第3話:ワイシャツとスマホ(中編)
夕焼けによって茜色に染まった帰り道を、四人で一緒に歩く。遠くの山の上まで続いている夕焼け空の向こうには、群青色の星空が広がっている。いつのまにか遅くまで学校に残ってしまっていたらしい。
この辺りは夕方を過ぎると少し肌寒い。吹き抜ける冷たい風を感じた俺はジャージに包まれた両腕を寒そうにさすった。
「―――で、結局あんまり片付かずに終わったわけだが」
俺が落ち込みながら言葉を落とすと、アキラはバンバンと背中を叩いてきた。
「落ち込むことねえよ! 四人で掃除続けりゃなんとかなるって!」
「そう、だな。本格的に文化祭の準備が始まる前に掃除しねぇと」
俺は夕焼け空を見上げながら息を落とす。確かにアキラの言う通り、今落ち込んでいてもしょうがない。我が委員会の活動は始まったばかりだ。
「そうだよ! 確かに倉庫は魔窟みたいになってるけど、四人なら片付けられるもん!」
ぐっと両手を握りこみながらふんすと鼻息を吹き出す委員長。片づけはいいけど魔窟て、意外とすげぇ単語使うな。
「んんーっしかし疲れたなー。時間的に物を動かすだけで精一杯だったし」
アキラは体をぐーっと伸ばしながら言葉を紡ぐ。今日は大きい机とかを整理するだけで精一杯だったけどそのまま掃除用具は借りられたし、明日は拭き掃除もできるといいな。
「わ、もう六時過ぎだ。結構遅くなっちゃったね」
委員長は鞄のサイドポケットからスマホを取り出して時間を確認する。ピンクっぽいクマちゃん柄のスマホケースにはぬいぐるみのようなストラップがぶら下がり、まさしく委員長のスマホって感じだ。
そんな委員長のスマホを見たアキラはギラッと目を光らせた。
「そーぉだ! せっかく同じ文化祭実行委員になったんだから、皆で連絡先交換しようぜ!」
アキラは背面にメガネのマークが印刷されているクレイジーなスマホを取り出しながら俺たち全員に呼びかける。俺とアキラはすでに連絡先を知ってるからいいとして、委員長と一ノ瀬さんの連絡先は知らねえな。
「そっか、連絡先知ってた方がいいよね。じゃあ交換しよっか」
「イエー。さすが委員長話がわかるぜ」
アキラと委員長はお互いにスマホを向け、連絡先を交換する。ず、ずるい! おれだっていいんちょとれんらくさきこうかんしたい!
思わず幼児退行するくらい羨ましい。俺がその羨ましそうな視線を二人にぶつけていると、委員長がおずおずと話しかけてきた。
「えっと、藤宮くんも連絡先―――」
「する! 交換する!」
「えっ!? あ、うん!」
俺はコンマ数秒でポケットからスマホを取り出し、震える指先で委員長と連絡先を交換する。うう、生まれて初めてクラスの女子と連絡先交換したぜ。
画面に燦然と輝く委員長の名前。七瀬咲ってこういう字書くのか。なんか画面で改めて名前見ると別の人みたいな感じするな。委員長のがしっくりくる。
その時視界の隅に赤い髪が映る。そうだ、一ノ瀬さんも実行委員なんだから連絡先知っといた方がいいよな。
「一ノ瀬さん。一ノ瀬さんも連絡先教えてくれないかな」
「あ? ああ」
一ノ瀬さんは鞄からケースに入っていない買ったままの状態のスマホを取り出す。その後両手でスマホを操作しているが、しばらく待っても交換してくれそうな気配はない。
俺は頭に疑問符を浮かべながら質問した。
「えっと一ノ瀬さん、まだですかね」
「あぁ?」
「すみません」
一ノ瀬さんの低く殺気の籠った声を聞いた俺は心臓が飛び出そうになる。あ、危ねぇ、怖すぎてスマホ落とすとこだった。
「自分の番号がわかんない……ちょっと待って」
「あっ、そ、そういうこと?」
どうやらスマホの操作がわからず悪戦苦闘していたらしい。もしかしたらあんまりこういう機械類が得意じゃないのかもしれない。俺は一ノ瀬さんのスマホの画面をのぞき込んだ。
「くっそ、なんか数字しかでてこない」
「それ電卓だよ一ノ瀬さん……」
これはヤバそうだ。基本的にメッセージアプリで会話すると思うんだけど、この分だとインストールしてないかもしれないなぁ。
「一ノ瀬さん。メッセージアプリは入ってる?」
「め、めっせーじ、あぷり?」
