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01:『縁切り地蔵』

「再婚」と言った母の言葉に、わずかだがかえでの箸が止まる。

「今すぐってわけじゃないの。そういう提案も出た、というだけ」

 かえではいつも通り、淡々という母を見やる。

 コンビニで揃えた惣菜を挟んだ向かい側の席、母の静子は涼しい顔で缶ビールから唇を離す。かすかに赤い色が残った呑み口に、かえでは眉間のしわを深くした。

「話しって、それ?」

 箸を置く手に、思わぬほどの力が入った。まるで、癇癪を起こして叩きつけたような、苛立ちそのものを表す動作となってしまう。

 かえでの乱暴なその挙動に、いつも平静でいる母が、わずかな戸惑いを表情に浮かべた。

「別にすればいいじゃない。私の意見なんて必要ないでしょ? お母さんの問題なんだから」

 一瞬の沈黙。その間、母の口元が開きかけた。だが、かえでが感情のまま、言葉を畳み掛ける方が早かった。

「今更「家族だから」なんて言わないでよね。散々放ったらかしにしておいて、自分の点数を稼ぎたいから「相談」? しおらしく食事まで買って来て、十七歳にもなった娘にご機嫌伺い? ほんと、自分本位よね」

 踵を返すと、かえではリビングを出る。後ろから自分を呼ぶ母の声が飛んできたが、返事もすることなく自室へと戻りドアを閉める。

 かえでは後ろ手で鍵をかけ、膝を抱えるようにしゃがみこんだ。電気の消えた暗い部屋は、表通りに立つ信号機の色を呼び込み、赤く染まっていた。

「……はぁ……」

 赤から薄い緑に部屋が支配される。その光の加減で、部屋の隅に立てかけた姿見の鏡に映る自分が浮かび上がった。

「……そんな顔してたの、私……」

 鏡に映った自分の人相を見て、苦笑する。

「悪魔みたい」

 緑の光が点滅し、再び部屋は赤い色で深く塗りつぶされた。

「いや……悪魔か」

 赤い部屋で、鏡に映る昏い目を見ながらつぶやいた。

「……『縁切り地蔵』……だったね」

 悪魔が、笑った。


□□□



 かえでが物心ついた頃には父はおらず、それを疑問に思うことはなかった。写真の一つでもあれば、好奇心ぐらいは湧いたかもしれないが。

 母は、優秀な人材だった。若くして仕事に成功し、そのポテンシャルを遺憾なく発揮、小さかった民間事業を一流企業にまで育て上げた。

人生の成功と言えるだろう。母、小森静子は、成し遂げた。家庭を犠牲にすることで。

新しいランドセルより先に、コンビニの食事に慣れた。誰もいない夜を、勉強することで紛らわしていき、国立の中学受験テストをただの試験に変えた。

その中学卒業式のことは覚えていない。卒業資格だけを確認し、さっさと一人帰ったのかもしれない。

高校受験は、どこにでもあるような、平凡な田舎町の進学校へ願書を自分で提出した。その結果学校は大騒ぎだったらしい。それはそうだろう、あの小森静子の娘にして、首席のかえでには、誰もが羨むエリートコースが用意……いや、約束されていたのだから。

だが。だからといって。家という箱が、その日一人以上の密度で満たされることは、なかった。



□□□



 土萩町(つちはぎちょう)。都会から離れ、小さな山脈で囲われた田舎町。歴史だけは古いらしく、様々な伝承が残されている。

 その中で、かえでが『縁切り地蔵』という逸話を耳にしたのは高校二年生になった、つい最近の出来事であった。

「でね、その子が言うにはひどい彼氏だったって。暴力沙汰になることもあったらしいよ」

 昼休みの教室は、生徒たちの活気で満ちている。かえではコンビニで適当に買った食事を済ませ、特に興味もなく買った小説をぼうっと読んでいる時だった。隣の席に集まった数名の女子生徒たちが、噂話に花を咲かせていた。

「別れたの?」

「そう言ったらますます怒鳴りだしたんだって。もうサイテーの男だよね」

 見てきたかのように「サイテーの男」談義が始まる。そんな声を聞き流しながら、かえでは「人の不幸は蜜の味」という言葉を思い出していた。

「そんなやつ『縁切り地蔵』に切ってもらえばいいのに」

 雑談の中で盛り上がっていた一人の女子がそうつぶやいた。その瞬間、彼女たちから活気がかき消え、妙に張り詰めた沈黙が教室中に広がった。

(……?)

 かえでは怪訝に思って顔を上げた。

 その時教室にいたのは男女十人ほど。その誰もが、雑談や戯れの途中で凍りつき、視線だけを……『縁切り地蔵』とつぶやいた女子生徒に向けていた。

 怯えた目だった。または、忌むものを見るような視線が女子生徒に絡みついていた。

 その女子生徒は、周りの異変にハッと気づき、すぐさま「ご、ごめん!」と泣きそうな声で頭を下げた。

 その後、教室の生徒たちは何事もなかったかのように視線を戻し、元の雑談などに戻っていった。だが、その横顔は誰もがぎこちない。

 隣のグループではその女子生徒に「バカ!」「声大きいってば」と、ささやくようなボリュームの声で叱責が飛んでいた。さなかにいる女子生徒は、顔が真っ青になっている。

(……なに、今の……)

 今まで味わったことのない奇妙な沈黙は、背筋を寒くするものだった。まるで呪いの呪文でも唱えたかの如く。そして誰も、そのことに触れようとしない。それがより、かえでの中に生まれた不気味さと気持ち悪さを倍増させていく。

(バカ正直に聞く空気じゃないか……でも)

 異様な沈黙の空気が、かえでの感覚にベッタリと張り付いていた。単純に居心地の悪さもあるが、何より『縁切り地蔵』という名前に不気味なイメージを持ってしまい、嫌な想像だけが広がっていく。

 昼休みの残り時間が短くなっていくと、廊下や他の教室に行っていた生徒たちも戻って来る。今までの不気味さは、そういった雑踏の中で紛れ、消えていこうとする。しかし、かえでは気持ちを切り替えられずにいた。小説の文を追っても頭には入ってこず、気持ちは薄暗いままだ。

「小森さん、顔色悪いよ……」

 予鈴が鳴る中で、隣の女子生徒が声を潜めて呼びかけてきた。

「え……そう?」

「聞こえたっていうか……聞いちゃったよね。さっきの」

 平静を保とうとしたが、うまく喉が動かない。

「名前だけでもね、聞けば「あてられる」人もいるの。気分が悪くなったり、熱が出たり」

 あてられる……? 食中毒じゃあるまいし。聞くだけでこうもなる……まるで本当に呪いの呪文ではないか。

「小森さんは……『オカルト研』を知ってる?」

「……はい?」

 隣の女子生徒があまりに神妙な顔でいいだしたので、かえでは素っ頓狂な声を上げてしまった。オカルト研?

「実習棟四階の一番奥の空き教室……もし具合が悪いままだったら、訪ねてみて」

 すぐさまチャイムがなり、教室に教師が入ってくる。聞き返すタイミングを逸したかえでは仕方なく立ち上がり、礼をし、着席した。

(なんだっての……まったく)

 心の中で気丈に毒づいてみたが、腹部を中心に広がっていく気持ち悪さは、一向に消えなかった。

 ふと窓の外を見る。いつの間にか、空は暗く曇り始めていた。

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