1、はじめに
一応言っておきますが、筆者、特に思想の左右はありません。念のため。
2013年も差し迫った12月26日、電撃的に安倍首相が靖国神社に訪問したのは記憶に新しいところです。この原稿を書いているのはまさにその翌日なのですが、テレビをはじめとするメディアやツイッター、フェイスブックなどでのソーシャルネットワークでも喧々諤々の大騒ぎ、のみならず、中韓からの非難のみならずアメリカからの「失望」にもさらされています。場合によると、2014年初頭の国会ではこの問題が大きな争点になっちゃうかもですね。
ああいや、最初に書いてしまいますが、筆者としては、首相の靖国参拝について何か意見するつもりはありません。靖国神社を参拝するしないに限らず政治的行動というのは政治家それぞれの政治的信条や票田の所在などに関わる問題であって、政治家が政治家の責任で以て行われるものだからです。筆者の周りにはいませんが、あの靖国神社の祭神となられた英霊の方はたくさんいらっしゃるわけですし、そのご遺族の中には「ぜひとも首相に靖国に参っていただきたい!」とお思いの方がいらっしゃっても不思議ではありません。筆者にとって差し迫った意味がないことだからといって「やるな!」と言い切ってしまうのは傲慢以外の何物でもないでしょう。(なお、個人的には、政治的行動というのは常に結果論であり、靖国神社を参拝したことによって起こってしまったゴタゴタを回収できない限り、現首相の政治手腕には疑問符が付くとしかい言いようがないと考えるものです。)
そもそも、なんで靖国神社がこんな話題になっているのでしょうか?
大抵の皆さんは、こうおっしゃると思います。
「A級戦犯が合祀されているから駄目なんだ」
うん、確かにそうです。東京裁判において「平和に対する罪」で裁かれた当時の政権担当者たちを合祀したことで、「日本って先の戦争で反省してねえじゃん」という風に諸外国の目に映りかねない状況になったこと、そして国内での「東京裁判無効論」とでもいうべき、歴史修正主義的(ここでは『戦後秩序とは異質な説』という意味で用いています)な説の噴出などによってさらに混迷の度を深めている、というのが現状です。なので、多くの靖国神社の論争はA級戦犯の合祀問題に集約されています。
でも、ですねえ。
実は、靖国神社ってかなり特殊な神社なのです。
いや、別にそれを指弾するつもりはありません。ただ単に、「靖国神社というのはこういう個性を持っていますよ」という程度のものです。が、これから靖国神社を国家的な戦争メモリアルにしようという方や、また別個に戦争メモリアルを作ろうという論者の方にとっては一つのよすがになろうかとは思います。
そして、筆者は今回、靖国神社を見るにあたって、一つの視点を設けたいと思います。
ずばり。『靖国に合祀されなかった人々』。
靖国神社はどうしても『合祀された人々』に目が行きがちです。でも、どうしたわけか合祀されずに現在に至る人々もたくさんいるのです。
というわけで、『靖国に合祀されなかった人々』を軸に、靖国神社を見てみましょう――。
※そしてこの話、靖国問題のくせに扱う時代は幕末維新が主になります。ご注意ください。