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彼女がいない時間

【オーストリア併合】の大見出しの新聞を日よけ代わりに顔に乗せて椅子に腰掛けて潜水艇の甲板の上で昼寝していたハインツ。


 突然、船内から響く無線通信の「ピピピピピ……」という連絡音を聞いて、飛び起きる。


「んだよ、こっちは気持ち良く昼寝してるっていうのに」


 ハッチを駆け降りて、窮屈な船内を走る。


「ノースシー・コントロールより、ポセイドンへ。聞こえるか、ハインツ?」


「こちらポセイドン。感度良好。なんだ、中佐?」


 無線通信機の前に立って、中佐に向けて応答したハインツ。昼寝を邪魔されたからか、彼は、ちょっと機嫌が悪そうな声だった。


「新しい仕事がある、ハインツ。ぜひ受けてみないか?」


「内容は?」


「聞いて驚け。これは、ボクからの依頼ではない。あの、宣伝省からの依頼だ!」


「せ、宣伝相……」


 宣伝省とは……あの総統ヒトラーの右腕である宣伝大臣【ヨーゼフ・ゲッベルス】博士がトップを務める組織である。反ユダヤ・反共産主義キャンペーンを展開して、ドイツ国民の国家への愛国心とナチ党への忠誠心を育む集団であり、ハインツにとって、あまり関わりたくない集団でもあった。


 反ユダヤのキャンペーンにでも参加させられるのかと身構えたハインツ。しかし、中佐から告げられる仕事内容は、案外納得できるものだった。


「君が潜水艇に乗って、『海に出るときは気を付けよう』と言うところを撮影する、というものだ。まあ、要は、海に憧れる若者たちに向けた注意喚起キャンペーンの一環だ。撮影は三か月後、半日がかりの撮影になるらしい」


 パトロールでもなく、遭難者捜索でもなく、船の護衛や密輸船の捕縛任務とも異なる異色の仕事だった。それは、海に出ようとする若者たちに、遭難しないよう、密輸や人さらい等の悪事に加担しないよう、注意喚起するためのビデオを撮影するという仕事内容。


 思想洗脳に関する仕事でないのなら……と、ハインツは承諾する。


「わかった、受けよう。あとでいいから、詳細を送っておいてくれ」


「了解。ハインツ君がビデオに出るというのは、注意喚起と宣伝効果は抜群だろうな。なんせ、君の名前は【北海のポセイドン】として、ドイツの大衆に広まりつつあるのだ」


「オレは、その二つ名があんまり好きじゃねぇんだが……まあいい」


「今日はキャメロン嬢は一緒ではないのか?」


「あいつは今、とある依頼でビスケー湾※にいる」


※イベリア半島の北岸からフランス西岸に面する湾


「ビスケー湾か。北海ではないのだな。かなり遠いな。個人の潜水艇の燃料で行けるものなのか?」


「最近オレたちの潜水艇は。ブリッツじいさんにエンジンの改良してもらったから、燃料の消費が抑えられて、補給無しでかなり遠くまで行けるようになったんだ」


「ブリッツじいさん……ああ、君の潜水艇を作った、例の技師か。エンジンの改良をたった一人で設計するとは……まさに天才。ぜひ、機会があればお会いしたいものだ」


「そりゃ、天才だろうな。旧海軍のUボートの設計に携わってたんだから」


 ハインツと中佐は、ちょっとした日常の雑談に興じた。


 ハインツは「ふああああ……」と、無線通信越しであくびをかました。


「じゃあ、そろそろ切るぜ。オレは、昼寝で忙しいんだ」


「ああ、昼寝の邪魔をして悪かった。それでは」


「はいよ」




♦♢♦




 三ヶ月後、ハインツは北海の安全啓発ビデオの撮影のために、デンマークの海岸を訪れた。


 北海の海の安全を守る啓発キャンペーンビデオ撮影は、何事もなく進んだ。


 いくつかのシーンを撮影した。


 潜水艇の操縦桿を握って「海の安全は、オレたちに任せろ」と録音機に向かって話したり……


 海の上、潜水艇のハッチから顔を覗かせて「夜の海は危険だ。遭難したら、誰も見つけてくれないぜ……よい子のみんなは、大人しくおねんねの時間だ」と注意を促したり……


「悪いことするやつらは、海の底に沈む船を墓にしてやるぜ」と叫んで、密輸人の人形を乗せた木製の模造船を魚雷で破壊したり……迫力あって印象に残りやすい映像が撮影された。


「はい、カット!」


 最後のトークシーンの撮影を終えて、すべての撮影が終わった。


 撮影の監督をしていた宣伝省の若手職員はハインツに握手を求めた。


 ハインツは「そっちもご苦労だぜ」と言って、職員とがっちり握手を交わした。


「ありがとうございました、ハインツ様。これで、海難事故など、北海のトラブルが減ることでしょう。映像は本省のほうで編集され、ドイツ各地の映画館で、市民向けに放映されます」


「オレの顔を変顔に加工したりしないでくれよ?なるべく、この無骨なオッサン顔のままで、よろしく頼む」


「ええ、そのつもりであります。ハインツ様は、ハインツ様のありのままの声とお姿で放映します」


 ハインツが何気なく言ったそれ……実は「反ユダヤキャンペーンに利用したり、オレのことをナチ党信者だと印象付けることはやめろ」という、隠れたメッセージだったのだ。だが、そんなことを直接言える立場ではない。


