34話 共犯者
ツクモが去り、一人となった部屋の中。
そこでレンヤは、既に話は終わったというのに部屋から出ようともせず、席に座り続けたまま沈黙していた。
その表情からは先ほどまでの軽薄な笑みが消えており、目つきは鋭いものへと変貌している。
そのまま十数分程の時が過ぎた頃に、ようやくレンヤは口を開いた。
「ミリス。ちゃんと見ていたな?」
自分以外に誰もいない室内で、レンヤは呼びかけるような声を上げるが、その声に応える者は誰もいない。
しかし、声を発してからほどなくして、部屋の外から誰かが歩く足音が聞こえてきた。
ザッザッザッと、絨毯と靴がこすれる音。足音の主は部屋の前で立ち止まったのだろう。丁度扉の辺りでその音は聞こえなくなった。
そして足音が途切れてから束の間、部屋の扉は大した音も立てず静かに開かれた。
開かれた扉から現れたのは、黒いワンピースを着た、レンヤと同じ二十歳ぐらいの女性だ。
地面に届きそうなほどに伸ばされた赤茶色の髪に、前髪の隙間からは眠たげに座った琥珀色の瞳が見えており、全体的に気怠げな雰囲気が漂っている。
ミリスと呼ばれた女性は部屋に入るなり、すぐさまレンヤの正面へと移動した。
「遅かったな」
目の前に立つミリスに、レンヤは口を開く。
「あら、もう元の口調に戻すのね」
「二人だけの時まで、猫を被る必要ないだろ。
それよりも、ちゃんとさっきの話は聞いていたな?」
「ええ。会話の内容も、全て聞こえていたわ」
彼女の口調は淡々としたもので、睨むように鋭い視線を向けてくるレンヤに対しても、大して物怖じしていない様子だった。
続けてレンヤから質問が発せられる。
「そうか。マグナの居場所に、変化は無いな?」
「ええ。今も『グローリー・アイランド』内。ただ、町中じゃなくて外のフィールドに出たみたいだけど」
「なんともまぁ……」
話を聞き、呆れたような声を漏らすレンヤ。
「一人でフィールドに出るなんて、ずいぶんと怖いもの知らずになってきたな」
このレンヤの言葉は傍からしたらおかしなものだろう。
単身でモンスターの出現するフィールドへと散策に出ること。それは普通のプレイヤーであるならば別段忌避するようなことでもない。
所詮ここは仮想世界でデスゲームというわけでもない。ここで何があったとして、現実世界の体に影響が出ることなどはほとんどないのだ。
そう現実に身を置く普通のプレイヤーであるならばおかしなことではない。
「怖いもの知らずというより、身の程知らずの間違いじゃない?」
「たしかに、違いないな」
容赦なく辛辣な言葉を吐くミリス。
気怠そうな雰囲気も相まって、一層不機嫌なように見える彼女の態度だが、おそらく彼女は普段からしてこうなのだろう。レンヤは特に気にした様子もなく、軽い笑みを浮かべながら同調した。
しかし面白そうな表情を浮かべたのも束の間、彼の表情はすぐに真面目なものへと切り替わり、ミリスに対して問いかけの言葉を発した。
「……さて、倉庫にあったツクモのスペアにも『印』は付けてあるな?」
「ええ。お望みとあらば、いつでも観察できるわ」
「よし、それじゃあこれからマグナの部屋に行って、金庫を確認してくれ。
金庫に鍵がかかっていたら、無理に開けようとはしなくていい。
ただ最低限、室内の監視だけは出来るようにしてくれ」
「それなら、あなた達が話している間に済ませたわ。
金庫の存在も確認してる。鍵はかかっていたけど壊せない強度じゃなかったから、その気になればいつでもとれるけど?」
最後疑問形にしたのは、言外に金庫を壊して中身を盗るか、と聞いているのだろう。
仮にも同じ組織内に属する同僚の財産に手を出そうかという話をしているのに、その声からは特に引け目などの感情は感じられない。
「さすが、仕事が早いな。
金庫に関しては、今は放っておいていい」
「今は、ね……。
それで、他には何かある?」
「やるべきことは、マグナとツクモの監視。何か変化が有ったら報告してくれ」
「変化って……もっと具体的に言ってくれないと分からないのだけど」
「そんなに深く考えないでいい。
モンスターやプレイヤーに遭遇したとか、何か魔法を使ったとか、どんな些細なことでもいい。
お前の裁量で報告してくれ」
「わかった。それで仕事は以上かしら?」
「ああ。今のところはそれだけでいい」
「そう……それじゃあちょっと気になったことが有るのだけど、質問してもいい?」
「ん、何だ?」
「さっきのツクモとのやりとり、あれは何?
