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粛清-ⅠⅠ

 今日の粛清は、三名だ。アルトスは、粛清の前日に、その名前と罪状をベドガ騎士団へ通達していた。たいていの場合、ベドガ騎士団が関心を示すことはない。しかし、興味を示せば、死体を引き渡すようにしている。対象者は、決まってベドガ、もしくは周辺の街で見過ごせない罪を犯した者たちだ。


 闇の鐘とベドガ騎士団との取り決めは、他にもいくつかあった。ほとんどは、アルトスが提案して、ベドガ騎士団の副団長が受け入れたものだ。アルトスは、ベドガ騎士団の団長を見たことはない。しかし、副団長の一人は、この地方へ来る前から知っていた。騎士団Networkウィザーブで一緒だった男だ。アーフィルという名前のその男は甘さの残った小僧だが、理知的な判断はできる。ウィザーブ内部では同期の中で最も優秀だったと知られていた。ただし、アルトスの認識は異なる。正確には、アルトスはアーフィルを見下していた。剣術ではアルトスに一歩劣り、素直な故に、思考も読みやすい。アルトスにして見れば、もっとも扱いやすいタイプでしかなかった。


 広場へ着いた。盗賊たちは、広場を取り囲むように輪になっている。輪の中央には、鎖で繋がれて手足の自由を奪われた男が三人いた。ざわついていた群集はベズグの到着とともに静まりかえる。いつものことだった。ベズグの前の人垣が割れ、ベズグとアルトスの二人は輪の中央へ向かった。二人に遅れて、輪の中から二人の男が出てきた。一人はスキンヘッドの長身でガントという。もう一人は分厚い胸板をしたひげ面でジョルシュと名前だった。どちらもアルトスが有用と認めた男たちであり、騎士崩れだった。二人は無言で罪人たちから鎖を外した。ガントは手首の擦り傷を摩っている盗賊たちに剣を渡し、ジョルシュはアルトスに剣を渡す。二人とも、無言で輪の中に戻っていった。


 群衆の視線が、輪の中央へ進むベズグとアルトスへ降り注ぐ。粛清を前にした盗賊たちは興奮しているが、ベズグとアルトスを意識の外へ押しやれない。餌を前にして「おあずけ」を命じられた犬と同じだった。闇の鐘において、ベズグは強さと恐怖の象徴であり、アルトスは実質的な支配者なのだ。


 アルトスは剣を両手で持ち直し、捧げるようにしてベズグへ渡した。過剰な演出だが、興奮した盗賊どもにはイベントの開始を告げる合図だ。また、アルトスとベズグの力関係を事実以上に見せつける目的もあった。首領と副首領の関係は常に良好であるべきだ。悪知恵だけを働かす輩がいないとも限らない。愚か者に引き起こされた混乱で潰れた組織は少なくない。


 群衆を見回したアルトスは、充分に時間をおいてから、いつものセリフを吐きだした。


 「闇の鐘に属する全ての者は規律を守れ。守れぬ者は、死をもってその罪を報いよ。もしくは、力を持って、己の正しさを証明せよ」


 アルトスにとっては演出の一部だが、効果は明らかだった。堰を切ったかのように、盗賊たちが声を上げる。もっとも、剣を握った三人の盗賊たちは、青ざめた表情を晒している。ベズグは表情を変えない。剣を握った腕をだらりと下げたまま、空を見上げている。


 やがて、三人のうち、二人が罵声を吐きながら剣を構えた。肚を決めたのだ。もう一人は、剣を握ってはいるが、構えもせずに震えている。盗賊団にも、少なからず、こういう種類の人間がいる。自らの意思で堕ちていくのではなく、周りに流され、気がついたら世の中の底辺に居たという人間だ。理解できないという意味で、アルトスは興味を持っていたが、憐みの視線を投げかけはしなかった。使い捨ての駒としても不十分な存在だ。


 ベズグがアルトスの方を向いた。アルトスが頷くと、ベズグはゆっくりと三人の方へ歩き出した。人垣が歓声を上げる。拳を振り上げる者も少なくない。盗賊たちにとって、自分に危険の及ばない処刑は恰好の娯楽だ。


 剣技に秀でる者は、業物を求める傾向が強い。愛着を持つものすらいる。アルトスには、その心情を理解できた。むしろ、正常な欲求だと考えている。戦場に出る者は、たとえ前線に出ることが無くとも命を危険に晒す。その場所で相手の命を斬り裂き、自分の命を守るのは剣なのだ。己の命を預けると言ってもいい。アルトスが持つ剣も、名工が鍛えたものだ。しかし、ベズグは剣を選ばない。安物の剣を振り、斬り味が鈍れば躊躇なく捨てる。


 アルトスが先ほど渡した剣も、安物の剣だ。凡庸な戦士が使えば、骨を断つ強度は無い。肉を切っても刃こぼれするほどの薄さだ。ただし、極めて軽い。ベズグにとっては、この軽さが重要だ。アルトスは、そう理解していた。



 震えていた男が涙を流し始めた。覚悟を決めた二人も、すでに生きた心地はしないだろう。三人とも明らかに緊張していた。誰もが、ベズグの強さを知っている。ベズグが、三人が居る場所へゆっくりと歩み寄る。慎重に近寄っているようには見えないが、足の裏が地面を擦るようにして前に進む。頭部を含め、上半身は上下に動かない。剣を持った手は、いまだだらりと下に垂らしたままだ。


