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008 異常あり

 その飛竜騎士にとって、それは悪夢でしかなかった

 気軽な任務の筈だったのだ。帝国軍の誇る飛竜を用いての偵察任務、ただそれだけの筈だったのだ。同僚の飛竜騎士達と、誇りを蔑ろにするものだと冗談混じりに笑って出撃した筈だったのだ――それが


「何なんだ……何なんだ、『アレ』は!?」


 配下の2騎を従え飛び続けて暫く飛んだ頃に、空で奇妙なモノを見つけた。それは全体としては彼の駆る飛竜に匹敵する体躯を持った、まるで翼を広げた鳥のような姿をしていた。恐らくは蛮族の、所謂亜人種と呼ばれる存在だろうと彼は判断した。彼は飛竜騎士に相応しい技量と知識を持った男ではあったが、同時に相応の傲慢さも持っていた事は否めない。振り返り、配下の2騎に指示を下そうとした次の瞬間には、右後方を飛んでいた部下と飛竜が、無数の光によって穴だらけにされ、鮮血を空中に撒き散らしながら物言わぬ亡骸となっていた


「え」


 一瞬、何が起きたか理解出来ないといった表情になった彼の飛竜が警告の鳴き声をあげた時には、『アレ』は目にも止まらぬ速度で彼らと擦れ違った。亜人種の類と思っていた『アレ』はまるで生物的な要素などまるで無く、言ってみれば鎧や剣のような印象を、擦れ違った瞬間の彼に与え、今まで彼が聞いた事も無いような雄叫びをあげていた。『アレ』は飛竜さえも置き去りにする速度で旋回すると、その頭部から再び無数の光を吐き出した。それは人間の動体視力では追いかけきれないほどの速度でもう1人の部下を、そして飛竜を貫き、死体を2つ、空中に生み出した


「バカな!?」


 そう吐き出すと自らの騎乗する飛竜を急旋回させる。と、ほんの数瞬前まえ彼と飛竜のいた空間を無数の光が射抜いていく。そして僅かに遅れて、『アレ』が恐るべき速度で駆け抜けていった。背後を取った事で彼の顔色がほんの少しだけ蘇ったが、『アレ』はそんな彼と飛竜を嘲笑うかのように楽々と振り切り、再び旋回すると真正面から突っ込んできた


「俺は――俺は栄光あるフリーディア帝国の飛竜騎」


 最期まで自分では気付かなかっただろう、震える声で吐き出しかけた言葉は結局途切れた。突っ込んできた『アレ』、霧海軍に属する96式戦闘機――全金属製で発動機1700馬力の引き込み脚――の放った無数の光、機首部分と主翼部分に装備された20mm機銃合計4門が、彼も飛竜も――鎧も、それを超える硬度を持つ筈の飛竜の鱗も――まとめて単なる肉塊へと変えてしまったからだ。元は人間と飛竜であった落ち行く『それ』を、搭乗席から一瞥した搭乗員は無線に向かって小さく口を開いた


「アマギ2番機よりカスガヤマ。ポイント230-31で3機、いや3匹撃墜した。目視確認」

『諒解、哨戒を続けてくれ』


 簡単な報告だけ済ませると、アマギ2番機を名乗る96式戦闘機は翼を翻した。既に彼と飛竜の姿は無かったが、アマギ2番機にはどうでもいい事だった




 中央軍の本陣では異様な空気が流れていた。訓練と偵察を兼ねて放った筈の数匹の飛竜が一向に戻る気配が無い為だ。帝国でも指折りの錬度を誇る筈の飛竜騎士隊が、まさか迷子になっているとは思えず、時間が経過するほどに混乱は広がっていった


