01
耳障りよく言えば三食昼寝付きの手厚い保護。悪く言えば拉致監禁。カタギ相手にここまでの強行手段を取れたのは、この男が身よりのないながれ者であるからだ。
目の下にどす黒いクマを作ったユウスケが顔を上げ岸和田を睨んだ。その顔つきはすっかりふてくされている。
「終わりましたけど」
「ありがとうな、悪気があるわけじゃないんだよ」
「訴えてやる。絶対に訴えてやる」
「今夜は親父がもてなしてくれるらしいから、そう言うな」
先日、我が道心会から出された破門状は大きな反響を呼んだ。理由はその中身ではなく、宛名が手書きではなく印刷文字であったこと。
身内でもそれは大騒ぎとなった。一体これは誰が成し遂げたのか。転がり込んできた青年らしい。そうか、そいつを逃がすんじゃねえ。年賀状をやるまでは逃がさないぞ。という具合にユウスケの軟禁が速やかに始まった。
破門状は千枚ほど出状したが、あくまでもどっぷりこの世界に浸かっている者たちに限られた宛先である。しかし年賀状となるとそうはいかない。関連諸団体に構成員の親兄弟、ひいては日頃ご迷惑をおかけする近隣住民や商店街、隣接する自治体関係者まで、その枚数たるや桁違いのものになる。それらを全て手書き、毎年悲鳴を上げながら手書きしてきた。なぜなら頭である久間がパソコン印刷という文明の使用を「仕組みがよくわからん」と切り捨て認めなかったから。たったそれだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。
先頃までユウスケのいた場所にはとてつもない量の完成した年賀ハガキがうずたかく積まれている。
まず喪中や不在の整理から始まり、住所氏名や所属・肩書に変更はないかの点検に加えて、新規宛先の追加更新。そこまでが終わってようやくハガキの印刷に取りかかれる。それら全ての作業が「パソコンに詳しいなら君がやれ」という久間の一言でユウスケに丸投げされた。誰かが手伝おうものなら「訳の分からないことをするな」と久間の鉄拳が飛んでくるから加勢もままならない。
ちなみに室内外に監視役が設けられたのは久間の指示ではなかった。ユウスケが脱走した場合、結局手書きになることを恐れた有志たちによるものだ。
密室で監視されながらの作業にユウスケは、二日目早々静かに発狂した。監視役はお世辞にも涼しい人相ばかりではないから、この点については岸和田も同情してしまう。昼寝の時間を与えたところ収まったのでそのまま作業は続行してもらった。
三日目で昼夜逆転が起きた。定刻で食事と睡眠を取らせていたのだが、寝る時間になってもまんじりともしなかった。発狂がなにか影響したのだろう。ここで作業効率が大きく悪化した。
六日目に一旦持ち直すものの、不眠症だけが残った。無礼な発言の数々から図太い奴かと思っていたがどうやら神経質なタイプだったようだ。
七日目は安息日ということにしたが、外出は許されなかった。半日ばかり監視していたヒデキが「突然笑いだして気味が悪かった」と言っていたから、精神崩壊一歩手前だったかもしれない。
そして九日目の今日、ようやく全てが片付いた。十人力で手分けしても二週間弱かかっていたことを思えば驚愕の早さだ。
「おお、偉かったな」
音もなく現れた久間の姿にユウスケは眉をひそめた。そんなユウスケには構わず出来上がった年賀ハガキを一枚取り上げ、久間はいたく満足そうな様子だ。
「出掛けるぞ。酒でも女でも好きなもん食わしてやる」
ユウスケの白っぽくなってしまった顔を見る。はしゃぐでもなく肩で息を吐いていた。
運転手としての指名を受けて岸和田はガレージへ車を取りに向かう。
複数台収容可能なそこはがらんどうとしており、よりにもよって一番派手な色の一台しか残っていない。アメ車なんてあんまり好きじゃねえんだよなと一人ごちて運転席に乗り込んだ。
「カマロだ!」
