潜水艇乗りになった理由
ワトソンが、ワイングラスを手に、ハインツとチャールズの座るテーブルに歩み寄ってくる。
この絶世の美女にアプローチするなら、今しかない……っ!!
真っ先に反応したのは、チャールズだった。
「美しい……」
チャールズは立ち上がり、ワトソンのための椅子を引いた。
「ああ、なんと美しい……美の女神が人の形をして歩いているではありませんか」
「あら、誉め言葉が上品ね、ミスター・チャールズ」
「ボクの名前をご存じなのですか!?」
「ええ、噂に聞いていたわ。このバーには、ときどき、世にも珍しい潜水艇乗りが来るって」
ワトソンは、ゆっくりと、ハインツの正面の席に座った。
「……もしかして、こちらの方が、【北海の海神】さん?」
「……」
ハインツは、黙ってビールを飲み干す。
「そうです。この男こそ、北海のあらゆる存在を凌駕する、賞金額ランキング一位でもあり、ボクの最大のライバル、ハインツです!」
寡黙なハインツに代わって、チャールズが紹介した。
「一度会ってみたいと思っていたのよね。ぜひ、ご一緒させてもらっても?」
「もちろんです!あなたのようなお方とテーブルを囲うことができること、喜びの極み。まるで夢のようです」
「……好きにしてくれ」
ハインツは、素っ気なく言って、酒の席の同席を許可する。
ワトソンは、ハインツの正面に座って、店自慢のワインを嗜み始めた。
一方、チャールズは、ワトソンの隣に座って、彼女の気を引こうと、様子をうかがっていた。
「二人とも、潜水艇に乗った海の男なのよね。人を助けたりしているんでしょう?」
話題を振ったのは、ワトソン。
それに喰いついたのが、チャールズだった。
「その通りです。他にも、エンジンが故障した船を引っ張ったり、遭難した人を助けたり、時には、海警に代わって海上をパトロールしたり……いろいろやってますよ、ボクたちは」
「へぇ、そうなの。海のヒーローって感じで、カッコイイわね。私もそういうの、憧れるわ」
チャールズ、そして、一切顔を上げないハインツを順に見て、ニコっと、屈託のない笑みを浮かべたワトソン。
彼女は、ワインを舌で転がして、ふと「私も、乗ってみたいわ」と言った。
「……やめたほうがいい」
ハインツは、そこで初めて、自ら言葉を発した。
「潜水艇は、狭いし、臭い。10日とシャワーを浴びないことだってある。汗と油の臭いが充満した船……あんたみたいな美の権化の女には、似合わない」
潜水艇というのは、もちろん、密閉空間だから、湿気がこもる。
食べ物には、すぐにカビが生えてしまうし、海の上では真水が貴重なため、ロクに洗濯もできないし、シャワーも浴びられないのだ。
そんな空間に、ハリウッドで活躍する絶世の美女を放り込むというのは酷だと、ハインツは思った。
「ボクの船は、整理整頓されていますし、定期的に換気もしますし、消臭剤を散布しておりますから、快適そのものです!ぜひ、いかがでしょうか、ワトソン嬢!?」
一方チャールズのほうは、自分の潜水艇の清潔さをアピールしている。
どうやら彼は、ワトソンと潜水艇に乗りたいらしい。
「嘘つけ……」
チャールズによる必死のアピールは、ハインツによるたった一言でひっくり返されてしまった。
「アハハ。二人とも、ライバルみたいな関係だけど、仲がいいのね」
ワトソンは、そんな二人の関係を垣間見て、胸の内側を温かくした。
二人は、性格は真逆だけれど、決して険悪な関係ではなく、良きライバルなのだと、知った。
「ライバルは、こいつが勝手に言ってるだけだ。オレは、競ってるつもりじゃない」
ハインツは、またボソッと言った。
「オレは、賞金稼ぎのために潜水艇乗りやってるわけじゃない。潜水艇の建艦ローンを返さなきゃならん」
「なおさら気になるわね……ハインツも、チャールズも、二人は、どうして、そんな過酷な環境に身を置こうと思ったの?どうして、船に乗らずに、潜水艇に乗ったの?」
ワトソンが、隣のチャールズ、正面のハインツに、順に視線を送る。
すると、チャールズは、潜水艇乗りになった経緯を自慢げに語り出した。
「実はボク、アメリカ出身なんです」
「わたしと一緒ね。私はカリフォルニア出身だけれど、あなたは?」
「ミシガン州です」
「ミシガン湖はきれいだし、デトロイトの街は活気があって、いい場所よね。ちょうど一年前に、映画の撮影で訪れたことがあるの」
どうやらワトソンとチャールズは、故郷が一緒の、アメリカらしい。
「しかし、例の恐慌に襲われ、株で大損しまして……それで、逃げるようにフランスに渡りました」
「世界恐慌のことね。で、それから?」
アメリカのウォール街から始まった世界恐慌は、株取引に熱中していた若き日のチャールズの財布を破った。
「フランスに渡ってから、若者たちの航海冒険ブームを知りまして、個人向けの木造船に関するビジネスを始めました。それが、大当たりしまして、資金を得まして、それから……人とは違う方法で海に出てみたいと思いまして、潜水艇を選びました。いやぁ、しかしながら、潜水艇は高価ですよ、まったく」
「そうよねぇ。海に潜るんだから、普通の船よりも構造とか、機構が複雑になるわよね」
