第3話
※執筆が終わったのはコロナの存在が発覚する少し前です。
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません
「被検体c9Mw、出ろ」
目の前の厚い鉄の扉が開き、両腕に拘束具を巻かれたまま外に追いやられる。
今日で拘束生活も三日目だった。
片目以外の顔や体は全て包帯で覆われているものの、感染症を拗らせているかのような体調の悪さを歩き方から察することが出来る。
しかし、どれだけ具合が悪かろうとも彼に足を止める権利は存在しない。
彼の歩くすぐ側には黒い重装備の兵士がおり、抵抗しようとするものならば即座に撃ち抜かれるだろう。
窓は存在せず、蛍光灯で照らされた薄ら暗い鉄の廊下を覚束無い足取りで踏み締めて全力で歩いていく。
目的地に向かう途中で、真於の視界の隅に血痕が一面に張り付いたガラス張りの一室が見られた。
その外見の通り、部屋の中は非常に不衛生で……血の池だ。その理由は一時間に千人を超える人々がこの部屋の中で殺されているためである。
――ああ、また人々が汚染室に押し込められている。
もはや、今の状態の真於に人を心配する余裕など微塵もなかった。
真於もその汚染室と呼ばれる部屋の中で一時を過ごしたが――苦しみを思い出す度に嘔吐を起こしそうになってしまう。
連れてこられた初日、誘拐された多くの人々はこの場に集められ、噴霧された赤黒い霧を吸わされて――ほぼ全員の体が膨れて爆発した。有り得ない形で死亡した。
その回で唯一生き残ったのは、たったの二人。
真於を除き、彼よりも歳上であろう高校生ぐらいの女の子のただ一人であった。
赤黒い霧を放出し終えた頃には、ガラス張りの向こうにあるコンピュータ制御室から大盛り上がりしたような声が漏れていた。
しかし、生き残った二人も最後まで意識が持つことはなく、お互いに気絶してしまった。
それらを浴びせられてから二日目、体調は酷く悪化し、嘔吐、喀血、頭痛、高熱、体全体の激痛など、ありとあらゆる病状が発症した。
今思えば、それは何らかのウイルスが含まれていた気体であったかのように考えられる。
しかし、そのような病気を発症しようとも、彼らの思い通りに動かなければ、激痛を伴うペナルティを与えられてしまう。
止まったままでは殴られる。薬品を掛けられる。下手をすれば撃ち殺される。
そのような恐怖に耐えながら、迅速に目的地まで歩かさせられた。
目的地が近づき、また血塗れの部屋が見られる。
この部屋で真於が二日目に受けたのは謎の薬品投与であった。
一人用の手術代に乗せられ、体全体に穴を空けられ、明らかに危険な色である黄色や緑、真っ黒な液体を血管内に直接投与された。
意識を失うことすら出来ず、永遠とショック状態を味わった。
――しかし、俺はまだ死んでいなかった。
気がついた時には血痕は無いものの、穴と包帯だらけの体で誰も居ない一室に閉じ込められていて、寝ることも出来ないような地獄の苦痛を受け続け……今に至る。
気を緩めれば一瞬で倒れる。しかし、倒れてしまえば間違いなくこれより酷い痛みを受けるだろう。
前を歩いている兵士が腰に掛けている薬品……恐らく理科で使った原液の塩酸よりも強烈な酸性を持った液体がある。
前回倒れてしまった際にこれを体や顔に掛けられたのだ。
地獄の業火に包まれ、骨まで溶かされる感覚を受けた。
未だその痛みは引いておらず、全ての要因が相まって――いっそ死んでこの地獄から開放されたい、と思い続けている。
「早くしろ」
死ぬことすら許されない声が逃走本能を一脚する。
バランスを崩し、ただでさえ早い心臓の鼓動が乱れ、苦しみを味わい、体全体の穴から血が吹き出す。
しかし、止まれないのだ。ここで止まってしまったら……お母さんに会えないから。
連れて来られたのは新たな一室であった。
大きな部屋であり、手術台は二台あって――奥の台に人のような何がが乗っている。
そして、目の前に現れたのは白衣を着こなし、白髪混じりの背の高い男と無数の医者のような人だった。
「やぁ被検体c9Mw。会うのは二度目だね」
「……」
「あぁ、君の言いたいことは分かる。この実験さえ終われば君の母親は解放しよう。そういう約束だ。その証拠に、君の母親は汚染室に入れていないからね。安心して欲しい」
喉はとっくの昔に潰されており、声は出ない。
二日目の薬品を投与される以前に「遺言はあるかな」とこの白衣の男に聞かれ、真於は母の身の無事を交渉した。
それは君次第、という言葉の後に薬品投与が始まったことから、薬の影響で死ななかったら交渉受け入れる、という口約束だったのだろう。
だからこそ、その言葉を聞いて――安心する。
「その溶けきった醜い顔は今日で最後なんだ。よく笑うといい」
「……?」
「どういうこと、だって? さぁ、それは君が耐えきったならば話を続けよう。おい、用意だ」
無理やり担がれて手術台の上に乗せられる。血が吹き出して周りや白い服を赤く汚すが、そんなことを彼らは気にしない。
様々な機械や銅線を体の穴に差し込まれ、軽い電撃が意識を揺する。
ぼんやりとした世界の中で、彼は片手には赤い液体の入った注射器を持ったまま、語りかけてくる。
「君も希少な特異体だ。もう少し試させて欲しい――」
針が差し込まれ、地獄の中でも感じたことの無い熱さ、そして痛みが体を侵していく。
潰れたと思っていた喉から声が出た。血を吹いた。まるで違う人間に内部から作り替えられていくようなそんな気がした。
『ふむ――らしいな――なら――そう――だ』
もはや体も脳も意識も発狂しており、言葉として聞き取ることは出来ない。
ただ一つだけ視界に捉えたことが出来たのは――額に当てられたドリルを射出できそうな機械だけだった。
『さようなら。君は生まれ変わる。これはそのための第一段階だ』
カシュッという機械音が大きく頭の中響くと、これまで感じていた痛みが一瞬で吹き飛ぶ。
――あぁ、そうか。ここで吹き飛んだのは痛みじゃなくて、母から生まれ落ちた「俺」だったんだ。
明日は2話を更新の予定で、同時にプロローグが終わります。
お楽しみに!