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005 9人の戦姫

 ヘンシェル湖に面した都市だけに、ツェルンベルグには小さいながらも港が整備されている。湖の対岸に位置する工業都市エルメングラードへ北方の山岳地帯で産出した鉱物を送る際の中継点として、或いはヘンシェル湖の支流を経由して王都ミュリオス近郊の街へ、そして最終的にはヴォルガ湾に面した港湾都市ポートウィルへと至る。こういった事からも分かるように、ヘンシェル湖はツェルンベルグのみならず、ヴェルゼン領全体から見ても重要な拠点であると言える。そんなヘンシェル湖に面したツェルンベルグ港は、今正に喧騒に包まれていた


「イリスさん!」


 人込みを掻き分けるようにして、アイシアが飛び出してくる。港にはヴェルゼン騎士団による警戒線が展開されており、周囲を警戒していた騎士が、少しだけほっとしたような表情を見せる。アイシアを始めとする9人の亜人少女達はそれだけ周囲の騎士や兵士達から信頼されていた


「アイシアちゃん」

「ごくろぉさん」


 港の突端、石で作られた桟橋で湖を眺めていた3人の女性のうち、2人が振り返った。1人はアラクネ種のイリス・フォルケンハイン。実質的にヴェルゼン騎士団の副長を務め、屋敷の仕事を取り仕切るメイド長でもある。9人の中では最も年長で、最も古くから屋敷に勤めている。もう1人はスフィンクス種のククル・アプティオン・パーレン・セプ。種族特有の褐色の肌に、やや幼げな顔付きをしているが、これでもイリスとさほど違わない年齢である。長い期間大陸を放浪していた所為か、様々な地方の訛りが混じった独自の喋り方をするが、理術の知識や経験に関しては代えがたいものをもっている


「あの妙なモノは?」

「あそこだよ」


 先行していたケーラが指差す方向に、確かに『それ』はいた。港からそう遠くは無い湖面に静かに佇み、翼を休めているように見える。ただし、相変わらず誰も見た事も無い異形の姿をしている事は変わらない


「さっき着水してから暫くはあのまんまだ」

「随分とまぁ……おかしなモンですなぁ」

「幸いというか、少なくとも積極的な交戦の意思はなさそうかしら」


 三者三様の言葉に、アイシアが頷く。『それ』は確かに静かに湖面に浮いているだけで、例の妙な唸り声も聞こえない。ただ、深緑色の巨体はそれだけで十分な威圧感を持っており、港に集まった人々を不安にさせるには十分すぎるほどだ


「見たところ、理力はほとんど感じられんけど……なんやろねぇ」

「アイシアちゃん、ノイ達は?」

「今来ます」


 じっと『それ』を眺めていたククルの後ろで、イリスがアイシアに問いかける。アイシアが答えるとほぼ同時に、ノイやミラ達が4人のいる場所まで駆けつけてきた


「イリス・状況」

「ご覧の通り、今は特に何も無いわ」


 ノイに答えると、イリスは再び湖面に視線を向けた。シグ不在の今、騎士団の指揮を取り、ツェルンベルグの民を避難させる権限を持つのはイリスだけだ。勿論、イリスに何かあれば次席の――ククルかノイになるが――者がその権限を継ぐが、今の状況では仮であってもイリスが最高指揮官と言える。それだけに判断には慎重を期さなければならないが、だからと言って決断を鈍らせる事があってはならない。難しい舵取りを任されたイリスの横顔に、一瞬だけ視線を向けて、今度はククルが声を上げた


「ちぃと動いたねぇ、湖面に波紋がたっとるけん」


 その言葉に全員が視線を『それ』に向ける。『それ』自体には動きは見られないが、確かにこちら側から見えない方、陰になっている側に波紋が浮かぶのが見えた


「大きく動いた訳ではなさそうですわね……」

「何が目的だ……?」

「…………泳いで、近付く?」

「そりゃあいけんねぇ、何があるかわからんきに」


 ミラやアイシアが呟く中で、レンの提案をククルが小さな声で遮る。最高速度や巡航速度では人魚種に劣るとは言え、総合的な水中戦闘能力で言えばサハギン種は上位に位置する。無論、レンも十分な戦闘力を持っており、ククルも認めているが、今回に限っては話が違う。子ども扱いする気は無いが、生憎と相手は訳の分からない何かだ。慎重を期して悪いという事は無いだろう


