009 火力支援
「一体、あれは何なんだ!」
オークランドがそう怒鳴り散らすのも無理は無かった。事前の偵察では小高い丘があるだけの筈だった、それがいざその地に辿りついてみれば、丘どころかまるで城砦のような堅固極まりない野戦陣地がそびえ立っているではないか。余りに予測と異なる戦場に、元々短気なオークランドが黙っている訳が無かった
「貴様らは何を見てきた!あれだけの陣地を見逃していたとでも言うのか!」
顔を真っ赤にして口汚く罵るオークランドの前で、偵察に従事していた騎士達や飛竜騎士隊がただ沈黙したまま頭を垂れていた。だが、これは無理も無い事だ。彼らがガリウス丘陵を偵察したのは霧海軍による大工事が始まる以前の事、そしてまさか僅か数日でここまでの大工事が可能だとは誰も思わない。偵察兵や飛竜騎士隊にしてみれば、まるで詐術にでもあったような気持ちだろう
「言っても始まらないでしょう、ここまで来たら」
熱気が充満する中央軍司令部の天幕の中で、ジョバンニの涼しげな声音は何処か場違いにすら聞こえた。オークランドに怒りを含んだ瞳で見据えられても、何処吹く風といった様子で立ち上がる
「処罰に関してはこの陣地攻略後でもいいでしょう。それとも処罰を優先して時間を無為に使いますか?」
「う、む……」
痛いところをつかれた、というようにオークランドが口を噤む。元々、北方軍や南方軍を出し抜く為に一足先にガリウス丘陵まで進軍したのだ。ここで無駄に時間を使ってしまえば、中央軍の動きを察した北方軍や南方軍からどんな横槍が入るか分からない。軍功1位を望むオークランドにとっては面白くない事だ
「左様です、オークランド将軍。なに、所詮は異教徒と『モドキ』の集団なのですから、あの陣地にしてもタカが知れています」
ジョバンニに同意するように立ち上がったのはメスティア騎士団<ホルセ>の指揮を取るクレイブ司祭長だった。意図しない賛同者の出現に、ジョバンニは僅かに(つまり誰にも気付かれない程度に)皮肉っぽい笑みを浮かべた。
フリーディア帝国軍の中ではメスティア騎士団に対して(あからさまにではなくとも)嫌悪感を持つ者が少なくない。極端な精神論や狭い視野、根拠の無い自信……上層部は別として、現実主義者の多い現場の兵士や騎士にとってメスティア騎士団は迷惑以外の何者でも無かった(ジョバンニに言わせれば程度問題であって、「帝国軍が言えた話ではない」そうだが)。
また上層部は上層部で別の考えを持っている。ほぼ全ての貴族や高級軍人がメスティア教を奉じるフリーディア帝国だが、実際に信仰心を持っているのは一部だけだ。多くは民衆に対する処世術として奉じているだけで、信仰心など欠片も持ち合わせていない者も多い。とは言え、メスティア側もフリーディアの権威を借りているという現状では暗黙の了解のようなものだ。末端は別として、上層部同士では政治的な取り決めがある事は間違いないだろう
「我々の力を持ってすれば何なくあの陣地を突破し、忌むべき異教徒と『モドキ』の都を浄化する事が出来る筈です」
(早い話がお互いに利用しあってるだけだ。知っているのは僅かな数の人間だけ――知らないって言うのは幸せなのかね)
熱弁を振るうクレイブに、ジョバンニは侮蔑を含んだ視線を送る。ジョバンニ本人は一応、メスティア教を奉じている事になっているが、勿論建前だけの話だ。一般教徒は別として、狂信的なメスティア教徒に対しては嫌悪感を抱かずにはいられない。もっとも、それを表に出さない程度の処世術は心得ているが
「……わかった、司祭長。ここで時間を無為にする事は我々とて本意ではない。処罰は後で考えるとして、今はあの陣地を攻略するとしよう」
「完全に同意いたします」
クレイブの長広舌に飽きてきたのか、無理矢理に真面目な表情を浮かべてオークランドが命じる。我が意を得たりといった様子で声を弾ませるクレイブとオークランドを交互に眺めて、ジョバンニは笑いを噛み殺す
