第1話:委員長と黒い装置(後編)
「どうやら間に合ったようだな。さすがオレ」
「ぜひっぜひっ。お前の、せいで、遅れそうだったんだろが……」
メガネを輝かせながらドヤ顔で呟いたアキラを睨みつける俺。ダメだ、もっと罵詈雑言をぶつけたいが、息が上がっている。こいつ運動神経良いからな……
「それより、ターゲットの女子は決まっているのか? 隣の席の女子とか?」
「お前は俺に死ねというのか」
自分の隣の席を見ると、赤く長い髪を風に流しながら片肘をついて窓の外を見つめている女子がひとり。朝のホームルームの時間なら大抵の女子は友達と談笑しているが、彼女の周りに人はいない。
不機嫌そうなその表情と纏っているオーラが、彼女の周りに人を寄せ付けないのだ。
一ノ瀬玲奈。この学校で一番の不良と言われ、喧嘩は天下無双。一晩で族を三つ潰したとか実はマフィアの娘だとか、物騒な噂が絶えない。実際周りの生徒と打ち解けようとしないその様子から、“灼熱の女王”とも呼ばれているうちの学校のボスだ。
何故こんな俺の席の隣がそんな人なんだと呪いたくなるが、普段話しかけてこない分案外大丈夫だったりする。だが話しかけるとなれば話は別だ。それは死を意味する。
「まあ大丈夫さハヤト。ちょっと殺されるかもしれないけど」
「お前の安全基準はどうなってんだ! 何一つ大丈夫じゃないよねそれ!?」
にっこりと笑いながら俺の肩をぽんっと叩いてくるアキラに大声を張り上げる俺。それ実質死刑と同じだからな?
「そうは言うが、お前話しかけられる女子なんかいるのか?」
「ぐっ……い、いるし」
アキラの痛すぎる質問を受けた俺は必死になって教室の中をキョロキョロと見回す。すると教室の端で談笑していた委員長と目が合った。
「えへへ」
俺に気付いた委員長はにへっと笑いながらふりふりと小さく手を振る。可愛いなぁおい。誰にでも分け隔てなく接するのが彼女の良いところだ。
俺は視線を泳がせながらアキラへと言葉を続ける。
「た、例えば委員長とかぁ? プリント配ってもらう時とか話したりするしぃ?」
「それはクラスの男子全員がそうだろうが……少年よ大志を抱け」
「お前の言う大志は死につながってるから嫌だ! 委員長なら筆記用具くらい貸してくれる! 貸してくれる……はずだ……」
「自信ねぇのかよ」
あるわけねえだろ。クラスで唯一会話したことある委員長でもプリントとかクラスの用事がある時しか喋んねえんだぞ。下手すりゃ委員長俺の名前知らねえよ。
「まっ、とりあえず誰でもいいから女子に借りることだな。借りれなかったらお前のゲーム割るから」
「さらっと人のゲーム人質にすんなよ!」
にっこり笑って何言ってんだこのクソメガネ。眼鏡のフレーム星形にしてやろうか。
『うーい。授業始めるぞー』
なんだかんだしてたら先生来ちゃったやだん! うう、もう覚悟を決めるしかねえのか……
俺が席に座ると、離れた場所に座っているアキラがにやにやとしながら見つめてくる。ぱくぱくと口を動かし、その声が聞こえてくるようだ。
『いけハヤト! 一ノ瀬さんにいけ! 散ってこい!』
『うるせーバカ!』
アキラの言葉を察して焦りを加速させる俺。どうあれ筆記用具は借りなければならないし、女子相手でなければゲームを割られる。まあそうなったらアキラの野郎を割ってやるが、 割れたゲームは戻ってこない。こうなったらやるしかないだろう。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃ……ダメなんだぁぁぁぁ!
