03
「東堂も厄介モンに釣られたな」
「笑えないですよ」
「お前は、笑えないだろうなあ? もしかしたら逆の立場だったのかもしれないからな」
全く久間の指摘する通りだ。岸和田とて、何かの弾みで東堂側の境遇に陥った可能性は決して低くない。だからこそ今回の事は最小限度で収め必要以上に東堂を追い込むことなどしたくない。
「あいつは辛抱が足りなかった。それさえなければ」
久間が目を細めて呟く。このような結果になったのは久間にとっても口惜しいことだ。三年は待っていた。東堂が変わるのであればと待っていたが、人間そうそう変われるものでもない。時代が悪いとか誰かのせいに出来れば少しは慰みにもなるだろう。
「いまヒデキに内偵させています。どこまで岩永が関与しているのか見極めたいので」
「やはりお前を若頭にして正解だったよ」
「はあ……」
「東堂だったら今頃相討ち覚悟で九州まで飛んでるさ。多くはそれで構わんが、岩永は違う。そんなんじゃ返り討ちにされるだけだ」
まだ三十七、八の男だと聞いている。その齢で九州湊組のトップに立つのだから親方としての実力は底知れない。そのような敵陣にわざわざ乗り込むなど相手の思う壺だ。
「タガが外れた曲者だよ。東京の常識は通じないだろうな」
「勝手に巣穴をほじくり回っている。常識なんて今更です」
ほかの若中連中には防戦とともに巣穴の監視も命じてある。勘の良いものはすでに東堂ひとりの考えで起きた事でないと気付いているだろう。
「岩永の動向がハッキリしたらどうするつもりだ」
「何もなく手打ちというわけにもいかんでしょう。ヒットマンの首は当然に貰うとして……東堂の潜伏先も引き出します」
久間はそれについて何も言わなかった。こんな事態でなければ総出で東堂をも追って構わない。しかしそれでは終わらせられない予感が岸和田にはあった。
東堂を消したところで残された配下組員がまた報復に打って出る。九州湊組も噛んでくるとなれば大規模な抗争に発展することは避けられない。収束に持ち込むにはやはりこちらも相応の犠牲を差し出すべきだろう。それが東堂に対するせめてもの義理だろう。
「あんまり無茶をするなよ。ひとりで背負い込まない度胸を買ってるんだからよ」
「それって度胸と言いますか」
「東堂の邪魔をしたのは自身の糞みてえなプライドだ。強くなけりゃ相手に弱みを見せられないだろ。だからってお前を買い被ってるわけでもないがな」
あなたの教えに従ってきたまでです。そんな台詞は喉の奥に押し留めた。上手く事が運んだ時に感謝の言葉と変えてみせよう。
「ヒデキの様子も確認しておきます」
窓際に立ってコールする。融通の利かしてくれる病院の存在は助かる。携帯の使用くらいは見過ごされ、煙草の匂いも目を瞑るだろう。
「はっ、はい」
電話口の向こう、明らかにヒデキの声が上擦っている。事務所に控えているはずなのにガサガサと雑音混じりで何だか嫌な予感がする。
「どこにいる」
「事務所ですよ」
「嘘を言うな。いま、車の音がしたぞ」
「すんません、高速乗ってます」
「どういうことだ!」
自分の声が響いて岸和田は頭に手を当てた。聞こえるうねりは風の音か。
「今すぐ高速からおりろ! そっち向かうからな、待ってろよ。どこにいるんだ」
「ええっ、無理ですよ……すんません。一旦切ります」
ブツリと通話が一方的に途切れ岸和田は目を瞬かせた。再コールをしても繋がらず自動音声案内へ飛ばされる始末だ。
「……お前、やっぱり見る目ねえな。若いモンに任せりゃそうなるさ」
久間の煙草はもう燃え尽きている。腹を撫でつけながらも悠然たる態度を崩さない。その表情はどこか楽しげで、岸和田の焦りなど笑い飛ばさん勢いだった。
病院を飛び出し事務所に戻ってみると、ヒデキの使用しているパソコンに航空機チケットの購入履歴が残されていた。行き先は長崎空港。それも二名分、ユウスケの姿までもない。履歴通りなら昨日の夕方には現地に到着していることになる。身勝手に飛びやがって。
追いかける手筈を整えている間に、未登録の番号から着信が入った。09で始まる市外局番は九州からのものだ。一呼吸おいて電話を受けた。
「どーも、はじめまして」
間延びした声がする。誰だと返せばギシリとスプリングの跳ねたような音がした。
「岩永っつーモンですけど」
いきなりお出ましとは。気を静めるため岸和田は浅く息を吐いた。
「どこの岩永だ?」
「あはは。アンタ道心会の岸和田さんでしょ、すっとぼけないでください。湊のモンです」
「生憎覚えのない名前なんでね」
「分かってるんでしょう、おたくも三下野郎なんか寄越しちゃってさ。迷子になってたから匿ってあげてるというのに」
「さあ、そんな覚えもねえな」
「食えませんね。どっかのお馬鹿さんみたいにはいかないか」
乾いた笑い声が耳に刺さり、無意識に拳に力が入る。受けて立つほどでもない安い挑発だ。
「匿ってるのは本当です、怪我ひとつさせてませんよ? でも要らないんで返しますわ」
「そっちに顔を出せってか?」
