2話 クエストスタート
三人が跳ばされた場所は大きな寺の境内の中だった。
一辺が200mほどの塀に囲まれ、四方には五階建ての塔が建っている。
中央には本殿があり、その扉は固く閉ざされていた。
辺りには多くの松明が備え付けられており、オレンジ色の火によって、周囲は明るく照らされている。
周囲を見渡すと境内の中、いたるところに敵の姿が確認できた。
「ッ!」
コトネはその姿を確認したとき、恐怖から引きつった声を上げてしまった。
それも無理のない事だろう。その敵の姿は、一言で言うと亡霊だった。
RPGなどであるようなガス状のコミカルなゴーストではなく、半透明の人型だ。
亡霊の一人一人、体格は異なり子どもの姿もあれば老人の姿もあった。
浮かべている表情もそれぞれ違う。苦しみの表情を浮かべる者もいれば笑みを浮かべている者もいる。
半透明の姿のせいでそれらの表情はうっすらとしか分からないが、それがかえって不気味さを醸し出していた。
全ての亡霊に共通している事と言えば、皆が古風な着物を着ているということぐらいだろう。
ユーリは周囲を見渡し亡霊の位置を確認すると、空に野球ボール程の大きさの光球を無数に出現させた。
突然現れた光球にコトネは目を丸くしている。
ユーリが手をかざすと、上空に浮いていた光球は弾丸となり、目の前の亡霊たちに降り注いだ。
亡霊たちは光弾が一発当たっただけで弾けて霧散してしまう。
明らかにオーバーキルだったが、圧倒的な方法で殲滅した方がコトネの恐怖も薄れるだろうという配慮をしたが故のこの威力だ。
周囲の亡霊たちを一掃したのを確認すると、ユーリは無造作に腕を振った。
そうすると、白く輝く炎が出現し、三人を中心に円を描きだす。
左右に広がった炎が繋がると、半径10m、高さ3m程の炎の壁が出来上がった。
「二人はここでしばらく待っててね」
ユーリは二人の方を振り返り、軽く笑みを浮かべながら言う。
「無いとは思うけど、敵がこの壁を越えてきたらカケルが対処してね」
「ああ」
カケルの返事を聞いたユーリは、二人の後方に建っている塔に向かって、走り出した。
自分の作った炎の壁を跳び越え、真っ直ぐに塔の中に突入する。
その最中、自身の周囲に先ほどの光球よりも大きいバスケットボール程の大きさの光球を六つ出現させた。
塔に入り亡霊を見つけた瞬間に、出現させていた光球を放ち、一瞬のうちに撃退する。
一つの光球が消えると再び光球が出現し、すぐに元の数に戻る。
ユーリの行動はひたすらに迅速なものだった。それら一連の行動の最中も足を止めることが無いのだ。
亡霊たちは数が多いばかりで全くと言っていいほど足止めにもならない。
すさまじい勢いで進むユーリは程なくして塔の頂上にたどり着いた。
クエストで指定されていたレバーは階段を上った先、すぐ近くの松明が灯った壁に見やすいように取り付けられており、すぐに見つけることが出来た。
ユーリはレバーを引くと、すぐさまマップを開いて塔の中の敵が全滅したか確認する。
このような、時間内に敵を全滅させる類のクエストでは、ダンジョンのマップに敵の存在が赤いマーカーで示されるため、マップを開けばすぐに敵の位置が確認できるのだ。
現在いる塔の中に赤い点は無い。どうやらすべて倒せたようだ。
そのことを確認するとユーリは再び走り出す。しかし、向かう先は階段ではない。階段のその向こう、月明かりに照らされる窓に向かって突っ込み、その窓から外に飛び出した。
登るときに使った階段を使わないのは、時間短縮のためだ。
ユーリにとって、五階程度の高さであれば、跳び下りても何の問題もない。
地面に着地すると、すぐさま次の塔へ走り出す。
以上の行動を他三つの塔でも繰り返した結果、わずか30分程度の時間で四つの塔全ての制圧が終了した。
