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東京最前線  作者: 及川りのせ
EP.03 人間受信装置
9/13

02

「ほらここ、若い男の子ならワンコインで入れるでしょ? でもご覧の通り三十代以上が多いからそもそも若い子なんて少なくて……二十代限定の所なんて他にもあるから。ユウスケくんぐらいのルックスだったらわざわざ親父なんか相手にしなくても選り取り見取りでしょ……。彼に初めて会ったのは春先ですよ。ああ、僕が初めて見たのがその時なだけで、それ以前から噂にはなってたんですよ、可愛い子が出入りしてるって。たまたま春に、店先で彼を見かけて声かけてそのまま一緒に遊んで……その時に色々と触ってもらってね。え、彼ですか? 彼の事は触ってないですよ。触らしてくれなくてね。まあでもせっかく会えたのに機嫌なんか損ねたくないですし……かねてからノンケだろうって噂も聞いてたんで。本人に直接聞いたわけじゃないけど、僕もそうだと思いましたね。頼めば色々してくれるんだけど、なんていうか、やっぱりちょっとした仕草や表情に出ちゃうんですよ。生理的に無理なのに無理してんだろうなってところがね、まあそれはそれで興奮するわけですけど。……彼が店に来る理由? そんなのも聞けるわけないじゃないですか。絶対に訳ありでしょ。いるだけで貴重なのに、そんなこと聞いて彼が来づらくなったらどうするんですか。こんな場所でもなければノンケの男の子となんてそうそう遊べませんよ……でも、でもですよ。彼は自分で選んでここに来ているわけです。きっと僕らとでないと共有できないことってあるんです。あなたのような方には分からないだろうけど、彼と遊んでると一緒になる感じがあるんですよ」

 聞いてないことまでとうとうと語る男の顔は、ユウスケとの時間を思い出したからなのかいつの間にかうっとりとしたものに変わっていた。

「本当に遊びだけか?」

「当たり前じゃないですか! 自分から危ない橋なんて渡りませんよ……だからこうして有料の場所に来てるわけで。美人局とか、勘弁ですし……」

 そう言ったあとの目が「互いに合意して遊んだのだ」と強く訴えてくる。ここまで警戒を張るということは、ユウスケ自身も彼に対してそういう振る舞いを積極的に行っていたということなのだろう。

「遊んだ見返りに……例えば金銭のやり取りはあったのか」

「それは言えないです」

「なんだと?」

「ええと、お金ではないです! せいぜいご飯奢るとかその程度くらいでお金渡したことはないです。でも言えません、彼との約束なんで……」

「約束ってなんだよ」

「本当スンマセン、勘弁してくださいよ……」

 岸和田が凄んで見ても目を逸らされるだけで男はだんまりを決め込んだ。困ったように頬をなぞる指先は震えている。

「殴られたって話はなんだんだ」

「恥ずかしいんですけど、ちょっと盛り上がり過ぎちゃってケツもいけるだろって……もちろん彼じゃなくて僕の方がね? そうしたらもう、鼻血が止まらなくなるまでやられちゃいました。それ以来、見かけても声かけづらくて」

 例えばあの男もそうですよと、フロアの片隅で絡み合い下敷きになっている小太りの親父を指差した。岸和田は視界の端に見るだけで眉を寄せた。

「あの人なんて前歯まで折られたそうですよ」

「よくそれで出禁になんねえんだな」

「僕もあの人も店外でのことですから」

「外でも会ってたのか?」

「彼が店出るところを追いかけただけですけど。外でなら最後までやれるって噂も聞いてたのに、僕はお断りだったみたいです」

 鼻をかきながら苦笑する男の顔はいつの間にかただの雄になっていた。

 その男から得られた新たな情報といえば、ユウスケは中高生の溜まり場と化しているゲームセンターにも出入りしているということくらいものであった。中には無理に金を握らせてまた店に来させようとする男もいるそうで、そうして得た金で遊んでいるのではないかとの証言だ。ちなみにホストとして働いていたことは知らない様子で、岸和田もあえてそこは触れずに通した。


 他に得られたものはなく、岸和田が滞在していた短時間にも通りがかった半裸の男に股間を押し付けられるカルチャーショックを味わう羽目になっただけだ。すぐそばまで近付いていたのにも関わらず気配を感じ取れなかったのは、このむせ返る閉塞した空間のせいだろう。その気がない人間にとって居心地の良い場所であるとはとても思えず、暇潰しや遊ぶ金欲しさで通うにしても効率が悪すぎる。今なら胸を触られかけたレイカの怒りも十分に理解ができた。

