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06:呪詛

「ひとまず、山本さんは落ち着いたよ。過度の緊張状態による過呼吸……と、いうことなんだけど」

 狭い間取りの生徒指導室で、木神は「はぁ……」と疲労が見て取れるため息を落とした。昼休みの終わりを告げるチャイムがなり、木神は「お弁当は後で食べよう」と一人つぶやき、小さな椅子に座るかえでを見やった。

「一時間目の授業をサボって、実習棟の廊下で何をしていたんだい、かえでちゃん……」

「小林先生は」

「無理を言って僕に任せてもらったよ。君の場合なら、僕が適任だ」

 規則や校則に厳しいことで有名な、教育指導教員は来ないらしい。それに内心で舌打ちする。そちらのほうが、まだのらりくらりとやり過ごせただろう。

 かえでの向かい側に座った木神は、厳しい目で、うつむいたままのかえでを見据える。

「一応、僕にも説明を」

 かえでは前髪の間からちらりと木神を見ると、淡白な口調で言った。

「日直の仕事を手伝ってもらっていました。その途中で山本さんの気分が悪くなって、しばらく廊下で休むことにして……」

「何があって、気分が悪くなったのかな」

 木神はかえでの言葉を、遮るように言ってきた。木神の視線はまっすぐで、かえでを捉えたまま微動だにしない。その視線に一瞬たじろぐものの、かえではすぐさま、揺れかけた心を固くする。

「……さあ。体調がもともとすぐれなかったのか、詳しくは……私も急なことで動揺していましたし」

 適当なところで言葉を区切る。だがそれに、木神はすぐに言葉を返さず沈黙を作った。

 授業中の校舎内にあふれる静けさが、沈黙を更に冷たく固いものへと変えていく。

「……その割には、ずいぶん冷静で的確な判断だったと思うけど。とっさに救急車を呼ぶことは、なかなかできることじゃないよ」

 ……鬱陶しい。かえでは無意識に奥歯を強く噛んでいた。足止めを食らった苛立ちと、思うように行かなかった、若干の焦りで。

(救急車を呼んだのは失敗だったかも……けど、あのままだとどうなっていたか……)

 騒ぎが大きくなってしまったのは、手痛いミスだった。今は目立ちたくなかったというのに。

(特に、この男には……)

 机の下、膝の上で手を強く握る。爪が手のひらに食い込み、痛みを覚えた。だが、そうでもしないと顔に気持ちが出そうになるほど、苛立ちと焦りが強くなっていた。

「どうも昨日から、様子がおかしいね」

「そうでしょうか……」

 かえでは平静を保ちながら、関心なさそうに返す。

「うん、おかしい。そう思って、午前中君のクラスメイト数人にヒヤリングを行ったよ」

 そこで再び、木神はため息をついた。

「……事の発端は昼休み、だね」

「……」

 かえでは短い沈黙のあと、視線を木神へ向け、かすかな笑みを作った。

「子ども同士の戯言を、真に受けたるんですか」

 けん制、のつもりだった。それに、木神は苦い顔を作ったあと、手のひらで前髪を大きくかきあげつぶやく。

「やっぱり、か……まいったな、なんてこった」

「……?」

 前髪を散らした木神は、より深いため息を落とした。その顔には、強い危機感からくる影が色濃く落ちていた。

「君は都会生まれだから知らないのも、無理はない……」

 木神がそういうと、狭い指導室を埋める本棚から、古いファイルを一つ取り出した。

「僕も、この町……いや、村で育ったんだ。だから、知っている。わかることがある」

 ファイルを開いて、木神はかえでの前にそっと置く。そこには更に古い新聞記事の切り抜きが保存されていた。

「君は……山本さんに『おまじない』のことを聞いたね?」

 質問の口調であったが、答えはわかっている上で聞く声色だった。かえではそれに、思わず押し黙ってしまった。

「その『おまじない』には正式名称がある……『独立(どくりつ)執行(しっこう)(いん)』という、ずいぶんとご大層な呼び名さ」

「どくりつ……しっこう?」

 正式名称? どういうことだ? と、かえでは思わず困惑した声を漏らしてしまった。

「この村の……『土萩村』の歴史は知っているね。簡単な流れだけでも」

 山本がおかしくなる前に、前置きとして話していたことだろう。ここは仕方なく、変に含みをもたせることもなく、かえでは素直に頷いた。

「貧しい村だったんだ。やせ細った土地に、飢饉に風土病と、ろくなことがない歴史だ。そんな時……人間は追い詰められた時、どうすると思う」

「……『おまじない』……つまりは信仰の類い、ですか」

 戸惑いながらも探りながら言うかえでに、木神はこくりと頷いた。

「困ったときの神頼み。昔なら特にね。雨乞いや祈祷なんかも行い、天に祈った」

 かえでは唖然としてしまう。雨乞い? 祈祷? そんな現実味のないもので、この村は救われたというのか……?