ユーリが敵の殲滅をしている最中、カケルとコトネの二人は何をしたものかと暇を持て余していた。最初の頃は周囲に敵が出てこないかと警戒もしており、近づいてくる敵も何体かいた。
しかしそれらの敵は炎の壁を越えられずにいたため、カケルが銃を取り出して内側から攻撃すると、簡単に倒せた。
しばらくすると近づいてくる敵もいなくなり二人の間に沈黙が漂い始めた。
知り合って間もない二人であるため、話題など思いつかない。それでも沈黙が辛いと感じたカケルはコトネに話しかける言葉を探す。
「随分と驚いてたな」
「え、あ、はい。いきなりだったので何がなんだったのか…」
転移したと思ったら、目の前には本物かと思えてしまうような亡霊。更に次の瞬間には、光の弾が降って敵を全滅。そこからひと段落つく間もなく周囲に炎の壁が現れる。
これらのことが、わずか数秒の間に起こったのだ。
突然のこと過ぎて認識が追いつかなくても不思議はないだろう。
「それに、兄さんがあんなに速く動けるなんて思わなかったので」
「なんだ、あいつってリアルじゃ運動音痴なのか?」
意外そうな様子でカケルは聞く。
現実とこの世界では、筋肉量など身体的な能力に差はあれど、反射神経や動体視力などは戦闘を重ねるごとに鍛えられる。
ユーリ程のトッププレイヤーがリアルでは運動音痴など、イメージが結びつかない。
「えっと、そういうのとはちょっと違うんですけど…」
しかしコトネの返答から察するに、単に運動が苦手と言うわけでもなさそうだ。
それならどういう意味だと聞こうかとも思ったが、答えにくそうな雰囲気が感じられたため、カケルは質問の仕方を変えることにした。
「なぁ、ユーリって、リアルじゃどういう生活送ってんだ?」
「どういう……ですか?」
ずいぶんと漠然とした質問でコトネは答えに困る。
「ああ。あいつって四六時中この世界に居るだろ?だからどういう生活送ってんのか気になってな」
「…兄さんに直接聞いてはどうですか?」
コトネの表情は若干堅くなり、答えにくそうな雰囲気が漂っている。
カケルはまずい事を聞いたかと一瞬後悔し、若干焦りながら言葉を重ねる。
「いや、前に同じようなことを聞いたんだけどな、その時は『部屋に引きこもって親の遺産を食い潰すだけの生活を送ってるよ』って、笑いながらはぐらかされた。
ゲームクリアなんて無茶を目指してる廃人連中のなかでも、あいつのプレイ時間は異常だからな。
実はプレイヤーの振りをしたNPCじゃないのかって、一時期、噂になってたぐらいだ」
この噂、馬鹿馬鹿しいと言えないのがSLOというゲームの恐ろしいところだ。
この仮想世界には数千万のNPCが存在するがその中の一部のNPCは自律思考ができる高性能AI搭載型のNPCなのだ。
それらは現実の人間となんら変わらない思考能力を持ち、プレイヤーと同じ行動をとることができる。
いわば仮想世界の本物の住人といったところだ。
コトネはカケルの話を聞いて呆れたような様子だが、ほぼ毎日、昼間から夜までぶっ続けでログインしているユーリを見ていると、現実世界で本当に生きているのか疑問に思えてくるだろう。
もっとも、カケルの『一時期』という言葉からも分かる通り、今ではそのような噂はほとんど流れていないが。
「え~と、とりあえずNPC云々の噂は間違い、とだけ言っておきます。兄さんはちゃんと現実に存在してますよ」
コトネもまさか自分の兄がNPCに間違われるとは思わなかった。どういう反応をしたらいいものかと少し困った様子で、とりあえず噂を否定しておいた。
「いや、それは元から信じてない。ていうかその噂言ってる奴だって、本気でそう思ってるわけじゃねぇし」
「そうですか。あの、そういえばさっき『ゲームクリアなんて無茶なこと』って言ってましたけど、どういう事ですか?」
「ああ、あれか。えーっと、コトネはこのゲームのクリア条件、つまりはグランドクエストの内容は知ってるのか?」
カケルの質問に対し、コトネは首を横に振った。