「いやいや、うちはちんけなモンですからおたくほどの組に来られてもおもてなしできませんし。丁重に送り届けます」
下手を装っているだけで選択肢をこちらに与える気はないらしい。ゲリラ的な攻撃を危惧していたが、このような形で正面から乗り込む口実をさりげなく作り出そうとしている。
「こっちだってもてなすつもりはないぞ」
「そんなこと言わず茶くらい出してくださいよ。明日、そちらに伺いますんで。あ、そうそう。迷子くんが無事は本当ですけどね、でもひとりは返せませんわ。クソ生意気なもんでもう半殺しにしちゃいましたんで」
それじゃあまた明日。岸和田の返答を待たずに電話は切られた。
ひとりはもう半殺し。先ほど電話で話をしていた時に、ヒデキの声に切迫している様子はなかった。言わされているだけかもしれないが、少なくとも会話ができる状況だ。クソ生意気という言葉が引っ掛かる。ユウスケのことだとすれば非常に悪い。
安否を確かめるべくユウスケに電話を掛けてみようとしたが、考えあぐね結局やめた。ユウスケは道心会と無関係だから解放せよとの言い訳も今ならまだ立つ。しかし岸和田からの着信を残してしまえばそれも潰えてしまう。もっとも今更かもしれないが。
明日なぞ待っていられない。無事と言いながらも殺しかけているなどと宣ってみせるなんて露骨な罠にしか見えない。それでも行くしかないかと腹に決めたとき、二度目の着信が入った。ディスプレイの表示を見て、安堵と怒りが織り混ざる。
「おい、てめえ! どこにいる!」
「すんません、まずいことになりまして」
コノヤロウと重ねかけたが、まずいことになったというヒデキの言葉に息を呑む。
「ユウスケが捕まりました。さっきは追跡中だったんすよ、でも完全に見失いました」
「お前は捕まってねえのか?」
「はい……でも尾けられてるみたいっす」
岩永は半分のハッタリと事実を述べていたようだ。できれば半殺しというのもハッタリであって欲しいところだが、ヒデキだけを泳がせているというのが気がかりだ。
「今からそっちに行く。それまで絶対に捕まんじゃねえぞ」
「ケツは自分で拭きます」
「絶対だぞ。捕まったってお前、助けてらんないからな!」
ヒデキと合流を果たした頃には、時刻はすでに夜十時を回っていた。ターミナル駅の前にある年季の入ったホテルのラウンジで、死角は少ない。尾行されているようだと言っていたがその気配は今のところなかった。
岸和田の姿を認めるなりヒデキは憚らず土下座をしてみせた。その左頬は腫れている。顔を上げさせ事情を聞けば、どうにも不可解な点ばかりだった。
「空港着いた時点ですでに監視されてたんですよ。まるで待ち伏せされていたみたいだ。色々調べる予定だったけどこれはまずいぞってんで、単なる旅行を装って監視が外れた隙に帰るつもりだったんです」
「ずっと監視されてたのか」
「……多分。仕方ねえから昨日は長崎市内をブラブラして宿に入って。今日の昼には尾けられてる様子を感じなかったんです」
その油断が致命傷になってしまった。丸々半日以上なにもしてこなかったというのに、食いかかってくるのは一瞬。移動のためのレンタカーを手配するほんの数分間、戻ってみればユウスケが袋叩きに遭っていた。ヒデキに気付いた連中はそのままユウスケだけを拉致し車で走り去ってしまったのだ。
「俺も飛び乗ろうとしたんすけど、投げ出されちまいました。追いかけたけどここらあたりまで来て見失って……」
「東堂組の奴らじゃあねえんだよな?」
「それは違います」
ヒデキだけはなんとか捕まらず脱出したというわけではないという状況に岸和田は首を傾げた。はじめからユウスケひとりをさらう算段で尾けていたのだとすれば、考え得る動機はただひとつ。狙撃現場を見たことの口封じのためか。そうだとしてもヒデキを逃がしてしまえば結局同じではないのか。時間をかけて捕らえた割には随分と杜撰な締め方に思えた。
「あのメモは全部、九州湊組の傘下にある中でも岩永との結びつきが特に強い」
「じゃあユウスケはそいつのところに?」
「だろうな」
犯行声明とも取れる電話をわざわざ寄越してきたくらいなのだ。こちらが先立って動くことくらい岩永にとっても計算の内だろう。
「ついて来るか? どうせ罠だろうが」
「もちろん。身代わり役ぐらい出来ます」
思いも寄らぬ名乗りに岸和田は目を見開いた。短髪を撫でつけながらヒデキは言を続けた。
「ケツは自分で拭く約束ですし」
「ユウスケのことをあれだけ邪険にしてたくせにお友だちにでもなれたのか」
「そんなんじゃないっすよ。あんな頭のおかしい野郎とダチとか勘弁ですよ」
なんだそれと返すと、ヒデキは真顔を少し崩してばつが悪そうに俯いた。
「嫌がるのを無理やり連れて来させちゃったんで。監視に気づいたのもユウスケの方が早かった。カンが鋭いんすかね、嫌な予感とかしてたんじゃねーかなって思えてきて」
たまたまだろうとヒデキの背中を叩く。俯いた顔が上がる頃にはひとつ覚悟を決めた表情に変わっていた。