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応接室に入るとシルクドラゴンの皮を縫い付けた、最高級のソファから腰を上げ、ギガントのような身長のような男が恭しく頭を下げた。
「これはこれはルイ・アンベルージュ様、ミョルニル商会理事統括のロングマン・リングドンと申します。ロングマンとお呼びください。お会いできて光栄です」
「恐縮です。1冒険者である私にそのような礼は不要でございます、頭をお上げください。あの王都で名高いミョルニル商会のまとめ役で知られる、ロングマン・リングドン様にお会いできて嬉しい限りです。改めて自己紹介をさせていただきますと、ウッドビル冒険者協会所属Aライナークインテットのルイ・アンベルージュと申します。私のこともルイとお呼びください。今日はお互い益のある商談をしましょう」
そう言って俺は手を差し出す。ロングマンはその手をガシッとつかむと、強面の顔を破顔させぶんぶんと手を上下に振った。分厚い手だ、とても商人のものとは思えない。
「本当にお噂はかねがね。この間も隆盛期に入った地割グモをソロで倒されたとか。私は昔冒険者をやっていたクチでしてな、ルイ様はあこがれなのですよ」
地割グモとは岩をも砕く強靭なバネと、装甲を持った横2メートル、高さが1メートルほどの大きなクモでA未満の冒険者には、接触禁止とされている危険な奴だ。
この前は他国から帰ってくる途中に偶然出くわし、あの強靭な足の繰り出す突きと、背中から吐き出される粘着性の糸をヒヤヒヤしながらよけて、弱点である単眼から脳みそを串刺しにして家に持ち帰った覚えがある。
「ありがとうございます。いやあれにはとても苦労させられました。もう少しで右腕を持っていかれるところでしたよ」
「いえいえ、それだけで済むのがすごいのですよ。私も一度遭遇してしまったことがあるのですが、その時は仲間とともに尻尾を巻いてすぐに逃げましたよ」
「ご謙遜を、手を触ればわかります、まだ鍛錬は怠っていらっしゃらないご様子で。冒険者に復帰すればCライナーは堅いのではないでしょうか。巨大な商会をまとめながら、それほどの体を維持するのは並の苦労ではないと愚考致します」
「ははは、これはやられた、流石はルイ様。体を鍛えるのは趣味でして、年に一度は昔の仲間とともにサニービーを狩りにに森に入っているのですよ」
サニービーとは名前の通りに太陽のようなオレンジ色をした70センチほどの大きな蜂で、木の上に巣を作って中に世界三大甘味の一つに数えられる蜜をためる習性がある。
「それはいい、あれの貯めた蜜は絶品ですからな。私もたまに採取をしに行っています」
「ほう、では今度一緒にいかがだろうか。Aライナー冒険者の技というのを一度でいいので見てみたかったのです」
「いいですね、今度ご一緒させてください」
俺はそう言うと、少し頭を掻くそぶりをした。するとイザベルがティーセットを運んできて、素早く丁寧に俺とロングマンの前に紅茶を注いだ。俺はそれを少し飲みふぅー、と息をつくとロングマンのほうを見て言った。
「いや、ついつい話し込んでしまった。さてそろそろ商談の方をはじめさせていただこうと思うが、よろしいだろうか」
ロングマンも同じように紅茶を飲みこちらを見て言う。
「有意義な話でした。そうですな、また話し込んでしまう前に早く商談を終わらせてしまいましょう」
「ええ。それで今回ロングビル様がこちらにいらっしゃったのは、ジオグライアの鉱山の移譲申請が目的でしたかな?」
「はい、当商会は今王都に新しい市場を開拓しようと日夜邁進しておりまして、鍛冶ギルドと共同で魔晶杖の大量生産プロジェクトを進めさせていただいております。それにつきまして宝石としての価値もさることながら、驚異の魔素増幅率を誇るニベラ宝晶が使用品目の候補に挙がっていますので、ぜひニベラ宝晶を大量に含むジオグライアの鉱山を譲っていただきたくはせ参じた次第です。もしこのプロジェクトが成功すれば、高価な魔晶杖が比較的安価で使用できるようになり、冒険者ギルドの魔術師の質の向上にも一役買わせていただくことができるようになります」
