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その他小説

クリスマスは十六時から

作者: 八島えく

「ただいまー」

 智穂子が、いつもと何も変わらず、当たり前のように、そう言って帰ってきた。

 私は、その言葉を心のどこかで待っていた。



 十二月二十五日の朝。私はその日、のっけから憂鬱だった。

 なぜなら、計画が失敗したからだ。


 私は、クリスマスの早朝、ルームメイトの智穂子にプレゼントを渡そうと計画していた。智穂子と私は、大学から少し離れたアパートでルームシェアをしている。その智穂子は、クリスマスには実家に戻るということだった。

 智穂子の実家は、私達の住んでいるアパートから電車で一時間で行けるほど近い距離にあるという。その便利さもあって、智穂子はまとまった休みがあるとこまめに帰省する。その間私は留守番だ。


 今年のクリスマスも、智穂子には実家に帰る。それは前から聞いていたことだし、私も「ああ、そう」と了承していた。智穂子の帰省を邪魔するつもりは少しもない。

 だけど、せっかくのクリスマスだ。私は智穂子が電車に乗る前、つまり早朝にプレゼントを渡す計画を企てたのだ。

 智穂子はクリスマスを一日実家で過ごす。大学は冬休みに入っており、きっと年末年始は実家だろう。クリスマスの早朝を逃したら、他にチャンスはない。


 それが崩れたのだ。原因は簡単。私が寝坊したからだ。

 大学の授業がある日やアルバイトが入っている日であれば、私は授業に間に合う程度にきちんと起きる。翌日が何の予定もないと分かると昼まで寝ていることがざらだけど。


 その体質が祟ったのだ。

 しっかりと携帯のアラームを設定して、念のために三つほど余分にアラーム設定をして、ちゃんと起きられるようにらしくもなく早寝して、準備は万端だったはずなのだ。


 なのに寝坊した。血の気が引いたころには遅かった。寝ぐせもパジャマも気にせず、部屋中を駆け回った。

 智穂子はすでに、アパートを後にしていた。これではクリスマスのプレゼントも渡せない。

 その事実を受け入れざるを得なかった私は、朝からやる気を多大にそがれたのだ。



 気分を紛らわそうと、私はアパートを出た。

 朝食を食べて、洗濯物も干して部屋もざっと掃除して、することがなくなったのでとりあえず外に出た。失敗の痛手を和らげようと、隣の町まで遠出した。


 行くあてもなく、幸せで溢れた街中を彷徨っていた。書店、家電製品店、衣服屋、スーパーとうろついて、小腹がすいたから近くの喫茶店に転がり込んで紅茶を飲む。サンドイッチをかじる。決して大量に食べたわけではないのに、食べ終わったら急に胃が重くなった。

 

 智穂子がいない腹いせに、なんだか美味しそうなケーキをお菓子屋さんで買ってやった。チーズケーキを選んだ。意外と高くてお財布がすぐにすっからかんになってしまう。

 何より気に入らないのは、つい癖で私と智穂子の二人分のケーキを買ってしまったことだ。そして、智穂子の好きな紅茶の茶葉までしっかりと買ってしまったことも恨めしい。いつの間に私は、智穂子といるのが当たり前だと思うようになってしまったんだろう。


 私はケーキと茶葉を大事に抱え、帰路につく。いつもなら、アパートまでの道は幸福に満ちている。だって智穂子がいるから。智穂子がいつか帰って来ると知っているから。

 でも、今日は足取りが重い。街中のネオンがきらびやかで、私の目に眩しすぎる。辺りに響くクリスマスソングは、私への皮肉なんだろうか。


 「ただいま」と、誰もいない部屋に話しかける。いつもなら、智穂子が暖房を聞かせてラジオを聞きながら紅茶片手に難しい本を読んでいる状態で、「お帰り」と言ってくれるのに。

 こうなったのも、誰のせいでもない。私が寝坊したからという自業自得でしかない。年末年始はずっとこんな沈んだ気持ちでいなければならないと思うと、そりゃやけ食いもしたくなるってものでしょう?