門前に車を回すと二人はすでに表へ出ていた。横付けした車を見るなりユウスケは、クリスマスプレゼントを認めた子どものような嬌声を上げた。名目上ユウスケの接待なのだから勝手に気分が盛り上がってくれるのは結構なことである。こんなもので喜ぶのだから中身は普通の若者だったなと彼に対する認識を改めた。
「お前、ロクな輩じゃねえなァ」
耳を立てるまでもなく後部座席の会話は聞こえてくる。色々と調べさせてもらったよと付け足された久間の言葉に、ユウスケの返事はない。どこの者とも分からぬ人間を何日も置いておくわけがなかった。岸和田もあずかり知らないところで身辺調査でもしたのだろう。
久間の鑑識眼は常人のそれとは一線を画している。久間の見立てが外れたケースを岸和田は知らなかった。厳格な統率者ではあるけれども基本的には穏健派。転がり込んだ学もないゴロツキにまず教えるのは銃の扱いではなく、そいつに見合った合法的なシノギのやり方。拳に頼りきらずここまで組織を大きくする手腕は一流の経営者だ。
過去にたった一人だけ、ユウスケ同様にロクな輩じゃないと指摘された奴がいたが確かに前代未聞の荒くれ者だった。挙げ句の果てにロクな死に方もしなかった。道心会にとって害はないという程度で、ユウスケは見かけによらずとんだ外道かもしれない。
帰ったらユウスケを叩いてみるか、ふとそんな考えが頭に過ぎる。退学になるとか親に勘当されるとか、その程度のしくじった過去を持つものは他にいくらでもいる。対する久間の評価はあまりに不釣り合いで、ユウスケは他にも何かやらかしているのだろうと察するに値するほどのものだった。
赤信号のタイミングでユウスケの様子を窺った。わざとらしいほどに久間と距離を置いてシートに身を埋めている。遠く窓の外に流している視線はただ景色を見ているようではなかった。
ほどなくして目的地であるナイトクラブに到着した。命ぜられるままハンドルを握ってきたが、ユウスケが酔うと酷いことを今さらになって思い出す。ゲロ掛けられた背中の感触まで蘇り、岸和田はたまらず身震いした。この僅かなタイムラグが命取りとなる。
乾いた破裂音が三発。
一足先に車外へ出た久間の肉体がドサリと地面に落ちた。とっさに岸和田は後方を睨む。さっきまでいなかったはずのミニバンが一台、男が後部座席に転がり込むのと同時に動き出す。フルスモークがかけられたそれは岸和田を嘲るように夜闇へ消えていった。
だから目立つ車は嫌いなんだと思ってもすでに遅い。久間に駆け寄ると左腹部から出血している。やられた。叩きつけた拳がボンネットを歪ませた。
「大丈夫ですか!」
久間の身体を極力動かさないよう衣服をたくしあげると決して浅くない銃創が顔を覗かせた。苦痛に表情を歪ませながらも意識はある。食らった弾丸はこの一発だけのようだ。しかし聞こえた銃声は三回だった。
まさか。血の気が引いて、岸和田はもうひとりいるはずの男を見た。
後部座席では撃たれ血を吹いている、わけでもなくスマートフォンいじりに夢中なユウスケの姿があった。引いた血が一瞬で沸点を迎える。てめえと剣幕を立てたところでようやくユウスケは顔を上げた。
「何してやがる!」
「え?」
「え、じゃねえんだよ!」
「犯人の顔、撮れちゃった」
「えっ」
「消した方がいいですか?」
「待て、消すな!」
ユウスケからスマートフォンを取り上げる。岸和田が見た画面には間違いなく拳銃を携えた人影があった。
病院に搬送された久間には緊急手術が施され、いまは集中治療室の中にいる。顔色が悪く見えるのは人工呼吸器のためだけではなかった。幸い命に別状はないそうだが、取り返しのつかない失態に岸和田は己の油断を呪った。
ユウスケが捉えたヒットマンの顔に認識がない。先日の破門の件が絡んでいると見当をつけていたのだが、当の破門に付した東堂組の人間でないことは明らかだ。となるとこの人物は一体何者なのか。これだけ鮮明に写っていれば特定に時間はかかるまいが、端からトップを狙う手口より導き出せる嫌な予感に岸和田は顔を歪ませた。それと同時に残忍な思考が渦を巻く。