ごめん、俺が悪かった。
一ノ瀬さんは意味不明な単語について考えすぎたのか、頭から湯気が出てきている。確かに俺だって初めてスマホ触った時わけわかんなかったもんな……とはいえ口頭で伝えるのは無理がある。
「ごめんね一ノ瀬さん、ちょっとだけスマホ貸してもらえるかな」
「あ? ああ。変なとこに電話かけないでよ」
「俺を何だと思ってんの……」
一ノ瀬さんからの信用がゼロであることに微妙にへこみながらも一ノ瀬さんのスマホを受け取る俺。とりあえず電卓を閉じて画面を確認した。
えーっと、まずはメッセージアプリをインストールして、名前を設定して……できた。
「はい。俺とアキラと委員長も登録しといたから、これでいつでも通話できるよ」
「??? なんだこれ。電話すればいいんじゃないの?」
メッセージ画面が表示されたスマホを見つめながら頭に疑問符を浮かべる一ノ瀬さん。俺は自分のスマホでカメラを起動させた。
「でもこれ、結構便利なんだよ。例えば、こうして写真をとる」
俺は起動したカメラをアキラの方に向ける。アキラはカメラの存在を感じるとどこからか取り出したバラの花を口にくわえてナルシスト全開のポーズを決めた。お前、そのバラ常に持ってんのか?
そうしてアキラのアホな写真を手に入れた俺は、一ノ瀬さんに向かって写真を送る。すぐにポコペン♪というちょっと間抜けな音の後、一ノ瀬さんのスマホにアキラのアホな写真が表示された。
「おおおおっ!? しゃ、写真がきた!」
「こんな感じで、写真を送ったりもできるんだ。その画像を保存もできるし、便利だよね」
俺は一ノ瀬さんの画面を見ながら言葉を紡ぐ。一ノ瀬さんは「おおおお……!」と感動した様子で画面を見つめていた。
「そこの受話器のマークを押したら通話もできるし、四人で同時通話もできるよ」
「同時に喋れんの!? マジ凄いじゃん!」
一ノ瀬さんはキラキラとした瞳でスマホの画面を見つめる。無垢な少女のようなその表情に一瞬何かがフラッシュバックしたが、よくは思い出せない。俺は目をごしごしとこすると言葉を続けた。
「まあこんな感じで使えるから、連絡する時に使おうよ」
「わかった。さっきの写真はいらないから消すけど」
「ひでぇ!」
ガーンという効果音を頭に落とされてがっくりと肩を落とすアキラ。委員長がそんなアキラの背中をぽんぽんして慰めているが、多分しばらく立ち直れないだろう。ポーズを取ったのはあいつだが、ちょっと悪い事したような気もする。
そんな俺たちの問答を聞いていた委員長はクスクスと笑いながら、十字路の入り口で手を振った。
「じゃあ、私はここまでだね。二人はこの道まっすぐだし、一ノ瀬さんは左でしょ?」
どうやらいつのまにか分かれ道に到着していたらしい。なんだかんだで楽しかったし、あっという間の一日だったような気がするな。
夕陽に照らされた十字路は少し寂しげで、交通標識が夕日を反射して光っていた。
「ああ、ここまでね。……じゃ、また明日」
委員長の質問に答えながら十字路の左の道へと歩いていく一ノ瀬さん。歩き出した一ノ瀬さんに委員長が「また明日ねー!」と手を振ると、一ノ瀬さんはこちらを見ないまま片手を挙げた。クールだぜ。
「でもクールな鞄の中には俺のワイシャツが入ってんだよなぁ……どうしよう」
俺は遠い目をしながら群青色に変わってきた空を見上げる。群青色の空の中にうっすらと浮かぶ雲は、星空の中を泳いでいた。
「何ブツブツ言ってんだ? 委員長行っちまうぞ」
「あっ!? そ、そうか。委員長、また明日!」
俺は角を曲がって歩き始めている委員長に向かってぶんぶんと手を振る。委員長は体を少しだけこちらに向けると、遠慮がちに小さく手を振り返した。
「ふぅ。今日も無事終わったな」
帰ったら今度は家事が待っているわけだが、とりあえずひと段落ついたな。俺が安堵のため息を落としていると、横から俺の首に腕が巻きついてきた。
「オイオイオイ、まさか忘れてんのか? お前には聞きたいことが山ほどあるんだが」
「へっ?」
アキラはズレた眼鏡を中指でクイっと上げながらニヤリと笑う。俺は嫌な予感を感じて首に巻きついていた腕を振りほどいた。
