119、爆走馬車
軽快な足音、それから纏った鎧の擦れる音と共にダンジョンを走る一頭の馬。その後ろに繋がれているのは、車輪と白い布、それから木材で作られた簡素な車。冒険者には馴染みの深い乗り物、馬車である。
馬車自体はそれほど珍しいものじゃない。比較的大人数のパーティなら所有していることも多いし、俺も何度か乗ったことがある。
だがここは街でも草原でもない。暗くて狭いアンデッドの巣窟、ダンジョンなのである。
この狭く入り組んだ通路を、その馬車は有り得ないスピードで爆走していた。
「ひえええっ! 怖い怖い怖いぃぃッ!」
向こうも馬車でダンジョンに乗り込むことに慣れているわけではないらしい。ムチを握りしめた男は、馬車の上で奇声を上げながらダンジョンをありえない速度で進んでいく。
馬車に乗った冒険者との戦闘に慣れていないのは俺たちも同じだ。剣を構え、通路を塞ぐスケルトンたちもあっという間に猛スピードで突っ込んできた馬車に蹴散らされてしまった。
「ちょっ……馬車での進入は許可してないんだけど」
俺は堪らず壁の中から飛び出し、猛スピードの馬車と並走しながら男にそう声をかける。
すると男は引き攣った表情を浮かべながらも、俺に攻撃的な視線を向けた。
「そ、そんな事どこにも書いてなかったぞ!」
「いやいや、分かるでしょ。常識的に……ん? もしかして前にこのダンジョン来たことある?」
男は手綱を操り、馬車が通れる程度には大きな通路を選んで走っているようだった。こんな芸当、ダンジョンの地図を持っているか、さもなくばダンジョンの「リピーター」でなきゃやれっこない。
それにこの顔。ボサボサの髪と無精髭で隠れてしまってはいるが、以前見た事があるような、ないような……
「うるせぇ! 文句あんなら駐馬場でも用意しとけ」
男はそう悪態をつくと、俺の視線から逃れるように馬にムチを振り下ろす。
それにより馬はますますスピードを上げ、馬車は俺を振り切るように通路の先へ行ってしまった。
だがそれは自らの首をも締める行為である。
馬車で進入できるダンジョンもなくはないが、そういうところは広い通路と整備された地面があるものだ。馬車での走行を想定されていない我がダンジョンに無理矢理乗り込んだものだから、馬車は酷く揺れ、そのたびに鈍い音を立てながら壁に衝突してしまっている。
ダンジョンに入ってきた時から新品の綺麗な馬車というわけではなかったが、今や幽霊船ならぬ幽霊馬車のごときボロさだ。
「あーあ、これじゃあ廃車確定でしょ」
『それより、これからどうする?』
冒険者撃退のため待機していたスケルトンたちが不安そうな表情で走り寄ってきた。
従来通り剣を構えて突っ込めば、彼らもさっきのスケルトンたちと同じようにあっという間に木っ端微塵に吹っ飛ぶだろう。
俺は少し考えて、次の作戦を頭に描き出す。
「そうだなぁ……近接攻撃が無理なら、遠距離しかないよね」
俺の言葉にスケルトンたちは剣を収め、そして素早く弓を構えた。
馬車の通れるような大きい通路は限られている。凄まじいスピードでダンジョンを進んではいるものの、冒険者を待ち伏せするのはそう難しいことでは無かった。
「ひっ!?」
矢を向けられている事に気付いた男は、転がり込むように馬車の中に身を隠した。刹那、スケルトンたちは引き絞った矢を馬車に向かって一斉に放つ。
雨のように降り注いだ矢は馬車のあちこちに突き刺さる。しかし肝心の男に矢は届かなかったようだ。男は馬車の中からそっと顔を覗かせて、こちらの様子を伺っている。馬車を走らせる馬もまた纏った鎧によって矢を防いでいる。
馬車の速度が速く、なかなか狙いが定まらないようだ。鎧の隙間を縫って矢を当てたり、馬車の中に隠れた男にピンポイントで矢を当てるのは難しいかもしれない。
「こ、これもダメか……暴走馬車、意外と強いなぁ」
『強いのは確かだけど、あれじゃあ宝箱が取れないよ』
思わずボヤく俺に向かって、スケルトンが紙を掲げる。
言われてみれば確かにその通りだ。道中に設置された宝箱があるのは、大抵狭い通路の先。馬車ではとても通れそうにない。
最下層にいる吸血鬼とそこに設置された宝箱だけに的を絞り、敢えて道中の宝箱には手を出さないというのも戦術の一つではある。とはいえ、使える馬車が一つおじゃんになったことを考えると、最下層の宝箱だけでは元が取れるかどうか怪しいものだ。
