133、鎖に繋がれた狼
「おっ、レイス君! 元気してた?」
いつものようにフランクな挨拶をしながらこちらへ歩いてくる狼男を眺めながら俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「まぁ幽霊にしてはそこそこかな……それより、狼男はあんまり元気じゃなさそうだね?」
「そうなんだよ。もう大変なんだよ!」
狼男は頭を掻きながら苦い表情を浮かべて見せる。しかしその声色は、やはりどこまでも軽薄で、まったく「大変さ」が伝わってこない。
しかし狼男の妙にギラギラした眼、そしてその下の何日も寝ていないみたいなクマを見れば、彼になんらかのトラブルがあったのだろうと想像することは容易い。
「ほんっとうに困ってるんだ。今日はホワイトデーなのにさぁ」
「ああ……そうだっけ」
ホワイトデーなんてバレンタインの付属物みたいな日、正直言って心底どうでも良いイベントである。
しかしまぁ、狼男には重要な日なのだろう。彼にはチョコレートのお返しをしなければならない女の子がたくさんいるだろうから。それはもう、大遅刻をかましたサンタがプレゼントを配り歩くような勢いで狼男がキャンディーだかクッキーだかを女の子に渡して回る光景が目に浮かぶ。
「……で? ホワイトデーが一体どうしたの」
「実はさぁ……まだ女の子に渡すプレゼントの用意ができてないんだ」
「だったらこんなとこにいないで、小洒落たケーキ屋にでも行ってマシュマロとかクッキーとか買って来たほうが良いんじゃないの?」
「それができないからこんなとこにいるんじゃん」
「なんだよもう、お金なら貸さないよ」
なかなか本題に入ろうとしない狼男にイライラを募らせながら、俺はやや強い口調でそう返す。
すると狼男は苦笑いを浮かべながら銀髪を掻き上げ、大袈裟にため息を吐いてみせる。
「そんな事じゃないんだよ、実はさぁ――」
ようやく狼男の話が本題に入ろうとしたその時、思わぬ邪魔が彼の背後に忍び寄った。ゾンビちゃんである。
顔を合わせれば馴れ馴れしく軽薄な口説き文句を投げてくる狼男を、ゾンビちゃんはどちらかというと避けているくらいだ。なのに彼女から狼男に近付いていくなんて珍しい。
……いや、もしかすると捕食しようとしているのか? まぁ仮にそうだとしても狼男は喜ぶだろう。ヤツはそういう男だ。
何かを言いかけた狼男の声を遮り、俺は一応彼に忠告をする。
「後ろからゾンビちゃん来てるよ」
すると狼男は俺が思っていたのとは全く違う反応を見せた。
彼は俺の言葉に笑顔を浮かべるどころか、恐怖に顔を強張らせながら慌てたように後ろを振り返ったのである。そしてあろうことか、狼男はゾンビちゃんの手を握るどころか彼女から少しでも離れようと後退りまでしてみせる。
しかし、ゾンビちゃんはもはや逃げられない距離にまで接近してしまっていた。ゾンビちゃんの手が狼男へと伸びる。そしてゾンビちゃんの指先が狼男の腕に触れた瞬間。目を疑う怪奇現象が俺の目の前で起きた。
狼男の腕が、捻じれたのだ。まるで固く絞った雑巾のように。
ゾンビちゃんが力づくでやったのではない。彼女は指で狼男の腕に軽く触れただけだ。まるで魔法のように、狼男の腕が勝手に捻じれたのである。
「あああああっ!」
悲鳴を上げながら狼男は腕を押さえる。
通常ではありえない「捻じれ」により皮膚が裂け、雑巾から水が滴るように地面に血だまりができている。
思わず目をそむけたくなるような凄惨な光景だが、ゾンビちゃんはそう思っていないのだろう。なおも狼男に触れようと手を伸ばす。
「ごめんゾンビちゃん、今だけは触らないで。お願い!」
らしくない弱気な言葉を吐き、情けない悲鳴を上げながら、狼男はゾンビちゃんから逃げ惑う。
……どうやら、彼の置かれている状況は俺が想像していたよりずっと悪いらしかった。
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「はぁ、危うくねじりパンになるとこだったよ」
腕のねじりを取りながら、狼男は安堵のため息を吐く。
