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提案

 赤髪の青年、久遠(クオン)は生還した。

 だが、決して喜びの声は上がることはなく。

 満身創痍。身体も刀も、戦いに敗れたとばかりの深手を負いながら命からがらの帰還。そんな状態の彼を前に、一同は顔を悲痛に歪めてしまう。


「く、久遠ー!!」


 誰よりも早くもぐらが、続き三人が急いでそばへと駆け寄り──まじまじと、改めて久遠の状態の詳細を目に焼き付ける。


 肩から失われ、肉ではなく淡い光の断面を露出させる左腕。

 脇腹に空いた、向こう側の床が見えてしまうほど貫通した穴。

 そして久遠の右の手から離れて転がり、ジジジと音を立てながら消失していく折れた大太刀。

 

 だというのに、久遠の身体からの出血はない。

 赤い血はなく。代わりのとでも言うかのように、久遠の傷口は大太刀と同じように、ジジジと音を発しながら、まるで身体にノイズが走るかのような現象を見せている。

 

 あまりに酷い惨状。人の負傷とは違う、愛斗の常識とは異なる損傷。

 つい先ほどまで、自身に悪態つきながら、頼もしい強さをまざまざと見せつけてきた剣士。

 そんな久遠の痛々しく不可思議な姿に、愛斗は思わず目を大きく見開き、口に手を当ててしまう。それくらいしか、彼に出来る反応はなかった。


「ようアリス。無事に帰ってこられたようで、何よりだ……」

「大丈夫よ。それより今は安静に。久遠ちゃんほどの人が、こんなになるなんて……」

「はっ。なら、良かった。それだけ確認しに来た、つもりだったが……あのクソ天使、思いの外手強くてな。ザマァない……」


 すぐにアリスによって運ばれ、薄っぺらい布団へと寝かされた久遠。

 薄く目を開き、それでもアリスの無事に弱々しく口元を綻ばせてみせる。

 そんな久遠の態度は虚勢であるのが一目瞭然であり、むしろそんな振る舞いが痛々しくさえ感じさせる。

 

「アリス君。アンプルは?」

「大丈夫、まだ残ってる。すぐに打つからね、久遠ちゃん」


 田中の問いを待つまでもなく、アリスが懐より取り出したのは一本の小瓶。

 淡い白光を灯す、水のように透明な液体の詰まったアンプル。

 だが久遠は残った右手を上げ、アンプルを開けようとしたアリスの手首を掴み、首を振って止めてしまう。


「……駄目だ、もったいない。虎の子の一本は、自分のために、取っておけ──」

「黙らっしゃい! アタシの物なんだから、使い所もアタシが決める。異論はないわね?」 


 風貌に似合わないほど野太く声を荒げ、久遠の手を払うアリス。

 頭部を指で叩き、そして弾くように首を折った後。

 注射器を用いず、中の液体を久遠へと左胸──心臓付近へ直接注入すれば、久遠の身体からはほんの僅かに淡い白光が発され、腹の傷は塞がり、左腕の不可思議な欠落現象は激しさを失わせていく。


「……すう」

「……大丈夫、少し落ち着いたわん。とはいえ気休めに過ぎないけど、それでもね」

 

 十数秒の後。張っていた緊張の糸が緩んだのか、呼吸を穏やかにした久遠は瞼を落とす。

 そんな久遠の様子に、安堵の息を漏らすアリス。

 もぐらは久遠の右手に触れながらぺたりと座り、心配の眼差しを向ける。そんな中、愛斗は何か出来ることがないかを考え、そして自身のサバイバルバッグの存在を思い出す。


「あ、あの、他に何か包帯とか……」

「残念だが無色(むしき)君、これ以上の打つ手はないよ。人間への応急処置では、VTuber(我々)はどうにもならない。全ては今打ったV粒子アンプル、そして久遠君の根気次第だ」


 何かしらの救急用品を出そうと、バッグへ手を入れようとする愛斗。

 けれど田中はそんな愛斗の肩へと優しく手を置き、無意味だと、静かに首を横に振って制止する。


「意味がないって、どういう……?」

「VTuberは身体から服に至るV粒子で構成されている。それは人や動物のように地に足付いた肉ではなく、あくまで力の塊みたいなもの。人間の治療法は、俺達にとって意味をなさないんだよ。残念ながらね」