「クマさん、大丈夫かな」
ユウスケはいつの間にか久間のことをそう呼ぶようになっていた。今はヒサマだと訂正する気分にすらなれない。手術は成功しているとはいえ、目覚めるまで心は落ち着かないのだ。
「お前も一応、人の心配とかするんだな」
「今度は喪中ハガキ作りとか勘弁ですし」
「てめえの心配か……」
動かぬ証拠を得た手柄をもひっくり返す発言に、ユウスケはどこまでもユウスケのままだった。真横で人が殺されかけたところを悠長に撮影できる性根は腐っているのかはたまた鋼鉄か。そもそもここは息のかかった病院だ。至上の設備による至高の治療。そんなことになるわけもないが。
一夜明け、事務所に戻るとそこは地獄絵図と化していた。頭が撃たれたのだ、ある意味で予想を裏切らず殺気立つ野郎どもの犯人探しで騒然としている。
ユウスケには間違っても写真の存在を示さないよう忠告しておいた。この惨状を目の当たりにしてから、ようやくユウスケは解したようで静かにスマートフォンを懐に収めた。
血で血を洗う報復合戦が始まるのは火を見るより明らかだ。下手に出れば無意味に命を散らすことになる。久間の無事が確保されている以上、まだ組織の舵は久間の手中にあるのだ。まずはこの場をどう静めるか、それを考えるのが先だろう。
ハガキをせっせと印刷していた頃とはまるで変わってしまった雰囲気にユウスケは居心地悪そうにしている。片時も岸和田のそばを離れようとせず動向を窺っていた。
「犯人、殺しちゃうの?」
「俺たちにもメンツってもんがあるからな。顔がこいつらにも割れたら俺でも抑えらんねえや」
「やっぱり人殺しは死ぬべきですよね」
「親父は死んでねえぞ」
「ところで俺、どーしたらいいんですか」
ユウスケは責任取ってくれと言わんばかりにブツブツと愚痴をこぼす。それもそのはず、まだユウスケの顔を知らない者の方が圧倒的多数で、血走った目玉のいくつかは「誰だこいつは」と言わんばかりに威嚇しているからだ。
気の毒なほど間の悪い男だ。なんでもなければさっさとどこかに逃がしておくところだが、不幸にも現場に居合わせた。当然、相手方に顔まで見られている可能性が高く、抗争に発展すればターゲットにされかねない。あくまでも一般人であるが同乗していたところでそんな区別がつくはずもない。ユウスケが襲われることがあればいよいよ収まりはつかなくなってしまうだろう。根城であるここが皮肉にもユウスケにとって最も安全なのだ。
一寸、思考を巡らせ岸和田は開手を打った。ざわつく広間が静まり返る。
「この度の件は俺の粗相が招いたことだ。俺が先に車を降りておけば避けられた。このケジメは追ってつける心積もりだが、まずは親父の回復を待ちたい」
そんな呑気なことを言ってられるかと、どこからともなく怒号が飛んでくる。それを諫める者との間で張り詰めた空気が悲鳴を上げ、またひとりいきり立った。
「どうせ東堂の野郎だろ、最後の最後までやらかしやがって!」
「そのことだが……、チラリとしか見えてねえが撃ったのは東堂組にない顔だった。だから親父を待ちたいと言ってるんだ」
威勢の良かった顔つきが戸惑いの色に塗り替えられていく。それは彼に留まらず、ここにいる者全てにおいてだ。
「じゃあ一体どこのモンだ」
「東堂が無関係とは思っちゃいねえ。でもいま動くのは相手に付け入る隙を与えるだけだ。親父も二、三日で集中治療室を出られると聞いている。それまでに目処を立てるから、少し時間をくれないか」
岸和田はおもむろに膝を、手を床に付いた。
頭なんて下げてくれるなと、興奮の波が静かに返していくのを肌で感じた。
「若頭が土下座なんて滅多にするもんじゃねえ。自由に動き回らせてはもらうけど、親父が起きるまで手は出さねえから」
