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襲撃

 巨大な塔は、如何なるときも揺らがない。

 

 対話の機能を持たない。

 和睦の権限を有さない。

 退去の、撤退の意志を示すことはない。

 

 空を覆う雲の支柱となり、島国を世界より隔て、天使を遣わす。

 ただ受け取り、そして発する。自らに課せられた目的のため、ただ作業を進めていく。


 それだけの役割だけを与えられ、それ以外の機能を持たず、それ以上を許されない。

 塔自体に心はなく、ただ地に根付き、自らが意義を果たすのみ。

 

 三年前。2032年における人類反応の塊を消去し、最早役割を終えつつあった塔。 

 日本列島の制圧。世界から隔絶された日本の、人間とVTuberの事実的な敗北。

 それらを観測して以来、最早地上に価値なしと、眠るように信号を発することはなく。

 まるで賢人が夕日を眺めるが如く。遠くないうちに訪れる終わりを、或いはその先に待つ何かを見据えるかのようにそこに佇む──そのはずだった。


 どこまでも伸びる塔は、終わりかけた世界に唐突に出現したそれを、確かに観測した。


 どこからともなく出現した、巨大なV粒子の塊を。

 塔がこの地に降りて七年。登録された全VTuberのいずれにも該当しない、未登録たる未知のVTuberを。


 塔は受け取り、そして送る。

 未知の存在について調査、その指令を。或いは、看過出来ぬ異分子を誅殺という命令を。


 塔に思考はない。それは過去においても、未来においても変わることはない。

 創造主たる存在に与えられた役割を遵守する。機械のように物言わずに実行する。それのみであった。






 一夜明け。

 簡素な部屋に四人と一匹は、ついに愛斗の目覚めたラボへの出発の時間を迎えた。


 固い床に慣れない環境、そして積っていた心の疲労。

 それらの影響のせいか、決して快眠とは言い難かった愛斗。

 

 だからか、今までのはもしかしたら長い夢だったのではないかと。

 目が覚めてすぐ。寝惚けた眼を擦りながら、そんな淡い期待を抱いてしまいはしたものの。

 自身を起こした金髪縦ロール美女の艶のある声と、自室とは違う見覚えのない天井に、そんな期待は直ぐさま霧散するなんてこともあったが、それでもどうにか調子を整えることは出来ていた。


「それじゃ二人とも、お留守番よろしくねん?」

「おおとも、宙船に乗ったつもりでおまかせを。あ、そういえばおゆはんは何に? ちなみにもぐらのおすすめは日替わらない当店唯一の看板メニュー、その名も新鮮ではないエアを提供もぐっ」

「まったく。では三人とも、くれぐれも気をつけて。何よりも生きて帰ってくるように、いいね?」


 二人の見送りを受けた三人は、外へと出て街中を歩く。

 宙は変わらずの曇天。どんよりとした、朝日も夜空も窺えない、分厚い雲に覆われるばかり。


「……晴れないんですね、雲」

「空の雲はね、塔が現われてからずっとよん。だからか結構冷えると思うのだけど……愛斗ちゃん、そんな恰好で寒くないのかしらん?」

「ああ、はい。このジャージ、一与(いよ)の発明品なんです。その分脱いだらきついと思いますけどね」


 先頭を久遠。そして後方で二人並び付いていく中。

 アリスに指摘された愛斗は、自らのジャージを指差しながら、どこか誇らしそうに語ってみせる。


 雲に覆われた日本の気温の平均は、一年を通して十年前より数度ほど低くなっている。

 現在は七月だが、それでも熱さも湿気も少なく。

 どこか冬のような乾燥を巡らせながら、本州住まいの一般人であれば、肌寒いと感じることだろう。


 ──だが現在、愛斗にその心配はない。


 何故なら愛斗の着ているジャージは天才天野一与が発明品が一つ、万能ジャージらくらくん。

 全十二色。質感バッチリ、周囲の環境に合わせて温度調整してくれる万能衣類。

 一年間普段着に出来るをコンセプトに開発されたそれは、洗濯にも特別な手間は必要なく、あえて欠点を挙げるとすれば見かけが古典的なジャージだという点くらいの優れものである。