「何故だ!既に帰還している筈の時間だろう!」


 中央軍総司令官であるガーニー・オークランドは短気そうな顔を真っ赤にして周囲に怒鳴り散らしていた。その叱責を真正面から受けることになった飛竜騎士隊の隊長の顔色が真っ青なのは対比的で面白いな、とジョバンニは笑いを噛み殺した。元々権謀術数でこの地位まで上り詰めたオークランドは指揮官としての最低限程度の実力しかない。少なくともこの規模の軍集団を率いるには全くの実力不足であり、ジョバンニが「無能」と評したのもそれが理由だ。対して飛竜騎士隊の隊長は傲慢な部分こそあれ、隊を率いるには十分な実力を有している。軍の多くの高級幹部が貴族出身のコネ出世だが、飛竜を従えねばならない立場から飛竜騎士隊には実力重視の風潮が色濃く残っている。無能だと誰もが思っている上司からの叱責は、隊長のプライドを大きく傷つける事だろう


「考えたくはありませんが、何か緊急事態にあった可能性は?」

「と、言うと」

「気象条件の変化、搭乗者或いは飛竜の身体的不調などがあり得そうですが」


 この司令部では、まだ常識的な参謀長がそう口にするが、それでも「敵にやられた」という発想が出てこない辺りに傲慢さが窺える。一定の規模以上の部隊を率いる指揮官級騎士を集めた本陣には、生憎とミーシャの姿は無い。参集される資格はあるのだが、それを快く思わない者が一定数いるという証だ。その筆頭が総司令官たるオークランドというのが悲劇なんだか喜劇なんだか、諧謔を好む傾向にあるジョバンニでも、これには苦笑いするしかない


「……何か、監査役殿」

「いえ別に」


 オークランドが睨みつけるような視線を向けるが、ジョバンニは何処吹く風といった様子で恐れるような気配すらない。オークランドが自分を厄介者扱いしている事は理解しているが、幸か不幸か監査役の人事権限はオークランドには無い。独立した指揮権限下で動く事の出来るジョバンニにとって、オークランドのご機嫌などはどうでもいい話だ


「……ふん。……よし、前進は続ける。飛竜騎士隊は速やかに次の偵察騎を出せ」

「了解しました」


 その瞳に憤怒と憎悪の色を浮かべながら、隊長が冷静な口調で答える。それに気付いたのは本陣に詰めている指揮官級騎士達の中でも恐らくはジョバンニだけだったろう。或いはミーシャがいれば彼女も気付いたかも知れない。そこまで考えてジョバンニは、ここでの話をミーシャへと持っていく事を心の内だけで決めた




「アマギ2番機より報告、ポイント230-31上空にて敵飛竜3匹を撃墜。目視で確認」


 カスガヤマ陣地の頂上部に設置された情報指揮所の中では、ディアスとイマムラが霧海軍の通信兵からの報告を受け、机の上に広げられた地図に視線を向けた


「ポイント230-31となりますと……この辺りですかな」

「飛竜を用いた航空偵察という事ですか」

「……でしょうな」


 呟いてディアスは太い腕を組む。霧海軍の航空写真を元に作られた地図は精巧極まりなく、まるで今までの地図が子供の落書きに思えるほどだ。その地図の1点を凝視するディアスに、イマムラが声をかける


「飛竜の航続距離を考えれば、事前に偵察機が確認していた敵本隊から飛び立ったと考えていいですな」

「いよいよ敵の主力が近付いてきた、という事ですか」


 その言葉に、情報指揮所の中に緊張が走る。フリーディア軍とメスティア騎士団合計約6万、その一大戦力を前に再編途中の第3軍と霧海軍で果たして何処まで対応できるのか。霧海軍の実力は知っているが、それでも圧倒的な兵量で向かってくる連合軍に対して不安感は拭いきれない


「負けはせんよ。準備は万端整ったし、士気も決して低くない。数でも十分に対抗できる」

「あとは、どのように勝つか、ですね」


 周囲に流れる空気を察し、ディアスもイマムラも余裕を感じさせる声音で語り合う。イマムラの腹の中は読めないが、少なくともディアスには小さな不安が残っているのは事実だ。だが、最高指揮官が不安や恐れを見せていては、それが全軍に伝播してしまう。例え自分自身が不安で押しつぶされそうな状況であっても、部下達の前では余裕ある態度を崩さないというのも指揮官としての重要な仕事だ


