第二章 狂瀾怒濤(6)その2
「お茶じゃなくて水なんだな…」
ぽつりと拓海が呟きます。
「贅沢言ったらいけないよ、なんか話聞いてたら大変そうじゃん」
拓海のくせに贅沢ですね、全く。すると拓海は、何を思ったか、声をひそめて話し始めました。
「俺さ、多分亜美子よりもこの世界のことショートカットで聞いたからさ、いまいちピンときてなかったんだけどよ。俺らさ、予想以上にやばいとこに来させられたみたいだぜ」
え、いきなり何を言い出すんですか。拓海のくせに真面目ですね、怖いです。
「核戦争なるものがおきているなら、きっとこの国の大半は、放射能で汚染されている。きっと、ここはその中でも比較的安全な場所なんだろうな。でも、あんまりここには長居しないほうがいいぜ」
どうしてですか。私が尋ねる前に、拓海は喋りだします。
「俺の推測だと、比較的ここが安全だろうが、周辺が放射能汚染されつくしているだろうこんな最悪な場所で何十年も生きられるはずがない。じわりじわりと放射能に身体が蝕まれていくはずだ。多分、長生きしている人はほとんどいないと思う」
た、拓海のくせに妄想力が半端ないですね。
「そ、そんな怖いこと言わないでよ、わ、私たちは、グミちゃんが言ってたように、Regiusにちょこっと協力して元の世界に帰れるんでしょ?」
「その“ちょこっと協力”ってのは、どのぐらいの期間協力するんだ?具体的に直美ちゃんから話は聞いたのか?」
うっ…。忘れていました、拓海は論理的に物事を考えるのが昔から好きなところがあるんでした…。ここ数年はふざけてばっかりなので、すっかり忘れていました…。幼い頃、口げんかしたら全く勝ち目がなくて毎回私が負けてましたね、確か。
「き、聞いてない…。でも、ちゃんと元の世界に帰してくれるって…」
「多分帰してくれるのは、その“ちょこっと協力”ってのが終わった後だ。その“ちょこっと協力”が終わるまでは、多分帰してくれねえぞ」
拓海は大きくため息をついていますね。確かに、ちょっと考えなしでこの世界に来てしまった感はあります。
「まあ、来ちまったもんはしょうがねえ」
そう拓海は言います。
「ま、俺が付いてきてよかったって思う事だな!」
ドヤ顔でなんか言ってますね。偉そうで気に入りませんし、よかったっても思ってやらないです。そこで、ドアが開き、竹田川さんが水の入ったコップを三つ置いたトレーを抱えて入ってきました。
「さ、喉も渇いているでしょ、ぐっと飲みなさい」
言いだせませんでしたが、確かにすっごく喉が渇いているとおもっていたところです、ありがたいですね。嬉々としてコップに手をやろうとした私の手を、私の隣に座っていた拓海は竹田川さんに見えない位置で遮ります。
(ちょっと、なにするの!)
拓海の方を向くと、ちょっと待て、というふうに目配せしてきます。もう、訳が分からない奴ですね。
「この水はね、そのままでは飲めない汚染された水を、私たちが働いている工場でいくつものフィルターを通して洗浄して、飲めるようにした水なの。今はね、空気に漂う放射能の害を消す研究もしているの」
そう言いながら、彼女は無造作に一つのコップに手をやると、口をつけて美味しそうに水を飲みました。それを確認すると、少しほっとしたかのように遮っていた私の手を離しました。
「い、いただきます」
私はその水を一口飲みます。うん、普通のミネラルウォーターみたいですね。隣をちらりと見ると拓海はごくごく水を飲んでいます。相当喉が渇いていたのでしょうか。
「普通においしいっすね。普通の水を、ましてや汚染されている水をここまで浄化するのって、すごく大変だったんじゃないっすか?」
「ええ、そうね。私たちの世界は、どうやらあまり科学は進歩していないようだけれど、特化して研究をすすめている分野はきっと貴方達の世界には負けないわ。多分、貴方達はまだまだ知らないだろう、世界線のことや、能力の研究についてがそれね」
おや、なんだかそろそろ本題な雰囲気ですね。拓海も、しっかりと集中して聴いているみたいです。