 ……ちなみに、氷河の極寒や熱帯砂漠の灼熱などといった過酷さに耐えられるわけではない。

 あくまで日本の気候、気温において快適な過ごしを提供するためのジャージである。そういう意味では、十年後の日本が氷河期に突入していないのは、愛斗にとって幸運なことであった。


「それにしても、上手くいかなくて残念だったわねん。VTuberへの変身、アタシも見てみたかったわぁ」

「……すみません」

「ああごめんなさい、別に責めたわけじゃないの。ただ一技術屋として少しばかり興味があっただけなの。何せVから人への変化ってのはね、多くのVTuberにとっての悲願だったから」


 不意に呟かれた、アリスの要望。

 それに応えられなかったことに対する無意識か、或いは自身でも気が咎めていたからか。

 いずれにせよ、沈んだ声で謝罪しながら顔を逸らす愛斗に、アリスは慌てて両手を振りながら謝罪をする。


 結局あれから、愛斗がナーゾちゃんに変身することはなかった。

 出発ギリギリまでの試行してはみたものの、白い光が愛斗の身を包むことはなく。

 そしてあの瞬間、確かに聞こえたはずの推しの声が再び胸に響くこともなかった。

 

 愛斗にはその理由は分からない。

 そもあのとき変身出来た理屈も手段も曖昧なのだから、その先である制御などどうしようもないことであり、実際責められることさえお門違い。

 心の片隅。理性の部分でそう思う気持ちは、確かにあれど。

 それでも今自分が出来ない。彼らの求めに応えられず、道案内程度しか出来ない自分に引け目があるのは事実であった。

 

「はっ、端から期待なんざしてないから落ち込むなよ。どうせ純人間なんざ口先だけのカスがデフォ。そもそもVから人に戻れるだなんて、俺はタイムマシンよりも信じてないからな」

「あらぁ? その割には、昨日は頼りにしてるって言ってなかったかしらん?」

「皮肉だよ皮肉。分からないアリスじゃないだろうに、いちいち突っかかってくるなっての」


 そんな愛斗を、大太刀を背負いながら前方を歩く赤髪の青年──久遠はただ冷笑してみせる。

 アリスの反論にも僅かばかり肩をすくめるばかりで、それ以上は返すことはない。


「ごめんねぇ愛斗ちゃん。嫌だったら我慢なんていらないから、遠慮なくガツンと言い返してやっていいのよん?」

「……いや、でも守ってもらってますし」

「平気平気、久遠ちゃんはプロレスしてなんぼな気質だから変に耐えるだけ損。それにあんな態度だけどね、根は善良で真面目なの。一度護衛を請け負ったのなら、相手がどれだけ憎くてもきっちり仕事してくれる。お姉さんのお墨付きよん?」


 両手を合わせながら、安心させるように話すアリス。

 だが、彼女の言葉がこれ以上続くことはなく。

  

 曲がり角を曲がる直前。

 静かに、と。

 不意に足を止めた久遠が手振りと共に、どこか和やかな雰囲気であった二人の雑談を中断させた。


「……ちと数が多いな。アリス、後ろ見ててくれ。すぐに終わらせる」

「お願いするわん。こっちはアタシにお・ま・か・せ♡」


 覗き込むことなく、けれど見たかのように分析しながら背中の大太刀を抜く久遠。

 流麗な、されど血に染まったが如き赤の刀身。

 先ほどまで僅かに揺れることさえなく丸まっていた尻尾をピンと張りながら、久遠は別段気負うこともなく、緩やかな動作で地を駆け出していく。


「あの、今のって」

「ええ、天使よ。でも大丈夫。久遠ちゃんはね、とっても強いのよん?」


 少し覗いてみるといいわん、と。

 片手で丸を作るアリスに従い、愛斗は恐る恐る過度から顔を出し、その光景を目撃する。


 奔るは赤の軌跡。

 まるで空に何かを描くかの如き赤線が駆け巡ったと思えば、次の瞬間には、道路に蔓延っていた十数体の人型天使を次々と両断されていく。


 昨日あれほど追いかけ回され、死ぬとさえ思ってしまったほどの脅威。

 それがまるでまな板の上で切られる野菜のように、スパスパと斬り伏せられていく姿。

 まるでアニメや映画の中のような戦闘……否、蹂躙の模様をまざまざと見せつけられた愛斗は、例え刃を振るう久遠の姿自体を完全に視認できておらずとも、ただ圧倒されるばかりだった。