(素人芝居も、ここまでくるとな)
顔付きだけは精々真面目なように取り繕いながらそんな事を考えるジョバンニの前を、頭を垂れて飛竜騎士達が通り過ぎる。何人かがジョバンニの方に感謝の視線を向け、彼も気にするなという意味で軽く頷いた
もしも勝利の後に彼らが処罰される事になっても、勝利の後であれば多少は温情がかけられる筈だし、もしも敗北するような事になれば、彼らは自責の念から死ぬまで引こうとはするまい。結果死んだとしても、英雄的戦闘を行った者としてその名誉を汚す事はオークランドにも出来ない。どっちを選んでも今のままで処罰を行うよりは遥かにマシだ
「後は、向こうの出方次第かな」
天幕の向こうに見える陣地を一瞥して小さく呟く。一度、ミーシャの顔を見たいな、と思った
「どうやら向こうも準備万端といったところですかね」
双眼鏡で帝国軍の陣地を眺めながら、イマムラが口を開く。傍らで同じように眺めていたディアスも同意を示すように小さく頷くと、カスガヤマ陣地を見下ろした。大勢の霧海軍や第3軍の兵士達が緊張した面持ちでそれぞれの持ち場を守っている様子を眺め、決意に満ちた表情で顔を上げた
「もう1度確認しましょう。先ず、敵の攻撃を障害物で足止めし、砲兵部隊による砲撃を行う……これが第1段階」
「次いで射撃陣地からの射撃により攻撃を行う、これは第2段階」
「再接近した場合は第3軍による近接戦闘へと切り替え、この場合誤射防止の為、霧海軍による砲撃と射撃は最低限度とする……で、宜しいですな」
「問題ありません」
散々調整してきたイマムラが文句など言う筈も無かったが、ディアスは安心した様子で頷いた。少なくとも防衛戦に限って言えば問題なく進める事が出来るだろう。とは言え、何が起こるのか分からないのが戦場だ。ほんの一瞬の油断や慢心が即座に破滅へと導く事はディアスは勿論、イマムラも熟知している
「以前の取り決め通り、機甲部隊の指揮はウチのイケダ大佐が取りますが」
「えぇ、やはり慣れた方に任せるのが1番ですな」
主に戦車や兵員輸送車、装甲車などから攻勢される機甲部隊は霧海軍のイケダ大佐の指揮下に入り、カスガヤマからの攻撃で混乱した敵軍に突入する予定だ。この場合、当たるを幸いに搭載火器を乱射し状況によって兵士達を降車させて乱戦に持ち込むのが狙いだ
「最後の詰めは……」
「シグ率いる<ゲシュペンスト>、ですか」
ディアスのその言葉に、イマムラは特に何を返すでもなく再び双眼鏡を覗き込んだ。ディアスも返答は期待していなかったのだろう、同じように敵陣の方へと目を向けた。間もなく全て始まる予感がしていた
「間もなく戦闘が始まる」
小ガリウス後方、機甲部隊と共にここで待機している<ゲシュペンスト>の指揮官達の前で、シグは静かに口を開いた。声量は大きくないが、不思議とよく響き、周囲に集まったメンバーも音も立てずに聞き入っている
「多くは言わない。ただ、出来る限り生き残れ、死んでも連中が得をするだけだ。霧海軍の医療班も待機している、可能な限り助けてくれる筈だ。今日が終わりじゃない、始まりだという事を忘れるな。いいな、出来る限り、生きろ」
静かに、だが力強く言い切ったシグの言葉に、集まった指揮官達も力強く頷く。自身も部下達も生きて帰る為の決意を漲らせながら自分の部下達の元へと戻る指揮官達を眺めつつ、シグは傍らに立つイリスに視線を向けた
「もう少し何か言った方が良かったですかね」
「十分かと。ご主人様らしくて良かったと思いますよ」
「やはり、親父殿のようにはいきませんね」
亡父エーリッヒはシグの目から見ても優秀な為政者であり騎士であった。そんな父は演説においても優秀であり、その分野だけはシグが大いに苦手としている。話すこと自体が嫌いな訳ではないが、どうにも苦手意識が抜けきらない。小さく苦笑しつつ、シグは自分の周囲を囲む9人を見渡した
「何度でも言うが、生きろよ。まだまだやるべき事は山積みなんだ、俺達にもグロウフェンにも」
