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武士の子  作者: 鏑木恵梨
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三、仇討

 長屋暮らしが板に付いている我々は、やはり江戸でも長屋を根城にした。

 子供だから住まわせられない、と長屋の差配のじじいがごねた。が、金枚をてのひらにのせてにこりとするとすぐ引き下がった。江戸の方が、強欲じじいは強欲だ。

 我々は藩の下屋敷を訪れた。来る途中で「武士の子」らしい服装に着替えている。

 下屋敷の武士たちは、我々のことを知っているらしい。こころよく、我々の仇のことをいろいろと話してくれた。その話によると――

 「元」側用人は、江戸には追放されたかもしれないが、院さま、つまり先の殿様の御正室で、今の殿様のご生母にも気に入られていた。だから、江戸では院さまの後押しで、羽振りがいい。今晩も、吉原あたりの太夫と派手にやってるのだろうよ!

 だとか。

 吉原とはどこか、とその武士に聞いたら、そいつは「子供のいくところじゃねえ」と顔をゆがめて笑っただけだった。

 隣のヤブ医者に聞いたらすぐわかった。だがそこへ行きたいというと、冗談じゃない、俺のふところは空っぽだ、一回数十両は飛ぶんだぜ、と首をぶんぶん振った。

 我々兄弟は口々に、

「この町人姿は世を忍ぶ仮の姿である」

「父の仇を討つために江戸に来た」

「仇を討たねば、父上母上の墓に参れない」

「今、仇は吉原にいる」

「ゆえに吉原に行かねばならない」

と訴えた。

 このヤブ医者はすぐにむせび泣き、わかった大船に乗ったつもりでいろと、胸をどんとたたいて咳きこんだ。正直者だ。だまされやすそうだ。だから長屋でヤブ医者なんてしているのだ。

 まあ、ヤブ医者の酒の弱さはこの数日で知っているし、我々兄弟は酒など飲まない。軍資金だって江戸へ出る前に貰った下賜金や餞別がある。なんとかなるだろう。

 ともあれ吉原への渡し小舟はできた。

 いざ、吉原へ。

 接待に出てきた遊女はかむろあがりのちんちくりんの格下で、いかにも安そうだった。ヤブ医者のふところの程が知れる。

 ふと、郷里の隣長屋のおてんば娘の裸体と印象がだぶった。不覚にも我々兄弟共々、少々狼狽した。顔はまったく似ていないのだが不思議なものだ。

 しかし我々のもじもじする様子を眺めていた遊女は、なにを間違ったか、我々を初々しい弟のように感じたものと思われ、かえって扱いが良かった。我々は吉原に味方を作ることができたようだ。

 運のいいことに、仇はこの店の常連客であるという。だが、仇討兄弟の噂は耳にしているとみえ、最近では疎遠であるそうだ。少し機会を待たねばなるまい。

 本日のところは、世間にいうほどの出費はなかった。

 あまりにヤブ医者頼りというのも不義理であるから、我々は内職を得た。風ぐるまつくりだ。

 少し、母の顔を思いだした。だが次に「武士の子」という言葉がよみがえり、忘れようと努めた。

 また、ヤブ医者に取り入っていろんな薬について教えてもらった。ヤブはヤブだが、さすがに学問はあるようだ。薬だけはいろんなものを持っている。それに学問も教えて貰うことになった。郷里で学んだ儒学ではなく、実学というものだそうだ。

 そんな暮らしをしながらも、我々は幸運にも、五度目の吉原通いで仇と出くわした。

 いつものちんちくりん遊女が知らせてきたのだ。

 丁度隣が空き間ということで、我々兄弟は忍んで盗み聞いた。

「参勤交代で殿が江戸に参る」

「こんど、あたらしくお殿様になった方でしょう、連れてお参りやんせ」

「わしは殿のおぼえがよくない。本国に戻らねばなるまい」

「つれないかたでありんす」

「おお、かわいいのうかわいいのう」

 うんぬんうんぬん。

 困る。本国に帰られては困る。

 ここが勝負の決めどきではないか。

 我々兄弟はかの格下遊女に頼んで、仇に一献の差し入れをした。そこにはヤブ医者のところから盗んできた薬を入れた。しびれぐすりというものだ。悪いところを斬りとるとき、使う。感覚がまひするのだ。

 我々兄弟の仇はいったん固辞しつつも、結局は嬉しそうに呑んだ。

 我々はその光景を見届けると、仇の駕篭の形態を確認し、吉原をあとにした。

 そして「武士の子」らしく袴に着替えた。ひとりは父の刀、ひとりは父の脇差を持った。たすきを掛けた。『仇討御免状』も忘れてはいけない。

 冬の往来は寒く、冷える。我々は小走りに走ったあと、吉原の外門で飛び跳ねていた。

 先ほど確認した駕篭がやってくる。

 我々は声をそろえて名乗りをあげた。『仇討御免状』も掲げた。

 駕篭かきはさっと後方へ退いた。『仇討御免状』を掲げる者に仇以外の者が手を出してはならない。

 仇は、余程重篤な病の床にある以外、どんなときでも逃げてはならない。武士の面目に関わる。吉原帰りで酒としびれぐすりに酔っていようが、理由にならない。受けずに逃げるは恥の上塗りだ。

 駕篭から這い出した仇はふらふらだった。薬が効いている。抜いた刀の切っ先もふらふらだ。

 我々兄弟はとっとと「いざ」と叫んで、斬りつけた。突き刺した。もとどりをあげ、「討ち果たしたり」と、駕篭かきに向かって感涙にむせんでみせた。

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