待ち伏せ、そして魚雷攻撃
北海のど真ん中を、小型の木造船が行く。
この船には、人さらいの男たちと、連れ去られた母と、歳幼い娘【ローズ】が乗っていた。
「私たちを、いったい、どうするつもりですか!?」
母が問う。
誘拐を実行した男は、目を細めてニヤリと笑った。
「そりゃ、あんたらを売りさばくつもりさ」
「娘だけでも、解放してやってください!」
「あー……そうはいかねぇな。オレたちだって、命がけでやってんだ。それに……女や娘ってのは、高く売れるんだぜ、ヒヒヒ」
誘拐犯の男は、母も子も解放する気は、更々なかった。
なぜなら、二人とも市場に売りに出せば、金になるからだ。
それに、この船のローンも残っている……という事情もある。
「良識ある人に買われるといいな!」
「そりゃ、おめぇ無茶があるだろ。人の命を金で買うようなヤツに、良識ある人間なんているわけがねぇ。ロクでもないヤツらばっかりさ」
「ハハッ、言えてるよ、きょうだい」
船の甲板上で、呑気に酒をあおる男たちも、笑った。
「きっと、【北海の海神】が、わたしたちのことを助けに来てくれるもん!」
母の腕に抱かれた娘が、男たちにそう言い放つ。
「お嬢ちゃん、ポセイドンの野郎を知ってるのか?」
「うん!お父さんに教えてもらったの」
「あいつはおっかねぇよ……世にも珍しい、潜水艇乗りだ。あいつのせいで、俺たちは3回も、船を沈められたことがあるんだ。海の底で待ち伏せされて、急に上がってきたと思ったら、魚雷※を撃ってきて、ドカーン、だぜ」
※自動で水中を進み、目標物に当たると爆発する、魚のような形をした爆弾
「悪いおじさんたちは、きっと、みんな、そうなるよ。神様は、いつも見てる」
「ヒヒヒ、恐い恐い……」
頬を膨らませたローズちゃん。
男たちは、まともに取り合わず、海の向こうを見据えた。
空は、どこまでも青く晴れ渡り、爽快なる風が吹きつける。
「アニキ、順調にいけば、あと8時間ほどで到着しまっせ」
「向かい風だから、もっとかかるんじゃねぇか?」
「あー……そうっすね」
「半日から一日はかかると思っていたほうがよさそうだな。まあ、燃料も食料も水も問題ないんだろう?」
「ええ、もちろんでっせ」
海のご機嫌を伺う男たち。
西風に船首を向けながら、船は進む。
そのとき、ローズちゃんが海を見て、声をあげた。
「あ、きた!北海の海神だー!」
「え、え!?どこ!?どこにいる!?」
「き、来やがったのか、あのポセイドン野郎!?」
男たちが船上で慌てふためく。
大きな波飛沫が、船の左舷側に上がる。
「ドーンっ」という爆発音。
船が大きく揺れて、傾いた。
「きゃああああ!」
母に肩を寄せたローズが悲鳴をあげる。
彼女らは、波飛沫を浴びて、全身びしょ濡れになってしまった。
「魚雷攻撃か!?」
「ついに来やがったな、ポセイドンの野郎!!」
「アニキ、船内が浸水してるっす!マズいっす」
「なにぃぃ!?すぐに塞げ!このまま沈んでたまるか!」
「ダメです、アニキ!穴が大きすぎます!」
「ええい!!どうにかしろ!!ローンも払い終えてないのに、この船を沈められてたまるかぁぁぁぁぁ!!!」
甲板からも、船内からも、男たちの悲鳴があがる。
暗い海中から浮上する、大きな黒い影が。
真っ先にそれに気がついたのは、ローズちゃんであった。
「きたきた!北海の海神だー!」
ローズちゃんは、きゃっきゃと飛び跳ねて、目をキラキラ輝かせた。
黒い影が浮上して、海面から姿を現す。
それは、ハインツが乗った潜水艇【ポセイドン】だった。
浮上した黒い潜水艇は、艦橋の側面に備え付けられているライトを点滅させた。
ライトは、不規則に点滅して、船に向けてメッセージを発していた。
「アニキ、ポセイドンのやつがモールス信号を発しています!」
「なんだと!?えーと……『降参して、レディーたちを解放しろ。さもなくば、お前たちを船ごと沈める』だとぉぉぉ!?」
男たちは驚愕。
しかし、せっかく捕らえた二人の【商品】を手放すわけにはいかないと、強気に叫んだ。
「へへへ!!やれるもんならやってみろ!こっちには、人質がいるんだぞ!」
