155、生への執着強めの女騎士
「はぁ、まったく酷い目にあった。まだ頭が痛い」
ヒドラの毒で潰された吸血鬼がようやく目を覚ました。
頭を押さえて顔を顰めながら、吸血鬼は鋭い視線を辺りに向ける。しかし怒りをぶつけようにも狼男はすでにいない。
ヤツはアラクネを連れて、既にダンジョンを出てしまったのだ。そう、アラクネ“だけ”を連れて。
「で、どうしよっか。コレ」
「とんだ置き土産だな。面倒だ。殺してしまおう」
吸血鬼は口元に付いた血を拭いながら、足元に転がった簀巻きの女騎士を見下ろす。
彼女こそ、この合コンの最大の被害者。合コンの数合わせのために連れて来られた、無関係の人間。
だが合コンの数合わせで攫われて殺されるというのはあまりに可哀想だ。
「殺すのは不味いって。騎士ってことはどっかの騎士団所属でしょ。騎士団の奴らがこの人を探して押しかけてきたりしたら面倒だよ。ええと、どこの国のどの部隊の人なの?」
尋ねると、女騎士は死人と見紛うほど蒼い顔をしながらも、毅然と首を横に振る。
「私は部隊からはぐれた上魔物に囚われた間抜けではあるが、仲間の情報を売るほど無能ではない。……殺せ」
「本人もこう言っていることだし。仕方ない。殺そう」
「ああっ、その、ちょ、ちょっと待って」
吸血鬼の鋭い爪に目を白黒させながら、女騎士はガチガチ歯を鳴らし悲鳴に似た声を上げる。
「なんだ、遺言か?」
「意地悪だなぁ、吸血鬼。あのね、俺達は別にあなたの情報が欲しいんじゃなくて、元の家に戻る手伝いをしようとしてるんだよ」
優しく声を掛けるが、女騎士は俺からサッと目を逸らす。
「化物の言葉など信じられるか!」
「そうかそうか。では――」
ゆっくりと手を振り上げる吸血鬼。
すると女騎士はほとんど白目になりながら、新手の楽器かと思うほど小刻みに歯を鳴らす。
「ああっ、ままま待って、少し待って」
「なんだよもう」
「あのぅ、そのぅ……そうだ! 私はアラクネに捕らえられたのであって、貴様らに負けたわけではない。拘束を解け。いざ尋常に勝負しろ!」
「拘束を解いて戦え? 随分と都合の良い要求だな」
「くっ、拘束を解かないつもりか。私を縛ったままどうしようというのだ。はっ……まさか私の体を……!? 化物に辱められるくらいなら死んだ方がマシだ。やっぱり殺せーッ!」
蓑虫のような状態で、ゴロゴロ転がりながら喚く女騎士。
俺たちは思わず顔を見合わせる。吸血鬼がめちゃくちゃ渋い顔をしている。きっと俺も今、こんな表情をしているに違いない。
「ものすごく鬱陶しいな……」
「もう良いから拘束解いてあげなよ。ダンジョンから出て行ってくれればそれでいいし」
「ああ、分かった分かった」
そう言って、吸血鬼は渋々ミノムシ状態の女騎士の体に手を伸ばす。
だがさすがはアラクネの糸。かなりの強度と粘着力があるらしく、吸血鬼の手にくっつくばかりでなかなか外れない。
「ああもう、ベタベタする……」
「何を手間取っている、早く脱が……ハッ! ままままさか、拘束を解き、さらに鎧を脱がし、私の体を……!?」
「なぁレイス、本当に殺して良いか」
「気持ちは分かる。分かるけど堪えて……あなたもあんまり暴れないでよ。早くしないとゾンビちゃんが食べにきちゃうよ」
「た、食べるだと!? 辱めを受けるくらいなら――」
「食ベナイよ」
「うわっ、ゾンビちゃん!?」
いつの間にいたのか、ゾンビちゃんが簀巻きになった女騎士の顔をじっとのぞき込んでいる。
どうやら、スケルトンたちが合コン用に用意していた料理の数々をすべて平らげたようだ。テーブルの上には洗ったばかりのように綺麗になった皿がうずたかく積まれている。
とはいえ、この程度で彼女が満腹になるとは思えない。俺達を油断させようとしているのか?
