表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

生物兵器前夜

 皮膚で、頭髪で、目で、鼻の穴で、脇で、ヘソで、口で、歯で、喉で、胃で、腸で、肛門で、陰茎で、女性器で、体毛で、足の裏で、この世界では今日も小さな戦いが起こっている。ライバルを殺し、宿主を殺し、環境を変え、群れ、細胞に入り込み、芽胞をつくり、逃げて、追って、死ぬ。自分の繁栄ための生存競争だ。


 また別の世界で、彼らは同じように戦う。同じ力を持って、同じ欲望を持って、しかし自分じゃない誰かのために。






 地球のどこかに、擬人化した細菌が生活するコロニーが存在する。そこに住む彼らは人の姿をしているがそれぞれの菌の能力や代謝を持っている。また、頭部のどこかしらからその細菌と同じ形をした角や触覚のようなものが生えている。例えば乳酸菌なら乳酸を作る能力を有しており、そのおでこに乳酸菌の形の角(?)が生えている、というふうに。


 そのコロニーには擬人化した細菌(以後細菌人間と呼ぶ)以外にも多数通常のヒトが住んでいる。細菌人間そのものや、それを利用した細菌の研究を行うための研究者、その家族、それらを対象としたサービス業従事者などなど。そこに住む細菌人間たちも基本人類に害を及ぼさないため拘束などはされていないし、普通の人間のように出歩くこともできる。望めば仕事だってできるし、人間用の飯も細菌用の飯(培地)とかも食べられる。まさにパラダイスって訳だ。


 少し歴史を紹介しよう。コロニーは安定した住処がほしい細菌人間と、細菌人間を利用した研究がしたい人類との利害の一致により整備された。作られた当初は研究機関じみたものであったが、細菌人間やヒトが集まるにつれ家屋や店が増え街っぽくなってゆき、現在は発酵食品ブームをきっかけに増えた観光客も相まってそこそこの活気を誇る地域となっている。


 ところで、コロニーから少し離れたところに立ち入り禁止区域がある。そこには病源性を持つ細菌人間が住んでいるのだという。近づけば感染のおそれがあるので絶対に立ち入ってはいけない、とコロニーに住む人々は口酸っぱく言われてきた。

 その隔離区域で何が起こっているのか知るものは少ない。監視カメラが多数設置されているが、そのデータは限られた者しか見ることが出来ないのだ。隔離区域の存在自体は公にされているため、「病源菌どもが結託し地球滅亡を企てている」だの、「善良な細菌の駆逐を計画している」だの、根も葉もない噂が立てられまくっている。












「ーーーで、その管理区域こそが我々の家、そして明日から君の家になる場所なのですよ。わかったなのですか?」

「うん、わかった。」


 トルコ東部、例の「管理区域」から遠く離れたところ。2人は杉の木が生い茂る森をえっちらおっちら歩きながら、これからの生活について喋っている。正確には、女の方が男の方にこれから訪れる窮屈な暮らしについて説明をしている。

 男の方は先っぽに星マークのついた黒い角を額に生やしていて、女の方は一見ウサギの耳に見える楕円形の角を頭頂部に生やしている。そう、両方細菌人間だ。しかも女の方は宇宙服のような服を着て、手袋をして、肌の露出がないような変な格好だ。語尾も「なのです」を頑なにつけ続けているし、大剣らしき物を背負っているし、その割には小柄な少女だし、痛いと言えるまでに個性的。それに対し男の方は特に言うべき特徴もない、平凡な服を着て平凡な顔をしている。強いて言えば体格が少々がっちりしている。


「うんうん、君は物わかりが良くて助かるなのですよ。で、さっきいった通り我々は病源菌でーー、しかも私たち二人ともけっこうえげつない部類の菌だから、隔離区域についたらもう出られないものだと思っといてなのです。」

「病源菌…。君は『野兎病菌』で、俺は『炭疽菌』なんだよね。」


『野兎病菌』、『炭疽菌』どちらも知名度はあるとは言えない病源菌だが、その実生物兵器としてはトップレベルで優秀と言われる菌たちである。


「そう。どうえげつないかは着いてから説明するとして、まぁ今はせいぜいシャバの空気を楽しんでおくといいなのです。区域外に居られることなんて、お互い最後なのでしょうし。

……本当によかったなのですか?実質刑務所同然のとこなのですよ?」

「別にいいよ。」

「そもそも初対面の私にどうして付いてきたのですか?自分で言うのはなんだけど、めちゃくちゃ怪しいなのですよ。」

「付いてきてって言ったから付いてきただけ。怪しいとは思ったよ。それとも本当は付いてこない方がよかった?」

「いやまぁ…どっちにせよ無理矢理連れて行く予定ではあったなのですが…君には自分の意思っていうものがないのですか?」

「うん。」

「じゃあ、君は良い生物兵器になれそうなのです。」


『野兎病菌』がそう言い終わると、もう他に喋ることもないので黙々と歩いていく。

木の葉をカシャカシャ踏む感覚も、お世辞にも美しいとは言えない鳥の鳴き声も、これが最後と思えばありがたみを帯びてくる。

 

