密輸船捕縛任務②
ハインツとキャメロンは、潜水艇を海の底に沈めて、麻薬密輸船が海域に到達するのを待った。
潜水艇には、聴音機というものが備わっている。
これは、海中の音を聴くことができる機械である。
海……つまり、水の中というのは、音がよく響き、かすかな音でも遠くまで届く。
これのお陰で、船が近づいてきたら、スクリューが回転する音を聴音機が拾い、すぐに分かるようになっている。
「中佐が教えてくれた到達予定時刻まで、あと10分だな……」
ハインツは、海の底に沈む潜水艇の中、聴音機に耳を傾けていた。
今か今かと密輸船を待っていたそのとき「ゴー……」という機械的な音を聴いた。
ハインツとキャメロンの潜水艇は海底にいてエンジンを停止しているため、スクリューは動いていない。
つまり、船がこの海域に近づいているということだ。
「来やがったな……」
ハインツは、無線通信機の前に立って、近くの海域で待機するキャメロンに連絡を入れた。
「キャメロン、聞こえるか?」
「ああ、大丈夫だ」
「来たぜ、奴らが」
「分かった」
「オレとお前の潜水艇で、挟み撃ちだ」
「了解」
密輸船の後方に、ハインツの潜水艇【ポセイドン】が付いて、前方からキャメロンの潜水艇【ネルソン】が襲い掛かるという作戦。
魚雷を命中させられなくとも、しばらく時間を稼ぐことができれば、ドイツ海警局の船が到着するという二段構えである。
「タンク排水中。動力の切り替え準備よし、弁の開閉よし。圧力、浮上角度問題なし」
指さし確認を欠かさないハインツ。
聴音機でスクリュー音が近づくのを聴きながら、潜望鏡を覗く。
いよいよ、潜水艇が海面に浮上しようとした、まさにそのときだ。
「おわっ!?」
鼓膜を破らんとする爆発音が響き、ハインツの潜水艇が大きく揺れた。
しかも、爆発は5回に及んだ。
計器やエンジンに問題はなかったが、一部の照明が点灯しなくなってしまった。
「あいつら……爆雷を搭載してるのか。駆逐艦じゃあるまいし、バカげた野郎どもだ」
爆雷とは、水中で爆発する水雷兵器の一種、要は、海に潜った潜水艦への攻撃に特化した爆弾だ。
普通の船は、爆雷など搭載していない。
搭載しているのは、海軍の駆逐艦など、海上での戦闘を想定した巨大な艦船のみ。
つまりこの密輸船は、通常の船ではなく、我々潜水艇乗りへの対応も想定され改造された船なのだろうと、ハインツは推察した。
爆雷を船に搭載するとは……彼らが麻薬取引で、いかに膨大な利益を得たか、彼らが潜水艇乗りをいかに嫌っているかを推察できる。
「おい、待ちやがれ!逃がさねぇぞ!」
海面から潜望鏡を覗かせたハインツ。
ディーゼルエンジン出力を上げて、海の彼方への逃亡を図る密輸船を追った。
船は、不規則に左右に揺れて航行している。
これは、恐らく、魚雷を恐れての行動なのだろう。
「バカめ。オレの魚雷は百発百中だぜ。そう簡単に避けられると思うなよ」
潜望鏡を覗き、標準を合わせるハインツ。
右手側にある4本のレバーは、魚雷発射をするためのレバーである。
波風ともに落ち着いたタイミングを見計らい、そのうちの一本のレバーを上げた。
「さあ、チェックメイトだ」
ハインツの潜水艇から、魚雷が発射された。
スクリューを勢いよく回して、海面付近を航行。密輸船の船尾に迫る。
しかし、ここで諦める密輸集団ではない。
「あ……?避けやがったか」
密輸船は、すばやく舵を切り、進行方向の右へと逸れた。
ハインツが発射した魚雷は、命中しなかった。残る魚雷はあと3発だが……魚雷というのは高価な兵器なので、なるべく無駄撃ちは避けたいところ。
「オレの魚雷を避けるとは……どんだけイイエンジンを積んでやがんだよ」
ハインツもすかさず、舵を右に切り、密輸船を追う。
同時に、無線通信機に向かって叫んだ。
「キャメロン、聞こえるか!?」
「ああ、聞こえているぞ。どうした、そんなに慌てて」
「野郎どもが航路を変えやがった。真北に向かっている。魚雷を一本外した」
「真北か。了解。すぐに向かう」
通信を終了。
ハインツは、操舵桿を握りしめて、密輸船を追う。
船は、風上に向かって進んでいる。つまり、こちらが有利。
密輸船の爆雷の投下に注意しつつ、ハインツは密輸船を追う。
「もうすぐ、お前と合流する」
キャメロンの声が無線通信機から響いた。
ついに、密輸船の進路上には、キャメロンの潜水艇【ネルソン】が現れる。作戦通り、密輸船を挟み撃ちにすることに成功した。
密輸船は、逃走を諦めたのか、ゆっくりと停止した。
「さあ、年貢の納め時ってやつだ。覚悟しやがれ」
ハインツは、自動航行モードに切り替えて、潜水艇をその場で待機させる。
そして、潜水艇の上部に設置されているライトを点滅させて、モールス信号を伝える。
「武器を捨てて降伏しろ。この後すぐに、ドイツ海警局も到着する。逃げ場はない」
左側にあるレバーを上下させて、ライトを点滅させる。
すると、密輸船の船員は、ハインツの潜水艇に向かって小銃を発砲した。
複数発射された銃弾のほとんどは、鉄の魔人たるハインツの潜水艇によって弾かれた。