「ユウスケくん、どこにいるか知ってるんですか? またここに来てくれるように頼んでくださいよ、もうしばらく会えてないんですよ……」

「知るか。そんなもん本人次第なんだからよ」

 たとえ土下座されても連れてくるわけがないだろう。ネクタイを締め直し、岸和田は足早にその場を離れた。



 日をまたぎ今度は女の方に会った。自宅に来て欲しいと言われて向かったそこは六畳一間のゴミ屋敷。臭いこそしないが床には脱ぎ散らかした洋服が層となって積み重なり、寝床と思しきところだけ人型にぽかりと口を開けていた。

「うふふ、人が来るの、久しぶりなんですぅ」

 病的なまでに白い肌と染色を繰り返し痛んだ金髪の女が幽霊のように佇んでいた。年頃はユウスケとさほど変わらなさそうだが、一目で分かるアッチ側の人間だ。これまた濃いのが出てきたなと息を呑む。

「おじさんはユウスケくんとどういうご関係でぇ?」

「保護者みてえなもんさ」

「ふふ、そうなんだぁ」

 吊り上がった女の唇の隙間から矯正器具が顔をのぞかせた。


「初めて会ったのはユウスケくんが入店したての頃ですよぉ。私が初めての指名客だったんです、初めてですよ、初めて。一番乗りなんてすごくないですかぁ? 一目見ただけでピンときちゃったんですよねー。もちろん顔だけならもっとカッコいいホスト、いますよ? それに働きたてだからね、接客とかだってまだまだかもしんないけど、そういうんじゃないの。あ、あたしと同じ目してるって。なんかすごく溜め込んでるって。解放してあげなきゃって。そうそう、オシッコするくらいの感じ。貴方だって我慢できないでしょ。そうそう、あたしね、セックス依存症なんですよぉ。自分ではそう思わないんだけど、友だちとかに言われるしそれならそうなのかもなーって。理由は内緒ですよぉ。うふふ……でもユウスケくんにはこっそり教えてあげました。そうしたらまた私と同じ目になったんですよぉ。口は嘘つけるけど目だけは嘘つけないんですよ? お店に三回くらい行ってからかなー。ホテル付き合ってくれたんですよ? ちゃんとあたしも分かってます、割り切りだって分かってます、分かってます。あたしのことお金にしか見えてなくても大丈夫だし。再確認する感じ。今夜は五十万円使ったから今日のあたしは五十万円って。うふふ。ユウスケくんすごいんですよぉ。なんていうのかな、あたしやったことないけど女の子とセックスしたらこんな感じなのかなぁって想像しちゃう。あたしちょっと変わっててぇ、奉仕とか無理なんです。そんなにセックス好きならデリヘルでもやればって思うでしょ? でも溜め込んでるのはあたしなんですよ? 爆発しそうなのに奉仕とか無理なんで。その辺、ユウスケくんすごい分かってくれる。自分のこと置いておいて全部やってくれる。不満があるなら絶対入れてくんないことだったかな……でもね、でもね、男の人ここ勘違いしてるけど、女の身体って入れられることが全てじゃないんですよ。その前が大事。むしろ前戯の善し悪しで全てが決まると言っても過言じゃない。男の人って大きさとか長さで偉いとか偉くないとか言うけどあたしたちには関係ないですからね? でかいだけとかかえって迷惑ですからね? ユウスケくんそこよく分かってる。入れなくても満足させる方法知ってるんですよぉ。最初は入れてくんなくて不満だったんだけど、よく考えたら男がピックンしたらもう終了じゃないですか、賢者タイムとか言うんですよね? でも女にはそんなのないんですよ? 勝手にクールダウンされて置いてきぼりとか白けちゃう。そう考えるとね、こっちが寝ちゃうまで際限なくってのも悪くない気がしませんかぁ? きっと女の子同士って男の子みたいに明確な区切りないから、きっとこんな感じなんですよきっとね。あたしたちいっぱいいっぱい秘密あるから。秘密の関係ですよ。でも本当なら大声で言い回りたい。ずっと前の映画に世界の中心でなんとかかんとかってありましたよね、別に世界じゃなくてもいいからそこら辺の公衆便所の窓からでも構わないから大声で叫びたいですよ。でもできないから、ホテル行くんです。うふふ。

