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07:結末

 赤い。赤い。薄暗く、赤い。

 足が、妙に重かった。廊下を歩いていても、校庭を通り過ぎても、校門をくぐっても、まるで地面の中に引っ張られるかのような、強い力がまとわりついている。

(……何が、呪いだ)

 呪いというものが本当に存在するなら、この胸に溜まった鬱憤は、どう晴れるというのか。胸だけではない。肺に積もり、胃の中に張り付き、体を重くしている。

(苦しむべきなのは……)

 眉間に強くシワが寄っているのが、自分でもわかった。ギリギリと奥歯を噛む音が振動となり、耳元で羽虫が飛んでいるかのような不快感を発生させる。

(ああ、鬱陶しい、気持ち悪い、憎い……憎たらしい)

 視界に入る空は、じわじわと赤く染まっていた。まるで真紅のインクをぶちまけたかのような、目を焼くような赤色だった。

(家族、家族。……都合の良い言葉だ、どいつもこいつも……都合の良い時だけ、家族家族と)

 息を吐く。ため息のつもりだったが、胸焼けのようなものを抱えた肺から出たものは、火の粉のように熱く、喉を焼くものだった。

 じゃり……と、靴底が固い音を立てた。

「……?」

 自分が踏んだもの……砂利道の小石にふと違和感を覚え、かえでは顔を上げた。

「あれ、駅は……」

 確か、自分はいつも通りの通学路を通って、駅まで歩いていたはずだ。駅と学校はあまり離れてはいない。

「どこ、だろう……ここ」

 見慣れない景色に、まだぼう、とする頭をもたげ、見回す。

 周囲は背の高い防風林に囲まれている。空は薄暗い。砂利道は、前にも後ろにも続いており、そこに街灯の類いは立っていなかった。砂利道の奥は、夜の気配をにじませ、視界を遮っていた。

「こんな小道……駅の側にあったかな」

 駅周辺は地元商店街で挟まれる形になっており、道に迷っても角を曲がっていれば、どこかしらの店先にたどり着く。

 ここもどこかの路地だろうか。だが、見通せる限り、曲がれるような角はなく、砂利道は薄い影の中へと続いている。

 おかしい。自分は普通に歩いていただけだ。もう慣れた通学路、二年も通い続けた道を歩いていた。はずなのに。

「あ、あれ……」

 その間の記憶が、曖昧なことに気がつく。生徒指導室を出て、廊下を歩き、校庭を出て、校門をくぐって……それで?

 不意に吹いた冷たい風が、かえでの首筋をなでた。とっさに振り返るも、そこは歩いてきたはずの通学路ではなく、先の見えない砂利道だった。

 冷えていく。体温が、血の気が、いつの間にか握りしめていた手から、熱が抜けていく。

 戻ろう。きっと知らない道に入り込んだんだ。先が多少薄暗くても、来た道をまっすぐに戻れば……。

 左右を見渡した。歩き出そうとした時、肩越しに振り返る。

 前にも後ろにも、一見しただけでは区別のつかない砂利道が伸びていた。

「どっち、だっけ……」

 自分が歩いてきた方角がわからなくなるなど、間の抜けた話だと苦笑でも浮かべようとした。だが、自分の靴音だけしか響かない砂利道の上で、体は完全にこわばり、麻痺しかけていた。

 心から、余裕がなくなっていく。考えを巡らそうとすればするほど、思考は空回りを繰り返した。

 ここはどこだ、私は何をしていた。離れないと。ここから離れないと。

 じっとりとした汗が額に浮かんだ。呼吸が、浅くなる。

 まずい。まずいまずいまずい。危険だ、ここは危険だ。長くいてはだめだ。

 心臓の鼓動がじわじわと速くなり始め、頭の中では鐘を叩いたような音が響き、顔をしかめる頭痛を引き起こしていた。

 思わず目を閉じる。真っ暗に鳴るはずの視界の中に、赤い色がぼんやりと染み込み、広がり始めた。

 じゃり……。

 遠くから、砂利道を踏みしめる音が聞こえた。前か、後ろか、目を閉じたままでは分からない。

 じゃり、じゃり、じゃり。

 ゆっくりと、その音が近づいてくる。足音だ、とわかった。「何か」が、砂利道を歩いて……こちらに近づいている。

 小石同士がこすれ合い、転がる音が妙に甲高く響いた。

(なに……なに?)

 逃げないと。

 音は前から聞こえてくる。かえでは固く閉じた目を、うっすらとあけた。

 じゃり。

 薄暗い小道に、何かがいる。高い防風林から伸びる影が、その影より更に濃い影を包み込み、ずんぐりとした、樽のようなものを包んでいる。

 人影、には見えなかった。人影というには……いや、人の形というには、ずいぶんと小さく、アンバランスだ。

 腕は長く、足が短い。張り付いていた影が剥がれ落ち、砂利道を踏む足音がすぐ目の前で鳴った。

 そこには、首のない古びた地蔵が立っていた。

「……!」

 息を呑むことさえ許されない、圧倒的な恐怖心に、かえでの体は凍てついて動けなくなる。

 その首なし地蔵は、手に剪定バサミのようなものを下げている。丸い石の手と一体化したハサミが、ギチギチと錆びた音を引き裂くよう、ゆっくりと開かれた。

 現れた刃には、赤黒いサビが張り付いている。それを見ただけで、鼻腔に生臭く、胃をえぐるような強い腐臭が入り込んできた。

 まるで生きた臓腑を切り分けたような、そんな悪臭。

(……どうして)

 どうして、こうなった。なんで、こうなった。

 流れ出た涙はもちろん恐怖心によるものであったが。震える足は体を支える力を失い、かえでは膝から砂利道へと崩れ落ちた。

(私は……)

 誰もいないリビングを思い出す。

 そういえば。母が置いて出たメモ用紙には、何が書かれていたのだろう。メモなんて……何かを伝えようとするなんて、今まで一度もなかったというのに。

 腐臭が頬のすぐそばで膨らんだ。ゆっくりと、地蔵の手が上がり、開いたハサミがかえでの首元の高さまで持ち上がっていく。

(私は……そうか、そうだよ)

 何故恨んだ。何故憎んだ。

(私……ずっと寂しかったよ、お母さん……)

 ボロボロと涙がこぼれていく。恐怖からくるものだけでなく、身を切るような、後悔の念であった。

 ふと、意識がかすれ始めた。視界が暗くなっていく。

「そこまでにしてあげてほしいな、お地蔵様」

 現実から遠のきかける意識が、そんな、凛とした少女の声をかすかに拾っていた。爽やかで、まっすぐな風が吹く。

「私からお願いする。彼女を見逃してやってほしい」

 腐臭が薄れていく。体を縛る圧力が徐々に弱まり、かえでの意識は春風のようなものに包まれ、途切れた。

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