 私は冷え切った部屋を暖めようと暖房の電源を入れる。お風呂のスイッチを押す。ご飯を食べたらさっさとお風呂に入りたい。

 ケーキを冷蔵庫に突っ込んで、茶葉を台所の戸棚に放り投げる。


 ひんやりした部屋で一人、私はテーブルに突っ伏した。たまらなくなって大の字になって後ろへ倒れ込む。

 傍らには、私の鞄。その鞄の中には、智穂子へ贈るはずのクリスマスプレゼントが、大切に押し込まれている。


「……わたしの、ばか」

 口に出して、後悔した。声にしてしまうと余計みじめになる。

 クリスマスを一人で過ごすのは慣れている。でも、いつも一緒にいる貴方にプレゼントを渡し損ねたことは、これ以上ない痛手だ。


 もしもサンタクロースというのが存在するとして、遅れてやってきてくれたとしたら、私は迷いなく時間を昨日の朝に戻してと言うだろう。

 そんな魔法を一晩だけプレゼントしてちょうだいと、必死に願うだろう。


 智穂子がこちらへ戻ってきたときに渡すのでは意味がない。だってクリスマスのプレゼントなのだから。

 私はため息をついて、何もかも面倒になって瞼を閉じる。いっそこのまま寝てしまおうか。風邪ひいちゃうかもしれないけど。

 まだ十六時を過ぎたころだというのに、灯りを点けていない部屋は薄暗くなる。太陽が早くに沈んだんだろう。暖房がまだ聞いていない部屋は、ひんやり冷たい。



 そんな時、智穂子の「ただいま」が、頭上から降ってきたのだ。

 

「ただいま、珠実。……ってどうしたの、何かこの世の終わりが来たような顔して」

 私は思わずつぶっていた目をいっぱいに見開いた。

 紺色の薄いコートに古びたベージュの鞄を肩に提げた智穂子が、不思議そうな顔をして私を見下ろしていた。


 サンタクロースが、私の願いを、違うベクトルから叶えてくれたのだろうかと本気で考えてしまった。

「え、ち、智穂子? どうしてここにいるの?」

「どうしてって……ここが私の住所だからでしょ?」

「いや、そういうことじゃなくて……クリスマスから年始は実家に戻ってるんじゃなかったの?」

「そのつもりだったんだけどね。気が変わったの」

 智穂子はコートをその場に放り投げた。鞄だけは大切にテーブルに置いた。私は癖で、放り出された智穂子のコートをハンガーにかけてやる。

「気が変わったって、どういうこと?」

「どうせ実家にはマメに帰ってるし、クリスマスくらいは珠実と過ごしたいと思ったの。実家にはもう伝えてあるし、了承も得てるから煩い帰省催促の電話もメールも来ない」

 快適ね、と智穂子は得意げに笑う。

「それにね、珠実にプレゼントを渡しそびれちゃったから、のんびり実家にいる場合じゃないなって思って急いで実家のことは片づけてきたのよ。えらいでしょ」

「その心意気は嬉しいけど偉くはないわね」

「何よ、それ。ほんとは朝に渡すつもりだったんだけど、珠実が気持ちよさそうに寝てるからわざわざ起こすのも悪いし、じゃあサンタクロースよろしく枕元に置こうと思ってたんだけど、私も寝坊して電車に乗り遅れそうでちょっと焦っててね。実家に着いて鞄の中を確認したらプレゼントがまだ入ってて血の気が引いたわ。珠実にプレゼントを渡しそこねたーって。それでね、家族を説き伏せて、さっさと切り上げてきたってわけなの」

「その割にはずいぶん早いお帰りじゃない」

「大掃除を手伝っていたからね。とりあえず台所とお風呂だけお掃除したんだけど、予想以上に時間がかかってしまったわ」

「ああ、そうだったの」

 私はつとめて、何でもないような受け答えをした。


 何よ、智穂子も同じだったのね。

 私と同じように、プレゼントを渡したいがために、気が気じゃないクリスマスを過ごしていたのね。ふたりそろって、ばかね。


「智穂子、私も、貴方にクリスマスプレゼントを渡し損ねていたの」

「あ、そうだったの? じゃあちょうどよかったわね。クリスマスはあと八時間もあることだし、のんびりプレゼントといきましょうか」

 智穂子は鞄を引き寄せる。

「あ、待って! その前に、紅茶でも淹れるわ。それと、ケーキを買っておいたの。一緒に食べましょう」

「いいわね! 珠実の淹れる紅茶は世界一だもの。お願いするわ」

 私は、ぱたぱたと台所へ駆けていく。やかんに水を入れ火にかけ、買ってきたばかりの茶葉をポットに入れる。

 ふと、いじわるしたくて聞いてみた。


「ねえ、ご実家の方はほんとにいいの?」

「いいの」

 智穂子は即答した。


「家族なんて休みがあるたびに顔を突き合わせてるし、いいじゃない。クリスマスくらい、珠実と過ごしたいのよ」


 智穂子は当たり前のように、そう答えた。


「……私も」

「うん?」

「私も、クリスマスは智穂子と過ごしたいと思っていたわ」

「あら、ちょうどいいわね」

 私と智穂子は、笑い合う。


 お湯が沸くのが、待ち遠しい。

 でも大丈夫よね。

 クリスマスは、まだあと八時間も残っているの。

 その間に、紅茶を入れて、ケーキを食べて、なんてことない会話をして、プレゼントを渡すのには、充分だものね。

ほんのり百合略してほのゆりっぽい話にしてみました。クリスマスはとっくに過ぎているという現実からは目を背けさせてください。

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