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007 憂う者

 時間は若干遡る

 カルナ大平原における野戦を勝利で終えた事により、フリーディア帝国軍がオーレン大陸制覇の為に繰り出した3つの侵攻軍の1つである中央軍はその余韻に浸っていた。彼等の言葉を借りれば「蛮族と獣に負ける筈は無い」、同行しているメスティア騎士団<ホルセ>の言葉ならば「神の威光の前に異教徒は皆ひれ伏す」という事だが、それでも勝利は勝利だ。敵地に居るとは思えないほどの悠長さで宴が開かれていた。だが、その馬鹿騒ぎを冷ややかな目で見ている者もいる


「バカしかいないようだな」


 中央軍を構成する部隊の1つ、第221騎士大隊を率いるミーシャ・スワロスカヤは昼間から祝杯を挙げる中央軍司令騎士隊の天幕を、少し離れた場所で眺めながら忌々しそうに呟いた

 フリーディア本国の中流貴族出身、多くがコネで昇進をする者が多い指揮官級騎士の中では珍しく実力でのし上がってきた。それだけに現実主義者であり、カルナ大平原における勝利も一歩間違えば敗北もあり得た事も知っている。こちらが勝利できたのは、グロウフェン軍の内情をよく知る者が何名も投降してきた故だ。彼女自身としては、戦力的には拮抗していたと思っている


「当然の勝利など、都合よく転がっている訳がないだろう」


 不機嫌を隠さずに言い捨てる彼女の周囲には、子飼いの部下しかいない。間違っても彼女の言葉を密告する事などあり得ないし、多くは彼女と同意見だったが、彼女と同じくそれを誰かに聞きとがめられる様な無様な真似はしない。幸いというか、より面倒な<ホルセ>の連中は第221騎士大隊の天幕からは最も離れた位置にあるし、周囲は彼女の部下が警戒している。例え何を言っても問題にはなりそうになかった


「こうしている間にもグロウフェン軍は体勢を立て直している筈にも関わらず、あの様子だ」

「ま、あの御仁が無能なのは周知の事実って奴さ」


 苛々を募らせるミーシャの、机を挟んで向こう側にいた男が小さく笑みを浮かべながら答えた。美青年と形容していい容姿に、優美な立ち居振る舞い、知性を感じさせる瞳を見れば只者で無い事は容易に想像が付く。その青年の顔をちらと眺めてから、ミーシャは自分の眼前に置かれたグラスを手に取ると、中に注がれた果実酒を一気に飲み干した


「おいおい、大切に呑んでくれよ。自家製とは言え、手間隙かけてるんだから」

「ふん、帝国大貴族様たるベレンツァーノ公爵家の自家製ね、さぞお高いんだろうな」

「お高いと思うなら味わってくれよ」


 不機嫌なミーシャの言葉にも、男は笑みを絶やさない。ジョバンニ・ベレンツァーノと言えば、フリーディア軍と言わず帝国内部でも知らぬ者のいないほどの名だ。フリーディア帝国でも最上位に位置する大貴族、その1つであるベレンツァーノ公爵家の跡取り息子にして、最年少の帝国貴族議員。名実共にフリーディア帝国の支配者階級に君臨している筈の男は、茶目っ気たっぷりに笑った


「女の子達には人気なんだよ、呑みやすいってさ」

「……そうやって不埒な行動ばかりしているから放蕩息子と陰口を叩かれるんだぞ」

「構うか。俺が放蕩息子なのは事実だからな」


 幾分不機嫌の和らいだミーシャの言葉に、ジョバンニは何でもないように答えた。女性関係にだらしないとか、女と見れば直ぐに声をかけるといった陰口はほぼ全てが事実であるため、ジョバンニも反論しない。裏で付いた渾名は『放蕩息子』だが、それさえも彼は笑って済ませる。だが、数少ない(つまり損得抜きの)友人達や部下達は彼の本質をよく知っていた。確かに女性と見れば口説く癖はあるが、決して相手を蔑ろにはしないし、真摯に向き合う姿勢を持っている。恋人持ちだと分かれば潔く手を引くし、1度声をかけた女性が困ってればやはり真摯に助けようとする。女性を食い物にする青年貴族が多い中で、彼はある意味で非常にマメと言える


