頼むから生きてくれと叫び続けた3時間
この日、めったに会うことのない妹の家に様子を見に行った。夏の暑い午後の事である。
妹とはあまり付き合いもなく話すこともしない。正直なところ、自分勝手で人にばかり迷惑を掛け続けて生きている妹が嫌いであり、家族とも思えないほどの関係だ。
そんな兄貴でいいのかと、おしかりを受けるかもしれないが、関わりたくない家族、家族でありながら赤の他人といった環境だって、この世には存在するものである。
だから、この日も何で嫌いな妹の家に行くことになったのかの記憶もないが、家に入ると妹と、妹の旦那とやらが座っていた。妹は再婚3度目であり、この旦那とは顔を合わすのも初めてである。
初対面で嫌になる男であった。挨拶もまともに出来ないアホな野郎だ!の印象しか今も残っていない。
玄関からして靴の整理も出来ておらず、部屋の中もあちこちにゴミが散らかり、服も脱ぎ捨てたままで、テーブルの上には空き缶や、食べ残しの皿が置きっぱなし、灰皿にはあふれるほどの吸い殻である。
少しの時間も居たくない環境で、座ることもなく要件を伝え、すぐに帰ろうと玄関に足が向いた時、何かの違和感を感じた。服でもないムートンでもない、茶色い雑巾みたいなものに目がとまる。なんだろう?これ。
良く見ると動物のぬいぐるみにも見える。妹には小さい子供が3人いるので、ぬいぐるみがあってもおかしくはないのだが、何か違うという勘と、何かに引き付けられるものを感じたおれは、その場に近寄ってよく見たのである。
近寄ってみると、そこには子犬が今にも息絶えそうな姿で目を閉じている。えっ!うそだろ。
驚いたオレは妹に、なんだこの犬は?と叫んだが、妹もその旦那も焦ることなく、3日前からエサも食べないし「もうダメだよ」と、何食わぬ顔で言葉にした。妹が犬を飼っていることも知らなかったが、自分や子供の面倒もろくに見れない人間が、かわいいだけの感情で犬を飼うことで、こんな結果になる。
動物病院にも連れて行かない、調子が悪いとわかっていても放置する人間が、動物を飼う資格などない。
この子犬はずっと、助けてと何度も妹に呼びかけたに違いない。犬はどんな飼い主であろうが忠誠心を持って甘えてくれる。この子犬も妹にごはんをもらい、一瞬でも家族として頼っていたはずである。
こんな動けなくなり、息もほぼしていない状態までにした、妹夫婦には許せない感情以外なかったのだが、とにかく病院へ連れて行こうと必死のオレは、すぐに近くの動物病院を調べ連絡した。
たまたま近くにあった病院と連絡がついたので、子犬を抱きかかえたが驚くほど軽い。抱いてすぐに涙が出た。抱いた瞬間に、この子犬がどんな思いで部屋の隅にいたのかが想像できたからだ。かすかに息をしている子犬をひざの上に置き、からだをなでながら車を走らせた。病院まで向かった道もその時の記憶もないが、とにかく頑張れよ!ごめんなと言い続けて走っていたのは覚えている。
動物病院に着いたときはなぜか安心した。これでこの子犬は助かると思い込んでいたからだ。
大丈夫だぞ!大丈夫だからなと話しかけるが、目も開けず動かない。この時はただ泣きながら励ますしか出来なかった。初診とかが理由で問診票を手渡されたが、子犬の名前欄に名前も書けない状態の自分にイライラもした。早く診察してくれよ!死んじゃうよと、受付の方に怒鳴ってしまうほど、おれも冷静では居られなかった。生きるものの「死」の窮地に立たされたことのないおれは、あの時を忘れることはないだろう。元気だったお前を知らない。名前も知らない。どんな声をして吠えるのかも知らない。そんなの悲しすぎるよと、何度もこころの中で叫んだ。