「世界線の話は、ムーブからきっと聞いているはずよね。知っている前提で話を進めて行くわ。世界線、という概念がはっきりわかったのが、つい10年ほどの話よ。この国がしっかり確立してから、その分野について調べていた研究者たちが、その実態をつかみ始めたの」
「実態は確信になって、実際に時間を移動する機械も作れた。でもね、それにはある欠点があったの」
「欠点?」
拓海が尋ねます。
「そう、些細な、でも、とっても重大な、欠点が。ムーブから聞いたと思うけど、この世界は何十、何百何千と分岐している。その欠点っていうのは、例えば、この世界から、1900年あたりまで飛ぶとするわ。そして、そのままこの2036年に帰ってくる。すると、ね。ただ帰ってくるだけだと、微妙に世界線がずれてしまうの。元の場所に戻ってきた、って思っても、そこは、ほんの少し違う世界線」
そういえば、そんな感じの話をグミちゃんからちらっと聞きましたね。
「それで、それを補うのが亜美子が持ってるような能力だってわけっすね」
拓海がそう言います。グミちゃんの説明を、私の五分の一ぐらいしか聞いてないにしては、理解が早いですね。拓海のくせに。
「そうね。ここで少し、能力の話に移らせてもらうわ。そこで、研究者たちは一旦途方に暮れるの。時間移動できても、元の正確な世界線に帰ってこれないと、意味がないんじゃないかって。でもね、そんな中でも、何か解決方法はないかって、彼らは…―――政府は、そのタイムマシンに人を乗せて、何回も何回も行き来させて、思考錯誤したの」
「え、それって、でも、乗って行った人って…―――?!」
すかさず拓海が尋ねます。
「そう。ほとんどの人は、この正確な、元の時間軸に戻ってこれなかったわ」
「それって…その人たちは、どこに…」
「…少なくとも、政府の資料には、ここ(・・)に戻って来た、という事実はないわ。きっと、みんな、こことはほんのすこし違う世界に行ってしまったのでしょうね。でもね、ある一人だけは、ここ(・・)に戻ってきたの」
「それって、もしかして…」
「そう。亜美子ちゃんと同じような能力の持ち主だったの。政府は、戻ってくるはずの無い人が戻ってきたんですもの、そりゃあその人を調べつくしたわ」
「え、調べるって…?まさか、解剖とか…?!」
恐る恐る拓海が尋ねます。さっきからずっと拓海が会話してくれていますね。楽です。
「…あなたたちの医療がどれくらい進んでいるかしらないけど、私たちが入手した資料によると、殺して解剖したら困るから、麻酔をかけた状態で、体温を下げて半分死んでいるような状態にして解剖したらしいわよ。…えげつないことをするわ。それが、例え、科学の進歩のためだとしてもね…。もっと方法は無かったのかって思うわ」
うわあ、結構すごいことするんですね、政府って…。人権とかどうなってるんでしょうか?
「そ、それで、その解剖されつくされた人は、どうなったんっすか…?」
拓海が代わりに気になることを質問してくれましたね。
「…能力のメカニズムが、脳にあることが分かったみたいよ。それを、どう再現するかも、分かったみたい。だからね、その人は…」
「処分された、と?」
「…ええ。そういうことになるわ」
…なんだかショッキングすぎて言葉がつげませんね。
「そもそも、政府は、きっとその人をもう一度生かす気なんて、なかったんでしょうね。もし、この人で原因が分からなかったら、また別の人たちを無造作に過去と往復させるだけ。…あいつらは、そういう集団なの」
しばらく沈黙が続きます。その沈黙を和らげるように、恐る恐る拓海が口を開きます。
「あの…結局のところ、ですよ?その能力って、どうやって分かるようになったんっすか…?ほら、亜美子の能力だって、その、えっと…」
あれ、なんだか拓海、歯切れが悪いですね?
「ああ、亜美子さんの能力のことね。能力の測定方法の話、という解釈でいいかしら?」
「…あ、はい、大丈夫っす…」
拓海が少し疲れたような呆れたような表情をしてますね。私のことを軽くジト目で見てきます。まるで私が何か理解しそこなっているかのような…。どうしたのでしょうか?