(それはわかっているのだが)


 正直、ディアスも辛い。かつて一介の騎士として戦場を駆け抜けていた時は感じる事の無かった精神的な疲労を心の内に閉じ込めて、小さく息を吐いた




 シグ率いる<ゲシュペンスト>は、いまだガリウス東基地で待機を続けていた。アマギ2番機の報告はガリウス東基地でも受信しており、そこから逆算して敵主力がカスガヤマ陣地に達するのは2日後と予測が立てられた。2日後ならばその前日に基地を出発しても十分に間に合う。これは怠惰ではなく、基地という整った環境で休息が出来るのならば、何も無理に環境の劣った場所で野営する必要性が無いからだ。休める時に休むのは、兵士にとって義務とも言えた


「逆に言やぁ、明日にゃ出発しなけりゃいけねぇって話ですねぃ」

「然り」


 ばさり、と巨大な翼に変化した両腕をたたみ、同じように巨大な鉤爪の生えた足先でアスファルトを叩いていたセラに、ノイが言葉少なに答える。外見に似合わず、少々好戦的な部分があるセラにとっては何とも言えない焦れた感覚だが、シグが決めた事なら仕方が無い。同じように焦れた表情を隠そうともしないケーラは今も基地内を走って精々鬱憤を晴らしている事だろう。そんなセラとは対照的にノイはただ黙って遠くを見詰めている。付き合いは長い方だと思うが、未だにセラはノイが何を考えているのか分からない時がある


「焦れてないか、2人とも」

「若」

「マスター」


 そんな2人の背後からかけられた声に振り向くと、シグが小さな笑みを浮かべながら立っていた。鎧も武器も装備していない軽装だが、以前にも増して闘志が満ちているのが分かる


「正直に言やぁ、ちぃと焦れてますけど、我慢しますぜぃ」

「問題・なし」

「そりゃ良かった。そこでケーラに捕まって『早く出撃しようぜ』って胸倉つかまれて首をがくんがくん言わされたからな」


 その言葉にケラケラと笑い出すセラと、僅かに苦い表情を浮かべるノイ。対照的な反応だが、どうやら気負いは無いようだ。歴戦の騎士団員である彼女達ではあるが、6万の大軍を相手に緊張などはしていないかと思っていたシグだったが、どうやら杞憂で済みそうだ。足元に転がる小石を軽く蹴飛ばして、シグは視線を西に向けた


「明日の昼にはカスガヤマ陣地に移動する予定だ。早ければその翌日には戦闘開始となる」


 その言葉に2人も表情を改める。国と民と、自分達の運命を賭けた戦いの、先ずは第1歩だ。緊張も気負いも無いが、言いようの無い高揚した感覚は胸の内にある。それはシグも同じ筈だが、若き指揮官はそれを表情には出さず、ただ柔らかく笑った


「死ぬなよ、まだまだ先は長いんだ」


 そう言って去っていくシグの背中を、セラとノイはただ黙って見詰め続けた




「面倒な事になりました」


 その日の夜、ミュリオスの円卓会議場での戦略会議の席上、そう切り出した男が居た。霧海軍に属するナカガワ大佐は円卓の上に何枚かの航空写真を広げて見せた。写っているのは多くの兵士や騎士、大軍団の姿であるが、これらは現在カスガヤマ陣地へと向かっている軍団ではない


「……地形や植生から見て、北方と南方の2種類あるようですね」

「その通りです。一方は北部山岳地帯周辺で撮影されたもの、もう一方は南方で撮影されたものになります」


 リラの言葉にナカガワが答える。これらは96式偵察機の改良型でごく少数が存在する1式陸上攻撃機が偵察飛行で撮影したものだ。双方ともグロウフェン国外、国を幾つも超えた遠方の出来事だがそれをこうして手に取るように見る事が出来るというのは、世界でも今の所、霧海軍だけだろう


