雪の桜の木の下で
この世界には二種類の人間がいる。
一つは何の変哲もない普通の"人間"。
もう一つは、人成らざる力を持つ"鬼子"。
人間の鬼子差別は甚だしく、鬼子はそんな人々から逃れるように隔絶した街を作り、そこに住んだ。
鬼子たちの力は神が人という片手間ではあしらえない生き物をあやすために与えたものだと伝えられている。
故に、彼らの力は"玩具"と呼ばれ、彼らがその力を以て作った隔絶された街を人は"おもちゃの国"と呼んだ。
おもちゃの国に住む鬼子には二派ある。正確にいうと三派だが。
一つは鬼子優越論派。鬼子を卑下する人間など、世に必要ないとする一派。
それと相対するのが、共存論派。鬼子も人間も許し合い、互いに手を取り合っていくべきだと唱える者たちだ。
もう一派、どちらの意見にも属さない中立派という者もいるが、その数はあまりにも少ない。
先に述べた二派が現在、おもちゃの国で対立し、抗争を繰り広げている。
そんな渦中に身を投じることとなった二人の少年少女がいた。
「──ロイ……」
「しっ、アリス。まだ出ちゃだめだ。敵が潜んでいるかも」
大きな屋敷の薄暗い部屋の隠し扉。そこに琥珀色の瞳と瑠璃色の瞳が一対ずつ。琥珀色は険しさを宿し、外の様子を伺い、瑠璃色は不安そうに揺れている。
口振りから察するに、琥珀色がロイと呼ばれた少年で、瑠璃色はアリスという名の少女なのだろう。
瑠璃の瞳の少女──アリスからは見えないであろう室内に広がる光景を少年ロイはその琥珀の瞳にしっかりと映していた。
黒い服の人間が数人転がっている。いや、本当は一人だったのかもしれない。何故なら、それはそう思えるほどまでにばらばらになっていたから。手が、足が、顔が、臓器が。何故黒いのか、果たして本当に服が黒かったからだろうか……そう思えるほどに、散り散りに。
鉄錆の臭いが鼻にまとわりつく赤黒い室内には数知れずもの弾痕があった。
ここでは数分前、銃撃があったのだ。
ロイはアリスを守り、この隠し扉に入ったが、さすがに他の人々を助ける余裕はなかった。ロイはアリスを抱えて銃弾を避けるのでさえぎりぎりだった。
鬼子であるロイの能力は"銀時計"と名付けられた時間を操る力。その力で弾丸より速く動き、どうにか避けることに成功した。能力を使うこと自体は難しくないが、この力にはネックがある。──自分にしか作用しないということだ。
自分が肌身離さず持っているものと自身の体しか"銀時計"の操る時間には逆らえない。──アリスを抱えて避けるのは、意外と体力がいるものだった。
それはさておき。
人の気配がないのを確認したロイはアリスの手を引いて部屋を出た。アリスは部屋の惨状に止まりかけるが、ロイはかまうことなく強引に手を引く。
「行こう、アリス。彼が……ナナセが来ないうちに」
「でも、彼らを……」
アリスは瑠璃の瞳でちらりと肉塊と成り果てたものたちを見やる。ロイは行く先に目を向けたまま答えた。
「彼らはもうどうしようもないよ。仕方なかったんだから」
「ロイ……」
そう、仕方ない。
十代そこそこの少年はそう言って人の命を諦めた。
言い募ろうとしたアリスだったが、口をつぐむ。
ロイはアリスを守るために戦っている。
そのために、親友のナナセとさえ、刃を交えようとしているのだ。ロイはおもちゃの国では珍しい中立派の家の出だった。
ある日、ロイは殺し屋に追われているアリスを助け、それからずっとアリスを守り、行動をともにしている。
ナナセはロイの幼馴染みの親友で、親に捨てられたため、よろず屋を営んで生計を立てている。
ナナセもまた鬼子で、持つ玩具は"人形"。その力の万能性のために、彼はあらゆる仕事を請け負っていた。例えば──殺し、も。
"童話少女"という世にも珍しい玩具を持つアリスは共存論派で、その中でも中核を成す組織の一員である。──当然、敵対勢力はアリスの存在を疎む。
そこで差し向けられた刺客がナナセだった。
「……彼は怖いわ」
アリスが呟く。彼とは、ロイが名を出したナナセのことだ。
「傷つくことを恐れていないんだもの」
ナナセの玩具の力の一つ"羽毛人形"は彼の体の傷を容易く治す。故に彼は自身が傷つくことを恐れない。
「大丈夫。ナナセが何度来たって、僕がアリスを守るから」
そう言ってロイはアリスに微笑む。しかし、アリスはその顔も怖くて仕方なかった。
明るみに出て、瞳以外の色も明確になったロイは栗色の髪が微かな光にきらきらと輝いていた。白磁の肌も綺麗だ。頬に赤黒いものをこびりつかせていなければ。