「ほう、それはすばらしい。昨今の魔術師の質の低下は冒険者協会の懸念事項の一つですからな。しかしジオグライア鉱山は他方からも移譲の申し込みが集中しておりまして、即座に誰にと決めることができない状態となってしまっています。仕方がないのでこちらで発掘の計画を進めさせていただいているのですが」
おそらく予想していたのだろう。いかにも残念な振りをしてロングマンはかぶりを振った。
「それは残念です。では少額でお恥ずかしい限りですが、ミョルニル商会に発掘の出資をさせていただけないでしょうか。微力ながらルイ様の力になれればこのロングマンこれより嬉しいことございません」
「出資、ですか。失礼ですが如何程の準備がおありかお聞きしても?」
そう言うとロングマンは真剣な顔を作り、指を三本立てた。
「これだけ帝国聖貨で今すぐにでも出す用意がミョルニル商会にはございます。いかがでしょうか」
「それは素晴らしい。いやさすが天下に名高いミョルニル商会だ。それだけあれば我がほうからの出資額を除けば、残りの半分ほどはミョルニル商会からの出資で埋まってしまう」
敢えて桁数は言葉に出さない。お互い今回の争点であるジオグライア鉱山の価値や権利者である俺の出資額から計算して、商会としてはどの程度の出資が普通で、最低限で、最高限度かある程度分かっている。故に敢えて桁数を口に出さないことでお互い認識が通用するか、信用はあるのかを試しているのだ。
俺もミョルニル商会も、お互いを騙すような真似はしない、なぜならそれが必ずしも利益につながらないことを分かっているからだ。
「いやお恥ずかしい限りで。商人の浅知恵とお笑いください、これを機にルイ様とはお互いに益のある良い関係を築いていきたいですからな」
要は出資する分こちらにも利益を出せるくらいには融通しろよ、ということだ。普通ならばここである程度は交渉をしてなるべくこちらに利益のあるように努力をするのだが、俺はあまりやらない。もともと金には困っていないからだ。これがうちによく商人が訪ねてくる所以だろう。
しかし流石にいつもこのようにトントン拍子で話を進めるわけではない。今回はこのロングマンの人柄を俺が大いに気に入ったというのもあった。ミョルニル商会でナンバー2につけているということはやはり狸であることには変わりないであろうが、ロングマンには人を信用させる何かがあった。
「ええ、それはもちろん。これからもお付き合いいただければこちらも幸いです。でジオグライア鉱山発掘に対する出資に関してはそれで決定ということでよろしいだろうか」
「はい、今回は良い商談ができてうれしい限りです」
「それはお互い様です。詳しい額や日取りはまた後ほど使者を送らせていただきます」
「承知しました。では今回はありがとうございました。そろそろお暇させていただきます」
「はい、お忙しい中このようなところまで足を運んでいただきありがとうございました」
「いえいえ、それでは」
そう言うとロングマンは深々と一礼し、その大きな体を翻して帰って行った。
***
「思ったよりも普通の方でございましたね、ロングマン様は」
「そうだな、なんか噂からしてもっと神経質なのを想像していたんだがなんか拍子抜けだ」
「人は見かけと噂によらないということですね」
「ああ、この年になっても噂に振り回されるなんて情けないことだな」
「いえ、人間とはえてして世間様には勝てないものです。噂から完璧に距離を置けるのはそれこそ世捨て人しかおりません。だから御安心ください、情けないご主人様」
「おいフォローするのか罵倒するのかどっちかにしろよ。どっちだよお前は俺をどう思っているんだ」