「……強い、ですね」

「当然よん。久遠ちゃん……久遠クオンは、アタシ達の中で唯一の戦闘可能VTuber。東方からやってきた侍で、鬼退治を為した英雄犬の子孫って設定なの。その上登録者六桁台だった彼の前じゃ、そこいらの天使じゃ歯牙にもかけないってわけ」


 この世界で初めて見たらしい戦闘に、思わず息を呑んでしまう愛斗。

 そんな愛斗へアリスは、久遠についてどこか自慢げに語ってみせながらも、次の言葉に一瞬詰まる。


「……それに彼は、強襲直後から前線にいた実力者。だからこそ、余計に──」

「おい」

「あらやだ、ごめんなさい。口が硬いが良い女、アタシったらまだまだ青い果実ねん。反省反省っ」


 そうして、アリスが全てを言い終わるよりも早く。

 道中にいた天使を全滅させ、空から降り立ちながら戻ってきた久遠が途中でアリスの言葉を遮る。


 一言と短く。だからこそどこか圧の籠もっている、久遠の強い制止。

 聞かれたくないというより、それ以上は思い出したくもない。

 納刀する久遠から感じるのは、そんな刺々しい雰囲気だと。アリスは素直に謝罪する傍らで、愛斗はそんな印象を目の前のVTuberに抱いてしまった。


「……あの、ありがとうございます」

「……お前に礼を言われる筋合いはない。いいから、さっさと行くぞ」


 一応お礼を言った愛斗に、久遠は別段強い言葉を返すことはなく。

 三人は再び歩みを再開し、第一ラボのある一与(いよ)の家を目指して進んでいく。


 道を塞ぐ野良天使との二度ほどあったが、同様に久遠が何てことなく処理。

 愛斗の案内。そして久遠の実力。

 それらも相まって、迅速且つ最短の道で進めた三人は、もうすぐという所まで辿り着く。


「……もうすぐです。ここを曲がってまっすぐ行けば、あいつの家が見えてきます」


 昨日も、そして今までも見慣れた景色。

 地形も一緒。面影は確かにあるはずなのに、やはり知っている十年前にはほど遠い。

 まさか別れを済ませた次の日に、ここへ戻ってくることになるとは思っていなかったと。

 一層心がざわつく中、愛斗はそれでも自身の憂鬱に蓋をしながら、真っ直ぐ最後の角を指を差しながらそう伝えた。


 ──そのときだった。 

 ジジジッと、空にノイズが走り、突如として開いた大きな穴──否、亀裂と呼ぶべき大穴。

 空を切り裂くように出現した大穴から、まるで産み落とされたかのように、それは地上へ落ちたのは。


「うそっ、天使……!?」

「中型だとっ。なんでこんな場所に、こんなの出てきやがるっ……!!」


 ドッシンッ!! と。

 落下したそれが地上到達した瞬間、大地は悲鳴とばかりに震え、衝撃と風が周囲を走り抜ける。


 吹き飛びそうになる愛斗。

 だが久遠によって押さえられながら、愛斗もまた二人同様それを認識し──唖然とする。


 空から落ちてきたのは、頭部に光輪宿した四足の黒獣。

 体高約五メートル。体長約七・五メートル。アフリカゾウさえ容易に凌駕するサイズは、二階建ての家とほぼ同等。

 犬のような、猫のような、どちらでもありながら、どちらでもないような。

 正体不明。黒で塗り潰された獣。──天使と呼ばれた白い天輪宿した黒い人型と、同質の存在。


 怪獣。

 そう呼ぶに相応しき巨大な獣は、まるで彼らがここに来るのを予期していたかのように、突如として飛来した。

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