一、家名断絶
『家名断絶』の下知があったのは、季節はずれの暖かい風吹く小春日和の午後。
病がちの母は無理に床を離れ、城からやって来たという青年にただ頭を垂れた。我々兄弟は、その光景を母の背中の後ろから眺めていた。
その夜、母は幼い我々兄弟を正座させ、懇々とこう諭した。
「よいですか。私たちは、お殿様から家名断絶を申し渡されました。これからは世を忍び、どんな艱難辛苦にも耐えて、生活をせねばなりません。ですが、あなたたちはお父様の子です。れっきとした武士です。うらぶれた長屋に住み、町人と暮らしながらも、決してそのことは忘れてはいけませんよ」
武士の子である、という言葉は、母が最もよく使った言葉だった。
いたずらをすれば「武士の子」、泣けば「武士の子」、学問をさぼれば「武士の子」、近所の女の子をからかえば「武士の子」。
そのうち、我々兄弟が一番嫌いな言葉は「武士の子」になった。
長屋に移り住んで数年、お城のお殿様が亡くなった。
我々兄弟の生活には、なんら損益ないはずなのに、なにが悲しいのか母は数日ほどさめざめと泣き続けた。
その間、風ぐるまつくりの内職がたまっていった。このままでは食べ物が底をついてしまう。父の遺品である甲冑や兜を売っぱらえばいい。そう思ったが、重かったし、第一母が時々磨いている姿を見かけたことがあるのでばれやすいと思い、あきらめた。
仕方がない。風ぐるまは我々兄弟でせっせと作った。毎日作っているところを見ていたから、そんなに難しくない。寝込んでいる母の代わりに風ぐるまを届け、銭とあめ玉を貰った。
母を助けていいことをした。
そう我々は思ったのだが、予想に反して母は「武士の子が情けない」と顔をますます青くして泣きいってしまった。
そんな母も長屋暮らしには精根尽き果てたのか。ある朝、我々が目覚めると、涙に濡れたせんべい布団の上で母は冷たくなっていた。
我々は泣いた。
最初はしくしく、そのうちわんわんと泣いてるうち、隣の世話焼きばばあがとんできて、
「おお、かわいそうにかわいそうに」
べたべたひっついてきた。
しわくちゃのばばあだ。悲しいのも忘れて、気持ちが悪くなりかけた。
けれど、我々ではこの先どうしていいか判別つきかねる。世話焼きばばあはばばあで、とりあえず味方になってもらった方がいい。突き飛ばしたいのをこらえ、なるようにまかせた。
案の定、世話焼きばばあは役に立った。ばばあの旗振りで、近所の人に坊さんの手配から家の整理までを万事やってもらって、しかも食べ物も近所の人が持ち込んでくるので、大いに助かったのだった。
ひととおり家が片づいて母が骨になり、途方に暮れているところで、今度は長屋の差配をしている強欲じじいが我々の元へやって来た。
賃料の請求だろうか。
我々は身構えたが、強欲じじいは無理に好々爺の顔をつくって、尋ねてきた。
「おまえたちは三年前、『御家名断絶』となった、アレなのかい」
我々兄弟は『家名断絶』の理由など知らない。
だが、確かに父はお役人でお城に登っていたらしいし、若いお役人がやってきて『家名断絶』を申し渡しに来たことは覚えている。
そんな諸々のことを、かくかくしかじかと話してみた。
「おお、やはりなあ!」
強欲じじいは顔をほころばせ、がしがしと我々の頭を乱暴になでた。この光景を母が見たら、怒って泣くだろう。「武士が町人に頭をおさえられるとは」と。だが、
「町役に話をしておいてやろう。きっといいように取りはからってくれるに違いない」
と言っているじじいの機嫌を損ねるのは、得策ではない。