てっきり私はマグナの居場所を言う代わりに、何か見返りをもらうのかと思ったのだけど」
先ほどのツクモとレンヤの会話。ミリスにはレンヤがどういう意図で話を進めていたのか分からなかったようだ。
それも仕方がないだろう。はたから見ていた限りではレンヤの言動には一貫性という物が無かったように思える。
意味深な発言をして警戒心を煽ったと思えばすんなり情報を明かす。自分で知っている事をわざわざ質問したりと、その様は、ただ相手をおちょくっているようにしか見えなかったことだろう。
現に、傍観していたミリスばかりではなく相対していたツクモも、レンヤの真意を測りかねていた。
「ああ……まぁ、欲を言うならそうしたかったんだが、今のところはあれでいい」
「……?」
レンヤの言っていることの意味が良く分からないのか、ミリスは首を傾げている。
そんなミリスの様子を見たレンヤは、どのように説明するかと、考え込む素振りを見せてから口を開いた。
「まず、俺の目的はツクモをこっちの勢力に引き込むこと。これについてはいいな?」
「ええ。そのために今回、貸しを作ろうと仕組んだんでしょ?」
「そうだ。けどな、さっき話してた時のあいつの表情は見たか?
あれは完全にこっちを警戒してる顔だ。
こっちの一言一言に何か裏があるんじゃないかって怪しんでたぞ」
つまり、最初の意味深な発言は、相手がどの程度警戒しているのかを量っていたのかと、ミリスは推測を立てる。
「まぁ、実際その通りなわけだしね」
裏がないのかと問われれば、当然のごとく否である。
それが一つの事実として存在している以上、ツクモの警戒は、あって当然のことだ。
「……とにかくだ、そんな相手にいきなり部下になれなんて要求はハードルが高すぎる。
さっきの話し合いで、無料で情報をくれてやったんだ。
これで少しはあいつの警戒心も薄れただろうし、ひとまずはそれだけでいい」
「……少し見積もりが甘くないかしら? らしくもない」
警戒心が薄れたといっても、それはほんの僅かだろう。
こんな回りくどい話し合いの場をセッティングしておいて、得るものがそれだけというのはあまりにも成果が少ない。
「いや、今はこれでいい。そのためにマグナの方にも手をまわしたんだ。
ちゃんと他の派閥に、マグナが一人になった情報を流して、本を奪うよう煽ったんだろ?」
「……一応言われた通りにしたけど、いったいこれに何の意味があるのよ?
これがツクモにばれたら、警戒されるどころか、完全に敵対されかねないわよ」
ばれてまずいのは何もツクモ一人に限った事ではない。自分の部下を危険にさらすような情報を流すなど、そんなことがばれては人としての信用を失ってしまうだろう。
そんな自分の首を絞めるような行為に、いったい何の意味があるのかミリスにはそれが疑問であったようだ。
「なら、これ以上は何もしないでいい。
これでマグナが危険に陥れば良し。死んでくれれば、なお良しだ」
「……どういうこと?」
さらりと口にした死という単語。これは彼らにとって決して軽い意味の言葉にはならない。
ミリスの声量は僅かに小さくなっており、その表情にも緊張の色が薄らと現れている。
「……いいか? 今の状況はウチの支部の一員であるマグナを、ツクモが自分の都合でまきこんでいるという状況だ。
そんな状況でマグナが危険な目に合えば、その責任はツクモに向かう」
「……? PKをしているのはマグナの訓練のため。
なら今の状況は、むしろツクモの方がマグナに身を割いていることになるんじゃない?」
先ほどのツクモの話では、PKの目的はマグナの訓練。つまりツクモはマグナの修行に巻き込まれているという形にとれる。
これではツクモとマグナ、どちらがどちらのために動いているのか、曖昧な話になってしまう。
「さっき言ってた訓練がどうという話なら、あれはツクモの嘘だ」
「嘘?」
「お前も知ってるだろ? マグナたちのPKの手口は、不意打ちでの一撃必殺。
そもそも戦闘にすら持ち込ませないやり方で、どうして訓練になる?」
言われて、ミリスは気付いたようだ。
自分たちが把握している限りで、マグナたちが戦闘らしい行為を行ったのは昨日の闘技場での一件が初めてであった。
これではいったい何の訓練になるのか、分かったものではない。
「それが嘘だとして……ならツクモ達の狙いは何?」
「まぁ、ある程度の推測はしてるが、今そこは問題じゃない。
大事なのは、PK自体はツクモ主導によるものだという確実だ」
自らの思惑に自信を持っている様子のレンヤに対し、ミリスは怪訝な表情を浮かべながら問いを発した。
「マグナを危険にさらしてその責任をツクモに……それは分かったけど、やっぱり作戦として杜撰すぎない?
