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東京最前線  作者: 及川りのせ
EP.04 悪い奴ら
11/13

01

 霊園の石段を上りきる手前、岸和田は二十人ばかりの人だかりに気がついた。住職の間延びした読経は山おろしにかき消されてしまいそうだ。

 そこを迂回して、ちょうど一段上の区画に立ち止まる。視線は彼らの数メートル上に、会話は丸聞こえの距離だがこちらが黙っていれば誰も気にも留めないだろう。

 その集団は今まさに、四十九日法要の真っ最中であった。他と比べても一回り広く取られた立派な墓だが、それでもこれだけの大人数が集まれば手狭に見える。

 傍らには簡易テーブルで作った祭壇が用意され、骨壺と老女の遺影が置かれている。彼らは彼女の子や孫たちなのだろう。口を開けている納骨棺(カロート)には大きな骨壺と手のひらほどの小さな骨壺がひとつずつ収まっている。長く生きようが短く生きようが、大方の日本人が行き着く先は結局この形なのだ。


 用があるのはこっちの狭苦しい方だ。黒い墓標はしばらく来る間をあけてしまったばかりに雨垂れ跡が残っていた。柄杓で墓標の汚れを洗い流しながら聞こえてきたのは、有り難いのかどうかもよく分からぬ坊主の説法だった。


南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうの違いが分かりますか。法華経のお題目はですね、これを唱えるだけでその全てを唱えたことになるのです。この世の全てのお経が含まれているということですな。そうして全てを理解し、修めたことになるのですからまったく便利。コンビニみたいなものですな」

 見た目に反して軽妙な語り口であるが、遺族の方は話半分といったところだ。幼児連れも何人もいるからさながら保育所の様相を呈しているのもあって、厳かというよりは賑やかしい儀式である。

「コンビニみてえって、なんなんだよな」

 目の前の墓石に向かって小さく呟く。線香の代わりに手向けたのは吸いさしの煙草一本。相変わらず坊主の軽口は続く。

「私もね、ここの霊園で何百人とやってますけれどもね、百を超えた方というのは片手ほどしかいない。実に素晴らしい。ええっと、この子たちは孫じゃなくて曾孫ですか。いやあ全く素晴らしい」

 百という数字に岸和田は再び顔を上げる。文句なしの大往生、通りでしみったれた雰囲気もないはずであった。まるでピクニックにでも来たかのようにはしゃぐ幼児の笑い声が大きく響く。

「百才だなんてとんでもねえな。お前はどうなんだよ、あのばあさんに比べたら半々人前じゃねえか」

 独り言に手向けた火が呼応することはない。


 一通り儀が終わり、下の集団は各々に引き上げていった。

 残ったのは満開の仏花と線香皿から立ち上る細い煙だけだ。文字通り先祖代々の墓であるのか、墓石のデザインは周りと比較しても古くからある様式のものである。それでも手入れが行き届きピカピカに磨き上げられたそれは誇らしげに胸を張っているように見える。

 縁石に腰掛けて岸和田はもう一本と煙草を取り出した。山間の六万平方メートルに並ぶ無数の鈍色たち。なんだか東京のビル群をそのまま小さくしただけのようにも見えた。

「お前みたいなパープリン野郎でもいなきゃいねえで大変なんだぞ」

 ハラリと灰が落ちるのも構わずに続ける。

「あの子だってもう、酒が呑める年になっちまったんだぞ」

 岸和田が放っておけばロクに墓参りもされないであろうロクデナシ。

 またしばらくは来られなさそうだと言って、そこを後にした。

 明日はあの子が帰ってくる日なのだ。誘いかけたところで墓参りに来ることは望めないであろうが。




「大人しく死んでおけばよかったのに」

「開口一番にそれはないんじゃないのか」

「思ったことをありのまま述べただけ。死神にすら忌避されるって本当に罰当たりね」

 撃たれた久間の傷は順調に快方へ向かっているが、まだ激しく動き回ることは制限されている状況だ。車椅子ではなくなったものの安座でいる時間は長い。しかしこれでもかと浴びせられる辛辣な言葉に対して怒りを表わすことをしないのは、それをまくしたてているのが久々に帰ってきた一人娘、チハルであるからだ。

 留学は丸一年。一年前には長かった髪をバッサリと切っていたせいか、一瞬誰かわからないほどにはすっかり大人びた風貌になっていた。

「……ところで、ドイツは楽しかったか」

「まあまあじゃない。こんな熊男が父親だって知ってる人もいないし、その点勉強するにはとっても気楽だったね」

 言葉が過ぎないかと諌める者は当然いない。そんなことは無意味であると誰もが分かっているし、余計な油を注ぐ結果になるだけである。岸和田もあまりに酷い言葉が飛び出すのであればたしなめるつもりではあったが、そこまでの無分別は起こらなかった。

「そんなことより、あれは何?」

 彼女の目線の先にある一角は、明らかに人が生活をしているとしか思えない程度に荷物がある。

「ちょっとした居候のようなもんで」

 当初はユウスケの荷物など小さなカバンひとつ分であったが、こうも居る期間が長くなってくると寝具はいちいち仕舞わずにたたむだけとなり、ちょっとした雑貨類も増えてくる。わずか一畳ほどのスペースであるものの、生活感まで消せるものではないのだ。

「住み込みってこと?」

「そういうのでもなく」

 経緯を知らぬチハルに順を追って説明するには少々事情が込み入っているが、さして興味はないらしい。追及するつもりもないようで早々に引き上げる準備を始めている。

「もう行くんですか」

「三十分以上はここに留まらない主義だから」

 散々な物言いだが、当の父親は肩をすくめ苦笑いするばかりだから他人が口を挟むことではない。ここからさほど離れていないところにある別宅には母親も待っている。送りますよ、と岸和田が言ったところで電話が鳴った。

