を叩いた。
「よし分かった。ピアノだ、ピアノなら弾けるぞ! レイスピアノはないのか!」
「ピアノ? な、なんでそうなるのさ」
「音楽を失って怒っている者にはより素晴らしい音楽を与えるに限る。僕の超絶技巧を見せてやろう!」
「ソンナノどうでも良い! オマエのオナカ割いてその腸を弦にしてヤル!」
ゾンビちゃんは恐い顔をして吸血鬼にそう言い放つ。俺は慌ててゾンビちゃんと吸血鬼の間に割って入った。
「ま、まぁ落ち着いて。吸血鬼だって反省してるよ」
「ああ、反省してる」
「シテナイ! 絶対シテナイよ!」
吸血鬼の「とりあえず言っとけ感」の滲み出た言葉にゾンビちゃんは怒りをあらわにした。
「薄っぺらいコトバよりコウドウで謝って!」
「行動か……よしレイス、ピアノだ!」
「結局それに戻るの? でもピアノなんてうちにないよ、ピアノ担いで旅する冒険者なんていないし……」
「なら買ってくれよ、宝物庫のフロアで弾いて冒険者にラスボス前BGMを提供してやる」
「それもう趣旨違うじゃん……あっ、そうだ」
俺の頭に倉庫で眠るアレがパッと浮かんだ。俺は吸血鬼を見下ろしてニヤリと笑う。
「今日一日アレを弾いてくれたら許してくれるんじゃないかな」
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「よしこっちだみんな」
中ボスのゾンビちゃんを倒し、スケルトンの物量作戦を乗り切った冒険者のパーティがダンジョン最後にして最強の敵に挑むため階段を降りてきた。
細く長い一本道の先から聴こえてくるもの悲しげな音楽に冒険者たちは顔を見合わせる。
「なんだこれは……ピアノ?」
「ピアノにしては音がチープで軽いな」
「なんか懐かしいような……」
「と、とにかく行ってみよう。この先にボスがいるのは間違いない」
冒険者たちは用心深くあたりを見回しながら、しかし素早く通路を進んでいく。一本道を抜け、宝物庫のある開けたフロアに出た冒険者たちを迎えたのは、蒼白い肌に赤い眼を持つ青年の姿をした化物、吸血鬼である。
だが、その様子はいつもと違っていた。
「……な、なんだ?」
冒険者たちは困惑したように互いに顔を見合わせ、もう一度吸血鬼に視線を向ける。
彼は地面に座り込み、膝の上に乗せた小さな鍵盤を一心不乱に弾いている。鍵盤からは白い管が伸びており、吸血鬼はそれを口にくわえて鍵盤に息を吹き込む。
「鍵盤ハーモニカ?」
「えっ、なんで?」
「……罰ゲーム?」
冒険者は彼がその衣装には合わないタスキを掛けていることに気付いたらしい。
タスキには「僕はギターの弦を切りました」と大きく書かれており、彼から出る哀愁をより一層強くしている。
「その……なんて言えば良いか……まぁ、頑張れ」
冒険者の同情の滲んだ言葉が吸血鬼の心にトドメを刺したらしい。吸血鬼は鍵盤ハーモニカのチューブを吐き捨てるようにして口から離し、ふらりと立ち上がった。こめかみには青筋が浮かび、眼は爛々と輝き、その口は三日月型に歪んで鋭い牙を覗かせている。
「こんなとこ見て生きて帰れると思うなよ……」
かくして、懲罰中の吸血鬼と八つ当たりの対象となってしまった哀れな冒険者たちとの熾烈な戦いが幕を開けたのであった。