身内と言う事もあるのだろう、先程よりは幾分か和らいだトーンで語りかけるシグに、彼を囲む全員が頷く。全員が全員、シグが生き残れというならば、何としてでも生き残ろうとするだろう。上はイリスから下はレンやルンまで、主従であり、友人であり、相棒であり――或いは弟や兄のようでもある、一種の家族的信頼感が確かにそこにはあった。満足そうに小さく頷き返したシグの表情が、不意に真剣なものへと変わる
「始まったな」
カスガヤマ陣地後方に布陣した砲兵部隊が放つ無数の砲声が響いてきたのは、その直後だった
攻撃は正攻法と、或いは力攻めとも言えた。連合軍6万の軍勢は、まさに人の奔流となってカスガヤマ陣地へと殺到し始めていた。数で圧倒できると考えたオークランドは各部隊にあまり細かな指示は与えていない。大まかなタイムスケジュールだけを与え、それ以外は各部隊の指揮官へと丸投げした形だ。如何にも定型化した――言い換えれば悪い意味で官僚化した軍人らしい指示だ。かくして自身の居座る本陣に5千、それ以外に約1万ほどの予備戦力を除いて、4万5千近い人の波が平地を駆け出していくのをオークランドは満足げに頷いていた。幾つか柵や堀が見えるが、多少の足止め程度にしかなるまい。そう考えていたオークランドの耳に、聞き慣れない音が近付きつつあった
「射程に入った、ディアス将軍。砲撃を開始します」
「お願いします」
ディアスが軽く頷くと、イマムラが傍らの通信兵が差し出した通信機のマイク越しに、砲兵陣地へと指示を下す
「カスガヤマよりウオヅ、敵は入り込んだ、砲撃を開始せよ。以降、弾着修正は観測員により行え」
『ウオヅ、了解。これより砲撃を開始する』
マイクを通信兵へと返すと、程なくして後方の砲兵陣地から盛大な砲声が響きだす。砲兵陣地に集結した200門を超える自走砲――自走榴弾砲など――から発射された無数の砲弾が、数秒後にはまさに攻め込みつつある連合軍のただ中で炸裂した
無数の馬防策と堀によってほんの数秒だけ停滞した軍勢の動きは、渋滞のような現象を巻き起こして一時的にだが兵が『溜まった』。そんな中で、ふと上空を見上げれば何やら降って来るように見える。兵士の1人が目を凝らそうとした次の瞬間には、彼も含んだ周囲の兵士達は土塊とともに宙へと舞っていた。その時点で、殆どの兵士達は既に命を失っていたのがせめてもの救いだったろうか
「な、何だ!?」
本陣からその様子を眺めていたオークランドは、狼狽しきった表情で立ち上がった。聞き慣れない、落雷のような音がして、その少し後には地面が爆発し、兵達が吹き飛ばされていく。霧海軍の持ち込んだ75ミリから125ミリまで、各種の砲が咆哮する度にオークランドの眼前ではあり得ない光景が作り出されていく
「参謀長、あれは何だ!?」
「わ、分かりません。大規模な爆発系理術では……」
「理術士!」
「……お言葉ですが、『アレ』には理術を使用した反応がありません。少なくとも理術ではありません」
狼狽の色を隠さない参謀長とは対照的に、本陣付きの理術士は出来る限り冷静な反応を取る。かと言って目の前の現象が何であるかまではわからない。彼に理解できるのは目の前の光景が理術によってもたらされたものではない、という事のみだ
「何だと……何だというのだ!?」
オークランドの混乱しきった声も、本陣の後方に陣取っていた第221騎士大隊までは届かない。だが、その光景は本陣が混乱の極みにあるであろう事を予測するに十分なインパクトを持っていた
「だから言ったんだ、何があるか分からないってな……今更言っても仕方ないか?」
「誰も、あんなものを予想できる訳が無いとも思うがな」