 田中が語ったのは、紛れもない事実。

 VTuberの肉体は、あくまでV粒子によってモデルを構築しているだけに過ぎない。

 だから肌はもちろん、身に纏う服装でさえもV粒子による身体の一部であり、詳しく設定されていない大多数のVTuberには服の下も身体の中も存在しない。

 

 生き物の形をした張りぼて。かつて人であっただけの、肉の身体さえ持たない何か。

 十年前のVショック発生当初にて、VTuberはそのような誹りを受けていた。

 かつては同じ人であったはずの者達だと理解しながら、それでも人類の多くが嫌悪と敵意、そして偏見を持って接した存在。それがVTuberであった。


 そんな十年を、Vショック以降の世界の変遷を何一つ知らない愛斗は、田中の言葉に黙るしかない。

 だけど、それでも。

 せめて少しでもと。愛斗はバッグから救急箱を取り出し、久遠のそばで安堵の息を漏らしていたアリスの下へと持っていく。


「あの、せめて包帯だけでも」

「……ありがとうね愛斗ちゃん。これ、遠慮なく使わせてもらうわん」

 

 差し出された包帯を、そして差し出してきた愛斗へ。

 ほんの一瞬意外そうな顔をしたアリスだったが、すぐに優しい笑顔へと切り替えお礼を言う。


 する必要はないと、消毒はされず。

 けれどテキパキと、包帯はアリスの手慣れた動作で左腕へと巻かれ、断面は一応だが塞がれる。

 

「んんっ……ああ、寝ちまったか。軟弱だな、くそがっ……」


 応急処置が終わり、五分ほど。

 この場の誰もが一応の危機を超え、一息ついていたとき、久遠はおもむろに目を覚ます。


「久遠ー。大丈夫? 痛くない? 腕上がる?」

「……ようもぐら。はっ、随分とらしくない心配してんな。ちと軽くなったが、利き手が無事なら支障はない。腹の方が塞がったようだしな」


 ゆっくりと手を伸ばし、傍らで顔を覗き込んだもぐらの頭を優しく撫でる久遠。

 もぐぅ……と、目を細めるもぐらへ柔和な顔を向ける久遠。

 残りの三人もそこで久遠の起床を認識し、周囲へと集まっていく。


「先生。俺はどのくらい寝てました?」

「五分ほどだ。しかし君ほどのVTuberがここまで手傷を負わされるとは……何があった?」

「……恥ずかしながら、油断しました。あのクソ天使、中級どころか上級に片足突っ込んでやがった。一人で息巻いてこのザマなんですから、我ながら錆びたものです」


 先ほどの戦闘を思い出しているのか、久遠は屈辱とばかりに強く歯を噛みしめる。

 それっきり、冷たい沈黙が周囲を覆う。

 次に口を開いたのは、そんな久遠の状態を改めて直視し、引き裂かれたとばかりに胸を痛める愛斗であった。


「……ごめんなさい。俺の、俺のせいで──」

「──ざけん、なっ。思い上がるのも、大概にしろっ。誰がお前の、お前なんかのためにやったと思うのか……ああッ!?」


 怒りで傷さえ忘れてしまったと。

 そう思えるほどの勢いで身体を起こした久遠は、そのまま立ち上がり、愛斗の胸ぐらを掴む。

 響く怒号。愛斗へ……否、裡で人間に抱いていた嫌悪を噴き出すかのよう。

 そんな途方もない激昂を受けた愛斗は、全身を一瞬強ばらせながらも、けれど目を逸らさず向き合い続ける。誹られることくらいしか出来ないと、そう甘んじながら。


「お前なんかのためじゃない。純人間なんかのためなわけがない! 俺は、俺の仲間のために動いているだけ。自分がお姫様になったみたいな勘違いしてんじゃねえよ。自分の慰めのために、俺を使ってんじゃねえよっ! 純人間風情が……!!」 


 そんな愛斗の内の甘えを見抜いていたのか。

 憎悪の目で睨んだ久遠は、そのまま愛斗を投げ飛ばし、地下室の入り口へ目を向け歩き出す。


「な、駄目よ久遠ちゃん、何処行くの! まずは安静にしてないと!」

「無駄だ。どうせ持って数日。なら最期にアンプル分の働きをさせてもらう。そうでも出来なきゃ、消えるに消えきれない」

 