『それより急がないと』
今度紙を掲げたのは、先ほどとはまた別のスケルトンだ。彼は砂煙を上げながら爆走する馬車を指差し、慌てたように紙にペンを走らせる。
『このままだとそろそろ』
「……あっ!」
すっかり忘れていた。この先は彼女の持ち場である。
俺は凄いスピードで走る馬車の前方に立ち塞がるゾンビちゃんを見て、ようやくその事を思い出した。
「危ないよゾンビちゃん!」
近接戦闘専門のゾンビちゃんがこの爆走馬車と戦えるとは到底思えない。
俺は声を上げてゾンビちゃんに危険を知らせるが、眼を爛々と輝かせるゾンビちゃんに俺の言葉は届いていないらしい。
服に火がついたような焦燥を感じながら、俺はもう一度悲鳴にも似た声を上げる。
「ねぇゾンビちゃん、危ないってば! 死んじゃうよ!?」
「私死なナイよ! ニク、食ベルから!」
ゾンビちゃんは馬車をじっと見据えたまま、舌なめずりしながらそう答えた。
一方、馬車は轟音を立てながらスピードを緩めることなくゾンビちゃんに近づいていく。人間はもちろん、アンデッドでも一目散に逃げ出したくなる迫力だ。しかしゾンビちゃんは臆することなく、したり顔で馬車を待ち構えている。
「……もしかしたら策があるのかな。ゾンビちゃんの怪力なら馬車を止められるのかも」
彼女のあまりに堂々とした態度に、根拠のない安心感すら芽生えてきてしまった。
俺たちの視線を一身に受け、ゾンビちゃんは突っ込んでくる馬車に向かって手を広げる。
「チッ……突っ込むぞ、掴まってろ!」
男はゾンビちゃんを見下ろしながら声を上げ、馬にムチを打つ。
馬車はますますスピードを増し、凄い勢いでゾンビちゃんに突っ込んだ。刹那、どちゃっという湿っぽい嫌な音が通路に響く。馬車が過ぎ去ったあとに残ったのは、バラバラになったゾンビちゃんの欠片のみ。
腐りかけたゾンビちゃんの体は、衝撃により豆腐みたいに砕けてしまったのだ。
「……んー、まぁそうなるよね」
俺はおぼろ豆腐のようにバラバラになってしまったゾンビちゃんに駆け寄る。
「言わんこっちゃない。大丈夫?」
ツギハギに沿うようにちぎれ、バラバラのパーツになってしまったゾンビちゃんに語りかけるが、返事はない。
まぁそれも当然のことだ。俺だって返事を期待して話しかけてはいない。
……が、しばらくしてから俺はゾンビちゃんの体の妙な点に気がついた。
見当たらないのだ。頭が、どこにも。
「あ、あれ……? まさか」
その瞬間、通路の先を走っていた馬車が突然停車した。
しかもただ普通に馬車を止めた訳ではなさそうだ。聞こえてくるのは馬の悲鳴と蹄鉄の付いた足であちこちを蹴飛ばす男、そして男の怒号である。
なにかトラブルが起きたのは間違いない。
慌てて駆け寄った俺の目に飛び込んだのは、思わず震え上がるほどに凄惨な光景であった。
馬の艷やかな毛並みを真っ赤に染める血、血、血。苦しそうな鳴き声を上げながら暴れまわる馬の喉元には、体中から血を滴らせるゾンビちゃんがぶら下がっている。
彼女は宣言どおり、肉を食べることに成功したらしかった。
とはいえ、動けるのが不思議なほどに彼女の怪我は酷いものである。先程の衝撃で下半身と左腕が吹っ飛んだらしく、彼女の姿はまるで右腕の生えた歪な胸像だ。
しかし彼女はその唯一無事な右腕で馬の首をがっしり掴み、鎧の隙間からその喉笛を噛み切る。哀れな馬は断末魔の悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
「……クソッ!」
馬車の中で狼狽えていた男も、馬の死によりようやく覚悟が決まったらしい。このままぼうっとしていたらあっという間に馬は骨だけになって、次の獲物はこの男に変わることだろう。
男は細身の剣を携え、恐怖を振り切るように勢い良く馬車から飛び降りる。
しかしその瞬間、スケルトンの放った矢が男の胸を貫いた。
「ッ……あ……」
悲鳴を上げることも藻掻き苦しむこともなく、男はそのまま地面に崩れ落ち、そして二度と立ち上がることはなかった。
「終わった……?」
派手な登場とは対象的な、あまりにあっさりした幕引きに俺は思わず溜息をつく。
あれだけ騒がしかったのが嘘みたいにダンジョンは静まり返っていた。聞こえるのは馬を貪るゾンビちゃんの咀嚼音のみ。