苦りきった顔のジョバンニの傍らで、やや蒼白になりながらもミーシャが努めて普段通りに答える。2人のいる場所からも砲兵部隊による攻撃ははっきりと見る事が出来た。やはり最初は2人とも大規模な爆発系理術ではないかと考えたが、それにしては攻撃のペースが速すぎる。あのレベルの理術ならば、仮に大勢の熟練者が扱ったとしても目の前の光景のような速度で撃ち込み続けるのは不可能だろう。それによくよく目を凝らせば、撃ち込まれている『何か』はカスガヤマ陣地(彼らは巨大なグロウフェン軍陣地としか言わないが)の後方から放たれているように見える。大きな陣地を軽々と超える長射程と、思わず目を覆いたくなる破壊力。2つを兼ね備えた理術も無い訳ではないが、これだけ大量に撃ち込まれる事を考えればあり得ない話だ
「とりあえず、だ。我々は『何か』の攻撃によってあの陣地に取り付く前に、既に甚大な被害を蒙っている」
「『何か』が何か、気にならないのか?」
「気にしても仕方ない、今は現状の把握と理解、対策が優先だ」
ともすれば小さく震えだしそうになる拳を握り締めて、ミーシャがジョバンニの横顔を覗き込む。何時も笑顔を絶やさないジョバンニが珍しく表情を消して何事かを考えている。それなりに長い付き合いのあるミーシャにして、ジョバンニのこういった様子は珍しいものだ
「スワロスカヤ隊長、君を暫定的にこの周辺部隊の暫定指揮官に指定する。何か言われたら俺の名前を出せ」
「……」
「いいな?」
『ミーシャ』ではなく『スワロスカヤ隊長』と呼びかけたジョバンニに、ミーシャはただ頷いた。それはつまり、個人的な友人としてではなく、軍の階級上の上位者としての『命令』だと理解したからだ。僅かに済まなそうな顔を一瞬だけミーシャへ向けると、自身の従者達を呼んだ
「本陣に戻る。半分はここに残って俺からの指示を待ち、それまではスワロスカヤ隊長の命に従え」
はい、と男女数名が答えると、その半数がジョバンニの後を追う。残りは何とも微妙な表情でミーシャの方に顔を向けるが、ミーシャは苦笑しつつ、楽にするよう命じた。足早に去っていくジョバンニの背中を眺めながら、ミーシャも何とか現状に対応しようとしていた
(あの無能に現状の把握が出来てるとは思えんしな……くそ、本陣に残っておくべきだったか?)
一方、ジョバンニは内心の焦りを必死に押し殺していた。オークランドによる攻撃命令の下される少し前、彼は視察の名目で第221騎士大隊とその周辺の部隊にやってきていた。本陣の後方に位置するここの諸部隊は、つまりはオークランドにとって『面白くない』部隊が集められていた。それが個人の――要は単純極まりない――好き嫌いによって決められている事は公然の秘密だったが、ジョバンニにとっては知った事ではない
「……いや、残っていたら俺も混乱に巻き込まれた可能性もあるか。何よりミーシャと意思疎通が出来た事は重要だ」
後悔はあるが言っても仕方が無い、ならばせめて前向きに考えよう。大きく息を吐き出して、心の中から焦燥を吐き出す。そして大きく息を吸った頃には、心は平静を取り戻していた。とりあえず、本陣へを戻ってあの無能と取り巻き供を落ち着かせねばなるまい、そう考えるジョバンニの頭上を何かが通り過ぎる。見上げれば40近い飛竜が敵陣地へと向かっていく。何時もならば多少は心躍る筈のその光景に、ジョバンニは妙な胸騒ぎを覚えた
「カツラギ1番よりカスガヤマ、敵上空に飛竜を確認した。数は……およそ40前後」
カスガヤマ陣地上空で警戒にあたっていたカツラギ1番を名乗る96式戦闘機は、自身の隷下にあるカツラギ隊を見回した。数は自身を入れて8機、2個分隊といった所だ。必要ならばガリウス東基地から増援が出るだろうが、今はこれで何とかするしかない
『カスガヤマより上空のカツラギ隊。攻撃を許可する』
「カツラギ1番、了解。これより攻撃を開始する」
言うが早いか一気に加速する。部下達もそれに続き、飛竜との相対距離は一気に縮まる。40対8という数の不利がありながら、カツラギ隊の誰も動揺の色は見られない。ただ冷静に、事態に対処すると言う動きには一切の迷いは無かった。戦闘は、空でも始まろうとしていた