118、猫の首に鈴をつける
「ど、どうしたの吸血鬼。酷い顔だけど」
吸血鬼の顔は元々死人のように白いが、今日の彼の顔色は白というより蒼と言ったほうが近い。
吸血鬼はフラフラ俺の元へ歩いてくると、通路の先を指差しながら僅かに震える声で言った。
「蛇がいるんだ。凄く、凄く大きい奴なんだが」
「蛇? この前毒で駆除したばっかりなのにもう新しいのが住み着いちゃったのかぁ。で、どうしたの? 殺した?」
「いいや……」
「ええ? なにやってんの、蛇嫌いだっけ?」
「違うんだレイス。大きいんだ、物凄い大きさなんだ」
心底怯えきった様子の吸血鬼に、俺は思わずため息を吐く。
「大きいったって蛇でしょ? 吸血鬼が蛇くらいで情けないなぁ……」
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「……これは無理だね」
「だろう?」
吸血鬼に案内されて向かった先にいたのは、彼の言うとおり「物凄く大きな蛇」であった。しかしその大きさは俺の予想を遥かに超えていた。通路をみっちり塞ぐようにとぐろを巻いたその蛇は、人を一度に2、3人丸呑みできるほどに大きい。
そして特徴的な点がもう一つ。頭に載った王冠にも似たとさかである。蛇の王の証であるこのとさかを持ったモンスターを、俺は一匹しか知らない。
「これただの蛇じゃない。バジリスクだよ」
「ソレってオイシイ?」
ゾンビちゃんが目を輝かせながら、間髪入れず俺にそう尋ねる。だが俺は今にも飛び出していってしまいそうなゾンビちゃんを慌てて制止した。
「とんでもない! 味を感じる前に即死だよ。バジリスクには毒があるんだ、物凄い毒が」
いくらゾンビと言えど、バジリスクを食べたりしたらただでは済まないに違いない。バジリスクの体に毒の無い場所などなく、バジリスクの毒に耐えられる者などいないと言われている程だ。
だが真に恐ろしいのはその目である。メデューサと同じ、見たものを石に変える邪眼――バジリスクもそれを持っているのである。
今は幸いにも、その目は俺たちではなくどこか別の場所に向けられている。蛇には瞼がないから分かりにくいが、ピクリとも動かないところを見るにどうやら眠っているらしかった。
「冬眠してるのかなぁ」
「そのようだな。不幸中の幸いってとこか?」
「確かに起きてたら手も足も出なかったかもね。でも眠ってる今ならきっと――」
仲間を鼓舞するようなセリフを口にしようとしたその時。言いかけた俺の言葉を否定するようにバジリスクの口が開いた。
シューシューと威嚇するような恐ろしい声を上げながら、バジリスクは見えない何かに狙いを済ましているようにその大きな口を開く。そこから覗く、成人男性の脚ほどもある大きな牙から滴り落ちた毒液は白煙を上げながら地面を溶かしている。
「……ごめん。ちょっと声が大きかったかな」
「ま、まだ眠りが浅いのか? それとも寝ぼけているのか」
気丈にバジリスクの状態を分析してみせる吸血鬼だが、その表情は先程よりも明らかに引き攣っている。
まぁそれも当然の反応だ。本能が警告を発する恐ろしい見た目、強力な毒、そして石化の邪眼。ヤツがちょっと鎌首をもたげてこちらを睨めば、あっという間に「よくできた石像」に早変わりだ。アンデッドと言えど石化の呪いからは逃れられない。
「あまり近付きすぎるのは危険だ。ここは弓矢で遠距離攻撃するのが得策じゃないか」
一見もっともらしい吸血鬼の作戦に、俺はゆっくり首を振る。
「それじゃダメだよ。弓矢程度の威力じゃあの鱗に跳ね返されちゃう。やるなら一撃で仕留められる威力の強い近接武器じゃないと」
「失敗すれば死ぬ……って事か。かなり慎重にやらなくてはな」
『失敗しなくても死ぬんでしょ』
吸血鬼と俺の会話に割って入ってきたのは、骨を小刻みに揺らしてリズミカルに音を鳴らすスケルトンだ。いや、これは震えているのだろうか。震える手で書いたためか、紙に書かれた文字も目を凝らさないと読めないほどに歪んでしまっている。
俺はスケルトンを落ち着かせるため、そして不安がこれ以上広がらないため、できるだけ明るい声で彼を宥める。
「いや、あれはただの噂で……」
「どういうことだ?」