「わたくしはご主人様の気を引きたいが一心でこのような性格を演じているしがない奴隷でございます。ご主人様のことをどうこう言う権利は微塵も持っておりませんので」
「いや、おまえそれ素だろ」
「いえいえ、ご主人様に引き取ってもらったばかりのころの私を思い出してくださいませ。いつまでたってもお手をお出しくださらないことに危機感を持った私めはご主人様の気を引くためだけに、仕方なく、仕方なくこのような性格を演じさせていただいているのです。決して人をいじることが幼少からの私の趣味、というわけではございません、いじりがいのあるご主人様」
「いやだからそれ素だろう!」
そんなことを話していると三人のいる中庭についた。今の季節は芝生にを囲むようにして色とりどりの花々が咲き誇っていてとても綺麗だ。
「ルイ、大丈夫だったか? 悪質な商人に騙されたりはしていないか? 何かあったらいつでも私に言ってくれ、すぐに潰すから」
「ああ問題ない、いつもよりやりやすいくらいだった。それよりも一国の女王様がこんなところで時間潰していていいのか?」
「よいのだ、女王など有事の際かパーティー以外は王宮のたぬきどもと談笑するくらいしかやることのない暇人だ。それならば好きな人とともに時間を過ごしたほうがよっぽど有意義というものだ」
「お、おうそうか。それならいいんだが……イザベル、レモンティーを頼む!」
「照れるな照れるなルイ」
「照れてねえし」
「ふふふ、そういうことにしておいてやろう、照れ屋な旦那様」
「イザベルの真似をす…」
俺がリーアに言い返そうとした時
――カンカンカンカンカンッ
と時計台の鐘、それも平常時の時報ではない緊急時用の鐘が荒々しくならされた音があたりへと響き渡り、それを聞き、全員が瞬時に顔を強ばらせた。
――緊急事態だ。
「おいリーアこれは」
「ああ、この鐘はこの王都の緊急時にのみならされるものだ! 1回だけだと戦闘準備の合図、2回だと戦闘技能者以外は家に隠れろの合図、3回戦闘技能者以外は逃げろの合図、4回は国軍以外は逃げろの合図。そして5回目は…」
「総力戦か!」
「そうだ」
1つ目は他国に奇襲を受けた時に使われ、2つ目は同じときに空からの奇襲も受けた場合にならされる。3つ目は勝算の低い戦いで王都を守り切れないと推測できるときに使う。4つ目は勝算の極めて低い状況の中で国軍が時間稼ぎをしている間に市民を逃がす時に使う。5つ目は絶望的状況で市民を逃がす余裕もないとき総力戦の合図として使う。
「リーアなんだと思う、5つ目が鳴らされたのなんて建国以来、初めてことじゃないか?」
「いや、昔本当に昔建国当初のころに一度だけあると文献には残っている。その時は黒いドラゴンが襲ってきたという話だ」
「おいまさかそれって」
「ああ、勇者アレクセイの伝説のもととなった事件だ」
「おいおいあれって実話だったのかよ」
「いや正確にはわかっていない。しかしその事件が文献として残っているのは事実だ」
「へえ。まあとりあえずリーアはすまないがミューラとミリアも連れて王宮に戻ってくれないか? 家のも者を護衛につける。一応いつも武官をおいてはいるが、全員を安全に家まで送れるような戦力は無いからな」
「引き受けた。ルイはどうするのだ?」
「俺は戦いに行く」
「やめろルイ! 敵がなにかも判明していない今その行動は危険すぎる!」
「大丈夫だ。それにこれでも俺はこの王都を代表する冒険者の一人だから、非常時に民を守る義務を負ってる」
「それでも……!」
「大丈夫だ、リーア。俺は死ぬ気はない」
「…………わかった、その言葉信じるぞ」
「ああ」
「ミューラ、ミリア、行くぞ!」
「はい、るーくん頑張って!」
「るいおにいちゃん、わたし応援してるから!」
「おう、ありがとう」
三人はイザベル呼んだこの家につかえている武官に連れられ家を出た。
「ヒネラ、おまえは確か飛行魔法が使えたよな?」
「……うん」