彼はアリスを守るためなら、どんな敵とでも戦ってくれた。その証拠に、アリスには傷一つない。事実、彼はどんな相手でも戦ってみせた。例え、それが親友のナナセでも。
「ナナセの羽毛人形の治癒は無限じゃないんだ。だから、ナナセの中の羽毛を減らしていけば、必ず再生は止まる。それまで殺し続ければいい」
微笑みを湛えたまま、さらりと答えるロイ。アリスは胸騒ぎを抑えられない。
ずっと思っている。
ロイは自分と出会ったせいで壊れてきているのではないか、と。
友達を殺す──なんて、平気で言える少年ではなかったはずなのに。
きりきりと痛むアリスの心情を知ってか知らずか、ロイはこう続けた。
「それに、直に春だ」
「……それが、どうかしたの?」
確かに、屋敷の外の桜の木は蕾をつけ、その蕾はもう膨らみ始めている。
「春が来ると、ナナセは羽毛人形の力を使えなくなる。羽根を休ませなければならない時期だから」
「そうなの?」
僅かに希望の灯ったアリスにロイは大きく頷いた。
「春には、一緒にゆっくり、桜を見ようね」
「……うん!」
ロイの笑みにアリスもようやく気兼ねのない笑顔を浮かべた。
しかし、その念願が叶えられることはない。
屋敷の桜の木の下で、彼は既に待っていたのだ。
その姿にアリスは息を飲む。
「ナナセ……!!」
煤けた色の長い髪から覗く瞳は暗灰色。こじきのようなぼろぼろの服をきたロイと同年代くらい少年がいた。
彼こそがナナセ。ロイの親友にして、アリスの命を狙う殺し屋だった。
「待っていたよ。アリス、ロイ」
「やっぱりか……でも、明日でもよかったのに。アリスにこんなにも早く嘘がばれるなんて」
「嘘……?」
「ううん、違うよ、ロイ。俺は花見に来たんだ。ここの桜は見事だって聞いたから」 暗灰の瞳に朗らかな笑みを湛え、ナナセはゆるゆると首を横に振る。
「今日は花見日和の天気みたいだし」
「えっ……?」
ナナセの発言にアリスは疑問符を浮かべる。彼の視線につられて空を見上げると、生憎の曇天。花見日和とはほど遠い。むしろ降り出しそうな雰囲気だ。
ところが彼女の隣のロイは得心顔だ。……どういうことだろう。
「そうだね。花を見るには最高の天気だ」
アリスは目を白黒させるばかり。
次の瞬間、ロイとナナセは互いを切りつけ合い、きん、と火花を散らした。
「なんで、なんで!? もうじき春だから、ナナセは殺しにこないんじゃ……」
アリスの悲鳴のような叫びに少年は答えない。火花が散り、時折ナナセの肌を抉り、血が飛び散ってけれどその傷は修復して──そんな繰り返し。
「やめて! やめて!!」
叫ぶアリス。
二人の戦いが止まぬ中、アリスはふと気づいた。──叫ぶ自分の口から出る息が白いことに。
春にしては妙なほどの肌寒さに。
冷たい何かが頬をなぞって地面に落ちていく。
「まさか……雪?」
見上げると、空が白い結晶を降り注いでいく。純白が桜の木の周囲を舞う。
時折飛び散る赤い飛沫と混ざり合いまるで──
「さあ、アリス。ご覧よ。ちょっと早いけど桜だよ」
「やめて……」
ぐしゃっ……
ロイがナナセの脇腹を薙ぐ。それを皮切りに優勢はロイに傾く。
ナナセが、傷ついていく。羽毛人形の再生も追いつかないほどに。
「なんで、なんでなの!? 大丈夫って言ったじゃない!! なんで戦うの!?」
「アリス、今日はね」
ロイのナイフがナナセの心臓に一直線に吸い込まれ──
「四月一日なんだよ」
優しくロイが囁くと同時に、ナナセは壊れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ロイ──っ!!」
その日、咲いた桜は美しくも残酷に煌めいていた。
少年が初めて親友を殺した日だった。
「ロイ……なんで、殺したの……?」
力ないアリスの問いにロイは微笑みを張りつかせて答えた。
「だって、ナナセは死んでないから」
頭がおかしくなってしまったのだろうか、とアリスは悲しくロイを見つめ、次の瞬間、気づいた。
「……痛いなあ、ロイ」
急所をつかれたはずなのに、ナナセは何事もなかったかのように起き上がった。
「なっ……!」
思わず絶句するアリス。理解が追いつかない彼女に口元から血をたらりと流したままのナナセが説明する。
「今日だけ俺は"羽毛人形"ではなくて、"綿人形"になれる。……綿人形を身代わりにして、助かったんだ」
今日は四月一日だから──
「ロイも、それをわかって……?」
アリスが視線を向けると、ロイは小さく頷いた。
「でも、またアリスを殺しにくるのなら、僕は──」
四月一日。
少年の誓いが桜の前に結ばれた。