だが俺の目論見とは裏腹に、吸血鬼が恐い顔をして俺の透明な体をじっと見つめる。
……適当な誤魔化しでは許されそうにない雰囲気だ。
俺はできるだけ不安を与えないよう、言葉を頭の中で組み立てながら口を開く。
「えーっと……バジリスクに毒があるって事は言ったよね? 図鑑によってはかなり大袈裟に書かれてる事もあって、まぁバジリスクなんて滅多に見られるモンスターじゃないし、真偽の程は定かじゃないんだけど――」
「うだうだ言ってないで早く話せよ」
歯切れの悪い俺の言葉に業を煮やしたのか、吸血鬼が苛ついた様子でそう急かす。
遠まわしな言い方はむしろ皆の神経を逆撫でしてしまいそうだ。俺は腹をくくり、ゆっくり口を開いた。
「つ、つまりその……バジリスクに攻撃すると、その武器を伝って毒が体に回るって話もある」
俺の言葉にダンジョンが水を打ったように静まり返る。 数え切れないほどのスケルトンがいるにも関わらず、骨の鳴る音が一切聞こえてこない。
永遠にも続くかに思えた静寂を打ち破ったのは、吸血鬼の低い声であった。
「な、なんだそれは。じゃあ襲撃に失敗しても成功しても、どちらにしろ死ぬって事じゃないか!」
「いや、だからその情報にどれだけの信憑性があるか分からないんだって。未熟な冒険者が危険なモンスターに迂闊に近付かないよう大袈裟に言った話が本に載っちゃう事なんてザラにあるし。たとえ本当だったとしても、剣を伝った毒にアンデッドを殺す程の威力があるのかは分からないんだ」
「そうは言ったって――」
そう言ったところで、吸血鬼は言いかけた言葉を飲み込んだ。そして一種の沈黙の後、やけに落ち着き払った様子で再び口を開く。
「……いや、なるほどな。しかしバジリスクに毒があるというのは確実なのだろう? なら毒に耐性があるやつの方が良いんじゃないのか」
そんな事を言いながら、吸血鬼はちらりとスケルトンを見やる。突如向けられた矛先にスケルトンたちはガシャガシャと骨を鳴らしながら色めき立つ。
スケルトンが反論するより早く、吸血鬼はさらやる追撃をスケルトンたちに浴びせかけた。
「スケルトンたちなら石化したって大した影響はないだろう。もともと石みたいな体なんだ。適任じゃないか」
吸血鬼の猛攻ににスケルトンたちもたじろいでしまったらしい。バジリスクにその暗い眼窩を向けながら、一斉にぶるりと体を震わせる。
しかし木々のざわめきのようだったスケルトンたちの「骨音」は徐々に激しさを増していき、最後には不平不満の大合唱となった。
『近付く前に骨の音で気付かれるに決まってる』
『あんなでっかいのを一撃で殺す力はない』
『適任ならもっと他にいる』
様々な反論の言葉を紙に書き殴ったスケルトンたちが、一斉にゾンビちゃんの方を見やる。
次に矛先が向いたのは、どうやらゾンビちゃんであるらしい。
「なるほど、小娘なら一撃で仕留められるだけのパワーを持ってるな。裸足なら忍び足も得意だろう」
吸血鬼のもっともらしい話にスケルトンたちも頷く。
ああ、やはりこういう展開になってしまった。
こんな猫の首に鈴を着けるような任務、誰もやりたくないに決まっている。誰も彼も、口実を作っては他人に押し付けあっているのだ。
だが、ゾンビちゃんは他のアンデッドと違い建前など使えない。彼女は露骨に不満そうな表情を浮かべ、口を尖らせる。
「ヤダよ。だってアレ、食ベラレナイんでしょ」
「そういう問題じゃない。これは我がダンジョン全体の問題なんだぞ」
吸血鬼の正論じみた言葉にも、ゾンビちゃんは一切動じない。
「エー、他の人ヤッテよ。痛イのヤダ」
「お前、そんな勝手なこと――」
「ソンナに言ウなら吸血鬼ヤッタラ?」
「うっ……」
ゾンビちゃんの口から飛び出たなんの脈絡もないカウンターアタックに、吸血鬼は苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべて口ごもる。
そして非難されてもおかしくないゾンビちゃんの無責任なセリフに賛同者が現れた。スケルトンたちである。
『まぁ吸血鬼にもできなくはないよね』
『むしろここはボスがやった方が良いんじゃ』
「うぐっ……」
