華麗なるエンティティ
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ニューヨーク・国連本部。各国代表団の席が埋まり、冷房の効いたホールに通訳音声が反響し、各国の代表団が放つ微かな香水と書類のインクの匂いが混じり合う。 国際情勢は揺れていたが、それでも総会は粛々と続いていた。議題は気候変動、難民、食料不足、そして戦争。
そのときだった。
壇上に突如として黒いシルクハットを被った男が現れた。
真紅の裏地を持つマント、真っ白な手袋、まるで古典的なマジシャン。
だが彼の現れ方はマジックというより、瞬間的な“存在の置換”とでも言うべきものだった。ただし、それに気づいた人は一人もいなかった。
数秒、議場のすべての動きが停止した。固まった表情の代表団、宙に浮いたままの手、開かれたままの口。まるで、時間が写真になったかのようだった。聞こえてくるのは冷房の音ただ一つだった。
「お集まりの皆様、どうもどうも。ちょっとだけ、お時間をいただければ幸いです」
男――いや、エンティティは軽やかに一礼し、無関係に議場の中心を歩く。警備は動かない。いや、動くことすら出来なかったのだ。
まるでそれが“そうあるべき”かのように、空気が縫い止められていた。
「まもなく、この世界に変化が訪れます。」
エンティティはそこで一度、言葉を区切った。議場のざわめきが、まるでその区切りを待っていたかのように、一瞬だけ大きくなる。だが、彼の視線が向けられると、再び沈黙が訪れた。
「正確には一年後。かつて亡くなった者たちの手により、各地に『ダンジョン』と呼ばれる異空間が出現するでしょう」
「それぞれは既に選ばれ、各々の死を経て、役割を与えられました。」
エンティティの声が、一瞬だけ、ホール全体を包み込むように響いた。その響きは、無機質でありながら、何かを納得させるような、抗いがたい力を持っていた。
「彼らの領域は、あなた方の物理法則とは異なる次元に属します」
通訳が混乱する。議場の一部で失笑が漏れ始める。
「……何の冗談だ?」
「新手の抗議団体か?」
そんな声を無視しながらエンティティは続ける。
「彼らは既に“神”としての資格を与えられました。」
エンティティは、その場でゆっくりと旋回した。
そのマントが翻るたびに、真紅の裏地が閃き、議場全体の視線を集める。彼のフードの奥からは何も見えないが、その一挙手一投足に、確信めいた自信が漲っているのが感じられた。
「あなた方がどう扱おうと、それは止まりません。準備するも自由、信じぬも自由。もっとも、笑い話として流す国が多いかもしれませんが……」
そこでエンティティはふっと、嘲るような、あるいは憐れむような微笑を浮かべた。 「あなた方は今、この世で最も重要な情報を得ました。」
エンティティは一歩、壇上の中央へと踏み出した。その声には、微かな挑発の色が宿っていた。
「ですが……ま、愚かなのは、いつだって“最初に知った者”たちですから」
そう言い残すと、彼はマントを翻しながらお辞儀するとマントと一緒に地面に溶けたかのように消えた。
まるで初めから居なかったように。
議場は騒然となった。ようやく動けるようになった警備の責任者が無線で何かを叫び、通訳機器が一斉に“誤作動”として警告を発する。
数時間後には世界中の首脳に「同様の現象」が報告されることとなるが、それでもなお――
誰も本気にしなかった。
“マジシャンの幻覚”、“大規模なディープフェイク”、“統合失調者の乱入”、“新興宗教の布教演出”。
理由はいくらでもつけられたし、信じる理由は一つもなかった。
ただ一つ、全ての現場に共通していたのは、「記録に映らない」という事実だった。
監視カメラの映像には空白の数分間が記録され、マイクに残されたのはただのノイズだけだった。データ改ざんを疑う技術者たちが血相を変えていたが、原因は誰にも突き止められなかった。
唯一覚えていたのは、その場に居合わせた“人間の記憶”だけだった。
だが、それもまた不安定で、徐々に“冗談”に変わっていく。
一ヶ月も経たないうちに、各国は政治課題と国内事情に忙殺されていった。
外交問題、政権支持率、経済危機、気候変動、疫病――現実の重圧が、非現実の記憶を塗りつぶしていった。
SNSや動画配信サイトでは、一部の陰謀論者や一部のオカルト系YouTuber、終末予言愛好者、エイリアン信者、次元論者、匿名掲示板の自称元研究員たちが騒ぎ立てた。
「UFOと関係がある!」「新たな神が来た!」「選ばれる準備をしろ!」
怪しい解釈動画や替え歌、コラ画像、架空設定語りが乱立し、SNSでの笑い話の種となっていった。
一部では都市伝説的な人気を博したが、大衆は――そして政治も――真剣には受け取らなかった。
そして、半年後。
その情報は各国の政府機関でも“棚上げ”状態となり、最終的には議事録の中に埋もれていった。
「何かあったな、そんな話も」
「AIのハッキング説が濃厚だったはず」
「議題から外してくれ、選挙が近いんだ」
首脳たちは思い出そうともしなかった。
“変化”の1年前、世界は何も変わらなかった。
――ように、見えた。
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次の展開もいろいろ考えてるので、よかったら引き続きお付き合いください。
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