「いえ、すいません。始めたばかりなので…」
「そうか。それじゃまずはそこから説明するか。このゲームのクリア条件はこの世界のどこかに居る神様を倒す事だ」
「神様、ですか」
コトネは現在受けている七福神クエストについて思い浮かべる。
「今受けてるクエストの七福神のことじゃないぞ。
こういう七福神とかは神話エネミーって言ってな、現実の神話をもとにしたモンスターのことだ。そいつらをいくら倒してもゲームクリアにはなんねぇ。
ここで言う神様っていうのはSLOの頂点、最強、そういう存在のことだ」
最強と言われても初心者のコトネにはイマイチ理解できない。
とりあえず倒すのがすごく難しい。という程度の認識だ。
「現状、このクエストは達成が不可能と言われ、ほとんどのプレイヤーが攻略を諦めてる。理由は幾つかあるが、とりあえず大きな理由は三つぐらいか。
まず第一に、神の居場所が分からない。
運営側がその存在を明かしてはいるが、どうすれば戦えるのかイベント発生の条件が、手がかり一つ見つからない。
幾つかの神話エネミーを狩ればいいんじゃないかって噂もあるが、今のところそれで手がかりが見つかった話は無いな」
それを聞いてコトネは内心で驚く。
SLOの開始からもう六年が過ぎたというのに、ラスボスの居場所すら分かっていないというのは予想外だ。
「次の理由だが、とにかく最強すぎて勝てない」
「え? 居場所は分かっていないんじゃ・・・」
居場所が分からないなら戦えない。だというのに、強すぎて勝てないというのはおかしな話だ。
「まぁ、聞いてくれや。さっき神話エネミーの話はしたな。この神話エネミーだが、SLOでは最強クラスの存在なんだわ。もちろん、最強クラスって言ってもピンキリだけどな。
グランドクエストの神様はその神話エネミーを遥かに超える強さって話だ」
ここまで言われたことで、コトネはなんとなく察しがついた。
「それって、神話エネミーの方が強すぎて倒せないから、その神様も倒せないって事ですか?」
「正解。まぁ、そういうことだ。SLOのオープンからもう結構たつけど、今までで神話エネミーを倒せたって言う話は、その気になれば数えられるぐらいしかない。
しかもその倒した神話エネミーも、低級ばかりって話だからな」
神様をラスボスとするなら神話エネミーは中ボスだ。
未だその中ボスの内の、さらに弱い部類を倒すのが精いっぱいともなれば。多くのプレイヤーが諦めるのも無理はない。
「それで、三つ目の理由だが、普通、MMORPGで攻略困難なクエストがあっても、集団で取り組めばいい話だ。けどSLOじゃそうはいかない。
このグランドクエスト、報酬を得られるのは一人だけでな、その性質上、徒党を組もうなんて考えるプレイヤーはほとんどいない。
ただでさえ、攻略を目指す人間が少ないって言うのに、そんな制約もあったんじゃ、不可能って言われるのも仕方ないだろ?」
「たしかに、そうですね」
聞けば聞くほど馬鹿げたクエストだ。
運営はいったい何を考えてこのようなクエストを考えたのかとコトネは疑問に思う。
そんな思考にふけっていると新たに疑問に浮かぶことがあったので聞いてみた。
「そういえば、そのクエストの報酬って何なんですか?」
「ん、知らないのか? 結構有名な話だと思うんだが」
「有名って、この世界の中での話ですよね。私、SLO始めたばかりなんですよ?」
「いや、リアルでも昔話題になってたことだぞ。クリア報酬が明かされたことでゲーム参加者が爆発的に増えたからな」
「そうなんですか?」
「まぁ、報酬に魅了された連中もほとんどが挫折しちまったけどな」
「それで、その報酬って…」
―――何ですか? と言い切る前に、突然周囲に会った炎の壁が消え去った。
突然の出来事に二人は驚く。(カケルの方はすぐに何が起こったのか理解できたため、コトネ程の驚きではなかったが)