騒ぎを聞きつけてやってきた吸血鬼がゾンビちゃんを羽交い絞めにしたおかげで、狼男はひとまず難を逃れることができたのだ。
未だ狼男に手を伸ばそうともがくゾンビちゃんを押さえつけながら、吸血鬼は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「懲りない奴だな、また小娘にちょっかい出したのか」
「違うよ、今回はゾンビちゃんからアプローチがあったんだ」
ねじりパンにされかけたとは思えないほど軽薄な声で狼男はそう言ってのける。
しかし今はそんな軽口をたたいている場合ではない。
「なんなの今の! 腕がぐにゃぐにゃって、勝手に!」
「そうなんだよ。俺が今日ここに来た理由がこれ」
事の重大さが全く伝わってこないヘラヘラした笑みを浮かべながら狼男はそう答える。
しかしまぁ、狼男が我がダンジョンへやってきた理由と原因はなんとなく見当がついた。
「またヤバい女の子に手を出したんだね。今度は何されたの?」
「いやぁ実はさ、昨日女の子からチョコ貰ったんだよ。バレンタインでもないのに突然。まぁせっかく貰ったからもちろん食べたんだけど……それからなんだよね。女の子に触れなくなっちゃってさ」
「完全に呪いだな」
吸血鬼は眉間に皺を寄せ、狼男と距離を取るように後退りをする。まるで呪いが移るのを恐れているかのようだ。
しかしこんな呪い、普通の魔法使いが扱えるようなレベルのものではない。一体どういう仕組みで狼男の触れたものを識別しているのか、そしてどうやって腕を捻じれさせているのか。きっと俺などには到底理解できない複雑な魔法を使っているのだろう。
「……狼男の彼女って変なとこでハイスペックだよね」
「あはは。その素晴らしいスペックを俺への攻撃に利用しないでくれるとありがたいんだけどね。それはそうと、この呪いを早くどうにかして貰わないと困るんだよ。この状態で女の子と遊んだらあっという間に前衛芸術だ」
「呑気だなぁ」
狼男は相変わらずヘラヘラしているし、なんならいつもよりテンション高いくらいだ。
しかし実際、これはかなりきつい呪いである。人口の半分は女だ。狼男でなくとも、この状態ではまともに生活することすらできないに違いない。
一刻も早く呪いを解く必要がある……とはいえ、俺たちは聖職者ではない。呪いを解きにアンデッドダンジョンに行くなんて、こんな馬鹿な話があるだろうか。
「……あのさぁ、こういうのは本職にお願いすべきじゃないの? 教会に行くとか」
「狼男が教会なんか行けるわけないじゃん。ちゃんと考えてよレイスくーん」
妙にイラッとする口調でそう言いながら、狼男はまたヘラヘラした笑みを浮かべる。
どうしてだろう。今日の狼男はいつにも増して鬱陶しい。
思わず口を閉ざすと、入れ替わるように次は吸血鬼が口を開いた。
「チョコレートで呪いにかかったというなら、それを吐き出してしまえば呪いも解けるんじゃないか?」
「吸血鬼君は安直だなぁ。そんなのとっくに試したよ。っていうか俺、チョコ食べると気持ち悪くなって普通に吐いちゃうんだよね」
「なんでそんなもの食べるんだよ……」
そう言って、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
俺たちがこれまでにかかり、対処してきた呪いは、どれも「外せなくて困る」といった類のものばかりだった。だから物理的に破壊することが解決策となり得たのだが、今回の呪いは呪いの本体が目に見えない。対処法が分からないのだ。
「やっぱり俺たちが呪いを解くのは難しいよ。力になれなくて悪いけど」
俺がさじを投げようとしているのを察したのだろうか、狼男は急にしおらしい顔つきになって縋りつくようにこちらへと近付いてきた。
「そんな! お願いだから諦めないでよ、なんとしても今日中に呪いを解かないと。俺を待ってる女の子の気持ちはどうなるの?」
「狼男がそれ言う……?」
「女の気持ちを踏みにじってる本人が良く言えたものだな」
俺たちの冷たい視線をその身に受け、狼男は拗ねたように口を尖らせる。
「そんなこと言わないでよ、本当に困ってるんだからさぁ。これじゃあ女の子へのプレゼントを買うこともできないよ」