「女性が困っていれば全身全霊で手を差し出すのが男の義務だ」


 そう言って憚らないジョバンニに、指揮官級騎士育成の為の騎士学校で初めて対面したミーシャも面食らったが今ではそれなりに信頼関係を結んでいる。ただしミーシャは何十回というジョバンニの『私的な』『2人きりの』食事の誘いに乗った事は無いが


「さて……それよりもこっちの損害の方が気になるね」

「ウチは被害といえるような被害は無いがな」

「それは良い事だよ、無用な損害は無いに限る」


 そう言ったジョバンニの顔に僅かな憂いの色が浮かんだのを、ミーシャは読み取った。自分を慕ってくれる者には相応の態度で望むというのが彼のモットーであり、そこに身分差や種族差は存在しない(男女差は多少存在するが)。大貴族としては稀有な――つまりは良心的な、或いは人間的な――心がけは、ミーシャも高く評価している


「問題はこれ以降だ、何と我らが将軍殿は当初の予定を繰り上げて中央軍のみでミュリオス攻略を言い出した訳だ」

「楽天家ここに極まれり、か?南方軍はとにかく、北方軍が遅れているのは事実だが」


 皮肉っぽく片頬を吊り上げたミーシャに、ジョバンニが思案顔を向ける。当初の予定としては3つの侵攻軍の合流を待ってからミュリオスの攻略にかかる予定であったのだが、中央軍の総司令官を務めるガーニー・オークランド将軍は北方軍の遅れと、グロウフェン軍の弱体化を理由に中央軍のみでミュリスへの攻撃を決定した。当然ながら他の2軍、南方軍と北方軍には事後報告の形で伝えられるだろう


「1軍でミュリオスを落とせば軍功1位は確実だからな」

「南方軍のウィンザー将軍はいいかもしれないが、北方軍のグラン将軍は癇癪起こすぞ」

「私に言うな、私には作戦へ口を出す権利は無いんだから」

「そりゃ俺も同じだ、今回はあくまで監査目的なんだから」


 呆れたようなジョバンニに、ミーシャも同情の視線を向ける。今回、ジョバンニはこの中央軍への監査を目的として派遣されている。当然というか作戦への口出しはおろか、指揮権も無い。自由に動かせるのは領地で編成し、警護の為に同行している私設の騎士団のみだ。一方のミーシャは第221騎士大隊の指揮官ではあるが、生憎とオークランドは若き秀才女性騎士の言葉に耳を傾けるような男ではない。それでなくともミーシャはコネではなく実力でのし上がって来ただけに、他の多くの指揮官級騎士からも距離を置かれている。いわば外様の指揮官に出来る事は少ない


「で、お前はどう見る?監査役殿」

「皮肉か。まぁ守る方が有利なのは変わらん。ましてやここは相手の土地だぞ。どんな逆転の秘策があるかわからない」

「秘策ね……向こうにそんなモノがあるのかは別として、こちらは人数と、勢いに乗っているという優位もあるが」

「勢いに乗るのと、バカが何も考えずに突っ込むのとは違うだろ」

「確かにな」


 そう言って2人とも苦々しい顔付きで黙ってしまう。生まれも育ちも違うが、共に貴族階級に相応しい教養と騎士に相応しい軍事知識を持っている。確かに人数ではこちらが優勢だが、基本的に防御と攻撃では防御側の方が有利であると言える。内線作戦を展開できる優位さ、また防御線を縮めれば反撃密度の圧縮も出来る。十分な防御設備の整った攻城戦では防御側の3倍の数が必要となるとも言われている。多少の人数の多寡は、相手が選択する戦闘地域と戦術でどうにでも出来るだろう


「……口出し出来ない以上、中央軍だけでミュリオスを叩くという基本戦略に従うのは仕方ない。後は向こうがどれほど防御を固めているか、という点だな」

「向こうは後が無いからな、死に物狂いでくるだろうさ」

「……厄介だな」

「もっともだ」


 ジョバンニは小さく呟いてグラスに残った果実酒を飲み干す。果たして決死の覚悟のグロウフェン軍が厄介なのか、或いは余計な事しかしない無能な自軍の指揮官が厄介なのか。それを口に出さず、ミーシャは同じく果実酒を口に含んだ。口当たりのいい高級な酒の筈だが、妙に苦い気がした