「現在グロウフェンへと向かっている敵集団とほぼ同程度の戦力を有すると思われます。この点を鑑み、我々は其々に北方集団、中央集団、南方集団と呼称する事にしました」

「しかし……何時の間に、これほどの軍団を」


 リッカが苦々しく呟くが、無理も無い。ガルーサ海に面したオーレン大陸諸国家は既に壊滅しており、ニュートロン大陸から送られてくるフリーディアの軍勢を確認する術は無い。北方集団と南方集団は、恐らくは中央集団が侵攻を開始した後に、新たに編成された軍団なのだろう


「疑問なのは、何故この2つの軍集団が今まで噂にもならなかったのか、という点です」

「……南方は別として、北方は予想が出来ます」


 ナカガワの疑問に、リラが答える。オーレン大陸北方山岳地帯は、いわゆる都市国家が乱立している。多くは部族単位であり(『種族』単位では無い)、別に排他的であるという訳でもないが、どうにも他者を頼るという考えが無い。好戦的とまでは言わないが、部族の誇りにかけて戦い抜くという思考が一般的だ。勿論、柔軟な考えを持つ都市国家や指導者もいるのだが、今度は厳しい地形や気候が、他の都市国家との連絡を困難にする。好むと好まざるを問わずに、独力での問題解決を強いられる地である


「厳しい地形と気候に鍛えられた北方の兵は精強で知られています。とは言え、6万近い軍団相手では分が悪い事は否めません」

「敵集団にも恐らく山岳部隊は存在するでしょう。となると後は数の問題です」


 ナカガワの言葉は場の空気を冷えさせるのに十分だった。敵の、中央集団を迎え撃つ準備が整ったタイミングでの新たな敵集団の発見、それも2つ。恐らく最終目的地はどの集団も同じ、ここグロウフェンだろう。せめて幸いなのは、北方・南方共にまだ遠く離れた地にいるという事だ


「……ディアス将軍に伝えますか?」


 ウォルターが小さく問いかけるが、エルリオンは返事を返さない。しばし黙考を続けていたエルリオンだったが、やがて顔を上げてナカガワに視線を向ける


「霧海軍としては如何ですか、この件は既にイマムラ将軍に?」

「いえ、真っ先にここへ」


 そう返答したナカガワに、エルリオンは再び黙り込む。それは実際にはほんの数十秒の事だったが、円卓に揃ったメンバーにはまるで数時間のようにも感じられる沈黙の時間だった


「……少し待ちましょう。決戦前に他所に気をとられるのはいけません、今は目の前の戦いに集中してもらいましょう」

「諒解しました。では我々も報告は控えます……ただし、北方・南方に対する再度の航空偵察を行います。入念な情報収集を理由にすれば、司令官も納得して頂けるかと思います」

「お願いしますね」


 やや青ざめた表情ながら、エルリオンの意志の強そうな瞳の光は微塵も揺るがない。ここにきて突如として振ってわいた非常事態だが、まだまだ対処する時間的余裕は残されている。とりあえずは目の前の中央集団を迎え撃つ事が第一だと判断したエルリオンだが、他の2つを傍観するつもりはない


「北部と南部にヒトを送りなさい、出来る限りの情報収集を行うのです」


 その言葉に何人かが答礼をすると会議場を飛び出していく。個人の素質か、女王の矜持か。歳には相応しくないエルリオンの振る舞いに、ナカガワは好意的な意味で目を細めた




 <ゲシュペンスト>を含めたグロウフェン軍・霧海軍4万が陣地に入り、進軍を続けてきた連合軍――識別では中央集団――6万と対峙したのは、翌々日の昼前の事だった

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