03:着火
校舎を出たかえでを、冷たい風が出迎えた。思わず首を縮め、ため息を落とす。
放課後の学校は、部活動を行う生徒たちの活気で賑わっている。
グラウンドを走る陸上部の掛け声や、吹奏楽部の奏でる音楽などが降り混ざり、それを視界の端で見ていたかえでは温度差を感じてしまう。校庭の端を歩きながら、校門を出て帰路につこうとうしていた。
鞄の中に入れっぱなしだったスマートフォンを取り出す。画面にはメッセージアプリの通知があった。親指でタップし、ロックを解除する。
そのメッセージの宛先人を見た瞬間、かえでは苦いものを噛んだかのように、顔をしかめた。
メッセージは20分ほど前……かえでがオカルト研にいた頃に届いたものだった。マナーモードにしていたため、着信に気づかなかったのだろう。
スマートフォンに目を落としながら、かえでは校門をくぐり、少し離れた路地前まで歩いた。
「生徒にこういうの、問題じゃあないんですか……木神先生」
路地は、この先に続く地元商店街に続いている。その道のそば、一人の青年が困り顔で立っていた。
「そこは大目に見てほしいな、「かえで」ちゃん」
「……先生に名前で呼ばれる覚えはありません」
「アッ……ごめん。無神経だった」
眉間のシワを深くしたかえでに、青年はハッとなり、素直に頭を下げた。
「ただ静子さん……、お母さんも心配してるよ」
憂いを帯びた目は、真剣にこちらを案じているように見える。それだけに、かえでの苛立ちは更に強くなった。
「お母さんの差し金ですか。ご機嫌取ってこいって? 娘の学校の教師に?」
「……い、いや……」
「私は。お母さんが誰とお付き合いしようが、別に関係ありませんし何も思いません。それが娘の学校に務める、若い教師でも」
淡々と言うかえでの言葉に、青年は「まいったな……」と眉を八の字に下げていた。
「……君には叶わないな、「小森」さん。でも、静子さんも僕も、心配していることは本当なんだ。それに今日、具合が悪そうにしてたって担任の先生にも聞いたし」
「それならもう、別に……」
かすかに、何か……塩が焦げるような臭いが鼻をついた気がした。
「ど、どうしたの小森さん」
慌てて駆け寄る青年を手でせいしようとするも、
「なんでもありませ……」
言いかけて、思わずその手で口をふさぐ。得体のしれない気持ち悪さがまた、腹部にたまり始めた。
「顔色が悪いよ……保健室に行こう、すぐ学校へ戻ればまだ先生が……」
「……少し休めば平気ですから」
頑なな態度に、青年はしばし考えてから、こくりと頷いた。
「じゃあこうしよう」と、青年の出した提案は、商店街にあるファミリーレストランで一息つく、というものだった。
歩いて数分と近いもので、気分の悪さに気力が削がれたかえでは、仕方なくその提案に頷いた。
柑橘系のドリンクを数口含むと、腹部に張り付いた気持ち悪さは、多少マシになった気がした。
「どう? 気分は」
青年の気遣う声に、かえではただ頷いて返すだけだった。
「心配だったのは本当なんだ。静子さんだけじゃなく、僕個人もね……教師としても、そして一人の大人としても」
青年、木神玲斗は話す傍ら、紙ナプキンを器用に折りたたみ、折り鶴を作ってみせた。場を和ませる工夫なのだろうが、かえでは白けた目で折り鶴をぼうと眺めているだけだった。
「進路表……まだ出してないんだって?」
「歴史の教師が、生活指導のマネごとですか」
顔を伏せたまま言うかえでに、木神は一瞬怯んだものの、ネクタイを締め直して「そうもするよ」と少し強い口調で返した。
「君の成績なら、一流の大学にも行ける。その先の就職もそれで決まってくる。それでもこのまま、くすぶったままでいるつもりかい?」
まっすぐに刺さる視線を感じながら、かえでは顔を上げて、小さく息を吐いた。
「担任でもない木神先生に関係ありません」
「……教師としてだめなら、さっき言った一人の大人として話させてもらうよ」
木神はそういうと、直したネクタイを少し緩め、前髪を手ぐしでかきあげる。それだけで、大人げに見えていた青年は、わずかにワイルドさを感じさせる「男」へと切り替わった。
「いずれ、静子さんから聞くと思うけど……。僕は……静子さんに、婚約を申し込んだ」
物静かな声は、周囲のテーブルから湧く談笑に消されることも、押されることもなく、真正面からかえでに届いた。
「返事はまだもらえてない。だけど、僕は本気だ」
「……それが、私に関係あるんですか」
木神の視線から目をそらそうとした。しかし、なぜだか体が動かない。首から上が石にでもなったかのように、固まっている。
「君には……家族が必要なんだよ」
腹部に貯まる気持ち悪さとは別に、胸の中から染み出すかのような不快感が体内に広がり、かえでは奥歯を強く噛み締めた。
「君の生い立ちは聞いている。それに学校じゃ孤立しがちだって、僕じゃなく教師なら誰でも見て取れる。君は、このままじゃだめになるぞ」
「……」
「静子さんも協力してくれる。もちろん僕も、君の『父親』として家族一つになってやりなおし……」
「勝手なこと言わないで!」
腹の底から出た言葉は、木神の声も周囲の活気も吹き飛ばした。
「散々ほったらかしにしといて! 今更家族なんて言葉を、あなた達大人の正当化に使わないで!」
そう叫んだ……いや、わめき散らしたあとの記憶は、かえでの中で明確に残っていなかった。
気がつけば部屋の電気もつけず、ベッドの上でうずくまっていた。いつどうやって家に帰ったのかもわからない。
時刻は午後八時を回った頃。痛む頭をもたげ、上体を起こした時、珍しく母が帰宅した。そして、「再婚」というワードを母からも聞くのであった。