そのうち『炭疽菌』が何かに気づいた。さっきからガサガサ音がする。しかも音はだんだん自分たちに近づいてきている。


「…………あの、」


炭疽菌が振り返り言いかけたところで、草むらから熊が勢いよく飛び出してきた。息をハァハァ言わせ目が血走っているが、捕食者のそれというわけではない。おそらく縄張りに入られてキレているか、子育て中で気が立っているか。


しかし野兎病菌は怖気づけもせず、むしろ自信満々に立ちはだかる。

「ほう…これは新入りに手本を見せるチャンスなのです…。炭疽菌、生物兵器の戦い方、目に焼き付けておくなのですよ!!」


野兎病菌は手袋を勢いよく地面に叩きつけ、果敢にも熊へその手を伸ばす。そしてその手で覇気のあまり怯んだ熊に触れるなり勝ち誇った顔になる。


「フフフ…これでキサマは野兎病に罹ったなのです。見てたなのですか炭疽!!『野兎病菌』は他の病源菌と違って生物の皮膚を通過して感染することができる!つまり触れるだけで相手は死ぬ!!これが生物兵器の……、選ばれし戦士の力なのですよ!!」


「うん、見てたよ、でも…………。」


炭疽菌が彼女の背後を指さす。そこには未だ元気そうな熊が野兎病菌に飛びかかろうと脚を屈めていた。


「…わかってる、なのですよっ!」


しかし、野兎病菌は背負っていた大剣を抜き、熊の攻撃を防ぐ。熊が隙をついて噛みつこうとも、大剣を軽々振るい喰らいつくのを阻止する。


野兎病を感染させられているもののまだ五体満足な獣の素早い動きに対応できている太刀筋。小柄なウサミミ少女が重い大剣を持っているとは思えない動きだ。


通常の野兎病菌は感染してから発症するまでに3日はかかる。細菌人間たる『野兎病菌』が先程触れた際には、通常より多く、活性した状態の野兎病菌を入れたためそれより遥かに早い発症のはずだが、それでも時間はかかる。それまで大剣で対応することで時間を稼ごうというわけだ。


「ぐるるるるるるるるるるる…る…、」


やがて熊の動きが鈍くなり、明らかに弱っているように見えた。野兎病菌の口角に勝利を確信した笑みが宿る。そして最後の一押しとばかりに力を込めて剣を振り上げ、せめてもの抵抗か腹に飛び込んできたヤツの背中に刀身ではなく柄の部分で打撃を食らわせる。勢いをなくし足元に落下する獣の身体を今度は膝で捉え、蹴り上げて前方に飛ばす。


熊はそれでもなお立ち上がりこちらを睨みつけてくる。抵抗する意思は残っているようだが、野兎病か打撃か、どちらにせよもうすぐ死ぬだろう。勝利は確定した。


「さぁ、行くなのですよ。炭…そ………………」


野兎病菌が獣を一瞥し、振り返って…………そこでようやく気がついた。火の手が迫ってきている。なんてことだ。山火事だ!!


その瞬間、2人の耳に木が燃える音や、動物達がパニックになり逃げ惑う声、遠くから鳴るサイレンが聞こえてくる。戦いに没頭して気づけなかった。もう少し早く気がついていれば逃げられたかもしれないのに、いまやもうすぐそこに燃え盛る炎が有る。


「落ち着くなのです、私に構わないで逃げて、君にはがほーーーー」


飲まれた。先程まで勇ましく戦っていた野兎病菌がぼっと音を立てて燃えはじめた。全身を覆っている宇宙服のような衣類が高温でドロドロ溶けていく。その様を見ていた炭疽菌もやがて自身が燃えていることに気づく、そして強烈な眠気にも。


炭疽は思い出す。昔料理中のフライパンにうっかり触ってしまったことがあった。その時も急に眠気が来て、眠ってしまった。でも不思議なことにやけどはしていなかった。


きっと自分はそういう性質だ。眠ることと引き換えに火から身を守れる。きっと今もこの眠気に身を任せれば、生き延びることが出来るだろう。


でもそうすれば、眼の前の彼女は死ぬ。気がつけば炭疽菌はもう意識のない野兎病菌を抱え走りだしていた。


合理的じゃないことは分かっている。眠ることが火耐性につながっているなら、これは二人ともの命を無にする馬鹿な行動だ。一番正しい判断はさっき彼女の言った「野兎病菌に構わず、眠ってやり過ごす」だろう。