見えない矛先が今度は吸血鬼へ向いたようだ。
多くの視線に射抜かれ、吸血鬼の頬がピクピクと痙攣している。
「こ、こんな時ばかりボス扱いか。都合の良い連中だ!」
「まぁでも、それが一番ベターな作戦だよね。ゾンビちゃんじゃバジリスクの急所を的確に狙えるか分からないし」
「くっ……」
俺の一言により、見えない矛先はとうとう吸血鬼の体を射抜いたようだった。誰もがあえて口に出さないものの、場の空気がこの厳しい任務を吸血鬼に託すと言っている。
俺は吸血鬼へのせめてもの餞として、出来る限り明るい声で彼をこう元気付けた。
「大丈夫だよ、いざという時は石化解除の薬も解毒剤も注文する」
『骨も拾ってあげるよ』
しかし俺達のエールにも吸血鬼の表情は晴れないどころか、早くも毒に侵されてしまったように生気がない。
吸血鬼は通路の陰から顔を出し、眠っているバジリスクをちらりと覗く。バジリスクの目は相変わらずあらぬ方向に向けられているにも関わらず、吸血鬼は石になったように固まってしまった。
そんな事は気にも止めず、スケルトンは腰にさしていた剣を吸血鬼に押し付ける。それに合わせて、俺もバジリスクの駆除方法をレクチャーする事にした。
「急所は目と目の間、眉間の部分。脳に一撃打ち込んでやればさすがのバジリスクも一発だから。頼んだよ、吸血鬼」
だが吸血鬼の口から出たのは、一応正論と理論でコーティングされていた今までのセリフとは全く違う、至ってシンプルな言葉であった。
「……嫌だ」
「はぁ? なんで?」
俺は咄嗟にそう聞き返す。
この状況で、吸血鬼が任務を放棄するなんて考えてもみなかったのである。スケルトンたちも吸血鬼の言葉にざわざわと骨を鳴らす。ゾンビちゃんはその丸い目で吸血鬼をじっと見つめている。
すると吸血鬼は俺たちの視線を振り払うように語気を荒らげた。
「嫌に決まってるだろう!? 小娘と同じ理由だ、痛いのも苦しいのも嫌なんだよ。勝てる戦ならともかく! 負けるか、上手くいっても相打ちの戦いなんてごめんだ!」
恐怖と焦燥により綺麗に飾り立てられたハリボテの「建前」はどこかへ飛んでいってしまったようだ。
本音をぶちまけながら攻撃的に牙を見せる吸血鬼の姿はまるで追い詰められたネズミである。しかしどうせ噛むなら仲間ではなく猫を噛んでほしいものだ。
「そうは言ったって……これはダンジョンにとって大事な戦いだよ」
「大事な犠牲、だろう。いつもいつもそうだ、僕ばかりが危険な役目を押し付けられる。スケルトンなんて、そんなに数がいるのにこういう時は全く働こうとしないじゃないか」
「ちょっ、吸血鬼!」
慌てて止めるがもう遅い。
吸血鬼の言葉はスケルトンたちを酷く不快にさせたようだった。彼らはまるで広場に集ったデモ隊のように反論が載った紙を掲げ、吸血鬼に詰め寄る。
『誰がダンジョンの雑用を請け負ってると思ってるんだ』
『いつもゴロゴロしてるんだからこんな時くらい働け!』
「くっ……それなら、コイツだってそうだろう!」
スケルトンたちのあまりの剣幕にたじろぎながら、吸血鬼はそう言って次にゾンビちゃんを指差した。
キョトンとした表情を浮かべるゾンビちゃんに、吸血鬼は強い口調で言い放つ。
「お前こそ、普段働いてもいなければこんな時役に立とうともしない! たまにはお前も働け!」
「…………」
ゾンビちゃんは人の心を見透かすような大きな目を吸血鬼に向け、しばらくそのまま彼を見つめ続ける。
そして数秒の沈黙の後、彼女は膝を抱えて顔を伏せ、完全なる守りの姿勢を取ってからこう声を上げた。
「エーン」
「お前ッ……嘘泣きでやり過ごす気か!?」
ゾンビちゃんのあからさまな嘘泣きは吸血鬼の神経を逆なでしたようだった。
しかし大の男が泣いている女の子に怒声を浴びせる様子は見るに耐え難い光景であり、俺は二人の間に透明な体を滑り込ませる。
「そんなに責めないであげてよ。女の子なんだから」
「ふざけるなよレイス。お前は誰が自分の体を食い散らかしたか、もう忘れたのか? だいたい、こいつは少女の形をしているだけのバケモノだぞ。君は小娘を妙に子供扱いしたがるが、本当は僕より年上の可能性だってあるんだ」
「まぁまぁ、落ち着いてよ。こんな時に言い争ってる場合じゃないじゃん。情けないなぁもう……」
