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東京最前線  作者: 及川りのせ
EP.03 人間受信装置
10/13

03

 その夜、訪れたクラブで何か収穫はあったのかと訊ねてきたレイカには肩をすくめてみせるしかなかった。

「急に何だその目はとか言われても分かんねえよ。ガンなんか飛ばしてないっての」

「退屈そうな顔でもしてたんじゃない?」

「何言ってんだこいつ、とは思ったぞ。でも思っただけだ」

 ポーカーフェイスを作ることには自信がある。そしてあれくらいのことでそれを崩した覚えもなく、内面まで目敏く指摘できるほど頭が明るい女にも見えなかった。

「その気持ちが彼女の脅威だったのよ」

「別に脅かしてなんかいない」

 そういう意味じゃなくてと、レイカは足を組み直し話を続ける。

「例えばスクランブル交差点で後ろから音もなく刃物で襲わたら、私は気が付かないと思うんだ。だってそんな気配がどんなものか知らないもん。でもマサシさんはきっと気付いて振り返ることができる」

「刃物振り回してきたら流石に分かるだろ」

「普通の人は気付かないってば。でもね、それが痴漢の類だったら私は背後からでも気付く自信がある。でもマサシさんは気付かなくて結局お尻触られちゃったり……何で今ビクッてしたの?」

 レイカの指摘する通りなのかもしれない。ハッテン場では、間違いなく視界の端で近付いてくる人影を捉えていた。それにも関わらず接触を許してしまったのは、あの異様な空間で調子が狂っていただけかと思っていたがそうではないのかもしれない。

 一方でカッターナイフの時は一瞬だけ止まるような息遣いを確かに感知したのだ。考えるよりも先に制止の手が伸びていた。

「要するにアンテナみたいなものだよ。彼女が嫌だなって思うような気配の電波がきっと出てたんだ」

「アンテナ、ねえ」


 自分に生じた感情は電波になって飛んでいく。相手に生じた感情は電波になって飛んでくる。それを受け取る体制がなければ電波が届いたことすら分からないままだ。逆もまた然り、意図せず放ったそれが思わぬ形で受け止められてしまうことだってある。電話のように受け手と送り手がピタリとかみ合った時だけ通じ合える、アンテナとはそういうものなのかと、岸和田は結論を下した。


「でもよ、あの男と女は強烈だったぞ。ユウスケはどうなんだ。あんなのとでも仲良くやってたみたいだけど、流石に同類には見えねえな。特に女の方。でもあれと波長が合うってのはやっぱり同類ってことか」

「ユウスケくんには電波がないんだよ。私が彼を煽ってみた時、本当にすごく怒ってたよ。でも言葉だけ、身振りだけって感じがした。その先が何もない。電波ゼロって感じ。どっちかと言えば自己主張は激しいタイプなのにね」

 あんまり抽象的な話をするなと笑いかけたが、レイカの表情はより深刻さを増している。

「上手く言えないんだけど、急にスッと入ってくる時ってない? ユウスケくん、今何をしたのってなる時。こちらの無意識のところで彼が動いているっていうのかな。こっちに思い切り寄せてくる。こっちのアンテナに同化してくる感じ。こっちの電波に乗っかってくるっていうのかな?」

「電波ゼロというか、俺らが拾えない形になっている?」

「ああ、それ。それが近いかも。自分で自分の電波は拾えないもんね」

 改めて見据えたレイカは真顔を崩そうともしない。こんなわけの分からないことでも本気で言っているのは疑いようもなかった。

「こうしている間にも私たち、あなたは何を考えてるのって探りながら言葉を話すでしょ。相手からの電波を必死に拾おうとしてるんだと思うの。多分これがスタンダードな形。でもさ、相手に飛び込み過ぎたら拾えないじゃない。だって相手が自分自身になっちゃうんだもの」

 ふざけているようでいて至って真面目な会話を頭の中で反芻してみる。幾度となく検証してみても、そこにあるのは実際に目にしているユウスケの姿はない。

「本当にどういうつもりなんだろうな。あの男も女も、嘯いているんじゃないのかね」

「どうかな。でも私、ユウスケくんみたいな掴めないタイプは苦手。客として来られたとしたら、要求が分からないんだもの。相手のしようがないじゃない」

「レイカにすら苦手にされるんじゃあどうしようもねえな」

 真人間でも酔って正体不明になる人間はいくらでもいる。そんな正体不明さえも相手にする生業なのだから、対話能力が他のどの職業と比較したって見劣りすることはない。その世界でしのぎを削ってきた彼女でもお手上げならば、こうやってあれこれ探りを入れることすら無駄な行為に思えてしまった。

「どうしようもないならどうするつもりなの?」

「どうもしねえよ。あくまでも体験談として聞いただけだしよ。それだって俺たちと会うより前のことだ。今がそうじゃねえなら関係ねえよ」

「簡単に割りきっちゃうんだね」

「俺だって脛に傷持つ身だからな、ユウスケの過去までとやかく言えねえわな」


 自分自身に限ったことではない。後ろ暗いことも後悔も何もかもないのなら、こんな世界に身を賭さなくてもいくらでも生きる道がある。外れ者が外れたなりに意地を張り見栄を張り、吹けば散りそうなほどの小さな誇りをつなぐ寄合場。強いならひとりきりで突っ張っていればいいのだ。