マグナが襲われる前にツクモが合流したらそれで終わりよ」
マグナが此処から出て行ったのは午前6時ごろ。そこから現在まで3時間半程が経っている。
マグナが出て行ってすぐ、他の派閥に彼の居場所をリークしたとして、そこから襲撃の準備を整えて実行に移すまで、それだけの時間で足りるのか疑問だ。
本来目が覚めているかもわからないような朝早い時間に、突然もたらされた情報だ。それだけに準備も手間取るだろう。
「いや、別にマグナが実際に襲われる必要はない。襲撃されようとしたという事実があればそれで十分だ。
幸い、『グローリー・アイランド』の街はそれほど広くない。ツクモがマグナを探そうと聞き込みを続ければ、そのうちに気付くだろうさ。
『自分以外にもマグナを探している連中がいる』と」
「…………」
そこまで聞いても、やはりミリスは疑問を拭いきれない様子だ。
当然だろう。色々と考えて細工したように聞こえるが、それだけの事をしても得られるのはツクモに僅かばかりの罪悪感を与えられるだけのこと。
レンヤは将来的にツクモを自陣へ加えるために必要なことだと考えているようだが、今回のことでどれだけの効果があるのか。
マグナを危険にさらしてまで企む価値があるとは思えなかった。
「まだ、何か気になるのか?」
「ええ。正直言って、楽観的すぎる気がするわ。
ツクモもマグナも、他の連中も、そんな思い通りに動いてくれるかしら?」
「別に、何事もなくツクモとマグナが合流したなら、それはそれで構わない。
どっちにしろ、失敗してもこっちが失うものなんてないしな」
しかしレンヤは、ミリスの失敗したらという不安に対して、軽く返答を返した。
彼にとって今回の件は、その言葉通りさしたる重要性が無いのだろう。
例えるならば、散歩の途中で何か欲しいものが売ってないかと、お店に寄り道するような気軽な感じ。
有ったら有ったで良し。無いなら無いでも構わない。
マグナからしてみれば、ただ色々と細工をする機会があったからやったというその程度のことだったのだろう。
実際は、レンヤの作戦が失敗して誰かにこの裏工作がばれれば、信用という軽くない代償を支払うことになるのだが、彼にそんな不安は存在しないようだ。
「失うものが無いって……マグナがいなくなったら結構な痛手じゃないの」
マグナが襲われて魔法道具を奪われた場合、組織全体で考えれば武器の所有者が変わっただけで大したマイナスにはならないだろう。
なんせマグナの戦闘能力はそのほぼ全てが魔法道具頼りで、彼自身に力はほとんどないのだ。
だが、組織内で分裂している勢力の単位で見た場合は、話が別だ。
自陣の戦力が削られ、他の勢力に削られた戦力が移る。これは結構な痛手であるように思える。
しかしその問いに、レンヤはフッと軽く鼻を鳴らしながらどうでもいいというように答えた。
「マグナねぇ……。正直言って、あれはもう必要ない。
元々、あの本の力なんて底が知れてるし、あれじゃあどう成長しても低級の神を倒すのが精いっぱいだ」
魔法道具の欠点、それは成長力の無さだ。
一度記録した魔法は、場合によっては消去して新しく書き直すこともできる。しかしそれは、根本的な強化には繋がらない。
魔法道具として、どれだけ強い魔法を記録できるかという容量に関しては、上げる手段が存在しなく、そのため、新しい魔法を記録したとしても、 それは以前の魔法と同ランク程度の物にしかならない。
「それだけの力があれば十分じゃない。
中級以上の神なんて、そうそう見つかるものでもないでしょ」
この世界が創られてからというもの、中級以上の神話エネミーが倒されたという話は存在しない。
つまり低級神話エネミーこそが、現時点においては最強の存在であると言えるのだ。
「……昨日の戦いは見ただろう?」
突然の話題転換に、ミリスは意味を図りかねながらもすぐに肯定した。
「……ええ」
「マグナがあの本を手にしてから、もう半年以上だぞ。