そんな二人の目の前に突然ユーリがどこからか降ってきた。
高速で突っ込んできたわりに、着地は勢いを殺したのか、ほとんど衝撃音を出さずに鮮やかなものだった。
これにはさすがにカケルの方も驚いた。おそらく時間がもったいないからと、どこかの塔から急いで跳んできたのだろう。
時間制限つきのクエストだからって、いきなり現れたりしないでほしいものだ、とカケルは内心で愚痴る。
「兄さん! いきなり驚かせないで!」
コトネの方もカケルと同様に思ったのかユーリに文句を言う。
どうでもいいことだが、コトネは兄に対しては口調が少し軽いのだなと、カケルは今更ながらに気づいた。
育ちの良いお嬢様のような雰囲気があったから、身内に対しても敬語で話しているようなイメージがあったのだ。
「ごめん。驚かすつもりは無かったんだけど」
申し訳なさそうな様子でユーリは謝る。
そんな二人のやり取りを眺めつつカケルは時計で時間を確認した。
「もう終わったのか? 随分と早かったな」
現在の時刻は0時18分を指していた。
タイムリミットまではまだ40分ぐらいある。
「うん。とりあえず雑魚は全部片づけたよ。これからボスと戦いに本殿に行くけど二人はどうする?近くで観戦でもする?」
「あー、そうだな、ここで待ってても暇だろうし、せっかくだし近くで観てるわ」
「私も、一人で待っていたくはないので」
「そう。それじゃあ扉から内側には入らないでね。ボスの攻撃がそっちにも行くようになっちゃうから」
ユーリは二人に忠告すると本殿の方に歩いて行った。
本殿の扉は高さ10mほどもある巨大な扉だ。
コトネがいったいどうやって開けるのだろうか、と観ている傍で、ユーリは扉を軽く押した。
傍から見ている限り、それほど強い力で押したようには見えなかった。にも拘らず、扉は押されたとたんに、ギィーッと音をたてながらゆっくりと開かれていく。
扉が完全に開ききると、本殿内の松明に火が灯り、室内が明るく照らし出された。
寺は外から見た分にはそれなりに大きく、ところどころに装飾がなされた立派な寺だ。
それに比べると、内部の様子は貧相なものだ。
中央には台座とその上に木像が置いてあるが、それだけだ。それ以外に置かれているものは無く、飾りもない。
しいて飾りと呼べそうなものは、壁や柱に取り付けられた松明くらいのものだ。
しかし、そんな何もない空間だからこそ、中央に置かれた木像は目立っていた。
大きさは3m程、着物の上に鎧を着た武将の姿だ。右手には三叉戟(先端が三つに分かれた槍)を持ち、左腕には太い縄を巻き、宝塔を携えている。
背後には車輪のような物を背負い、威厳を纏った堂々とした姿だ。
「当たりだな」
木像の姿を確認したユーリはそう呟く。
ユーリの言葉に二人は疑問を浮かべるが、そんな様子の二人を放置してユーリはウインドウを開き薙刀を取り出す。
既にユーリの意識は目の前の木像に集中していた。
ユーリが足を踏み出して寺の中に入ると、薄茶色だった木像に色が付き始める。
鎧と着物は赤を基調とした色に変わり、背後に背負っていた車輪のようなものには火が付き、燃え盛るようになった
全体に色が付き終ると、最後に、目に炎のような光が灯った。
敵まで結構な距離があるというのに、その熱気と威圧感が伝わる。
「な、んですか? ……あれ」
呆然とした様子でコトネが呟く。
寺に来てから見た亡霊も十分に恐怖を感じる姿だった。
しかし今、コトネの目の前に居る存在は、見た目がどうという以前に、その纏っている雰囲気が普通ではない。
仮想世界であるこの空間で、何故ここまで気圧されるのか、理解ができずその得体の知れなさがより一層の恐怖を煽る。
目に不気味な眼光を宿ると、木像だったモノは武器を構える。すると、ユーリの目の前には敵の名前が表示された。
≪毘沙門天≫
そこに表示されたのは、七福神の一柱にして武神である神の名だった。