判断。思えば自分で何かを決めたり、誰かの判断に逆らったりするのは久しぶりだ。もしかしたら生まれてはじめてそうしたかもしれない。なにしろ今まで誰かの決定に従って、それだけをして生きてきたんだ。


炭疽菌には弟が2人いた。今までその2人の弟の言うままに暮らしてきた。自分の生活の決定の全てをその2人に任せていた。そうしろと弟たちが言っていたし、自分でもそう思うからだ。


炭疽菌には呪いの力があった。古くから動物の肌にどす黒いかさぶたが現れ、衰弱し死にゆく。それも一匹そうなったなら、他の個体も同じように倒れていく。時には人間にもその黒いかさぶたが現れることもあった。大切に育てて来た家畜が死に、食料を失うだけでなく自分たちにも牙を向けるその災いを、人々はかさぶたの異様な色から「炭疽」と名付け恐れた。


炭疽菌はその災いが自分によって引き起こされているのだと薄々感づいていた。細菌だとか、病源菌だとか、そういう自覚はなくともそれだけはひしひしと感じていた。事実、自分が触れた動物たちは炭疽になって死んでゆく。


そんな災いを宿しているのだから自身の意思で生きるのが怖かった。自由に生きれば自分の意思でやがて怪物となり、大勢を殺したり、果ては世界すら滅ぼしてしまうかもしれない。


だから他人の言いなりになって生きてきた。何が正しいか間違いか、災いである自分が決めるより、まともな弟たちが決めたほうが良いに決まっている。


弟じゃなくても、誰でもいいんだ。自分の一挙手一投足が誰かの死に繋がるのが怖い。それに怯えながら生きるのも辛い。何千何百の命の「責任」が、べったりと張り付いているみたいだった。無責任に暴れてみても、その先に待っているのはどうせ底なしの罪悪感だろう。ならその責任をまるまる誰かに背負ってもらえばいい。少なくとも自分の中ではそういうことにして、楽に生きればいい。


自分の意思を捨てれば、最早モノになってしまえば。そう。物だ。俺は物でいい。常に誰かに忠実に、命令に背くなんてそんな大それたこと、しちゃいけない。する必要もない。さもないとまた責任という悪夢がやってくる。



「管理区域」に行くことになったのも、もちろんそうしろと言われたから。今日目が覚めると弟がいなくて、いつものように食卓に行ったら兎の耳のようなのを生やした女の子、野兎病菌がいた。


「炭疽菌、私と一緒に来るなのです。君の弟の了承はもう取ってあるなのですよ。」


住み慣れた家も、弟との暮らしも、惜しくないわけじゃない。でも自分の感情は命令に背く理由にはならない。彼女は弟とはもう会えることはないと言った。すごく悲しかった。でも良かった。きっとこれからは彼女が俺の「責任」を肩代わりしてくれる。俺の全てを決めてくれる。


大丈夫。これからも今までと同じだ。言われたことをするだけ。それだけでいい。










 じゃあ、なぜ俺は今彼女を抱えて走っている?







いや、最早自分が走っているのか歩いているのか這いつくばっているのかもわからない。

熱い。眠い。さっきから断続的に意識がなくなっている。眠って、起きて、進んで、を繰り返している。


苦しい。このまま眠ってしまいたい。野兎病菌がそうしろと言ったのだから、そうしても俺が責任を感じることはない。むしろ今こうして自分の命を危険に晒してまで彼女を守ろうとしていることの方が無責任だ。このまま2人で死んでしまえば、彼女の意思が無駄になる。そうなれば俺はまたその責任に苦しまなければならない。自分の意思で彼女に背き、その結果彼女の決意を台無しにした責任を。


なんで今になって自我を突き通そうとした?わからない。もう考えたくもない。今こんなことを考えていていいのだろうか、助かるためにはどうすればいい?誰か教えて、教えてくれよ。




















 

次に炭疽菌が目を覚ましたのは冷たい暗闇の中。なんだか揺れている、乗り物の中らしい。


「あ、目を覚ましたみたいですね。」


少年の声、どうやら助かったみたいだ。となれば結局あのまま寝てしまったのか?だとすると彼女は…


「まずはお礼を言わないと。野兎さんを助けていただきありがとうございます。それにしても、とっさに耐熱シートでくるんで運ぶなんて、よく考えられましたね。」


炭疽菌にそんなことした覚えはなかった。きっと必死になって持ち運びやすいよう何かに包もうとしたんだろう。なにはともあれ彼女が無事で良かった。


……自分の判断で責任を感じるようなことにならなくて、よかった。


安心するとまた眠気がやってくる。眠りゆく炭疽菌を労うように少年は彼の額を優しく撫でる。


「目的地まで時間はあるのでゆっくり休んでください。着いたら教えますね。僕たちの街、隔離区域に。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