 だからこそ、もしもユウスケが外れかけているなら少々の世話を焼いてあげるのが、なってはいけない大人としての生き様というものだ。


「あのこと、思い出してるでしょ?」

「どうしてそうなる」

「顔に出てる」

「……ジロジロ見んな」

「図星なんだね」

 見るなと言ったからレイカは顔を背け、二杯目をグラスに作り始めている。そんなつもりなどなかったのに言葉にされてしまったら余計に意識をしてしまう。

「何年前の話だと思ってんだよ」

「そんな大昔のように言うほど経ってない。ユウスケくん、あいつに似てるところ結構あるよね」

「縁起でもねえことを言うな」

 とうの昔に鬼となったやつのことなど……。レイカからグラスを受け半量ほどを流し込み目を瞑る。感傷に浸っていられるほど色鮮やかな思い出なんて何もない。


 おもむろに岸和田が立ち上がるとレイカは不思議そうな顔を向けた。

「もう行くの?」

「今日はな。ワンセットで悪いね」

「忙しい人」

「時間を惜しまず来たことを評価して欲しいもんだ」

 岸和田が出入口まで行くと男性客がスタッフと一悶着を起こしていた。迷惑な輩だなとその面を見れば先日の酒乱親父がそこにいる。振り返った壁際では、レイカが悪戯っぽく舌を突き出していた。



 まだ仕事どころか新しく住む家すらも見つけられていないユウスケは、年賀状作りに勤しんでいた事務所の一角に未だ留まっているままだ。

 住所がないから仕事に就けず、仕事がないから家を借りることができない。ガキだと思っていてもそのくらいは十分本人も解しているのだろうが、レイカの元から連れ帰ってからのこの数日、ずっと塞ぎがちなのだ。

 今日の様子はどうであろうか。事務所に到着しユウスケがいるはずの部屋に直行した。


「……お前ら、何してんだよ」

 そこにはユウスケだけでなくヒデキの姿もあった。テーブルには菓子や飲み物が散乱していて、ユウスケにいたってはポテトチップスの大袋をひとりで抱え込んでいた。そしてテレビ画面には再生途中のアダルトビデオが大写しとなっている。バツ悪そうに引きつらせているヒデキの顔と、無気力に白けているユウスケの顔が並んでいる。

「見るなとは言わねえけど、ちっとは場所を考えろや」

 傍らにはレンタルビデオ店の返却バッグまで転がっていて、ふたりで出かけたのかと訊ねればヒデキが頷いた。

「いやあ、ユウスケってば意外と詳しくて」

 ユウスケを見やると先の白けた顔に拍車がかかっている。今さら男優をやっていたくらいの情報が出てきたところできっと驚かないのだろうが、そんなことはある訳もなくユウスケは肩をすくめながら言った。

「ビデオ屋でバイトしたことがあって。アダルトコーナーの陳列ばかりやらされた」

 その顔に張り付いているのは大いに不本意だと言わんばかりのへの字口。

「クラブ以外でも働いたことがあるのか」

「まあ、それよりも前ですけど」

 そこに偽りの表情は見て取れない。疑ってかかれば何でも不可解に見えてしまうものだが、ニュートラルな頭で考えれば必ずしもそういうことばかりでもない。

「ユウスケ、お前さあ、ちょっとアルバイトしてみる気ねえか」

「……ヤクザの仕事とか勘弁してよ」

 白け顏が一転、警戒色に塗り替えられる。それどころか怒りすらも滲んでいるようだ。

「俺の知り合いのところだよ。あっちは本物の係長だからさ」

「……どういうの?」

 伏し目がちだけれども気配の和らぎを感じる。それから首を縦に振らせるのに時間はかからなかった。

「普通の会社だ。とにかく人手が足りてねえんだと」

「なにそれ、どんなブラック?」

「無職過ぎて透明よりはマシだろうが」

 一寸考え込んだ様子でユウスケは俯いた。そして顔を上げた時には「それもそうだね」とシニカルな笑みを浮かべている。

「バックレんなよ」

「さあ、どうだろ」

 それは本気の言葉であるのかはたまた。

「その時は首根っこ押さえて連れて行ってやるからな」

「冗談だよ。これ以上、迷惑とかかけるつもりないし。どうせ少しの間だし」

 グシャリとポテトチップスの空袋を握りつぶしてユウスケが立ち上がった。その手元に視線が向く。手首に傷跡など見えそうで見えなかった。

「……なんですか」

 あんまり見ないでよとユウスケは眉を寄せる。レイカが言う電波ゼロというのがどのような状況を指しているのかは分からないままだが、今の彼の様子からそんなことはどうでも良いことに思えてきたのだ。捨ててきた過去などは決して拾わせやしない。

「気のせいだ。……朝から晩まで大忙しらしいから休みなしだよ。金はさっさと貯まるだろうさ」

「別に仕事の都合まで付けてくんなくても良かったのに」

「お前のためじゃねえよ。ダチが困ってるっていうから、そういうあれだ」

 皮肉っぽさには皮肉を込めて返すと、一瞬だけユウスケの口元が笑っているように見えた。しかしヒデキはなぜだか笑っていない。

「金貯まったら出てくのかよ?」

「当たり前じゃん。今すぐにでもそうしたいくらいだってのに」

「しばらく居りゃいいじゃん」

「……まだ俺にオカズ探しさせるわけ?」

 ふたりの健全で、そしてふざけたやり取りを見、ユウスケの本調子を確認した。邪魔したなとだけ言い残して部屋を後にする。

 懸念は懸念のままで終わればいい。まだこの街の底は、あちらこちらで煙がくすぶっているのだから。


(完)

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