 ……え、何ですか、さっきから質問してるって? ああ、ごめんなさいちっとも聞こえてなかったです。ええっと、暴力振るわれたとか? うんうん、ほらだってあたしたち割り切りだから。あたしの価値以上のことをおねだりしたらつねられたりとか、叩かれたりとかしちゃいますよね。でもすごくないですか? 無価値って、ゼロじゃないんですよ。そこにはちゃんと存在してるのに見てもらえないってことなんですよ。ないけどある。あ、今あたし深いこと言ってる。ほら、透明みたいです。あたし、透明。透明なのにちゃんとつねったり叩いてくれたり、ユウスケくんはあたしのことちゃんと見えてるんですよ。すごくないですか? そうそう、死ねよとか言われるんだけど、生きてなきゃ死ねないじゃん。あたし自分は死んだものと思ってたんだけど死ねって言われたから、ユウスケくんには生きてるように見えたんですよねぇ。あたしですら生きてることに気付かなかったのにすごくないですか? 生きてること思い出せたの彼のおかげ。きっとユウスケくんもたくさんたくさん透明なもの持ってるから、持ってる人だから見えてくるんです。きっとそうなの。だからあたし何でもしましたよ? 多分ユウスケくんにデリヘル行けって言われたら行っちゃうかも。あ、実際ほかの男には言われたことあるけどね? でも彼は流石にデリヘルとか酷いこと言わなかったけど、そのくらい何でもしましたよ? でもやっぱお金使わないと不安になる。タダでやったら、あたしもゼロなのかなって。お金を貰う側になったら、その分マイナスなのかなって。まだまだあたし透明でいたいから……。

 あたし変ですか。こんなあたし変ですか。ねえ、なんでそんな目するんですか、何、馬鹿にしてんの? え? は? 分かってんだよ! 遊園地行って、着ぐるみの中に人間入ってるから騙されたーって、あんた言う? 言わないよね? あたしだって分かってんだよ! 彼があたしの前で着ぐるみきてフリして合わせてくれてることくらい、分かってんだよ、騙されてるとかそんなんじゃねえから! 消えろ、邪魔なんだよ! ここから出てって!」


 そこかしこに積まれていた洋服が岸和田の顔面めがけ乱れ飛んできた。手放しに謝罪をし、節度として礼を言うが伝わっているかどうかも分からないほどの荒れ様に身構えた。はあはあと肩を上下させる彼女のまとう空気の流れがひと時だけ停滞した。その気配に呼吸を合わせて、目の前の狂気に神経を注いだ。

 山盛りのブラジャーの中から取り出されたのはカッターナイフだった。それを彼女が握り込むのとほぼ同時に手首を捕まえて抑え込む。驚いたように顔を上げた彼女と視線がかち合った。

「カッターなんて出すんじゃない!」

「うるさい!」

 ピクピクと震える腕には無数の切り傷が引かれていた。それに岸和田が気が付いたことに彼女は気が付く。

「何? 何? 馬鹿なことしてるなって、思う? ねえ、どうなのよ」

「そんなこと知るか」

「そうだよね、あたしのことなんか分かるわけないもんね!」

 そう叫んだが最後、振り上げた腕から力が抜け、すかさず岸和田はカッターを取り上げた。

「みんな構ってちゃんだから切るんでしょとか言うけど、全然分かってない。分かったようなこと言わないで。ハッキリ知らないと言えばいいのよ。構って欲しいなら遊園地のど真ん中で子連れの家族とバカップルの目の前でザクザクやるわよ。構って欲しくないから、部屋の中で電気消してコソコソやるんじゃない。ねえ、そう思わない?」

 興奮で赤くなった顔が近付いてくる。カッターナイフは奪ったが、こんなゴミ屋敷ではどこから次が出てくるかなんて予想もできない。そこかしこじから刃を向けられている気配すらある。そうだなと小さく頷きを返すだけに留めておいた。

「うふふ、ちょっと分かってくれた?」

「……ユウスケにもリストカットがな」

「はぁぁ? あれがリストカットに見えるわけ? 一緒にしないでよ、ユウスケくんがリストカットするように見えるわけ? 何も分かってないじゃない!」

「いや、そのなんだ……俺の思い違いだったな」

「そうそう、そうだよねぇ。構って欲しくないのよ。ねえ、なのにどうして貴方は構ってるの?」

 議論の飛躍に付いていくだけでも精一杯だった。構って欲しくない、その主語は誰を示すのか。この女の脳みその中で、ふたりの境目は曖昧になってしまっているのだろう。

「……ちっとは理解したいと思ったんだよ。でもそれはおこがましいと知ったね」

「そうそう、あたしたちのことなんて分かるわけないんだよ。分かってるじゃない。貴方、ちょっとすごい。ユウスケくんほどじゃないけどちょっとすごい。ちょっと分かってる。いいよ、いいよ。もう今日疲れたでしょ。また今度、お話しようよ。またね、ばいばい」

 津波のように突如押し寄せてきた渦巻く感情は辺りを焼き尽くして去って行く。放り出される形で部屋を出てからの足取りは重たくて、負のオーラに当てられたことでこちらまで気が滅入る思いだった。

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