「……だけど、祈っただけじゃないんだ。話は、ここからだよ」

 木神は開いたファイルの新聞記事に人差し指をおいた。そこには、何やら祭壇のようなものの写真が掲載されている。もちろんモノクロの写真だ。

「人間はね、悪いことが起こると、つい「悪いもの」があるからって、考えてしまうんだ。原因を、排除しようとする。……未知ゆえの恐怖からね」

 祭壇らしきものの写真に目を凝らしてみる。そこにはかろうじて読める文字で、『慰霊』という文字が掘られているのが見て取れた。

「この祭壇は、慰霊碑……?」

「うん……この村から「縁を切られた者たち」のね」

 苦虫を噛み潰したような顔で言う木神を見上げ、かえではぞくり、と背筋が凍る思考にたどり着いた。

 鬼。山本彰が言っていた言葉を思い出す。村に子供として結びついている……その縁を、切る。

「つまりは……スケープゴートさ。厄災を呼ぶ存在として、力ない子供たちが邪鬼とされ、生贄にされたんだ」

 想像……いや、連想してしまった出来事は、ほぼ当たっていた。

「子供が的にされたのは、多分抵抗されても抑え込むことができるから、だろうね。それに、口減らしとしての意味もあったんだろう」

 慰霊碑には、年老いた大人たちがずらりと並び、ろうそくのように頭を下げていた。誰もが手を強く組み、固く目を閉じ、必死に祈りを捧げている。まるで、許しを請うかのように。

「こんな非人道的なものが、この村では7つ行われたと記録されている。祈るだけじゃない出来事がね……。それが『独立執行印』と呼ばれる、災い封じの正体だよ」

「……」

 固唾をのんだ。苦い。あまりに苦く、口の中の水分をすべて吸い取るかのような乾きが、唾液とともに空っぽの胃へと落ちていった。

「な、何で先生は……そんなに詳しいんですか」

 かろうじて出た声は、ひどくかすれていた。

「語り継がれているからだよ。老人たちから大人たちへ、と。今も戒めとして、昔話なんかに形を変えて残る話もある。それにこの記事のように、公式な記録に残っているものも少ないけど、存在している。この村で育った人間なら、誰でも知っているさ」

 険しい顔で言う木神の言葉で、ようやくあの昼休みに張り詰めた沈黙の意味がわかった。この学校の生徒は、ほとんどが地元出身……この町の、いや……「土萩村」の生まれなのだ。

「僕が歴史の教師になったのはね……この村でおきた出来事を、少しでも風化させたくないからなんだ。こんな蛮行が許されたことを、許してはいけない、とね」

 そうつぶやくように言って、木神はそっとファイルを閉じた。

「かえでちゃんが聞いた『縁切り地蔵』というのも、その一つ。罪のない子供たちに罪ありと祭り上げ、手を下した執行人がいたという逸話……地蔵のせいにでもしなければ、やってられなかったんだろうね。何にせよ、罪を直視できなかったゆえのオブラートだよ」

 そういう木神の横顔は、憂いと疲れによって暗い影を張り付かせている。ため息……嘆息を一つこぼし、ファイルを棚に戻した。ファイルには「持ち出し禁止」とかすれた文字が書き殴られてあった。

「古い町だ、何を掘り起こすか分からない……かえでちゃん、今日はもう早退して……」

 言いながら席についた木神は、かえでの目を覗き込むように顔を近づけた。

「な、なんですか!」

 お互いの前髪がふれあいそうな距離に強い拒絶感を持ち、かえでは思わず木神を両手で突き飛ばした。押し返された木神は「ち、違う! 変な意味じゃない!」と早口に言い、わざとらしい咳払いとともに座り直した。