「すまないが俺を城壁の外まで連れて行ってくれないか?」
「…………わかった……でも危ない…思ったら……すぐもどる」
「それでいいから頼む」
バサァッ、と突然ヒネラの背中から漆黒の翼が生えたかと思うと、ヒネラは俺を無造作につかみ地上から飛び立った。
***
『城壁外から突然桁違いの魔力反応が発生!』
というのが途中で降りて国軍の兵士に聞いたときの情報だった。このウッドビル帝国の王都の周りには特殊な障壁が張られ、優秀な警備兵によって常に警戒網が張られている。
そこに突然何かが出現し、その何かが持つ魔力の量が、この王都を10回更地にできるくらいの量だったらしい。それを知った警備隊長が慌てて鐘を鳴らすように指示したというのが事の顛末だ。
「ヒネラお前より魔力多いのか?」
「うん…………10倍くらい………もし本当なら………………化け物………」
ヒネラは今この世界で最高の魔力量を誇っている、この王都の、いやこの国の正真正銘の最終兵器だ。王都を囲んでいる障壁もヒネラによるもので、魔力供給量は桁違い。それでも魔力は常時半分ほどしか消費しないらしい。それの10倍となると想像もできない。
「そりゃすごい、おとぎ話のドラゴンかはたまた魔王か。いやー胸が高鳴るな」
「…………嘘………震えてる……………」
「気のせいだ」
「………がんばって……………」
「おう、任せとけ」
この王都は周りを城壁に囲まれた都市だ。その堅牢な城壁は20メートル以上のも上る。俺はヒネラにその城壁の上まで運んでもらった。ヒネラはこれ以上外には行けない、もしヒネラに万が一のことがあれば障壁がなくなってしまうからだ。
それをわかっているのだろう、悔しそうな顔をしている。
「………死んだら…………許さない…………っ!」
「ああ、俺は死なない、約束する」
「…………待ってる」
そういうとヒネラは漆黒の翼をはためかせ城壁の内側へと飛んでいった。俺はそれを笑顔を作って見送ると、姿が見えなくなったところでそれを崩す。急に寂しくなって弱音がこぼれ出た。
「……こわいなぁ、おい………」
ヒネラの10倍の魔力量。
それの意味するところは相手が化け物より化け物だということだった。そもそも魔力は確かに先天的なものはあっても、努力なしでは伸びることはない。才能のある人間が何年も何年も修業を重ね、究極を追い続けることによってやっと魔力量というものは少しづつ増加する。だから基本的に魔力量というのは術者の技量を計る一種の指標になるのだ。
「ヒネラの10倍って俺の魔力量の軽く300倍はあるよな」
魔術の修業をしていない一般人の魔力量がだいたいヒネラの10分の1程度だ。俺は幼少から魔法の才能がなかったから剣ばかり振ってきた。よってほとんど魔術の類は使えない。
「それでも……負けるわけにはいかねえな……っ!」
俺だって努力してきた。この世界に産み落とされてから、前の世界を振り切るように全力で人生を走ってきたのだ。
貧乏な平民の家に生まれて、3歳から修業を始めて魔法の才能のなさに絶望して、剣の道を選んだ。それからはろくに遊ぶこともせず斬って斬って斬って斬って―――
家族を養うために6歳から冒険者ギルドで働き始めて、何回も死にかけて。
子供のころから周りに人間や家族にさえも気味悪く思われて、化け物だと言われても、関係ないと切って捨ててきた。
それに前世の記憶が明確にある俺はこの世界でどこか人に気を許せないでいた。だから常に孤独だった。友人など当然一人もいなかった、家族でさえどこかよそよそしいのにそんなものができるわけがなかった。
そんなことが20年以上続いて、やっと最近になって少しづつ心を開けるようになって、大切だと思える人達もできた。今の地位も手に入れた。
「こんなところじゃ死ねない。俺は今度死ぬときは子供と孫に囲まれて幸せに逝くって決めてんだよっ!」
高く聳える城壁から眼下を見据え、勢いよく中空へと躍り出た。