「い、委員長、筆記用具貸してくれない?」
『このヘタレが!』
アキラの侮蔑の視線を感じるが今は無視だ。一ノ瀬さんとか無理。委員長に借りるしか今は道がない。
ドキドキしながら話しかけた俺だったが、斜め前に座る委員長はにっこりと笑いながら俺の方へと体を向けてきた。
「いいよー。私はシャーペンと消しゴムがあればいいから、それ以外貸してあげるね」
委員長はごそごそと自分の筆箱の中から最低限の筆記具を取り出しながらにっこりと笑う。包み込まれるような柔らかな笑顔に、俺は思わず「天使かな?」と呟いていた。
「ふぇっ!? てんし!?」
「す、すまん。なんでもない」
俺の言葉に驚いた委員長は両手で持った筆箱を強く握りながら目を見開く。何を言ってんだ俺は。俺まで恥ずかしくなってきたわ。
「えっと……じゃあ、はいこれ!」
「わぁ、かわいいクマちゃん」
戸惑いながらも委員長が差しだしてきたのは、デフォルメされたクマちゃんが沢山描かれた布製の筆箱。俺のアルミで出来た質実剛健な筆箱とはまるで違う。それにしても、男子でこの筆箱はちょっと恥ずかしい。
そんな感情が顔に出ていたのか、委員長は困ったように眉をひそめながらぶんぶんと手を横に振った。
「ごっごめんね子どもっぽい筆箱で。みんなにもよく言われるんだ」
委員長は恥ずかしそうに目を伏せ、申し訳なさそうに俯く。なんてこった、俺が借りる立場なのに謝らせてしまった。
「いやいやいや全然いいよ! クマちゃん最高! クマちゃんのために死ねる!」
「へへ、そう? でも言い過ぎだよぉ。生きてね」
委員長はへにゃっと笑うと、ぱたぱたと手を振りながら授業を聞くため黒板の方に体を向ける。やっぱり大天使かよ。
結局授業は委員長の筆箱のおかげでどうにか事なきを得た。授業終了後安堵のため息を落としていると、アキラがアホ面で手を振りながら近づいてきた。
「おーいハヤトぉ。委員長と話すためだけに筆箱ドブに捨てたわけだが、成果あった?」
「うぉら!」
「すぱんぷ!」
ふざけたこと言いながら近づいてきたアキラに迷いのないボディを入れる。デカい声で何言ってんだこいつは。それだと委員長と話すためだけに筆箱ドブに捨てたヤバい奴じゃねーか。てか捨ててねぇし、投げたのお前だし。
「まあ落ち着けハヤト。これもお前の青春のためにやったことなのだぜ?」
「やり方が強引すぎるだろ……確かに委員長とは少し話せたけどよ」
強引すぎる方法ではあったが、確かに成果はあった。その旨を伝えるとアキラはドヤ顔をしながら大声で笑った。
「だろう!? そうだろう!? いやーでもあそこは一ノ瀬さんに行くべきだろ。その方がおもしろ……修行になっただろうに」
「オイ。やっぱお前遊び半分でやってんだろ。オイこら」
こぼれおちた本音を拾って睨みつけながらアキラの肩を掴む俺。アキラはそんな俺の手を振りほどきながら脱兎のごとくその場を立ち去った。
「ではオレはそろそろ席に戻るぞ少年! 筆箱返す時もお礼をしっかり言ってあわよくばボディタッチしろよ!」
「戻り際にハードル上げるんじゃねー! 絶対やらんぞ!」
筆箱返すタイミングでいきなりボディタッチしてくるとか完全に翌日から変態扱いだわ。別にアキラの言う事を聞く必要も無いんだし、普通に返せばいいよな。
しかしそんな俺の思惑とは裏腹に、とても普通とは言えない返却をこの後俺はすることになる。
そんなことはつゆ知らず俺は能天気に授業を受け続け、気付けば空はすっかり夕陽に染まっていた。
『よし、今日の授業はここまでー』
「お、おわったぁ……」
結局その後はさしたる事件もなく授業は全て終わり、帰りのホームルームを乗り切った俺はぐったりと机に突っ伏する。あの後もちょいちょいアキラが一ノ瀬さんに話しかけるようけしかけてきて、普段の倍は疲れた。奴には後程アームロックをしてやろうと思う。
教室のみんなはそれぞれのグループで放課後どうしようか話したり帰ったりしているようだ。
「よっハヤト。疲れた顔してどうした? 上司と後輩の板挟みがつらいのか?」
「なんでサラリーマンの悩みなんだよ……むしろお前からの圧力がつらいわ」
俺の席までやってきて能天気に話しかけてくるアキラ。俺はとびっきりの殺意を込めて返事を返した。
しかし俺の言葉を受けたアキラはきょとんとしながら返事を返す。
「圧力ぅ? 支援の間違いだろう」
「思い切り背中撃ってきただろうが! ああもう、いいや。早く委員長に筆箱返して帰ろうぜ」
もうみんな帰り支度始めてるし、委員長を待たせたら申し訳ないだろう。
しかしそんな俺の言葉を聞いたアキラはメガネを光らせた。
「まあ待てハヤト。普通に返して良いと思ってるのか? お前はそんな男なのか?」