「逃がさねえぞハヤトォ……てめぇ一ノ瀬さんと何があったんだ! さっさとゲロっちまえ!」
「お前まだそれ言ってたの!? 付き合ってらんねぇよ!」
「あっコラ! まだ話は終わってねえぞハヤトォォォォ!」
冗談じゃない。俺はこれから夕飯作って朝飯と明日の昼飯の準備して弁当の下ごしらえをして洗濯して風呂を沸かさねばならんのだ。アキラに構っている暇はない。
俺は脱兎のごとくダッシュし、アキラとどんどん距離を離した。
「絶対に逃がさんからなー! 夜道に気をつけろよハヤトォ!」
「物騒なこと言うんじゃねえ!」
俺は夜道でアキラに襲われる危険性を感じながら、冷たい風を全身に受けて家に向かう道を全速力で駆け抜けた。
「や、やっと、全部終わった……」
夕飯を作って洗濯を終わらせ、明日の弁当の仕込みをして突然スイーツが食べたくなったという姉ちゃんにホイップ付きパンケーキを食べさせる。そうしたいつもの家事全てを終わらせた俺は、倒れ込むように自室のベッドへとダイブする。スプリングの入ったベッドは飛び込んだ俺の体を押し返してきて、ちょっと楽しい。
まくらに突っ伏したまま横を見ると、開いた窓から少し冷たい風が入ってくる。だがその風も家事で火照った体には心地いい。少しだけ起き上がって窓の外を見ると家のそばを流れる川辺には桜並木が続き、小さなさくらの花びらがときどき部屋の中に迷い込んできた。
ごろんとベッドに横になりながら窓から入ってくる花びらを目で追いかけていると、机に置いてあるスマホの上へと花びらが落ちていく。その時初めて、メッセージ受信のランプが点灯していることに気がついた。
「ん? メッセージが来てるな。誰からだろ」
俺は寝っ転がりながら手を伸ばしてスマホを取り、画面を操作する。一通目はアキラからのメッセージだった。
『ハヤト! 俺は諦めんぞ! 一ノ瀬さんと何が―――』
そこまで読んでそっと指をスライドさせて画面を閉じる俺。あいつもなかなか執念深いな……何もなかったっつーの。体は確かに密着したが、少なくとも恋愛的なイベントはなかった。
「あれ、他にもメッセージが来てる。七瀬咲って……委員長!?」
『おつかれさま。今日は倉庫が散らかっててびっくりしたね!』
「おふぅ」
うぉぉぉ……生まれて初めてクラスの女子からメッセージもらった。なんか変にドキドキする。ていうかテンション上がるな。
「……落ち着け、落ち着け藤宮ハヤト。ここで変なメッセージ返したら全部台無しだぞ」
なんか変なテンションになった俺はスマホを伏せると一度深呼吸して心を落ち着かせる。心臓の鼓動が安定してきたことを感じると、少し震える指先でメッセージを返した。
『だね。去年は片付ける暇なかったのかな。でも四人ならきっと片付けられるよ』
送信……っと。こうか? 女子へのメッセージってこんな感じでいいのか? もう作法が全然わからねえ。
ソワソワしながらスマホとにらめっこしていると、すぐに返事が返ってきた。
『そうだよね! 藤宮くんが委員会入ってくれてほんとよかったよー。これからもよろしくね!』
ふむ、いつもの委員長らしい返事だ。きっと俺みたいに一通一通ドキドキしたりはしていないのだろう。それに比べて俺ときたら、ここで返信すべきかどうかすら迷っているしまつだ。
「うぐぅぅ……これ微妙だな……返事をするべき? いやしかし返事を返すと必然委員長もその返事を書かなきゃいかんわけで、そんなに時間取らせていいもんだろうか」
アキラとのメッセージなら返事を止めようが続けようがどうでもいいが、クラスの女子となると緊張感が爆上がりする。これが女の子慣れしていない哀れな男の姿ですよ奥さん。自分で言ってて悲しくなってきたわ。
俺はいつのまにかベッドの淵に座ってスマホとにらめっこしていたことに気付き、ベッドに向かって背中からダイブする。メッセージ一つで何を緊張してんだ俺は。
「はぁ……委員長、今頃何してんのかなぁ」
きっとドギマギしている俺と違って、明日の予習でもやってるんだろう。俺はすっかり暗くなった空を見上げながら夜風を体で感じて、己のヘタレ加減に盛大なため息を吐いた。