「随分と変わったなぁ」


 シグの感想も当然だろう。カスガヤマ陣地は工事開始から7日を経過して、ますます姿を変えつつあった。陣地前方の空堀・水堀は既に完成し、空堀の方は薄い木の板を引いてその存在を隠している。水堀には近くの川から引き込んだ水が満々と満たされており、対理術アンチ・マジックの処理も行っている。主に騎兵の突撃を防ぐ目的の馬防柵もかなりの数が展開されており、少なくとも無傷でカスガヤマ陣地へ取り付く事は不可能のように見える。以前は大ガリウスと呼ばれていた丘は、遠目に見れば既に城砦と呼ばれるに相応しい姿へと変化していた


「陣地ちゅうよりは、城郭ですなぁ」


 傍らで眺めていたククルが感嘆した様子で呟いた。長く世界を見てきた彼女にとっても霧海軍の陣地形成能力は予想外だったらしく、あちこちをきょろきょろと眺めていた。シグとククルがいるのはカスガヤマ陣地の頂上近く、司令部が置かれる予定の場所だ。ディアスとイマムラは、漸く動き出した連合軍の動きを確認する為、後方のガリウス東基地へ下がっている。少なくともあと5日は時間的余裕がある筈だが、胡坐をかいて待っている程お人よしではない


「となると相手は突如出てきた城を相手に戦わないといけない訳だ」

「それも仰山隠し玉もっとる城っちゃねぇ」


 シグ達がカスガヤマ陣地へと足を運んだのは何もカスガヤマ陣地を見学に来ただけではない。ここがどの程度敵を受け止められるのか、攻めあぐねた敵はどういった行動に移るのか、その場合どう移動し、どの場所に向かうのか。実際に現地を見てみねば分からない事は非常に多く、ましてやククルが言ったように半ば『城』と化しているカスガヤマ陣地を相手に連合軍がどう動くのかは、こうやって実際にその地に立ってみなければ判断が難しい。今回に限って<ゲシュペンスト>は、基本的にディアスからの命令の元で動くのだが、こうして判断の材料を持っている事は悪い事ではない

 シグが変わり果てたカスガヤマ陣地周辺の地形を眺めていると、遠くまで響く乾いた音が1つ。ふと見れば馬防柵の上に置かれた小さな木の板が弾け飛んだ。瞬時に視線を動かすと、その馬防柵から400mほど離れた場所でルンが片膝立ちの状態で銃を構えているのが見えた。どうやら調子は万全と言ってもいいようだ


「よく見えますにゃあ、わっちらでも厳しいのに」

「左目だけな、右目はオリジナルだから」


 あっけらかんと言うシグにククルが何ともいえない表情を浮かべるが、直ぐにそれを消す。妙な同情心が時として深く相手を傷つける事くらい知らない訳ではない。シグは何とも思っていないかも知れないが、「こっち」の問題だ


「敵の飛竜を1匹、96式が……あぁ、全部96式だから面倒だな。えぇと、96式戦闘機が撃ち落してる。何か妙な事が起きてると察するかな」

「最初は誤報じゃ思うでしょう。何せ空中で飛竜が負けるなんて思いもせんだで」

「そのまま能天気に進軍してくれれば御の字、か」

「さよで」


 確かに今までは空中で飛竜に勝てる存在など考えもしなかった。だが、今は違う。航空機という鉄の猛禽がいるし、飛行可能な亜人種でも霧海軍から供与された装備さえ整えれば、飛竜を撃ち落せる算段もついた。僅か10数日の間にグロウフェン軍は、今までとは次元の違う戦力を有するようになっている


「さてと、鬼が出るか蛇が出るか」

「鬼も蛇も、こっちにおりますでよ」


 ケーラは兎に角、アイシアが聞いたら怒り出しそうな科白を吐きつつククルが笑った。シグもつられて笑いそうになったが、アイシアの怒り顔を思い出して苦笑に留めた

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