 アリスが駄目だと押さえようとするも、久遠は一瞥することさえなく通り過ぎる。

 久遠に迷いはない。むしろ覚悟は決まったと、真剣な面持ちであった。


「……久遠ー」

「悪いなもぐら。ここはバレてはいないだろうが、やつはまだ俺と純人間を探している。このまま動かなければ、上の生命線が踏みつぶされるのは時間の問題だ。分かってくれ」


 どこか寂しげな声を出しながら、心配そうに見上げるもぐら。

 そんな小さな一匹の声に、久遠は一度しゃがんで目線を合わせ、二カリと優しく微笑んでみせる。


 中のV粒子を遮断する効果を持つ赤テント、ばれないちゃんはも大事ではある。

 けれど真に恐れるべきはこの空間と地上を繋ぐマンホールのような出入口、かくれますんの損傷。


 この地下室は、かくれますんによって固定された所謂仮想空間。

 確かにありながら、けれどこの世のどこにもない。そんな逃げ穴に過ぎない空間である。

 

 例えかくれますんが壊されようと、中の空間自体に影響を及ぼすことはない。

 ただし、それはあくまで空間のみ。

 現実世界と唯一の繋がりであるかくれますんが破壊されれば、当然出入口は失われ、また中の空気を入れ替える循環機能の停止により、最高二日で人間が活動出来る環境ではなくなってしまう。


 ……或いは、制作者である天野(あまの)一与(いよ)がこの場にいれば、中からの修復も可能ではある。

 けれど彼女はこの場にいない。故に壊されてしまえば、あとは閉ざされた空間で終わりを待つばかり。

 

 そんな最悪の結末だけは防ごうと、久遠は再び外へと出ようとする。

 自らの命を賭し、共倒れになろうとも。自らの矜持と、この場にいる恩人や仲間のために。


「先生。あとは頼みます」

「……そんな頼みは受けたくはないがね。なるべく善処しよう。……すまない」


 俯く田中に、礼を言う久遠。

 その手に出現させた大太刀は依然修復されることはなく。

 けれど折れたままの赤い刀身は、主同様にまだ戦えると、そう訴えるような熱を発していた。


 そんな戦士の堂々たる姿に、愛斗はただ魅入ってしまう。

 命を懸ける。誰もが簡単に口にできながら、誰しもが届かないその言葉を体現しているかのよう。


 だが同時に、そんな姿が気に入らないと愛斗の心はざわついて止まない。

 久遠が気に入らないのではない。むかつきこそすれ、別段久遠が嫌いというわけでもない。

 

 結局の所、田中が自分を犠牲に逃がそうとしてくれたときと同じ感情(もの)

 自分のせいで誰かが死ぬのは御免であると。実に愚かで青臭い、人間らしい拒否感であった。

 

「……田中さん。天使は人間と敵対しているVTuber、どちらを優先して追いますか?」

「どうしたんだい?」

「いいから、答えてください。お願いします」


 一つ大きな深呼吸をした後、ゆっくりと立ち上がった愛斗は、ぽつりと田中へ尋ねる。

 突然の質問の意図が読めず、聞き返してしまう田中。

 けれど真剣な面持ちで答えを求める愛斗に、「そうだな」と顎に手を当てて考える素振りを見せる。

 

「……そうだな。状況次第と言う他ないが、同程度の注目であれば、まず間違いなく人間を追うだろう……まさか」


 田中はそこまで答えてから、何かに気がついたのか驚愕で顔を染める。

 そんな田中の推測を、正解と。

 小さく頷いてみせた愛斗は、田中が止めようと次の言葉を吐くよりも早く、自らの声を上げる。


「聞いてください久遠さん。あのデカブツを倒さなきゃいけないのなら、一つ作戦があります。勝つにせよ逃げるにせよ、俺が囮になれるはずです」


 そうしてついに、愛斗は告げる。

 自らの命を捨てるかのような、そんな命知らずな発言。

 それはあれほど嫌悪を露わにしていた久遠でさえも、つい顔をしかめてしまうものであった。

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