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ブラインドを上げて窓を開くと、そこには紫陽花が朝露に艶やかだった。
梅雨の湿った空気が、店内にゆるゆると流れ込む。祖父の代から続く、住宅街の中の小さな喫茶店。僕が継ぐと告げた時、病床の父は物言いたげな眼差しをこちらに向けながらも、反対はしなかった。
半地下構造の店舗。使い込まれたサイフォンが並ぶカウンターはそのまま残しながら、テーブル席を思い切って全部撤去した。
壁面に書棚を並べて、がらんとしたスペースにも浮き島の様に陳列棚を配置。
こうして、僕の店がスタートした。
そこからは、試行錯誤の日々。
リニューアルオープンに合わせて手製のチラシを用意して、近所にポスティング。余ったチラシは朝の駅前で配った。
知人のジャズシンガーを招いてミニコンサートを開催してみたり、最寄りの芸大の学生達の作品発表の場としてスペースを提供したり。近所の子供達を集めて開く絵本の読み聞かせ会は好評で、いまでも定期的に続いている。
そして、足を運んでくれたお客さんにはコーヒーを出して、どんなジャンルの本が好まれるのかを丹念に聞き込む。
電子書籍の台頭が出版不況に追い打ちを掛ける中、会社員時代の友人が紹介してくれた雑貨などを扱ったりしながらも、なんとか食べていけてるのは我ながら行幸だろう。
今朝は初夏らしい晴れ間が覗いているが、午後からはまた雨天の予報。明日は定休日だし、カフェコーナーの消耗品の注文と、書棚のリニューアルプランを練ろうか……
彼女が僕の店にやってきたのは、そんな梅雨の日のことだった。