「情けないだって!?」
俺は吸血鬼の鬼のような表情にハッとして慌てて口を押さえるが、すでに言葉は飛び出てしまったあと。その行為はなんの意味も成さなかった。
「お前、自分一人安全な場所にいながら僕らを非難するつもりなのか?」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
みんなの視線が俺の半透明な体に注がれるのを感じる。ゾンビちゃんですらそのわざとらしい泣き声を止め、俺の顔をじっと見つめている。
ああマズい、これはマズい。久しく感じてなかった感覚。
傍観者には決して向けられないはずの見えない矛が、俺の体に向けられている。
「たまにはレイス、君がこのダンジョンのために身を粉にしても良いんじゃないか?」
吸血鬼の一声で、見えない矛は俺の透明な体を真っ直ぐ貫いた。
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もちろん自分の体から矛先を逸らす努力はした。
しかし彼らの「自分は絶対に行かないぞ」という決心は固く、結局俺が彼らの思惑通りバジリスクの前に出ることとなった。
俺の背中を見送るアンデッドたちは、腹が立つほどに晴れやかな表情を浮かべている。
「ど、どうなっても知らないからね! ちゃんと隠れててよ」
捨て台詞を吐きながら、俺は恐る恐る通路を出てバジリスクの前へと進んでいく。
音を出さず対象に接近することにかけて、俺の右に出る者はいない。俺はバジリスクの安眠を全く妨げることなく、それの目と鼻の先にたどり着くことができた。
ぬめぬめ光る鱗、焦点の定まっていない目、僅かに伸縮を繰り返す鼻孔。生きていた頃ならこんな間近でバジリスクを眺める機会などなかっただろう。
「ええと、耳は……どこだろ。まぁ良いか」
俺は心の準備を整え、普通ならありえない、自殺行為とも取れる行動を起こした。
「おい! 起きろ蛇野郎!」
静かなダンジョンに響く怒声。眠りの浅かったらしいバジリスクは俺の声にすぐ目を覚ました。
バジリスクは鎌首をもたげ、その恐ろしい邪眼で俺の半透明な体を射抜く。
「ひっ……恐っ……」
俺は念のため、恐る恐る自分の手のひらに目をやる。そこにあったのはいつも通りの半透明な手。その視線は俺を恐怖で震え上がらせるには十分だったが、石化させるには至らなかったらしい。
「よ、よし。大丈夫、大丈夫」
自らを奮い立たせ、俺は再びバジリスクに立ち向かっていく。
「この蛇野郎! 誰の許可取ってこんなとこで寝てやがる!」
バジリスクも邪眼で石にできなかった外敵は初めてなのだろうか。どこかキョトンとした表情を浮かべているように見えなくもない。
しかしバジリスクの攻撃手段は邪眼だけじゃない。
バジリスクは大口を開け、その巨体からは想像できないスピードで俺に飛びかかる。
だがバジリスクは俺の透明な体をすり抜け、轟音を立てながら壁に激突した。
「バカめ! そんなの俺には効かないよ」
バジリスクは瓦礫を振り払い、またもキョトンとした表情を浮かべながらもうもうと立ち込める砂煙から頭を出した。
俺はバジリスクの頭の周りを鬱陶しく飛び回りながら、リズミカルにバジリスクを煽る。
「出っていけ、出っていけ、さっさと出っていけ、しばくぞ!」
俺の行為に、バジリスクは心底迷惑そうな表情を浮かべた気がした。
しばしその状態が続いていたが、俺がバジリスクにとって害を及ぼし得る存在でないとバレたのか。バジリスクはとぐろを巻いて再び目をつむってしまった。
「あっ、こら! 寝るな! 起きろ!」
俺はバジリスクの安眠を妨害するため、たった一人馬鹿みたいに大騒ぎをし続けたのだった。
嫌がらせを開始してからどれくらいの時間が経っただろう。
長時間に及ぶ格闘と嫌がらせの末、俺はバジリスクを追い出すことに見事成功した。
しかし任務を終えた俺を出迎え、その働きを讃えてくれる者は誰一人として居なかった。
戦いが終わったのは草木もアンデッドも眠る深夜。皆暢気に寝息を立てていたのである。
俺がバジリスクにしたのと同じ嫌がらせを彼らに行ったのは言うまでもない。