診察室に入り、先生が子犬を診て〈これは手遅れだな〉と言った。なんでもっと早く連れてこないの?と怒られるほどだ。一瞬、頭の中は真っ白となり、先生の言葉の冷たさに腹が立って仕方なかったおれは、まだ何もしていないのに手遅れってなんだよ!点滴とかなんかしてくれよと荒くあたっていた。
先生には罪はない。悪いのは妹であるのはわかっているけど、おれにはあきらめることが出来ない。この子犬は、最後の力をふりしぼっておれに助けを呼んだんだ。だからあの時、おれは子犬に気がついたし、足が止まったんだ。もしかしたら、お前がおれを妹のうちに来るようにしてくれたのかい?とも考えた。
だとしたら、絶対にお前を死なすことはしない。
この時おれは、この先生には任せられないと判断した。いくら慣れた先生であっても、見ただけで手遅れと判断し見捨てるような奴に任せてたまるか!の怒りのほうが強かったおれは、すぐに病院を飛び出てこの場から1時間半かかる動物病院に車を走らせる決意をした。
妹が住んでいた場所は、オレが住んでいる場所から距離があったことから、この辺の土地勘がない。とにかくすぐ診てくれる病院を探した結果、ここしかなかったのだ。しかし、この病院の先生はとても獣医とはいえない奴だったのである。命ある生きものに手遅れなんて言葉を使うんじゃねえ!今でもそう言いたいくらいだし、こんな奴のところへ連れてきてしまった子犬に、申し訳のない気持ちになってもいた。
地元に帰れば、過去1度だけお世話になった先生が居る。あの時も、どこかのねこが家のテラスに迷い込み、よく見たら脚にくぎを刺し穴があいていたので、慌てて動物病院に連れて行って診てもらい治してもらった覚えがあった。あの先生に希望を託して猛スピードで病院に向かった。
その時のねこは、テラスで泣き声がしたので窓を開けると、慣れた様子でびっこを引きながら家に入ってきた。おそらく飼いねこであったのだろう。そのねことは1週間ほど一緒に過ごし、脚の完治と共に飼主の居る家に帰ってくれたと思う。
そんな思い出がある病院に、おれは必死に車を走らせながら病院に電話をして事情を伝えた。運転しながらの携帯が違反であることは知っている。でも、この状況で違反だというキップを切るおまわりさんが居たら、正義の味方でもなければクズでしかないとさえ思うほど、おれも正常ではない状態である。
電話で子犬の説明をし、病院ではそれなりの準備をして、おれが到着するのを待ってくれている。
時間が遅く感じる。信号機も邪魔になりイライラはおさまらない。
オレが出来ることは、動かず静かに横たわる子犬に『 頼むから生きてくれ!』と叫ぶことだけだった。
さっきの先生の言葉はうそだからな、お前は助かるから安心しろよ。とにかく話し続けて泣いていた。
こんなんになるまでほっときやがって、と妹夫婦に対する怒りは頂点に達してもいた。あんな奴らに生きものを飼う資格なんかない!そう今でも思うし、許すことは一生ありえない。
おれは、お前が目を開けることも信じているし、希望も捨てない。せっかく生まれて来てくれたのにごめんな、本当にごめんな。とにかく子犬には声をかけて走った。
自分の指に水を垂らし、子犬の口元にもっていくが舐めてもくれないけど、少しでもと口や鼻を濡らしたりもした。妹は3日くらい何も食べていないと言っていたけど、おそらくそれより前から、ごはんを与えていないのは、子犬を抱きかかえた時の軽さで感じている。この子犬がどんな思いで動けないまでになったのかを考えれば考えるほど、涙があふれる。今のおれに何が出来るんだよ!と自分の無力さも感じ、くやしさの涙もあったと思う。既に時間も2時間が過ぎているし、子犬の体力も限界を超えていることもじわじわと感じていた。子犬と出会って数時間であるのに、ずっと一緒に居た家族にしか思えなかった。
お前なら大丈夫!根性出せよ。頼むから生きてくれ。今度はいっぱい食べて遊んで、しあわせにしてあげるから生きるんだぞ。おれの涙で子犬のからだが濡れていることに気づき、そっと拭きとった。