しかし、ある一発がライトに命中。ライトは割れて粉々になってしまい、モールス信号によるメッセージの伝達が不可能となった。
「おい、ふざけんなよ……しっかり弁償してもらうからな」
銃声が止む。
ハインツは、潜望鏡を覗き込んで、密輸船の様子を伺う。
船員たちは、こんどは、船首方向に走って、キャメロンの潜水艇に向かって発砲しようとしている。
「伏せろ!!キャメロン!!」
ハインツが無線通信機に向かって叫ぶ。
それと同時に、キャメロンの潜水艇を無数の銃弾が襲った。
ハインツの聴音機は「カンっカンッ」という、銃弾が潜水艇の鋼鉄の表面で弾かれた音を拾う。
「……危ない」
キャメロンは、すぐにハッチから頭を引っ込めて、九死に一生を得た。
「おい、キャメロン、大丈夫だったか?」
「ああ。すぐに頭を引っ込めたから」
「油断するなよ。やつらは、爆雷も装備してやがる」
「ばくらい?なんだ、それ?」
「水中に投下して潜水艦を攻撃するための爆弾だ」
「ああ、わかった。こいつの真下は通らないほうが良いということだな」
「そういうこった!」
しかし、危機は終わらない。
「爆雷を放てぇぇぇ!!」
船の上の男が命ずる。
そして、船が航行を再開して、海中にて複数回、爆発が起こった。
「おい、大丈夫か、キャメロン!?」
無線通信越しに、安否確認を叫ぶハインツ。
すぐ後に、ノイズ交じりのキャメロンの声が聞こえてきた。
「ああ、だ……ぶだ。いった……離れ……すぐに……る」
通信は、途切れ途切れだった。
おそらく、電気系統にダメージを受けたのだろう。
しかし、彼女の無事は確認できた。
あとは、あの麻薬密輸船の野郎どもに、一矢報いてやるだけだ!!
「さあ、オレたち潜水艇乗りを怒らせるとどうなるか、思い知れ……!」
ハインツは潜望鏡を覗きながら、背を向ける麻薬密輸船に照準を合わせる。
しかし、時とともに強くなる風と、それに伴う高波に悪戦苦闘。
「クソ……照準が合わねぇ」
ヤケクソで、また一本の魚雷を発射する。
しかし、ハインツの魚雷は、密輸船の見事な旋回能力によって、回避されてしまう。
「速い……速すぎるだろうがよ!てめぇら、麻薬売買でどんだけ稼いで、どんだけ高価なエンジンを積んでやがるんだ!?」
密売人たちの船の航行速度は、ハインツの潜水艇と互角。
このままでは埒が開かないので、再び、キャメロンとの連携を試みる。
「キャメロン!聞こえるか!?オレがあいつらを追い込み漁にしてやるから、側面から回って魚雷をぶちこんでくれ!」
「や、……!」
「あ?なんだって!?」
ノイズがひどく、キャメロンが何を伝えようとしているのか分からない。
「もう一回言え!ノイズがかかって聞こえねぇんだよ!」
「や……た!!」
「やった?」
「やっ……た!!」
そのとき、海中に爆発音が響き渡った。爆雷の音ではない……それは、キャメロンが発射した魚雷が命中する音だった。
衝撃がハインツの潜水艇をも揺らし、大きな波飛沫も上がった。
「おお、やったのか!?」
潜望鏡を覗いて、密輸船の様子を伺うハインツ。
密輸船は、右舷方向に傾いていた。
「やるじゃねぇか」
キャメロンの魚雷の狙いに、ハインツは感心。
さらに、ドイツ海警局の船のうちの一隻が到着。
「こちらドイツ海警局。武器を捨てて投降しろ!」
海警局員の声がスピーカーで響き渡る。
キャメロンの魚雷を受けて密輸船は傾き、周囲の海域はハインツの潜水艇と、ドイツ海警局に囲まれている。
泣きっ面に蜂とは、まさにこのこと。
証拠隠滅のためか、男たちは、密輸船の甲板から海へ、大小様々な箱や包みを投げ捨てている。その中には、おそらく、大量の麻薬が詰め込まれている。
「おいおい、積みすぎだろ」
絶句するハインツ。
「もう言い逃れできない。私もハインツも、そして……海警局も、貴様らの愚行を見ているぞ」
キャメロンは、ハッチからこっそり顔を覗かせた。
彼女が見たのは、こちらに向かって急行する、赤と黒の海警察局の旗を掲げた、追加の2隻の船だった。
「海警局のお出ましだ。ハハハッ、万事休す、ってやつだ」
ハインツも、ドイツ海警局の到着を確認した。
ハインツとキャメロンの潜水艇、それから、三隻のドイツ海警局の船に囲まれて、ようやく、密輸船は降伏した。
密輸船の甲板では、両手をあげて、白旗を振っている男たちの姿があった。
任務の完了を、ハインツは無線通信で、中佐に伝えた。
「こちらポセイドンより、ノースシー・コントロール。中佐はいるか?」
「こちらノースシー・コントロール。わたしだ、ハインツ。どうだ、密輸船の捕縛任務のほうは?」
「白旗を振ってるやつらの姿が見えるぜ」
「おお、やってくれたか!?任務、ご苦労」
「海警局の拠点まで付いていく。せっかく捕まえたのに、逃がしたら元も子もないからな」
「そうしてもらえると助かる。【ネルソン】のキャメロン嬢は?」
「無事だが、通信にノイズが入ってて、まともに通信できねぇ状態だ」
「そうか。無事で何より。後に、感謝を伝えておいてくれ。オーバー」
中佐は、通信を終えた。
ハインツとキャメロン、それから、海警局により、北海の治安は守られた。