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 駅前商店街のアーケードを抜けた途端、頬に生温い滴を感じた。


 自宅兼職場のマンションまで、ここから徒歩十分。両手には数日分の食料を詰め込んだ大きな買い物袋。いまから商店街まで傘を買いに戻るのも億劫だったし、きっとすぐに止むだろう。


 梅雨時期の夕立に対して自分がなぜそんな判断をしたのかはいまでもわからないけれど、その希望的観測を後悔するのには三分も掛からなかった。


 にわか雨はすぐに本降りとなってむき出しの二の腕を叩く。あっという間に濡れネズミ状態。家を出る時に選んだのが、濃色のワンピースで良かった。



 家路を少しでもショートカットするために、普段は通らない細い路地に入る。


「ここを抜ければちょっとだけ早く着けるはず」とラストスパートを掛ける私の視界の隅に、何かぼんやりと光る物が映った。


 足を止めてみる。

 左手のマンションのエントランス。


 木製の小さな看板がスポットライトに浮かび、その真ん中でデフォルメされた本のロゴマークが、こちらにペコリとお辞儀をしている。



 本屋さん? いまはちょっと見たくないかな……


 そんな後ろ向きな思考とは裏腹に、ふらふらとその店へ吸い寄せられていく私。濡れたサンダルが、半地下へと続く階段に黒い足跡を残す。


 まぁ、少しの間、雨宿りさせてもらうだけなら良いかな。そんなことを思いながら、ガラス扉に手を掛けた。



 まず目に入ったのは、向かって左奥にある年季の入った木製のカフェカウンター。


 街中のチェーン店ではまず見かけないコーヒーを淹れる装置が、ズラリと並んでいる。なんて言うんだっけ、ガラス製のアレ。


 視線を向けたまましばらく記憶を探っていたら、カウンターの奥から黒いエプロン姿の男性に会釈された。慌てて、私も軽く頭を下げる。



 そちらのクラシックな雰囲気とは対照的に、向かって右側のスペースは壁面の真っ白な塗装も新しく、作り付けの書棚が並んでいる。中央のスペースにはやはり書籍の展示台がいくつか設置されているが、間隔がゆったりと取られていて窮屈な感じはしない。


 書店というよりはギャラリーに近い雰囲気。



 空調の効いた店内に足を踏み入れる。


 手近な書棚に視線を走らせて、すぐに気付いた。普通、書店では本の種類やジャンル毎に分類されて本が並べられている。雑誌、単行本、文庫、コミック。実用書、フィクション、ノンフィクション、写真集や画集、絵本、参考書、辞書、地図や洋書……


 だけど、この店は違っていた。いわば、ごちゃまぜ。友人の部屋の本棚を眺めてるみたいな。それでいて、上下左右の本達は、よく見るとちゃんと繋がりがある。


 星野道夫の「旅をする木」を囲むのは、アラスカのイヌイットの暮らしを取材したノンフィクションエッセイや、海外留学関連の書籍。エリック・カールの「はらぺこあおむし」の隣には原色昆虫図鑑。


 ミヒャエル・エンデと宮沢賢治が仲良く並んでいる一方で、三島由紀夫と太宰治は書棚の反対側に並ぶ。


 ガブリエラ・ミストラルとガブリエル・ガルシア・マルケスがノーベル文学賞作家として並んでいるのは、ファーストネームが同じ天使に由来しているからだろうか。



 そんな邪推に耽りながらゆっくり店内を回っていると、先程の黒いエプロン姿の男性からタオルを差し出された。それもハンドタオルではなく、バスタオル。


 しまった。書棚の本達にすっかり気を取られて、夕立に打たれて自分がびしょ濡れだったことを失念していた。きっと店内の商品が濡れてしまわないか、心配になったのだろう。



 もごもごとお礼の言葉を伝えながら、両手の買い物袋を男性に渡す。代わりに受け取ったタオルを濡れた髪に押し付けると、ふわりと柔らかい感触とともに石鹸の薫りがした。


 ひとしきり雨滴を拭ってから、そばで待機してくれている男性にタオルを返却する。もう一度お礼を言ってから早々に店を後にしようとしたら、呼び止められた。



「よろしければ温かいコーヒーでもいかがですか」


「え、でも、あの……」


「ほら、まだ雨も降ってますし、雨宿りしていってください。初めてのご来店ですから、お代は結構ですよ」



 胸の前で手の平をゆっくりと動かしてカウンターを示し、微笑む男性。


 タオルを借りた申し訳なさと、その洗練された仕草のせいで視線を上げることが出来ない。ラフなサンダルを引っかけてきたことをいまさら後悔。


 結果として、もごもごと口ごもりながらも何となくそちらに足を向けてしまった。どうして私はこうも意志が弱いんだろう……



 男性の前に手際よく器具が並べられていく。


コーヒー豆を計るスプーン、白くて丸い布はきっとフィルター、それからあれは、竹べら……かな? サイフォン下部のフラスコにお湯が注がれ、その上にコーヒー豆を入れた透明のガラス容器がセットされた。


 私に話しかけるでもなく、ただ黙々と作業する男性。


 ヒーターの熱を受けたフラスコのお湯が上部のガラス容器へ昇っていって、コーヒー豆を浸す。それを攪拌する男性の慣れた手付きに見入りながら、理科の実験みたいだなと考える。



「いつからあるんですか、このお店?」


「私の祖父が始めたんです。正確なことはわからないのですが、半世紀近く経っているのかも知れませんね」


「え、そんなに昔から? どうして私、いままで気付かなかったんだろう……」


「住宅街の地味な喫茶店ですからね。それに、本を扱い始めたのはつい最近なんですよ」



 フラスコの中には、抽出されたコーヒーが静かに満ちていた。


 私の前にコトリと置かれる、白磁のカップ。波のレリーフが刻まれた細身のそれはなんだかとっても高級そうで、口を付けることを躊躇ってしまう。



 そんな私の様子を、男性は勘違いしたらしい。



「お客様、ひょっとして猫舌ですか?」


「あ、いえ、決してそういう訳では……」



 いっそのこと、そういう訳にしておけば良かった。


 いや、たかがコーヒー。私だって今朝飲んできたし。お湯に溶かすインスタントだけど。覚悟を決めて、カップを口元へ運ぶ。


 わ、なにこれ。すっごく……美味しい。


 仕事中に飲んでいる雑味たっぷりの液体とは、全く別の飲み物。その違いに思わずのけぞって顔を上げると、こちらを優しく見つめる茶色い瞳とまともに視線が合ってしまった。


 マズい。人とまともに見つめ合うのなんて、何ヶ月振りだろう。



 慌てて視線を逸らして、とりあえず目に留まったショップカードに手を伸ばした。入り口に置かれていた木製の看板で見たのと同じ、本のロゴマークがペコリとお辞儀をしている。


 カードをクルリとひっくり返して…… 裏面のキャッチコピーが目に留まった。



「貴方にピッタリの一冊、お探しします」

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