「能力の測定方法は、本当は政府極秘なんだけど、実は、特にこの件に関しては、亜美子さんやムーブと並んで、このRegiusに欠かせないメンバーの一人の協力があってこそのものなの」
「誰なんっすか、それって?」
「それって僕のこと?」
いきなり後ろから声がしました。え、人いたんですか?!ドアの開く音さえしてないのに?!私が飛び上がって驚いて後ろを向くと、にこやかなすらっとした細身の男性が立っていました。竹田川さんとは違う、なにか制服のようなものを着ています。
「あっはっは、驚かせてごめんね。僕の名前は三本 喜。喜ぶって漢字一文字で、のぶって読むんだ。よろしくね」
その男性、三本さんは満面の笑みを浮かべてそう挨拶してきました。
「ああ、喜、いたのね、やっぱり気が付かなかったわ」
そう竹田川さんが言います。え、私たちの後ろにいたのになんで?!
「いおりんー、いきなりそんなこと言ったらこの子たちさらにびっくりするよー?えっとねー、僕の能力は、限りなく0に近いぐらいまで存在感を消せるんだ」
「す、すごいですね…!」
ほんとにびっくりしましたもん。
「あはは、ありがとう。ところで、君はアミちゃんであってるのかな?」
「え?は、はい」
「そうか、やっぱりね。じゃあ、グミっちに連れてきてもらったんだね」
あ、この人もグミちゃんのこと、グミって言ってくれるんですね。私のことも、あだ名で呼んできますし。…もしかして、グミちゃんのあだ名の発案、二番煎じでしたか…?
「えーと、俺の名前は…」
「君はたぶんー…守田さんじゃないかな?」
「え、なんで分かったんっすか?」
「だってー、なんか表情とか雰囲気とかすごく似てるんだもん。まあ、同一人物だし、仕方ないね!」
なんだかとてもフレンドリーな人ですね。
「さて、と。本題に戻るわ」
竹田川さんが咳払いをします。そうでした、今は能力うんぬんの話でしたね!なんだか、さっきからずっと頭が混乱しっぱなしで、拓海にまかせっきりです。ここからでも、なるべくしっかり聞かないと、ですね!
「能力の測定方法の話だったわね。その情報は、そこの喜に教えてもらったわ。彼には、スパイ活動のようなものをやってもらってるわ」
「そうそう。僕ね、元々政府で働いていて、というか、今も割とちゃんと政府で働いているんだよー。この服も、政府で働いている人の制服だしね!」
そんな彼の制服は、なんというか、高校の男子用ブレザーを大人向けにしたような感じです。それに、青い生地に赤いラインなんて入ってる制作した人のセンスを疑うような帽子までかぶっています。
「この帽子はね、能力持ちだと、赤いラインがひいてあるんだ。正直、これダサいよねー。」
やっぱり、かぶっている本人もそんなこと考えてるんですか、それ。
「それで、能力の測定方法の話だけれども」
仕切るように、竹田川さんが入ってきました。
「喜が盗んで…じゃなくて、持ってきてくれた説明書きを元に、能力を測定できる機械を作ったの。結構それが小型で、ほら、これ」
竹田川さんががさごそとズボンのポケットを漁ると、そこから血圧計のようなものが出てきました。
「これを二の腕に巻いて、しばらくしたら測定結果が画面に映るわ。能力のあるなしと、能力の種類がでてくるわ。詳しい使い方は、もっと大きな機械じゃないとわからないけど、それをここで作るのは無理があるから、Regiusでは実践してみながら探っていくことになっているわ。亜美子さん、試してみる?」
「え?!えっと、はい」
なんだか流れで試してみることになっちゃいました。私は、その機械を二の腕に巻いて、竹田川さんから指示されたスイッチを押しました。画面は、旧時代の携帯電話のようで、白黒表示のようです。画面には、“Measurement”とだけ表示されています。
「えっと…これ、なんて英語…」
「…エイゴ?」
「え?!え、ええっと、…English?何ていう意味、ですか、これ?」
「ああ、世界共通言語のことね。私たちは、もっぱらそれを共通語として使っているわ。正式な場では基本的に世界共通言語よ。…あなたたち、もしかして話せないの?」
「えっと…はい」