「何人の女にプレゼントを渡す予定なんだ? その分だけお前を切り分けて女たちに送りつけてやろう」
「ああ、それ良いね。均等に分割すれば、もうトラブル起きないかも」
「二人とも変なこと言わないでよ。そんな猟奇的なプレゼント喜ぶ娘、ほとんどいないから!」
「多少はいるんだ……」
「とにかく頼むよ。多少手荒な真似しても良いから、手っ取り早くさぁ」
狼男は反省の色などこれっぽっちも見せず、目の前の楽しいイベントに繰り出すため俺たちに縋り付く。
それが新たなトラブルの種になると、彼は気付いていないのだろうか。いや、気付いているけどやめられないのか。
いちいちトラブルの対応をするのではなく、トラブルに巻き込まれるような交友関係を見直すべきだと強く思うのだが……まぁ、狼男にそんなことを言っても無駄だろう。
「申し訳ないんだけど、情報が少なすぎてアドバイスもできないよ。呪いの正体や種類だってイマイチ分からないし。他に症状はないの?」
「症状? そうだなぁ、なんか腹がぐるぐるするような……?」
そう言って狼男が腹に手を当てたその時だった。
暴れるような素振りを見せず大人しくしていたため、油断したのだろうか。いや、もしかするとグダグダとダンジョンに居座り続ける狼男の鬱陶しさが吸血鬼の許容を超え、思わずその手を緩めてしまったのかもしれない。
自由を奪う吸血鬼の腕を振り払い、ゾンビちゃんが狼男に襲い掛かったのである。
彼女が勢いよく伸ばした腕は狼男の手のひらごと彼の腹を突き破った。
「ゲホッ!?」
目を見開き、血を吐き出す狼男。
苦しそうに呻く彼の顔になど見向きもせず、ゾンビちゃんは血を吐き出し続ける狼男の腹を一心不乱に掻き回している。
「ちょっ、何してんのゾンビちゃん!?」
悲鳴にも似た俺の問いにも答えず、ゾンビちゃんはおもちゃ箱をひっくり返す子供のように狼男の臓物を掻き回す。出てはいけないものが腹から飛び出しているが、狼男の力ではゾンビちゃんを引き剝がせないし、服が汚れるのが嫌なのだろうか、吸血鬼もゾンビちゃんを止めようとはしない。
地獄のような光景が目の前に広がってからどれくらい経っただろう。これすらも呪いの一つなのではないかと思い始めたその時、ゾンビちゃんが臓物と血の海から何かを引きずり出した。
「ピエエエエッ!」
耳障りな醜い声を上げ、ゾンビちゃんの手の中でもがく血塗れの生物。それは緑の目と細かく鋭い牙を持つおぞましい姿の怪物だった。せめてもの救いは、そいつがゾンビちゃんの手のひらほどの大きさだった事か。
ゾンビちゃんはそれを子犬のように抱き上げ、子供のようにキャッキャと笑う。
「カワイイ!」
「か、可愛いか……?」
「もしかして、これが呪いの元凶なんじゃ」
俺の言葉に、今にも死にそうな表情を浮かべていた狼男がパッと顔を輝かせる。
そして彼は相変わらず腹から血を流しながらも、恐る恐るゾンビちゃんに手を伸ばす。彼の指がほんの少しゾンビちゃんの腕に触れても、そして彼の手がゾンビちゃんの腕を掴んでも、彼の腕がツイストすることは無かった。
……どうやら、狼男を縛り付けていた鎖が解けたらしい。
「やった……触れる。触れるよ!」
「触ルナ!」
「ギャアッ!?」
ゾンビちゃんに腕を捻じり上げられ、狼男の腕が物理的にツイストされる。
骨の砕ける音や筋肉の繊維が千切れる音がダンジョンに響いたが、それでも彼の表情は明るかった。
「やったー! これでデートにいけるよ。ありがとうゾンビちゃん」
狼男はゾンビちゃんへ手早くお礼を言うと、捻じれて上がらなくなった腕をぶらぶらと揺らしながら彼を待つ女の子の元へと走り去ってしまった。
急に静かになったダンジョンで、俺たちは通路に点々と続く血痕を見下ろしながら口を開く。
「……腹に風穴が開いているのは良いのか? 街が大騒ぎになりそうだが」
「まぁ、あとは本人の問題だから」
俺は苦笑いを浮かべながらそう呟く。
呪いが解けたのが嬉しすぎて痛みなどぶっ飛んでいるのだろうか。それとも、これも呪いの後遺症なのか。
そういえば、犬がチョコレート中毒を起こした時の症状の一つとして「異常な興奮」があると聞いたことがあるが……。