ようやく病院に到着した。車のエンジンも切らず、運転席のドアもあけっぱなしのままで病院に飛び込んだのを後で知った。一秒でも早く先生に助けてもらいたいという思いしかおれの頭にはなかったのだ。
おれの慌てように受付の方も慌てていたが、最初の病院のように問診票とかの足止めはされず、診察室に通してくれた。ある程度の説明は電話で話していたので理解してくれたのだと思う。
診察室に入ると、先生が診察台に色々な器具を用意してくれてあり、すぐに子犬の診察を始めてくれた姿を見たおれは、初めて人に手を合わせて頭を下げた。お願いします、助けてあげてください。それがおれの精一杯だった。二度と「手遅れだな」なんて言葉は聞きたくない。
どれくらいの時間が過ぎただろう。先生は休むこともせずに、点滴や呼吸器など出来る限りの治療をしてくれている。先生が(こりゃひどいね)と言うほど子犬は汚れていた。おれが最初に見つけた時に雑巾に見えたくらいだ。お風呂にも入れなかったのだろうし、からだを拭いてやることだってしていない筈だ。
いのちある生きものを、こんな状態にまでする人間をおれは人とは思わない。
最近では、車中に子供を放置する親がニュースに出てくることが多い。真夏の車中に残された子供が亡くなってしまうなんて可哀そうで仕方がない。おれの妹が子犬にしたことは、これと何も変わらないのである。人であっても動物であっても、命の重さは同じなのだから。
先生がようやく動きを止めた。おれは横で、がんばれよ!と声を掛けることしか出来なかったけど、先生はおれに(3日間がやまだよ)と言った。やることはやったから、後はこの子のがんばり次第だね。と、
おれを気遣ってくれたのだと思った。
でも、おれは信じていた。お前は絶対に元気になるから、安心していいからな。
診察室を出ると、受付で問診票を書いた。おれは子犬の名前を「茶々」と決めた。今日からお前は茶々だからな。先生の話では、まだ1歳にもなっていないということだった。茶々は今日が誕生日だと決めて記入もしていた。今日からは、おれの大切な家族だ。
おれは、3日間病院に通い茶々の様子を見に行ったが、2日目で先生から(もう大丈夫だと思うよ)という言葉を聞いた。茶々の意識も戻り少しづつだけど動こうとしていることを教えてもらえた。診察室の奥にあるゲージの中で点滴などをしている茶々が遠目でだけど確認できた時、わずかに動いた気もした。
この時も自然に涙が流れ、先生には笑われたけど、これまで生きてきた中で今日ほど神様に感謝したことはない。そして、この病院で、この先生に出会えたことに、こころから感謝をした。
茶々が入院して3日目。いつものように病院に入ると受付の方が笑顔でおれを迎えてくれた。
少し待っていると、先生から呼ばれ診察室に入った。先生から茶々の点滴は外れたし、少しづつ自分の口で、ごはんや水を求めるようになっているという報告を受けた。この時の言葉は今でもはっきり覚えているし、この3日間の不安や、寝不足も一気に吹き飛んだようであった。
茶々に会えますか?と、茶々に会いたくて、会いたくて、たまらないおれの気は焦るばかりだ。
先生は立ち上がり、奥から茶々を抱いてきてくれたのだけど、茶々がおれの顔から目を放さない姿を見た瞬間、おれは泣きじゃくっていた。先生から茶々を奪い取るようにおれは、茶々を抱きしめた。まだ茶々は軽かったけど、茶々の温もりを感じたおれは(がんばったな)と、頭をなでていた。
少しだったけど茶々は、弱くしっぽを動かしたようにも思えたが、まだ元気になったわけではない。
先生からも、もう少し病院で様子を見てから退院かな。とも言われたので、「はい)と返事をした。