しかしその静寂も長くは続かなかった。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、ってヤツだな」
そう言いながらひょっこり現れたのは、我がダンジョンのボス、吸血鬼である。
しかしダンジョン最下層で待機していたにしては早すぎる登場だ。俺は怪訝な表情を浮かべて吸血鬼に口を開く。
「吸血鬼、もしかしてそこで見てたの?」
「ああ、スケルトンから話を聞いて飛んできたよ。あの馬車、興味をそそられるじゃないか」
吸血鬼はそう言いながら、もはやそれを引く馬も御者もいなくなってしまったボロボロの馬車を指差す。
マイ馬車に憧れる気持ちは分からないでもないが、あれはもはや馬車と呼べる代物ではない。その辺に転がっている廃材や道端に張り付いた軍手と同じ。あとは捨てるしかないガラクタである。
「……あんなボロ、廃棄にお金がかかるくらいだよ?」
しかし吸血鬼ニヤリと笑い、俺の言葉に首を振る。
「興味があるのは馬車そのものじゃない。中身だよ、中身。こんな無理をして馬車をダンジョンに持ち込んだんだ。あの中によほど凄いお宝でも貯め込んでるんじゃないのか?」
「……なるほど!」
吸血鬼の言葉にハッとして、俺は思わず手を叩いた。
考えてみれば、このダンジョンに無理やり馬車で突っ込むなんて不自然なのである。我がダンジョンに駐馬場はないが、すぐ近くの街に馬車を預かってくれる場所はあるのだ。
それを利用せずダンジョンに乗り込んだという事は、馬車でないと運べない物、それも人に預ける事ができないほど貴重な物をこの冒険者が持っているという事かもしれない。
しかもこの冒険者、馬が襲われた際も馬車を捨てようとせずゾンビちゃんに立ち向かったのだ。命をかけても守りたい宝と言う物に、正直俺も興味がある。
「行くぞ、レイス」
「うん、行こう」
俺たちはまだ見ぬお宝に止まったはずの心臓が踊りださんばかりに胸を高鳴らせながら、馬を貪り食うゾンビちゃんを横目に馬車へ近付いていく。そしてボロボロの布とあちこちが削れた馬車の中を覗き込む。
馬車の中には目が潰れんばかりの輝く黄金の山が――なんて期待はいとも容易く潰えた。現実はおとぎ話のようにうまく行ってはくれなかったのだ。
馬車の中にところ狭しと積まれていたのは、宝箱ではなくゴミの山であった。
まるで年季の入った一人暮らしの男の部屋のような惨状に、俺たちは思わず顔を顰める。
「うっ……汚いな。酷い匂いだ」
「生活感が凄いね……ん?」
その時だった。
なんの気なく馬車の中を見渡した俺の目に、ゴミに埋もれるようにしてうずくまる人影が映ったのである。
「うわっ!? 同乗者っ……気を付けて吸血鬼!」
俺はそう声を上げながら慌ててその人影と距離を取るように飛び退く。
馬車に人がいる可能性を、俺は全く考えていなかった。しかし考えてみれば同乗者が居たって何ら不思議ではない。むしろ馬車というのは普通、パーティで共有するものである。
そういえばあの男、ゾンビちゃんを轢く時も「掴まれ」だのなんだのと仲間にかけるような言葉を口にしていた。
俺の言葉にスケルトンたちも弓を構え、馬車の中のまだ見ぬ敵に狙いを定める。
しかし緊迫した馬車の外とは裏腹に、吸血鬼は馬車の中から落ち着き払った声を上げた。
「いや、大丈夫だレイス。よく見ろ」
吸血鬼はそう言って静かに俺を手招きする。
促されるがまま、俺は再び馬車の中に首を突っ込み、そして吸血鬼がどうしてこんなに落ち着いていられるのかを知った。
「……あっ」
「預けられないはずだな、こんなものが乗っていれば」
ゴミに埋もれるようにしてうずくまっていたのは、「人」ではなかった。より正しく言うならば、「かつて人だったもの」だろうか。
それはカラカラに干からびた死体だったのだ。その髪の長さと服装から、辛うじて女の死体だということが分かる。
しかし分かるのはそれだけだ。
どうしてこんなものを乗せて馬車を走らせていたのか、もはや誰にも分からないのだ。死人に口無しという言葉は、俺たち以外ほぼ全ての生物に当てはまる法則である。
……いや、もう一つだけこの二人の関係を読み解くヒントが隠されていたか。
その茶色く干からびた指で輝きを放つ指輪と同じものが、血に染まった男の指にも輝いていた。