「しかし、ワトソン嬢もご存じの通り、潜水艇は海に潜ることができます。密輸船は、並大抵の装備では、ボクたちに太刀打ちできませんよ」
「ああ、そうよね。普通の船だと、海に潜った潜水艇なんて攻撃できないものね」
「まあ、たまに、爆薬が入った木箱を投げて抵抗してくる輩もいますけどね。ハハハッ」
チャールズは笑い、カクテルをグビッと飲んだ。
彼は、株や木造船に関するビジネスマンから転向して、潜水艇乗りになったということだ。
そしてワトソンの興味は、これまであまり言葉を発していないハインツに移った。
「よかったら、ぜひ、ハインツ様が潜水艇を選んだ理由も聞かせてほしいわ」
「オレは、父の影響だ」
ハインツは、ワトソンの要望に応えて、過去を語り出した。
店長には「ビールもう一杯」と、おかわりを注文しながら。
「父が、旧ドイツ海軍のUボートの艦長をやってたんだ」
「お父さんが潜水艦乗りだったのね」
「ワトソン嬢……アメリカ出身と言ったな?」
「ええ、そうよ」
「父が迷惑をかけたな……父の乗るUボートが、アメリカの船を沈めたのは事実だ」
「それは、あれか、ルシタニア号か」
チャールズが付け加えて、具体的な船名を挙げた。
「そう、それだ。オレの父は、無制限潜水艦作戦※に従事して、英国やフランス、アメリカの船をやたらめったらに沈めた」
※第一次世界大戦でドイツが実施した、潜水艦による無警告の通商破壊作戦
「いいえ。気にしないで。……それにしても、戦争は残酷よね。船に乗っていた人たちは、何の罪もないのに海に沈められて、潜水艦に乗っていた兵隊さんたちも、仕事で人殺しをやらされるんでしょう?」
「敵国の兵士を多く殺した兵は、国の英雄とされていた時代だからな。それは、英国も、フランスも、ロシアも、米国もイタリアも……もちろん、我が祖国ドイツも同じだっただろう」
ハインツは、運ばれてきたビールを飲みながら、続きを語る。
「父が戦争を戦い抜いて、軍で出世したんだが、病気で死んじまってな。父から受け継いだ資産と、ツテを使って、潜水艇乗りになったってオチだ」
父は軍で出世したため、ある程度の金が残った。
しかしながらハインツは、現在、残ったローンの返済に追われている。
「オレは、もともと、潜水艦に乗りたかったんだ。父のような、立派な潜水艦乗りになりたいと、子どもの頃から思っていた。その夢を、少々違う形だが、実現しただけのことだ」
「ハインツ様の夢は叶ったけれど、お父さんは病気で亡くなってしまった……悲しいわね」
「いや、決して、その限りではないと思う。父は、オレの夢を応援してくれた。だから、あの世で喜んでくれているんじゃねぇか?」
「お父さんは、どんな人だったの?」
「どちらかというと自由主義な人だった。帝国軍人だったのに、珍しいよな。オレには『勉強しろ、勉強しろ』と口酸っぱく言いながらも、『外で遊んでこい』とも言っていた」
救出した母と娘に教えてあげた『子どもの半分は勤勉で、半分は自由であるべきだ』という言葉、実は、ハインツの父の言葉だ。
「オレは、父に言われた通り、勉強と遊びに明け暮れた。もともと工業とか工作にも興味があったから、自分で森の木を切って、船を作って川下りして遊んでたぜ。ハハッ」
「潜水艇乗りになるルーツは、そのころにあったのね」
納得を示すワトソンは、ワインを飲み終えた。
そして、店の入り口で待機していたマネージャーから視線を送られ、席を立った。
「マネージャーに呼ばれちゃった。そろそろ、行かないと」
「お、お待ちください、どうですか?明日は、この港の観光をボクと一緒にしませんか?この街は、良い街です。人の温かさアリ、海の雄大さアリ、です」
「ごめんなさいね、ミスター・チャールズ。明日の朝には、飛行機で帰らなきゃいけないの。だから、観光案内は、次の機会にお願いするわ」
ワトソンは、カバンからとある写真を取り出して、その裏に『親愛なるチャールズへ。ワトソン』とサインを記した。
そして、そのサイン入り写真をチャールズに手渡した。
「わたしのプロマイド写真。サイン入りね。これを見せれば、スタッフさんたちは、すぐにわたしのところに通してくれるはずよ」
「おお……写真で見てもお美しい。では、ありがたくいただきます!」
「ハインツさんも、どうぞ」
「せっかくだから、もらっておく」
ハインツも、『親愛なるハインツへ。ワトソン』と、サインが書かれた写真を受け取った。
ハインツは、写真をポケットに入れた。
「うおおお……いいなぁ。ワトソン嬢のサイン付きの写真がもらえるなんて……」
「一生家宝にするべきものだなぁ」
「オレももらいたいな」
「バカ言うなよ。ただの船乗りの俺たちじゃあ、もらえるわけがないって」
バーを訪れていた船乗りたちは、ハインツとチャールズに羨望の眼差しを注いでいる。
「また近いうちに会いたいわ、ミスター・チャールズ、ミスター・ハインツ」
店を賑わせたワトソンは、マネージャーとともにバーを後にした。
「いやぁ……明日という日をご一緒することができないのは残念だけれど、夢のような時間だったよ。ありがとう、ワトソン」
「……」
「ハインツ、お前も、付き合ってくれて、ありがとうな」
「ああ」