茶々はまだ、しっかり起き上がることも出来ないし、目にも疲れが残っているようだった。
おれは、茶々が生きてくれたことだけで嬉しかった。生きててくれなきゃ、お前にしあわせを教えてあげられないのだからね。お前には嫌なおもいをさせてしまったね。これからは、かわいがってあげるからもう少しゆっくりしてくれよと茶々に伝えた。
先生は、この子は本当に強い子だよ。生きている事が奇跡だといえるくらの状態だったしね。だけど、あなたが、ずっとこの子を呼びかけ続けていたから、がんばれたのだと思うよ。でも、あなたと会うのは2回目だけど、前のねこちゃんの時も夜中に飛んで来て病院のドアを叩いて起こされて診察したんだよ。と肩をたたいてくれた。
そうかぁ、あの時も迷惑掛けたんだったなと思い出した。夜中に迷い込んで来たからなぁ。先生の病院が自宅と一緒であることにも感謝している。いつもこの先生に助けてもらっているおれだ。
おれは、素直に嬉しかった。考えていないつもりでも、おれにもどこかで、茶々はダメかもしれないという気持ちがあったんだ。
でも、聞こえていたんだね。おれの声が。ちゃんとこたえてくれていたんだよな。だから、こうして生きていてくれるんだろ。茶々ありがとう。「頼むから生きてくれと叫び続けた3時間」は無駄ではなかったよ。
茶々は、それから8年間をおれと一緒に過ごした。
後遺症もあったけど、先生にお世話になりながら、精一杯生きていた。
出来る限りの時間を共に過ごし、いつも隣には茶々が居てくれた。いっぱい散歩もしたし、公園でも走った。夜になれば同じ布団で眠り、おれが起きるまで横に居てくれた。おれも茶々と離れるのは嫌だったし、茶々も同じだったと思う。茶々は、ずっとおれの顔を見ていることが多くて、涙を流したりするとなめて励ましてくれたこともあった。最後の日も、茶々はおれの顔をずっと見ているから、おれは泣くことしか出来なかった。(重くなったな茶々)と語りかけながら、ずっと抱きしめた。
なにをいいたかったのかな。考えてみたら、おれは茶々と初めて会った時から泣いてばかりだし(ごめん)しか言ってなかった気がする。
だけど、おれと過ごした日々は(しあわせ)だったかい。おれは、最高に、しあわせだったよ。
一生懸命、生きてくれてありがとう。茶々から教えてもらったことはたくさんあるし、おれの宝だ。
茶々は、最後の最後までおれの言葉を忘れる事はなかった。どんな時でも「生きよう」としてくれた。必死で生きてくれたし、茶々にはいっぱいの(しあわせ)をもらった。茶々のいない場所が辛くて毎日泣いたけど、茶々が悲しむからおれもがんばって生きるよ。
茶々との再会はまた来る。本当にありがとう。
茶々は、今でもオレの心の中で生きている。
ペットブームの影響でペットを飼いだした無責任な人間がいる。生きものを育てる覚悟と責任などなにも考えずに、ただ(かわいい)だけの勢いで飼いだす。生きものを育てる大変さを知った時、面倒となり、どうぶつのいのちを放棄してしう。寒い雪の中で、飼い主を探すいぬを見たこともある。何日も同じ場所で飼い主を待ち続けていた。捨てられたとも知らずに。
いのちの大切さも知らない人間に、生きものを飼う資格などあるはずがない。動物はモノでも、ごみでもないんだ。という事もわからない人間が多くいるように思える。
いぬやねこを、家族として迎えた以上、最後まで精一杯の愛情を捧げる覚悟をもって育てて欲しい。
人間よりも短い人生のどうぶつたちに、生まれてきてよかった、ありがとう。と言ってもらえるようにしなければならないのではないかと思っている。
自分のいのちが終わるときに、残される動物が心配で泣きながら旅立つ飼い主だっていることを、おれたちは、忘れてはいけない。
人間の都合で、動物の「いのち」を粗末にするな! おれは一生叫んで生きていく。