「恩に着る」
話の通じる人間たちで良かったと、岸和田は内心胸を撫で下ろす。あの写真がなければ己だって単身乗り込んでいたかもしれない。
これは最早親子の喧嘩じゃねえぞ、もっとでかい山が動く。
岸和田が指示したのは防戦体制のみ。こちらから仕掛けはしないが侵入も許さない。踏み込まれる瞬間に制圧してみせる。
親分だ子分だとは言ってもここにいる者はみな、自分のところに戻れば大なり小なり一国一城の主なのだ。皆まで言わずともあとは上手くやってくれる。
あらかた出払うのを待ち、岸和田はヒデキを呼んだ。血気盛んな若者には武勲を挙げるまたとないチャンスでもある。しかし二の句を聞かされ、期待に満ちた獰猛な顔は翻った。
「要するにお留守番ってことですか! よりによってコイツと!」
ヒデキが指さす先にはユウスケの姿。歯を剥いて怒りを露わにするくらいには、ヒデキだってユウスケの不躾な発言の数々に辟易している。その上でここを動くなというのは酷かもしれないが、いま一番必要なのは情報なのだ。
鼻息荒げるヒデキに、岸和田はそっと書き付けたメモを握らせた。
「居残ってやって欲しいことは全部書いてある。……あと、ユウスケが撃った野郎の写真を持ってるから」
「マジっすか」
「だから乱暴にしないでちょうだいね。餌は一日三回で。俺は写真の人物が誰か探るつもりだ。他言無用だぞ」
「分かりました」
ユウスケの安全はひとまず確保された。最近走り回ってばかりだな、吐息混じりで岸和田も事務所を後にした。
「……なんか、餌とか聞こえたけど」
岸和田の命で事務所に留まる決意は固めたものの。愚痴っぽさを隠しもしないユウスケに苛立ちが募る。
とりあえず一発殴りてえ。思わずヒデキは拳を握り込んだ。しかし顔写真を持っているとも聞かされた。それさえ得られればひと暴れする機運が自分にも回ってくるのだ。努めて平静を装い、ユウスケに向けて笑顔を作った。
「親父を襲った奴の写真あるんだってな、見せてみろ」
「ありません」
「兄貴から聞いてんだぞ、嘘つくなっ」
「見せるなって言われてるもん。だから貴方に見せる写真はありません」
「なんだとっ」
堪えきれずヒデキはユウスケの胸倉を掴んだ。それでも怯むでなく無愛想を貫く横面に拳骨を添える。拳が風を切る音も、頬を打つ音もしない静かな脅しだ。
「殴る真似事?」
「乱暴にすんなって兄貴に言われてんの! そうじゃなきゃとっくにフルスイングしてやらあ!」
「……そんなに気になるなら見せてもいいよ。なんで東堂とかいう人が追い出されたのか教えて」
「関係ないだろ、お前には」
「お宅で出した破門状、俺の指紋がベッタリなんですけど」
見せつけるように掌をヒデキに向け、てらいもなく言うユウスケは降参した姿にも見える。ここまできて無関係もないかと両手を放した。
「ちょっとしたゴタゴタがあってさ、東堂組の奴が間違えて警官を射殺しちまったの」
「それで破門だなんて、変なの」
「変じゃねえよ。警官を撃ったら理由問わず破門。それが俺たちのルールなんだよ」
「前から思ってたけど色々面倒くさい人たちだね」
なんと一言が多いやつなのか。鳴らしかけた舌打ちはおもむろに取り出されたスマートフォンのために飲み込んだ。
「はいどうぞ」
「おお、はっきり写ってる」
見つめて数秒、全く見覚えのない顔に首を傾げた。同い年くらいだと見立てたが、記憶のどこを探しても該当者がいない。ここら辺りにで目立つ同世代の奴は大体面識があるつもりだったのに。
「見覚えないなあ」
「岸和田さんでも知らない人だってのに、自分は分かると思ってたの? 無理に決まってるじゃんウケる」
「てめーぶっ飛ばす!」
ヒデキが腹に浴びせた膝蹴りにユウスケは声も出ずに悶絶する。こんな奴と仲良くするなんて絶対に無理だ。二発目の蹴りでひっくり返ったユウスケを見て、ざまあみろと思った。