リーダー格の男が、母の髪を掴んで、潜水艇のほうへそれを誇示した。
母の茶色の髪が、ブチっ、ブチっと、何本かが抜け落ちた。
「痛い、痛いわ!離してください!」
「やめて!ママを離して!」
ローズが悲鳴に似た声をあげる。
しかし、母も、ローズちゃんも、ロープで後ろ手に縛られていて、男たちに抵抗することも叶わなかった。
「ヘハハハ!離してやるもんか!お前らは、人質なんだよ!」
アニキと呼ばれる男は、母と娘ローズを人質に、海面に顔を出す潜水艇と対峙する。
「ほらほら、この母親とかわいい娘が海に投げ出されてもいいのかよ、おい!どうなんだ、北海の海神さんよぉ!!」
挑発を繰り返す男たち。
すると、こんどは、傾く船の右舷側で、大きな水しぶきが上がった。
再び船が大きく揺れたが、幸い、船に新たな穴が開くことはなかった。
これは、ハインツによる、「警告」であった。
「は……?」
「あ、アニキ……ポセイドンの野郎は、本当にこの船を沈めるつもりっすよ……」
怖気づいた男たち。
すると、再び、ハインツの潜水艇のライトが点滅した。
「えーと……『もう一発ほしいか?こんどは船体ごとぶっ飛ばしてやるぜ』だと!?冗談じゃない!ふざけるな、この野郎!この船は、俺たちが汗水垂らして、ローンを組んで、やっっっっと購入にこぎ着けた船だぞ!!」
「アニキ!このままでは、船が沈みます!」
時を経るごとに、船の傾きは大きくなった。
一応、この船には、緊急用のゴムボートが備わっているが、高速で海を進む鋼鉄の潜水艇相手に、逃げ切れるわけがない。
「ええい……分かった!この女と娘を引き渡す!だから、これ以上、魚雷を撃たせるな!」
男たちは、母とローズの腕を縛っていたロープをナイフで解いた。
さらに、潜水艇に向けて、白旗代わりに、白いシャツを降った。
「俺たちは降参する!これ以上、魚雷を撃つなーーーー!!」
すると、潜水艇が船に横付けになった。
潜水艇の上部ハッチが開き、ハインツが顔を覗かせた。
「さあ、レディーたち、助けに来たぞ。こっちに飛び移れ」
ハインツは、潜水艇の甲板を親指で示す。
「わああああ!」
真っ先に潜水艇に飛び乗ったのは、娘ローズだった。
甲板に立ったハインツは、小柄なローズちゃんを見事に受け止めた。
「さあ、あんたも来い」
「と、飛べるかしら……」
「大丈夫。もし落ちたら、オレが引き揚げてやるから」
「お、お願いしますね……きゃっ!!」
船から潜水艇の甲板へ飛び移った母。
ハインツは、見事、母のことを体で受け止めた。
「ほい、レディー2名様ご案内だぜ。このハッチから、中に入りな」
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます!」
「礼なら、あとでたっぷり聞かせてくれ」
ハインツは、母とローズちゃんを潜水艇の中に案内した。
母は、娘ローズと一緒に、上部ハッチに備え付けのはしごを降りた。
「まっ、待ってくれ!俺たちも乗せてくれ……このままじゃ、船が沈んで、鮫に食われちまう……」
「てめぇらは救命ボートがあんだろ。自分たちで頑張りな」
ハインツは、そっけない態度を男たちに示して、潜水艇の内部に戻ろうとした。
そんなハインツに、リーダー格の男が叫んだ。
「おーい、船の弁償しろよ、ポセイドン野郎!」
「犯罪者どもの船の修理代を出すわけねぇだろ!それに、お前らの船が沈むたびに、オレは儲けもんだぜ。フハハハハッ!!」
「クソッ!覚えてろ、北海の海神!!」
「さっさと犯罪から足洗って、まともな職につくことだな!あばよ、クソ野郎ども!」
潜水艇は、方向を変えて、水平線の向こうへと航行して消えた。
男たちは、急いで救命ゴムボートを広げて、脱出。
さんさんと照り付ける太陽の下、沈みゆく船を涙ながらに拝んだ。
「ああ、俺たちの船が……」
エンジンルームから火柱があがる。
男たちの船は、黒い煙を吐きながら、北海の海の底にゆっくりと、ゆっくりと沈んだ。
「やっぱり、北海の海神には敵わないっす……」
「この船のローン、どうやって払うんすか?船がないと、人さらいも密輸もできませんぜ」
「わからん……ハハハ……」