「いや普通に返す以外に何があるってんだよ」
俺はアキラの意図するところがわからず、面倒くさそうに質問する。アキラはそんなこともわからんのかといった雰囲気で回答した。
「筆箱借りたんだろ? お礼にマンションくらいあげればいいだろう」
「委員長絶対引くわ! 金銭感覚の乱れがひでぇ!」
てかマンションなんか買えるわけねえだろ。どういう金銭感覚してんだこいつは。
「まあマンションは冗談として、車の一台くらいは必要だろ?」
「どこの石油王だよ! いや石油王でも筆箱のお礼に車は出さんわ!」
「お前に石油王の何がわかるってんだよォォォォォ!」
「どういうタイミングでキレてんの!?」
唐突にキレたアキラは俺の胸倉をつかんでくる。こいつほんとわかんねえ。
「ふう。時間稼ぎはこのくらいでいいか。じゃあ頑張れよハヤト」
「は? ……げっ誰もいねえ!」
なんか静かだなと思ったら、今日に限ってみんなさっさと帰宅してやがる。委員長こっちをチラチラ見ながら困ってるし……そりゃそうだよ筆箱返してもらってないんだから。
「二人っきりで夕暮れの教室……これで何もなかったら意味わからんな」
「お前が一番意味わからないんですけど!? 委員長に迷惑かけんなよ!」
ああもう、めっちゃ困ってるじゃん。話しかけて筆箱返してもらいたいなー、でも楽しそうに話してるし割り込んじゃ悪いかなーとか考えてる顔だよあれは。エンジェルかな。
「まあとにかく筆箱返してくるから、お前は下駄箱で待ってろよ」
ほんとはアキラがいる状態で返したいが、そんなことを言ったら矢のような暴言が返ってくるんだろう。そんなことはわかっているからそこは否定せん。時間もないしな。
「よし、頑張れハヤト! ほれ、行ってこい!」
「いっでぇ!?」
アキラはバーンッと強く俺の背中を押し出し、勢い余った俺は机の脚に引っかかって盛大にこける。
まだチャックが開いていた筆箱の中身が教室の中に散らばった。
「「あっ……」」
「!?」
教室に筆箱の中身が散乱したことを見つけた委員長はびくっと肩をいからせて目を見開く。俺は速攻でアキラを睨みつけた。
「てめぇ! 落としちまったじゃねえか―――」
「で、ではなハヤト! 玄関で待っているぞぅー!」
「おいいい!? お前が拾えや!」
脱兎のごとく一瞬で教室から逃げ出していくアキラ。くそっ。後でパワーボムも追加だ。
「あ、えっと、拾うね!? 私拾うよ!」
「え!? いやいやそんなわけにいかないって! 俺が拾うから!」
慌てて近づいてきた委員長よりも早く筆箱を拾う俺。借り物を自分で落としといて拾ってもらうなんてできるわけない。急いで筆記用具を拾っていると、そこで筆記用具には見えない謎の黒い装置が落ちていることに気付いた。
なんだこれ。筆記用具が入ってた時は目立たなくてわからなかったが、落ちた衝撃で筆箱から飛び出したみたいだ。消しゴムか何かか?
俺は頭に疑問符を浮かべながら黒い装置をまじまじと見つめる。これは……ケータイのバッテリー? いや、それにしちゃ小さいしUSBの穴とかもないな。
「あの、委員長。これは一体……?」
「…………」
筆箱の奥に入っていた黒い装置を拾って立ち上がった俺は不思議そうに首をかしげ、そんな俺の目の前で委員長は俯きながら立っている。
足元には委員長が普段使っている可愛い筆箱が落ち、夕日に照らされたクマちゃんがどことなく寂しそうだ。
俺が手に持っている妙に重いその装置は消しゴムでも、鉛筆削りでもない。なんとなくだが、電子的な装置であることはわかる。
しかし、その正体はわからない。何故そんな装置が委員長の筆箱に入っていたのかもわからない。
俺がその黒い装置を手に持って頭に疑問符を浮かべていると、委員長は俯きながら数歩近づいてきた。
俯いている委員長の表情を伺い知ることはできないが、ただならぬその雰囲気に半歩後ずさる。
やがて至近距離に近づく委員長。少し短めの黒い髪が窓から吹く風に揺れる。
風に流された委員長の髪から花のような香りがして、俺はごくりと息を飲んだ。
「藤宮くん―――何も聞かずに私の名前、今すぐ呼んでくれないかな」
「えっ……」
委員長は俯いていたその顔をゆっくりと上げ、言葉を紡ぐ。
夕陽に照らされた委員長の顔は耳まで真っ赤に染まっていて、潤んだ瞳の美しさに俺は一瞬呼吸を忘れた。
「な、名前って委員長の名前、だよね」
「うん。呼んでくれないかな」
「えっと……」
じっと見つめてくる委員長から視線を外し、俺は混乱する頭で思考を回転させる。なんだなんだどういうことだこれ。何故名前? そりゃ確かに委員長としか呼んだことないけどそんなに嫌だったのか?