「えっと、本当に食べちゃダメだからね?」
「食ベナイよ。マズそうだもん」
平然と呟くゾンビちゃん。
彼女の言葉に、女騎士は目をひん剥いて抗議する。
「なっ……私に女としての魅力がないという意味か!?」
「なんだよもぉ、うるさいなぁ。結局どうしてほしいんだよ」
「ほら、ようやく解けた」
吸血鬼が糸を裂くと、中から煌く白銀の鎧が現れた。
胸に刻まれた狼の紋章。彼女の国の紋章なのだろうが、残念ながら俺には見覚えがない。よほど遠い国から来たのだろうか。
『ルイン王国』
「え?」
大量に積まれた皿の片付けをするスケルトンたちがその手を止め、次々とこちらに集まってくる。彼らは一様に紙にペンを走らせ、彼女の胸の紋章を指さす。
『あれ、ルイン王国の紋章だ』
「ルイン王国……? 聞いたことないな」
『今はないからね』
『滅びた国だから。四百年くらい前に』
「四百年……?」
俺はぎょっとして、女騎士の鎧に目を向ける。
そんな骨董品のような鎧にはとても見えない。ピカピカで、まるで新品みたいだ。
……そもそも、四百年前の鎧を支給する騎士団なんてあるのだろうか。
騎士というのは嘘? 舞台用の衣装とか……それにしてはしっかりした作りだ。先祖代々伝わる鎧をあえて着ているとかなのだろうか?
そんな疑問を口に出す暇もなく、女は腰の剣抜き、輝く刃先を吸血鬼に突き付ける。
「さぁ勝負だ!」
アラクネにあっさり捕らえられた彼女が吸血鬼に敵うとは到底思えない。
吸血鬼も呆れたようにため息を吐く。
「……気絶させてダンジョン外に放り出す。それで良いだろ」
「そうだね。くれぐれも殺さないようにね」
「舐められたものだ。殺されたくなければ私を殺してみろ……行くぞ!」
わざわざ攻撃のタイミングを口に出しながら、彼女は真正面から吸血鬼に立ち向かう。
剣を振り上げ、叩きつけるように下ろす大ぶりな攻撃。正直素人だ。戦場で血塗れになって戦うような身分ではないのだろう。鎧がピカピカなのもうなずける。
吸血鬼は攻撃をギリギリでかわしながら、彼女の脇をすり抜ける。そして背後から彼女の首を手刀でトン、と叩いた。
宣言通り、彼女の意識を落とすつもりなのだろう。
だが落ちたのは意識ではなく、彼女の首であった。
「……は?」
鈍い音を立てて地面に転がる女の生首。衝撃で髪留めが壊れたのか、彼女の金髪が蜘蛛の巣のように地面に広がる。
ダンジョンが冷たい静寂に包まれる。
「ちょ、吸血鬼!?」
「ま、待て。そんなに強く叩いていないぞ」
吸血鬼はそう言って慌てたように首を振る。
確かに生きた人間の首なんかを切れば、太い血管から噴水のように血が噴き出すはずだ。しかし彼女の首からも、体からも、噴水どころか一滴たりとも血は出ていない。
「ど、どういうこと……?」
状況を理解できず、女騎士の首と、棒立ちになっている首なし死体とを見比べることしかできない。
誰もが困惑と驚きの表情を浮かべる中、ゾンビちゃんだけは眉一つ動かさなかった。
「ホラ、ヤッパリ不味そう」
ゾンビちゃんが生首を見下ろしながら、つまらなさそうに吐き捨てる。
生首は虚ろな目で天井――いや、ここではないどこかを見つめながらポツリと呟いた。
「……そっか。殺してもらう必要なんてない。私、もう死んでたんだった」
首の無い体が当然のように動き出し、地面に転がった生首を拾い上げる。
脇に抱えられた生首はこちらを一瞥し、そして――消えた。
「なんだったんだ。人間じゃなかったのか」
呆然と呟く吸血鬼。
これまでに得た情報を整理しながら、俺も口を開く。
「デュラハンだね……彷徨える亡国のデュラハン」
生への執着が強すぎて、自分の死も国の死も受け入れられなかったのだろうか。
消えたということは、成仏したということか?
いや、四百年以上も彷徨っていたのに、そんなにすぐ成仏できるとも思えない。
彼女はこれからも、今は亡き国を探して彷徨うのだろうか。
たった一人で。
「俺、自分が死んでるって気付けて良かったよ」
「なら、僕に感謝するんだな」
「私ニモ! ニクちょーだい」
なぜかドヤ顔を見せる吸血鬼とゾンビちゃん。
俺は思わず苦笑する。
「いやいや、誰のせいでこうなったと……まぁ、いいか」