「……なにかくるよ」

「あれは……舟?」


 ルンが小さく呟くのと同時に、イリスもまた『それ』の影から出てきた物体を見つけた。目を凝らしてみれば、確かに1艘の小舟と思しき物が此方に向かってきていた。だが、不思議な事に櫂やマストの類が一切見受けられず、それでいながら驚くほど高速で湖面を進んでいる。その代わりに、やはり聴き慣れない唸り声をあげながら近付いてくる小舟に、周囲がざわめき出す


「どうすんだ、下げさせるか」

「ちいっと待った」


 ちらりと後ろを振り向いて、人々を避難させようかと言うケーラの言葉を、セラが遮った。ハーピー種であるセラは9人の中で最も視力が良い。狩猟種族であるエルフやダークエルフ、水生であるサハギンも視力は良いが、遠くを見るという事に関してはハーピーには敵わない。ちなみに動体視力も優れているが、複眼を幾つも持つアラクネ種には届かない


「あれって……若じゃねぇの?」

「隊長が!?」

「……同意・マスター・確認・接近中」


 セラの言葉に過敏に反応するアイシアの横で、ノイが冷静に言葉を紡ぐ。確かに小舟の上に何人かが座っているような感じはするが、生憎とアイシアの目ではまだ誰かを判別できるような距離ではない。セラと、他の種族を超える五感を備えたゴーレムであるノイだからこそ、この距離でも判断できたのだろう。周囲の人々がざわついている間にも小舟は高速で港へと近付いており、やがてアイシアやケーラの目にも、乗っている人物の判断が出来る距離まで近付いていた


「確かに、隊長……!」

「まぁ、シグだが……何だってあの妙なもんから……」


 感極まった様子のアイシアに、不思議そうな顔のケーラ。港に集まった周囲の人々のざわめきも不安や恐怖といったものから、驚きと喜びの色に変化していく。それはアイシア達も同様で、幾分かの困惑はあったが、喜びの表情へと変わっていく。そして、その櫂もマストもない小舟はゆっくりと桟橋に接岸すると、その中にいたこの地の領主――シグがさっと桟橋へと降り立った


「有難う、じゃあ2時間後に」

「諒解しました」


 その小舟にはシグ以外に、見慣れない服装をした男が2名ほど乗っていたが、シグの言葉に頷くと再び小舟を操って桟橋から離れていった。見れば、小舟の後ろに箱状の物が付いており、どうやら唸り声はここからしているようだった


「……や、皆揃ってるな」

「揃っているな、じゃ無くてですね……」


 アイシアが嬉しさと困惑の入り混じった顔でシグに答える。他の面々も嬉しくはあるのだが、本当にシグであると確認した途端に今度は疑問が沸いてくる。一体あの不思議な『それ』は何なのか、何故そこからシグが出てきたのか、それ以前に行方不明とされていたシグが何故ここへとやってきたのか


「詳しい事は屋敷で話す、急ぐぞ」


 そう言うと、シグは歩き出す。慌てて後を追う少女達の中で、ククルだけは妙な顔つきでシグを眺めていた




 屋敷に辿りつくまでには、当然ながらツェルンベルグの街中を通らねばならない。生死不明・行方不明と噂されていた領主が、常と変わらない姿で歩を進める様を見た住人達は、喜びと安堵の声を上げた。シグもまた住人達に手を振りながら心配は無用だと笑いかけ、ツェルンベルグの街に充満していた重い空気は瞬時に吹き飛んだ。この吉報は陸運・海運を通じてヴェルゼン領全体に届けられ、領土の安定化に寄与するのだが、それは数日後の事だ

 足早に屋敷へと戻ったシグ達は、帰りを待ちわびていたメイドや執事達に大いに喜ばれた。安心しきった使用人達に、シグ自身も満足な表情を浮かべるが直ぐに真剣な表情となり、アイシア達9人を始めとして、何人かを自分の執務室へと呼ぶと、事の真相を話した。執務机の椅子に腰を下ろして、現在の戦況、カルナ大平原で1度は死んだ事、スギハラの事、そして出現した第1次グロウフェン派遣総軍の事。それらの事を話し終えるのには、優に1時間近くかかったが誰一人として集中を切らす事無く、最後まで聞き入っていた