「…別の世界戦だと、事情も違うのね…。私たちは、新政府からこの言葉が世界共通言語だと教えられたから、日常的に使っているのだけれど…。そういえば、この言葉は昔日本では学校という場所で教えられていたそうね。エイゴ、というのはその時の呼び名かしら?」
「ええっと…多分そうですね」
「ああ、それでね、それは“測定中”、っていう意味よ。本当はnowもつけたがいいんだろうけど、それは技術的な問題でカットせざるを得なくって」
なんだかメタですね。
「あ、そろそろ検査結果が出たみたいね。えっと…Time assistanceって出てるわね。やっぱり、亜美子さんと同じだわ。そうだ、試しに拓海君もやってみる?」
「あ、はい」
拓海にその血圧計みたいなものを巻いてやります。そして、私がしたのと同じようにスイッチを押します。
「まあ、拓海君の場合は、十中八九Nothingって出ると思うんだけどね。…測定の間に、私のことをちょっと話しておきましょうか」
竹田川さんはそう言うと、私たちの方に向き直りました。
「さっき、自己紹介の時、一応既婚、みたいに言ったでしょう?あれね、本当に一応、なのよ」
「え、それって…?」
拓海が答えます。
「政府の政策、でね、30歳を超えたら誰かと結婚しなければならないことになっているの。30歳の誕生日から一年以内に見つからなければ、強制的に相手が決められてしまう。だから、みんな馬のあう人ととりあえず結婚しなきゃ、ってなるの」
「それで…竹田川さんは、どうしたんですか?」
「ああ、私はね、自分の決めた人と結婚したわ。相手は、同い年よ。気兼ねない親友のような人だったし、政府に勝手に決められるよりはこの人と結婚しておかなきゃって思ったのね」
「へえー…。なんだか、俺たちからは想像もつかないですねー…」
「そりゃあそうよね。昔の日本には、結婚しない人もいたらしいですものね。でも私だって適当に結婚したわけじゃないわ。私の夫…三郎とは、お互い割とフリーダムだから、色々と助かってるの。おかげで、私はregiusの活動に没頭できる。向こうも、自分の趣味があるからいいんじゃないかしら」
「…そう、なんですか」
「ええ、いい意味でお互いがお互いやりたいことを尊重できる関係よ。ちなみに、夫はregiusのことは知らないわ」
「え、どうやってごまかしてるんですか?」
「ああ、夫には謎かけ同好会に言っていると説明しているわ」
「そんな適当な説明で納得されたんですか…」
「ええ、ここにはあまり娯楽がないから。あの人は、わずかにもらえる配給とは別のお金をコツコツためて、船の模型を作ったりしているわ。お互い、好きなことに没頭しているから楽しいわよ」
そういって、竹田川さんはほほ笑みました。世界が違うと、こういういい意味で割り切った関係性もあるってことですねー…。
「でも…なんで、政策で結婚することが強制されているんですか?」
拓海がそうたずねます。すると、竹田川さんはうってかわって真剣な表情になりました。
「ああ、それはね。人を増やすためよ」
「人を増やす?何のために?」
「ざっくり言ってしまうと…政府は人を増やして、居住区に収まりきらないほどに溢れさせて、あぶれた人たちで人体実験したいのよ」
突然出てきた衝撃の説明に、私たちはおののきます。
「居住区って…住むところは、やっぱり限られているんですか?」
おののいた私の代わりに、同じくおののいたであろう拓海が代わりに疑問を問うてくれます。
「そうね。さっきも言った通り、放射能の影響で住めなくなっているところがたくさんあるわ。というか、この周辺はほとんどそうよ。その中で、比較的放射能が弱いところに私たちが住んでいるの。そうね、少しだけ懐かしい表現をすると…東京ドーム10個分ぐらいの広さ、かしらね?」
おお、少しだけ広さの実感が湧いてきますね。
「だから、政府は結婚を強制して、子供をたくさん産ませたいの。人体実験するためにね」
そこで、少しの静寂が訪れました。
「ま、そんな感じなんだよ政府ってさ」
そこで、喜さんが割り込んできました。…というか、いたんですね。本当に気づきませんでした。忘れかけてましたよ。
「あいつらは、自分たちの私利私欲しか考えていないわ。人類を再発展させる、なんてうそぶいているけれど、そんなの嘘よ」
竹田川さんは、強い口調でそう言いました。その勢いに拓海と二人でおされて、またもや静寂がやってきました。