5 過去へ
その後、九時過ぎにママが帰って来た。
「お帰りなさい、ママ。お茶飲む?」
「あ、うん。あー、今日も疲れたわ。くたくたよ」
スーツのままリビングのソファに深く腰を下ろしたママにお茶のグラスを渡す。
私はいつものように学校からもらったプリントをテーブルの上に置いて、今日は国語の漢字の小テストで満点だったとか給食で出た焼きそばがおいしかったとか、ちょっとどうでもいいようなことを笑顔で話した。
ママは「そう、すごいじゃない」とか答えて笑ってくれるけど、なんだかすごく疲れた顔をしてるように思えた。
「ママ、お風呂どうぞ。私、あと部屋で宿題したらもう寝るね。
あ、洗濯物たたんでおいたから。おやすみなさーい」
それだけ言って、私は自分の部屋に退却することにした。
お仕事で疲れてるママに、ぺちゃくちゃおしゃべりして、うっとおしいって思われるのはイヤだから。
宿題も手早く終えてあれこれ支度していると、はるにいの部屋から声が掛かった。
「さくら、そっち行っていいー?」
「うん」
部屋って言っても私達の部屋は大きな一つの子ども部屋で、本棚と三段ボックスで簡単に間仕切りしてあるだけだから自由に行き来できる。
ドアは二つあって、私達がもうちょっと大きくなったらリフォームして、きちんと二つの部屋に仕切るって言ってたけど結局ずっとそのままになってる。
早くそうして欲しいって思ってたけど、こうして夜に二人で内緒事をするには便利かも。
「なあ、さーくら。いつ・・」
私の格好を見て、はるにいは、ぎょっと目を大きくする。
さっきまでパジャマ姿だった私は、もう服に着替えて行く気満々なのだ。
「お、お前っ、まさか」
「うん。今夜行くつもり。大丈夫、過去のママに会ったってバレやしないわ。
私、去年一気に背伸びたし。小一はチビでショートカットだったけど、今は背もクラスで後ろの方だし、髪はロング。全然違うもの。大丈夫よ」
はるにいはお風呂上がりのゆるいパジャマ姿で、はああっと大きくため息をついて私のベッドに腰を下ろした。首に掛けたタオルでがしがしと頭を掻く。
「・・あーもー! しょーがねえなあ。俺も着替えて来るから、一人で行くなよ。
さくら。お前、もっと違う服にしろよ。そんな流行のピラピラな服、六年前だと目立つぜ」
「あ、ホントだね。はるにいは、背は伸びてるけどあんまり顔変わってないから帽子とか、かぶったほうがいいかも。伊達メガネいる?」
私は洋服ダンスの中から、なるべくシンプルな服を選んで急いで着替えた。
はるにいってば、なかなか細かいとこに気づくんだから。
髪もいつもの二つ結びはやめて、おろそう。うん。なんかいつもと違う感じだ。
かちゃっとドアが開いて、いつも着ない真っ黒のトレーナーに真っ赤な帽子、黒ブチメガネのはるにいが入って来た。
「わお。なんか黒い服のはるにいって新鮮! メガネすると誰?って感じだね」
「さくらもイイじゃん。そのイケてないカッコ」
「もう、一言多いの。よし、じゃ、行こうか。とりあえず、発表会の二週間前くらいの平日にしようかな。さっきケータイのカレンダーで調べたから。
スーパーに買い物に行く前のママを捕まえようと思う。十時十分前ね。」
「・・・ち、ちゃんと、戻って来られるよな?」
「だーいじょうぶよ!」
私は、ビビりまくってるはるにいの背中をばしっと叩いて、ぎゅっと強めに手を握った。やめようとか言い出さないうちに、ぽちっと一思いにタイムマシンのボタンを押した。
「うわあ、早っ! お前、もっとためらいとか・・・」
身体がふわりと浮いて、眩しい光に包まれ目が眩む。
ボタンを押したのはこれで四回目だけど、この不思議な感じはなんて表現して良いのかわからない。
なんか、飛んでるって感じかな。・・飛んだことないけど。
エレベーターで一瞬浮くようなあの感じがずっと続くような・・。