「では……隊長のお身体は……?」

「大部分が人工物だな。とは言え、あまり変わった気はしないよ」

「せやから纏っとる理力が、ちぃと妙なんやね」


 説明に困惑した様子のアイシアとは対照的に、ククルは納得した表情を見せる。ミュリオスでリラに妙な顔をされたのと同じ状況に、シグが苦笑する。多くの面々は説明を10分の1も理解できていないようだが、概要は伝わったはずだ


「時間も無いから本題に入ろう。イリス、ククル、ケーラ、ノイ、アイシア、ミラ、ルン、セラ、レン。俺と来てくれ」

「と、いう事は……」

「いよいよってぇ訳ですねぃ」


 アイシアの瞳に闘志が宿り、セラが猛禽類そっくりの笑みを浮かべる。カルナ大平原での戦いには参加できなかったが、ようやくヴェルゼン騎士団としての働きが出来る。余談になるが、カルナ大平原での戦いの際にヴェルゼン騎士団が参加していなかったのは、当初部隊の指揮を取る予定だった貴族階級の騎士が突然フリーディア側に寝返った為、急遽シグが指揮官として呼集されたためだ。時間の関係でヴェルゼン騎士団を呼び寄せるまでは出来なかった為、いよいよの実戦を前に気持ちが高ぶるのも無理は無い


「けれど、私達だけで宜しいの?」

「あぁ、他の団員達には領地警護の任務もあるしな。俺の思い描いていた計画には少人数の方がいい」


 ミラの疑問に答えるシグの脳裏には1つのプランがある。それは少人数による高機動遊撃戦部隊とでも言うべき存在だ。戦線後方での破壊工作や補給線への襲撃、或いは敵拠点への奇襲。そういった任務を専門にこなす部隊の設立をシグは考えていた。これは『向こう側』で学んだ軍事知識を元にしているが、素案としては既にシグの脳内にあったものだ。だが、機動力の不足を補う事が出来ず、結局は理論の段階で終わってしまっていた。それが、『向こう側』の機動力を使用できる状況になった事で一気に現実味を増した


「機動力と戦闘力を考えれば、このメンバーが最適解……だと思う」

「しぐにーさまのためならがんばる」

「……レンも」


 ルンにしろレンにしろ、一端の騎士としての実力は十分に持っている。少人数であるという機動性と、それと相反する戦闘力の確保は、個人の身体能力で人間に勝る亜人を選ぶ事で解決する。シグが指揮官となる以上、気心の知れた仲であるヴェルゼン騎士団から人員を抽出すれば、意思疎通も容易である。

 もっとも、この件はまだ誰にも言っていない。エルリオンやディアスは面食らうかもしれないが、スギハラやイマムラ将軍から推してもらえば十分に実現可能だろう


「イリスさん、屋敷の方の引継ぎは?」

「大丈夫、トトちゃんにしてあるわ」

「皆様方がご不在でも領地経営に不備がないよう、努力いたします」


 アヌビス種のトト・ホルティスが生真面目そうな表情を崩す事無く答える。彼女はヴェルゼン騎士団とは関係の無い、言わば普通の屋敷のメイドだ。屋敷内ではククルと同じ副メイド長の立場にあり、同時にヴェルゼン領の経営におけるシグの参謀役を兼ねている。彼女がいる限りヴェルゼン領の政治や経済に不備は起きないだろう、とシグは考えている


「トトさん、明日か明後日かわからないけど、ここに荷物が届く算段になってます。見慣れない物だけど説明書と指示書を同梱しておくんで、その指示通りにお願いします」

「わかりました」

「オットー、今から騎士団の各駐屯所に手紙を書く。人手と金は使っていい、出来るだけ早く届けてくれ」

「承知しました」


 トトに次いで、人間種であるオットー・ウィーバクが答える。彼は執事の長であり、騎士団との連絡役も兼ねている。歳はシグとそう変わらないが、優秀な能吏である


「皆には急な事ばっかりで迷惑をかけるが……ここが正念場だ、頼む」

「お任せください」


 異口同音に同意の言葉が響くと同時に、動きが慌しくなる。イリス達は出陣の準備の為に部屋へと戻り、その他のメイドや執事達もそれぞれの職務を果たすべく屋敷中に散っていく。シグもまた大きく息を吐くとペンを手にした。約束の時間までに余裕は無い、各駐屯所に送る手紙を書くシグの手は、何時もよりも何割か早いものだった

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