バーの大物ゲスト
救出した母と娘ローズを海警に引き渡したハインツ。
彼は、ドイツ北西部のブレーマーハーフェンの港に、潜水艇を停泊させた。
実に、6日ぶりの陸地だ。
「おお、ハインツ様ではありませんか!」
「こんばんわ、ハインツ様」
「どうも」
港で作業していた船乗りや漁師たちが、ハインツに挨拶した。
【北海の海神】として名前が知られている彼。
港の船乗りたちは、みんな顔見知りだった。
「久しぶりの陸地だな……とりあえず、シャワー浴びるか。汗臭くてたまらねぇ」
久しぶりに歩いたから、足腰が重い。腰の骨がバキッと鳴る。
彼は、行きつけのバーに向かった。
「おお、いらっしゃい、ハインツ。久しぶりじゃないか。いつもの飲むかい?」
バーの店主とは、知り合いだ。
「その前に、シャワー貸してくれねぇか?」
「ああ、いいとも」
「すまねぇな」
ハインツは、重いバックをカウンターの裏に置いて、シャワーを浴びに行った。
そして、体も服もキレイで清潔なものになったハインツは、店内に戻り、定位置である窓際の席に。
「はいよ、今朝仕入れたやつだ」
「サンキュー」
店主から、いつものビールを受け取った。
追加で、ソーセージを注文。
「おっちゃん」
ハインツは、ソーセージを持ってきた店主に話しかける。
「あ?なんだ、ハインツ」
「今日はやけに繁盛してるじゃねぇか」
店内を一瞥。
いつもと比べて、人が多い。
顔見知りの常連意外にも、男女問わず、多くの人がいる。
「そうなんだよ。今日は、偶然この近くを訪れていた【ワトソン】がゲストとして来ているんだ」
「ワトソン?誰だ、それ」
「知らないのか!?【アリス・ワトソン】――ハリウッドで活躍する、アメリカ出身の女優だよ。相変わらず、べっぴんさんだなぁ~」
「……知らねぇな。女優には興味がねぇ」
店の中央には、人だかりが。
その中央には、目を惹かれる美形の女が座っている。
肩を露出した黒のドレスを身にまとった、妖艶な雰囲気を醸す美女だ。
特に目を惹かれるのが、ウェーブのかかった茶色っぽい長髪。その髪の流れは、色は違えど、森の中の清流のように美しかった。
まさに、ハリウッドの女優
「よく来てくれたな、そんな著名人が」
「偶然、この近くに彼女が来ていてね。ダメ元で頼んだら、快くオッケーしてくれたよ。お陰で、今日は昼間から大繁盛さ」
「頼むだけなら無料だからな、ハハハッ。良かったじゃねぇか」
「頼むだけなら無料か……確かにそうだな」
そう言って、店主はカウンターのほうへ移動した。
ハインツは、一人黙々とソーセージを食らい、ビールを飲む。
そのとき、彼に歩み寄る人影が。
「なんだよ。お前に奢る酒はねぇぞ」
「久しぶりじゃないか、【北海の海神】よ」
「その二つ名で呼ぶんじゃねぇ。オレは、その呼び名、あんまり好きじゃねぇんだよ」
「失礼、ハインツ」
長身の男だ。
彼は【チャールズ】。フランスのダンケルク在住のアメリカ人。ハインツと同じ、潜水艇乗りだ。
稼いだ賞金額ランキングにおいて、ハインツに次ぐ二位の座にある実力者だ。
「元気にしていたか、ハインツ?」
チャールズは、カクテルを手に、ハインツの隣の椅子に腰かけた。
「潜水艇乗りは、万年、体調不良だよ。昨日から腰が痛くてたまらねぇ……」
潜水艇に乗っていると、歩くことをしなくなるので、足腰がおかしくなる。
ハインツは、自らの腰をトントン叩いた。
「お前のほうこそ、最近の調子はどうなんだ、チャールズ?」
「ボクのほうは、まあまあだな。昨日今日は、海警のほうから依頼された海上パトロールやってたけどよ、一昨日は、エンジンの故障で動けなくなっていた船をえい航※してやったから、かなりの報酬をいただいたぜ!」
※船が、他の船や荷物などを引きながら航行すること
自慢げに話すチャールズ。
彼は、あらかじめ準備していたのか、新聞を広げてみせた。
「これを見てくれ。ドイツ宣伝省が発行している海軍、海運に関する新聞さ。ボクたち、海の賞金稼ぎのランキングも掲載されている」
チャールズは、新聞の端っこに掲載されているランキング表を指さした。
一位、ハインツ。
二位、チャールズ。
三位、リヒャルト。
……
三位以降は、みんな、船乗りだった。
つまり、一位、二位は、ハインツとチャールズの二人の潜水艇乗りが独占しているということ。
海に潜ることができて、船を沈めることができる魚雷を搭載している潜水艇の海での優越性が顕著に表れたランキングだった。
「ボクのほうが、賞金の伸び率は高い。いつか、お前を超えることになる!そうしたら、ボクが北海一の潜水艇乗りだ!」
チャールズは、誇らしげに言う。
「勝手にやってろ。オレは、お前たちと競い合うつもりはない。オレは、オレ自身のために、潜水艇に乗り続ける」
ハインツは、低い声で、そう言って、カリカリに焼けたソーセージに齧りついた。
賞金の競い合いなぞ無意味なものだというのが、ハインツの考えだった。
「ハハッ、実にお前らしいな、ハインツ。張り合いはないが……それが、お前良いところだな!」
チャールズは、たばこを咥える。
ハインツは、「ほらよ」と、ライターの火をチャールズの口元のタバコに差し向けた。
チャールズは「サンキュー、ミスターハインツ!」と、陽気に感謝を述べた。
そんな二人の席に、チラチラと視線を送る人物が。
人だかりの中心に置かれた、ハリウッド女優【ワトソン】だった。
「ごめんね、ちょっと話してみたい人がいるの」
そう言ってワトソンは、ワインを手に持って、ハインツとチャールズの席に歩み寄った。
潜水艇乗りのハインツ、チャールズ。そして、ハリウッドの女優のワトソン。
決して交わることのなかった運命が交わり、一つの酒の席を囲うに至る……