08:未熟
電話口の彼女は、いつもの落ち着いた口調の中に、焦りと不安を織り交ぜていた。
娘と連絡がつかない。いくらかけ直しても、すぐに通話が途切れるというのである。
ひとまず彼女を落ち着かせ、番号が間違ってないか、メッセージアプリでは返信はあるかなど、一つひとつ確認させていく。
だが、どれも何も返ってくる反応がないと、声は焦りを感じさせるものになっていった。確認作業が、かえって彼女から冷静さを奪っていく。
自分の方からも探してみると伝え、一旦通話を切った。
窓の外を見る。商店街の明かりも静かなものになり、夜の黒い色が空を支配していた。
帰り支度をゆっくりと片付け、席を立つ。職場に残っているのは自分だけ。戸締まりを忘れずしっかりしないと。
電気を落とし、鍵を閉め、裏の駐車場までのんびりと歩いた。
夜風が涼しく心地良い。お気に入りの流行歌を口ずさんでみる。軽い足取りが、コンクリートの地面に足音を残していく。
「ごきげんですね、先生」
じゃり……と、コンクリートらしからぬ、砂利同士がこすれ合う音が足元で鳴った。
「……?」
駐車場スペースの奥に、小柄な人影が立っていた。
「こんな遅い時間に……誰だい?」
申し訳程度に設置されている街灯の光をくぐるようにして、一人の少女が現れた。細い体躯に見合わぬ、羽織るように着たミリタリーコートの裾がふわりと膨らむ。
「こんばんは、木神先生」
「こんばんは。もうとっくに下校時間は過ぎてるよ……『オカルト研』の柊さん」
にこやかな顔で言う木神に、柊切子は苦笑した。
「先生は残業でしたか?」
「そんなところだよ。僕も帰るところだから君も……」
ぽつん、と木神の足元に黒いものが落ちた。
「まさか『帰らず小道』を、そのまま目隠し代わりに使うとは思いませんでした。彼女を……かえでちゃんを誘導したのは、木神先生ですね」
木神の足元に落ちた、黒い和紙の折り鶴が、ゆらゆらと煙を吐き出した。次の瞬間、折り鶴はまばゆい白の炎に包まれ、数秒で消し炭へと変わった。
「……。そうだよ。彼女と『縁切り地蔵』は引かれ合っていた。かえでちゃんの強い思念が呼び寄せていたからね」
クスリ、と笑いながら、革靴の底で、灰となった折り鶴を踏みつけた。
「何故、かえでちゃんをそのままに?」
「僕にできる努力はしたさ。最低でも、説明責任は果たしたつもりだ」
「そんなものを持たせておいて? あの小道の……序列六位の管理責任者は、あなたでしょう」
「そんな怖い顔をしないでくれよ。低い序列のものとはいえ、仮にも『独立執行印』の一つだ。……イレギュラーまで管理はしきれないことも、ある」
木神は胸のポケットから取り出した黒い和紙を、片手だけで折り鶴へと変えた。
「それともまさか『縁切り地蔵』まで管理しろと? 序列上位の『独立執行印』だよ? 災害そのもの……いや、天災そのものだ。とても僕の……人間の枠を超えた話だろう」
「……」
「それに、君はかえでちゃんに「塩」を与えていたんだろ? なら、大丈夫じゃあないかな」
黒い折り鶴が、微笑みを浮かべる木神の手のひらで、ゆっくりと羽ばたき始めた。それはまるで糸に釣られるかのように上昇すると、夜空の色にまじり、消えていく。
「はい、この通り『帰らず小道』の鍵は閉めたよ。まあ、うっかり「開閉の鍵」を持たせてしまったことは認めるよ。お守りのつもりだったんだけど、ついうっかり、ね」
木神はトントン、と革靴のつま先で地面を叩いた。そこに、砂利のような音を立てるものはなかった。
「じゃあ僕はこれで。今から人と会うことになるから、早く行かないと。……安心させてあげないと、ね」
そういうと木神は自分の車に乗り込むと、緩やかに発進し、低いエンジン音を夜の町につれて行った。
□□□
人を呪わば穴二つ。
どこかで聞いたかもしれないその言葉の意味を、ぼんやりとする頭の中で考えようとしていた。
「呪いっていうものはね、必ず自分にはね返ってくるものなんだ」
深夜、『オカルト研』の部室で目が覚めたかえでは、ひとまず口に含んだ昆布茶で落ち着いた。温かい昆布茶の塩っけが、全身に染み渡るようで心地よかった。
「かえでちゃんは図らずとも、自ら呪いをかけようとしていたんだよ」
「私が……そんなことを……」
ちゃぶ台を挟んで座る柊切子から、自分自身におきた出来事を教えてもらい、肩を震えさせた。
その頃には、外の景色は白くなり始めていた。時刻は午前四時になろうとしていた。
「きっかけは間違いなく『独立執行印』の序列四位から……昨日説明した通り、名前を聞くだけで強烈な影響を与えるものなんだ、あれは」
切子も湯呑みをすすりながら言う。
「それも、誰かを強く恨んでいた時に影響を受ければ……それは立派な呪詛となり、たとえ何も知らない一般人でも、呪いをかけることができる」
「恨み……」
かえでは湯呑みを握りしめ、強く奥歯を噛みしめた。
「君の恨みが地蔵の念を呼び寄せ、呪うことを成立させ、反動で呪われた……君の身に起こった出来事を簡単にすると、そんなところだ」
かえでは唇を固く閉じたまま、湯呑みを……そこに映る自分を見ていた。
「柊さんも……この土地の生まれなんですか」
ぼそりと言うかえでに、柊切子は「うん」と短く返した。
「それより、お母さんからは?」
「……」
かえではスマートフォンを取り出し、画面を柊切子に見せた。画面に表示されたメッセージアプリのやり取りを見ると、切子はもう一度小さく頷く。スマートフォンを鞄にしまい込んだかえでは、もう一口昆布茶をすすると、顔を上げて言った。
「……私、転校しようと思っています」
「そっか……」
「もっと、就職に有利な学校に。今からじゃ厳しいかもですが……勉強なら、得意ですから」
「……。頑張って」
少しさびしそうな笑みで、柊切子はうなずいた。
後日知ることになるが、母静子は再婚相手をこっぴどく振ったらしい。あまりにも冷静すぎて、自身のトラブルが他人事のように聞こえたとか。珍しく人間味のある母の行動にかえでは面食らったが、その理由と真意を聞いて、泣き笑いのような顔を浮かべた。