 そんなハインツの隠された意図を知る由もなく、宣伝省の職員たちは、撮影されたフィルムを持って車に乗り込んだ。


 残されたハインツは、たばこを吸って、この撮影の仕事を投げてくれたフリードリヒ中佐との談笑に興じた。


「ドイツ民族が統合されたことは、たいへん喜ばしいことだ」


「ああ、オーストリアが併合された話か」


 話題は、ドイツがオーストリアを併合したという最新ニュースに移る。


「確かに、民族統一というのはドイツ民族の長年の夢だ。だが、一国家が勢力を伸ばすということは、必ず対立が生まれると歴史が証明している。オレの唯一の懸念点は、勢力を拡大したドイツが、イギリス、フランス、北欧、それからソ連やアメリカなんかと対立して戦争に突入することだ」


「なに、心配は無用だ。我々には総統閣下がついている。もし戦争になろうとも、閣下がドイツに華々しい勝利をもたらすだろう」


「ドイツの国家予算に占める軍事費の割合が膨れ上がり続けてやがる。それに呼応して、周辺国もドイツ軍の伸長を警戒して軍事に力を注ぐだろう。戦争になったら、20年前のあの悪夢が……いや、それ以上の地獄を見ることになると、オレは読む。ドイツは、復興と繁栄の高いツケを払うことになる」


「戦争になっても【クリスマスまでには帰れる】ってね」


「そう言ってて終わらなかったんだろうがよ、20年前の世界戦争は」


「ハハッ、今だから笑える話だ」


 ハインツと中佐は、同じタイミングでタバコを吸い終えた。


「ハインツくんとの雑談に興じていたい気持ちはやまやまだが、ボクはこのへんで失礼する。今日は、親衛隊《SS》のとある高官のお方との会食がある」


「おう、じゃあな。その出世チャンス、ものにしろよ」


「ああ、言われなくとも、そうするつもりだ。ご苦労であった、ハインツ」


 中佐は、たばこの吸い殻を海に投げ捨てて、車に乗り込み、その場を後にした。


 広い海岸にハインツ一人がぽつんと取り残された。


「はぁ……」


 青い空を見上げる。


 どこまでも透き通るようなその青の色に、キャメロンの瞳を思い浮かべた。


「あいつ……今、何してるんだ?仕事は終わったのか?」


 キャメロンのことで頭をいっぱいにしながら、ハインツは潜水艇に乗り込み、再び広い北海を航行した。







 一人で潜水艇を操縦して海を航行するハインツの心には、ぽっかりと穴が開いていたようだ。


 寂しさというべきか、キャメロンと一緒にいる日々にあまりにも慣れすぎてしまった。


 彼は孤独で閉鎖的な潜水艇についに耐え切れなくなり、無線通信機を手に取った。


「ポセイドンよりネルソン。聞こえるか、キャメロン?」


「こちらネルソン。感度良好。どうした、ハインツ?」


「お前と話したくなった」


「そんなに私のことが恋しいのか?」


「ちげぇよ。ただ単に、仕事が終わって暇になっただけだ」


 勘違いされたくないので、慌てて訂正したハインツ。


 しかし、彼のほうから話したいと言うのは珍しいなと、キャメロンは気が付く。


……もしかして、ハインツも私のことが気になっているんじゃないか?と思い、彼女は無表情ながら、わずかに口角を上げた。


「で、仕事は順調か?慣れない海で迷子になってたりしないだろうな?」


 普段は北海での活動がほとんどなキャメロン。たまにノルウェーやバルト海などでの仕事はあるが、大西洋に面するフランス・スペイン沖のビスケー湾というのは、ハインツでも行ったことがない海域。


 実は、彼女のことが心配で無線通信を繋げたという節もあった。


「それは杞憂というものだ、ハインツ。仕事はもう終わったよ。客船を無事に、地中海まで送り届けた」


 キャメロンは、仕事の完了を淡々と告げた。


「地中海まで行ったのか?そりゃずいぶんな遠出だったな。ジブラルタルの海峡を通ってか?」


「ああ、そうだ。スペインの港町の街並みも綺麗だった。帰りに寄り道して、スペイン料理を食べてきたよ。トマトを使った料理は格別だった」


「今度機会があったら、オレも連れて行ってくれよ。地中海は、人生で一回は行ってみたい海なんだ」


「自分で行け。私は、私自身のために動くのであって、お前のためにはテコでも動かない」


 とは言いつつ、普段から潜水艇の掃除をしておいてくれたり、コーヒーやたばこを奢ってくれるキャメロン。


 彼女も、自分と似て、本心を隠すのが下手くそなのだなとハインツは思った。


「1人で食べに行ったって、何にも面白くねぇだろ」


 一人より、誰かと一緒に。


 最近、そんな気持ちが強くなってきたなと、ハインツ自身も自覚していた。


「お前、ちょっと変わったよな」


「あ?それは、どういう意味で、だ?」


「なんか、人懐っこいというか……私に対しての距離が、他のヤツらと比べると、近い気がするぞ」


「……」


 ハインツは黙り込んだ。ああ、図星か。


 これまた照れ隠しが下手くそな男だなと思ったキャメロンは、さらに言葉で攻め立てた。


「なぁ、お前、口には出さないだけで、本当は、私ともっと親しくしたいと思ってるだろ?本当は……私のことが【気になって】いるんだろう?」


「お前なんかお断りだ」


「私は今宵、お前の口から愛の告白を引き出してみせる」


「オレが好きで愛してやまないのは、海と潜水艇だけだ!ハハッ、お前なんて眼中にないさ」


「嘘が下手だな、お前は。それじゃ」


「あばよ。今夜は、いつものバーで会おうぜ」

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