これだけの時間をかけてあの程度なら、あれに利用価値は無い。
短く見積もっても、低級神の相手ができるようになるまで、あと一年ぐらい」
「まぁ、それぐらいはかかるでしょうね」
ミリスの同意にレンヤは呆れたようにため息を吐く。
「むしろあいつの場合、慢心してこれ以上の成長がないって可能性も十分にあるしな。
仮に一年でそこまで至ったとしても、それじゃあ遅すぎる」
「遅い?」
「ああ、おそらくは後1、2年、ひょっとしたら今年中に中級以上の神が倒されて攻略状況は劇的に進行する」
続けられたレンヤの言葉に、ミリスは眠たげだった眼を見開き、驚愕の表情を浮かべた。
「……その、根拠は?」
「予想以上に七福神クエストの攻略が早い。
どうやらあの化け物連中が手を組んでクリアしたらしいが、本格的に奴らが協力し出したら中級ぐらい近いうちに倒すだろうさ」
新エリア解放のために七福神を倒し七枚のチケットを手に入れるこの七福神クエスト。
このクエストが発表された当初、多くのプレイヤーは不可能だろうと、クリアすることを放棄した。
その達成困難と判断された理由は、七福神自体が強さによるところも大きいが、それ以上に七体全てを倒すというところが問題であった。
このクエストを受けられるのは一年に一回。つまり仮に一人でクリアしようとした場合、最短でも七年という時間が必要になる。
一人ではなく多くのプレイヤーで協力出来れば話は別なのだろうが、それもほぼ不可能であると考えられていた。
七福神という神話エネミーを倒せる力量など、ゲーム攻略を目的とするプレイヤーでもなければ持ちえない。
しかし、ゲームクリアの報酬を得られるのは一人のみ、そんな理由から攻略プレイヤーが徒党を組むことはほぼありえないことだった。
もちろん、プレイヤーの中には、この仮想世界を普通のRPGとして攻略とは関係なしに戦いを楽しむ者も存在する。
しかしそういうプレイヤーが神話エネミーを倒そうとした場合、一体を倒すだけでもそれなりに大規模のパーティーを組む必要がある。
そもそも戦闘系プレイヤーの絶対数が少ない中で、普通のRPGとして楽しみ、且つ相応の実力を持つ者などさらに希少だ。
これだけ聞けば、このクエストがどれだけ達成困難なものか理解していただけるだろう。
「それなら、なおさらマグナが消えたらまずいじゃない!」
「言っただろ、あれは底が知れてるんだ。
そんなものを鍛えるのに時間なんて割いてられない。マグナにはPKで稼いでもらったし、もう充分に利用価値は果たしてもらった」
その言葉で、ミリスは先ほどのツクモとの会話で、レンヤが話を長引かせるように無意味な質問をしていた、その理由を悟った。
「マグナの稼ぎの在処を聞き出すために、ツクモとの話を長引かせてたのね?」
「ご明察。それも理由の一つだ」
僅かな笑みを浮かべながら、レンヤは得意気に返事を返す。
その表情だけを見るならば、それは無邪気な少年のようで、とても部下を犠牲にしようと画策している人間には見えない。
そんな彼の顔を見ながら、ミリスは呆れたような表情を浮かべて息を吐いた。
「ホント、腹黒いわね」
辛辣な言葉を吐いている割に、ミリスの声音に嫌悪の色は無い。
結局のところ、彼女も共犯者。レンヤとは同じ穴の貉と言う事なのだろう。
話が一区切りついたところでレンヤは目つきを和らげた。
「さて、と。それじゃあお話はこれでお終い。
後はツクモちゃん達がどう動くか観察してようか」
再び口を開いたレンヤの口調は先ほどのツクモと話していた時のものへと変わっており、その表情にも胡散臭い軽薄な笑みを浮かべていた。
ほんと、どうしてこうなった。
自分が本来書きたかったのはチートくさい非常識な人間たちのハチャメチャな戦闘だったのに、今書いているのは自分でもよくわからなくなってきた謀略系の描写。
なんか途中からさっさとこの展開を切り上げたくて、適当になった感があります。
なんかすみません。