「かえでちゃん……まさか、『■■■■■』には、行ってないよね」

 耳鳴り。それも、鼓膜に直接甲高い音がぶつかり、顔をしかめた。まるでガラス窓を引っ掻いたような不快感と気持ち悪さ。そのためか、腕は一瞬にして鳥肌になってしまった。

「え……な、なんですか? どこって……」

「……」

 突然唸った耳鳴りで、木神の言葉を聞き逃してしまった。だが再度尋ねるも、木神は応えず、ただ腕を組み、しばらくかえでをじっと見据えていた。

「……。僕は本職ってわけじゃないんだけど……いわゆる「勘」が働く方なんだ」

 木神は自分のスーツの胸ポケットから、黒い和紙を取り出した。まるで墨汁でも染み込ませたかのような、重たそうな紙を、素早い動きで織り込んでいく。

 やがて出来上がったのは、小さな折り鶴だった。

「これを持っていて」

「え……」

 出された黒い折り鶴を、反射的に受け取ってしまう。手のひらにちょこんと乗った折り鶴は、何の変哲もない折り紙であった。重そうな印象とは裏腹に、軽い。

「気休めかもしれないけど……お守りのようなものだよ。でも今度の休みにでも一度、お祓いに行こう。腕利きを知っているから」

「お祓いって、そんな大げさな……」

 かえでは乾いた笑みを浮かべるが、木神は変わらず苦い顔のままだった。

「……ずいぶんと、君の体に『食い込んでいる』んだよ」


 それにしては、ずいぶん……『食い込んでた』けどね……


 同じようなことを、あの柊切子という『オカルト研』の三年生も言っていた。思わず自分の体を見直すが、なんの変化も見られない。

「あの、どういう意味でしょうか……食い込むだの、なんだの」

 表現がいまいち曖昧で、ぼかされたような言い方に、むず痒いものを感じた。

「答える前に聞きたいんだけど……かえでちゃんは、最近心霊スポットとかに行ったとか、降霊術で遊んだ、とかはない?」

 またオカルト絡みの単語が出てきた。今まで一切縁のなかったジャンルが、昨日今日で目まぐるしく迫って来ている。かえではそれに恐怖を覚える前にうんざりとした疲れを覚えた。

「行ってませんし、その……こうれいじゅつって……コックリさん、みたいなやつですか? ありません、そんなこと。全く馬鹿らしい」

 またしても、柊切子と同じような確認であった。それになんの意味があるというのだ。だが、こちらを見る木神は真剣そのものだった。

「簡単に言うよ。今の君は『呪い』を受けている……『呪われている』んだ」

「……。のろ……われて、いる?」

 沈黙し、その後改めて言葉にしてみても、首を傾げてしまうだけに終わった。

「実感はないかもしれないが、見る者が見れば、分かる規模になっている」

 何を、言っているんだろう、この人は。

 呪われている? 私が。私が? 何故、私が呪われるというのか。

 呪いなら。呪っているのは、私の方だと言うのに。

 呪うほどに、あなた達が、憎いというのに。

 それに比べれば。『縁切り地蔵』? 言葉に宿る力? 血なまぐさい因習? どれもこれも「カス」みたいなものではないか。

「心当たりはない?」

 身を乗り出して言う木神の顔を、かえではどこか他人事のように眺めていた。確かに整ったルックスで、いわゆる「イケメン」である。加えて仕事熱心な情熱家。それなら、母を口説けても不思議ではない。

(ああ、気持ち悪い)

 冷めてきた。この土地に何がどうあろうと、関係ない。それよりも、ただただ気持ち悪い。あなた達が気持ち悪い。

「……帰ります」

「え」

 ぼそりとつぶやいたかえでに、木神は間の抜けた声を出した。

「早退します。気分が悪いから」

「そ、そうか、うん、その方がいい。まずは休んで、心を落ち着けてから……」

 面食らっている木神を横切って、かえでは生徒指導室から出ようとした。

「一つ。聞いていいですか」

 半開きになったドアに手をかけたまま、かえでは肩越しに振り返った。

「私、誰から呪われてるんですか」

 夕暮れには早すぎるというのに、狭い窓から見える空は、ずいぶんと赤かった。

「か……かえで、ちゃん?」

「呪われてるんですよね。まさか、お地蔵様にですか? 『縁切り地蔵』を話題にしすぎたから?」

 ため息を一つ落とす。

「地蔵なんて古い石なら……今にも、苛立ちで噛み砕いてしまいそうです」

 失礼します、と慇懃無礼な挨拶をして、かえでは生徒指導室を出た。

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