視線を泳がせていると、委員長は不安そうに俯いた。
「一度だけでいいの。嫌かな」
「えっ!? い、嫌なんてことないよ! えっと……」
わからん。何が何だかわからんがとにかく、名前を呼べばいいんだな。委員長の名前はえっと、七瀬咲だったか。なら―――七瀬さんだな。
俺は変に緊張してバクバクと動く心臓の音を聞きながら、大きく息を吸い込んだ。
「なっ、ななせさ―――」
『おーいお前らいつまで教室残ってる!? 早く下校しなさい!』
「おうっ!? は、はい!」
教室のドアから先生が顔を出し、俺と委員長に大声をぶつける。そうか、もう日も落ちそうになってるんだな……全然気付かなかった。
茜色に染まっていた校庭の空はいつのまにか半分だけ藍色に染まり、ゆっくりと教室の中も暗くなっていく。少し冷たくなった風を感じると、俺は何かに気付いたように息を吸った。
そうだ、これ以上遅くなると夜道は危ないし、もう帰らなくては。
「…………」
「委員長?」
委員長は俯いたまま何も言葉を発さず、その表情を知ることもできない。藍色の暗い光に包まれてしまった筆箱が、ただ足元に落ちているだけだ。
「あっ、ご、ごめんね藤宮くん。その黒いやつ、防犯ブザーなんだ」
「あー、なるほど。じゃあ持ってないとね」
そうか防犯ブザーか、それなら納得。女の子の一人歩きは危ないもんな。
てか委員長めちゃくちゃ顔赤いし目線泳いでるけど、もしかして俺と話すの嫌なんだろうか。……だとしたら本気で立ち直れない。
ともかく委員長の説明を聞いた俺は納得して防犯ブザーを委員長に手渡す。委員長はブザーを受け取ると両手でぎゅっとそれを握ってずりずりと後ろに下がった。
「ありがとう藤宮くん! じゃあわたしゅ、もう行くね!?」
「あ、ああ」
委員長はセリフを噛みながら両手でぎゅっと防犯ブザーを握り、そのまま後ろに下がって教室を出る。めちゃくちゃ器用だな委員長……よくコケないもんだ。
「じゃっじゃあね! またあした!」
「あ、ああ。じゃあね」
ぱたぱたと小さく手を振る委員長に片手を上げて返事を返す俺。やがて教室には俺と委員長の筆箱だけが残された。
……ん? 残された?
「ちょ、委員長筆箱! 筆箱忘れてるよ!」
俺は大慌てでクマちゃんの筆箱を拾って廊下に飛び出すが、すでに委員長の姿はない。教室に戻って校庭を見下ろすと「ひぁぁぁぁ!?」と絶叫しながら委員長が校門に向かって走っていた。
「ええええ……ありゃもう追い付けねえな」
俺はボリボリと頭をかきながら、右手の中にある筆箱を見下ろす。今日一日相棒だったそれは、主人を見送って心なしか寂しそうだ。
「……まあ、明日渡せばいいか」
俺は鞄を肩にかけて帰路につく。その後玄関で待っていたアキラと合流し事の顛末を告げると「せっかく二人きりにしたんだからちゅーくらいせんかい」と理不尽に怒られた。できるわけねぇだろ。
「―――にしても委員長、なんか変だったな」
「あん? どしたハヤト」
隣に歩くアキラに独り言が聞こえていたらしく、アキラは疑問符を浮かべながら街灯の光でメガネを光らせる。
俺は星々の輝く空を見上げながら、小さく返事を返した。
「……なんでもねえ」
とりあえず筆箱は、明日返せばいいだろう。
そう考えながら帰路につく俺達を、月の光が照らしている。
夕飯の献立を何にしようか考えながら歩く、何気ない帰り道。この日の出来事が後に判明する委員長の大きな秘密に繋がっているとは、思いもしていなかった。