「すみません、出ますね」



 電話の相手は、アルバイトとしてユウスケを引き受けてくれた古くからの友人だった。まだ四日目、早々にあいつが無断欠勤をしたという連絡だった。今朝は時間通りにここを出て行ったと記憶している。どこで油を売っているのか。

「まあ、いいんだけどね」

 寛大な台詞が電話越しに届く。

「いいや、よくない」

 後日埋め合わせはすると詫び、岸和田は電話を切った。

「居候くんが、どうかしたの?」

「バックれやがったみたいです」

 答えながらユウスケの電話番号を呼び出した。しかし繋がらない。電源を切っているようだ。

「……早く連れ戻せ」

 ここまでずっと黙っていた久間が唸る。もちろん言われなくともそうするつもりであるが。

 そんなタイミングを見計らったかのようにヒデキがやって来た。ちょうど良いとチハルの送迎をさせようとしたが、この状況を知るなり思わぬ提案をしてきたのだ。

「俺、ユウスケの行きそうな場所分かるかも」

「見当ついているのか」

「ゲーセンじゃないっすかね」

 最近そんなような話をしたとヒデキが言う。行き先としていくつか候補があるのだそうだ。

「それじゃあ居候くんはヒデキが探しに行けば? 岸和田だとその格好じゃあ……悪目立ちするだけだと思うよ?」

 チハルの指摘も尤もである。若者が出入りする場所には若者が、一番怪しまれにくいだろう。ユウスケの捜索もその方が捗るというものだ。

「俺はそれで構わないっすよ。今度は捕まるようなこと、しませんし」

 岸和田の返事を待つこともなく、もう出かけようと支度を始めている。

「連れて帰るだけだからな。何かあればすぐに連絡しろよ」

「分かってます。そりゃあもう、汚名挽回しないと!」

「挽回してどうすんだ」

「ええっと、汚名はそそぐでしたっけ。まあいいじゃないっすか」

 それじゃあ、と言い残してヒデキが外に出た。


「岸和田はどうするの」

「チハルさんを送ったら俺も探しに行きますが」

 ゲームセンター以外となれば、以前ユウスケが働いていた店のあるあたりか、それとも……。

「行ってきていいよ。私ひとりで戻れるし」

「そういうわけにもいかんのです」

 ユウスケが居候を続ける羽目になっている最大のリスクはまだ解消されていないのだ。



 車で行けば十分もかからない距離。車中、後部座席の彼女に声をかけた。

「昨日、墓参りに行きました」

「……ふーん」

「随分と立派な墓がそばの区画に建っていましたよ」

「墓だけ立派でも意味ないのにね」

 ルームミラーを見遣る。よそを向いていると思っていたのに視線が合ってしまった。

「馬鹿だから、死ぬんだから」

「それなら親父は当分死にませんね」

「……それもそうだね」

 不意に彼女の口元が緩む。何のかんのと突っ張ったところで親子なのだ。

 つつがなく送り届けて岸和田はハンドルを取り直す。その時、ヒデキからのメールに気がついた。


『一軒目にはいませんでした。次行きます。』


 あの馬鹿タレが。舌打ちは吹かしたエンジン音が消していく。




 二軒目にヒデキが選んだのは、ここらでは特に規模の大きなゲームセンターだった。

 入口近くはプリクラが数十台も所狭しと並んでいる。目隠しの下に伸びる足に注視する。ほとんどは女子高生だが、数組のカップルらしき足もある。その前に立つが、声が違うと先を行く。

 プリクラゾーンを抜ければクレーンゲームや音楽ゲームなど、最新機種の並ぶエリアが広がる。そこもかしこも十代、二十代の若者でごった返していて、頭上からはBGMが喧しく降り注ぐ。

 右に左にと視線を忙しなくしていると、肩口が誰かとぶつかった。

「……ンだよ!」

「悪い、余所見してた」

 軽く頭を下げるだけで、この手合いは案外すぐに引いてくれる。ガン垂れながらも離れる男の後姿を見送りながらヒデキはさらに店の奥へ。今は小競り合いなどしている場合ではないのだ。


 スロットゲームのある辺りまで来て、ようやくそれらしき人影を見た。レーシングゲームの筐体に乗り込み様子を伺った。モニター画面の外枠に見切れる形でその人物の挙動が観察できる。やはりユウスケだった。誰かと話をしているようだが相手の姿はスロット台に隠れてよく見えない。

 しばらくしてふたりは共用トイレに向かった。先にユウスケが、少し間を置いて相手が。後姿だけだが、年長者であるように見える。

 トイレの出入口がよく見える筐体に身を移した。五分ほどして相手だけひとり出てきた。その男はユウスケよりふた回りは年上だろうか、まさか普通のお友だちというわけでもあるまい。彼はヒデキの姿に気を留めることもなく店の出口へと真っ直ぐに歩いていった。しかし更に五分ほど待ってもユウスケが出てこない。しびれを切らしてトイレに向かった。


「……っ!」

 扉を開けて踏み込んだ瞬間、照明が落ちた。急な暗転で視界が奪われる。思わず半歩後ずさりかけたが、今度は左手首を何者かに掴まれた。そのまま奥へ引きずり込まれる感触があり必死に踏み止まった。ユウスケが出てこない理由。先立ちした怪しい男。腕を取るこいつは誰なのか。長崎で、強引に拉致されていったユウスケの姿が走馬灯のように頭を駆け巡っていた。

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