 アルトスにはベズグの後ろ姿しか見えないが、正面から直視したかのような映像が思い浮かぶ。あの男の瞳はさらに充血し、細目から漏れる視線は三人の獲物を全体的に捉えているはずだ。血に飢えたベズグの剣は異常なほど正確で鋭いが、視線は猛禽類のそれとは異なる。どこか茫洋としていて、次の行動を容易には読ませない。アルトスは血が凍ってしまうような感覚を覚えるが、これは斬り刻まれた経験を持つアルトスだけかもしれない。


 剣を構える二人の男の顔が苦しげに歪んだ。どうすべきかわからずに、焦っている。前に出るとしても、その場に留まるとしても、殺される。逃げ出すことも許されない。自らの寿命を刻む秒針の音が聞こえているのかもしれない。もう一人は、絶望の表情を浮かべていた。すでに死んでいる。ベズグが、距離を詰める。二人が、後方へ下がった。絶望の男は動けない。


 ふいに、群衆から小石が跳び、動けないはずの男の首元に当たった。その瞬間、まるで電気ショックでも浴びたかのように、男がベズグへと突進した。言葉をなさない奇声を上げる。ベズグに反応はない。後姿は、相変わらず、足の裏を擦るようにして前に進む。


 瞬きをすれば、姿を見失っただろう。それほどまでに、瞬間的なベズグの移動は高速だった。なおかつ、刃の軌道は文字通りに見えない。加えて言えば、高速移動が剣の間合いを広くしている。まるで空間を超えたかのように、ベズグが突進した男の後方へ移動した。剣を持った腕は相変わらず下に垂らしたままだが、刃がわずかに赤く濡れている。


 突進していたはずの男は、おそらく、斬られたことに気付いていない。ふらふらと力なく前進を続けていた。奇声を発していたはずの口がパクパクと動き、頸動脈からは血を噴き出している。ベズグは、掠めるようにして男の頸動脈のみを削いでいた。見えたのではない、結果から、アルトスにはそれが分かった。


 人垣からどよめきが起こった。意識したわけではないだろうが、二人の男が、ほぼ同時に前へ出た。口から飛び出たのは、怒声ではなく悲鳴だ。それでも、力一杯に剣を振り下ろすのは、人間の本能に刻まれた生存への欲望だろうか、それとも、闘争本能だろうか。ベズグは立ち止り、振り下ろされる二つの剣を見上げた。いや、正確には、タイミングを見極めているのか。通常ならば、すでに、躱わせるタイミングではない。しかし、この怪物に常識は当てはまらない。二つの剣が、空を斬り、勢い余って地面を叩いた。


 おそらく、二人とも、振り下ろした剣がベズグを斬ったのかどうか分からなかったはずだ。一人は先ほどの男と同様に、すれ違いざまに頸動脈を斬られ、もう一人は、後ろから首を撥ねられていた。噴き出す血を浴びるベズグの全身が紅く染まる。事実を言えば返り血を浴びただけだが、やはり、鮮烈な光景だった。おそらく、アルトスだけがベズグの姿全体ではなく、一点を見ていた。人垣は気付いていないはずだ。紅いシルエットの向こう側で、ベズグの唇が歪みながら笑みの形に変わっていたことを。


 粛清は終わった。ベズグは全身から滴る血を拭おうともせずに帰っていく。刃毀れした剣は、いつの間にか地面へ捨てていた。人垣の視線は、興奮が半分、恐怖が半分といったところか。アルトスは、形式的に処刑の終了を告げた。


 常人が訓練の果てに辿り着ける領域ではない。ならば、アルトス自身も常人の範疇なのだろうか。アルトスには、ベズグと同等の強さを身につける術を知らない。何をどうやったら、あれほどまでに、高速に動けるのか。生まれ持った素質、もしくは何らかの奇形が生み出した特性だろうか。


 アルトスの脳裏には、数日前の記憶があった。鬼神の元首領であるパゾンを斬った男だ。あの巨躯の男も驚異的な強さだった。ベズグと同様に人としての限界を超えていた。しかし、あの男でもベズグには勝てない。ベズグがあの男を凌駕しているというわけではない。戦闘能力で言えば、二人は同等だ。強さの程度ではなく、質が違うのだ。いかにあの男の斬撃が強力であるとしても、ベズグには届かない。巨大な剣が振り下ろされる前に、ベズグの剣が男に致命傷を与えるだろう。


 死体の処理を命じたアルトスは、人垣の外へ出た。束の間、奇妙な思考に取りつかれていた。今後、アルトス自身が、ベズグと対峙することはない。闇の鐘における役割、また、戦闘能力の差から考えて、明らかな愚行だ。しかし、怪物と形容できるベズグでさえ、アルトスには攻略する方法が分かった。


 多くの駒をつかって、押し潰してしまえばいいのだ。無論、半数以上の駒を失う。しかし、倒せるはずだ。いかに、運足と剣速が凄まじくとも、ベズグの剣には圧力がない。また、持久力もないはずだ。まずは、幾層もの人垣でベズグを取り囲む。次に、第一層目から順にベズグへと突進させる。最も内側の層は全滅するだろうが、それで構わない。二番目の層が、ベズグを捕まえて押し倒す。あとは、三番目以降の層で、二番目の層ごと剣を突き立てて殺せばいい。


 アルトスは、おもわず、苦笑した。


 興味深い構図だが、ベズグ攻略法は、ベズグに敵わないはずのあの巨躯の男には通じない。取り囲んだところで意味を成さないからだ。巨大な剣の一撃で、人垣は斬り裂かれてしまうだろう。 ならば、あの巨躯の男を攻略するには、どうすればいいか。解答は、すぐには見つからなかった。


 「まあ、いい」


 アルトスは小声で囁いた。戦闘も、組織も、人生も、単純ではない。だからこそ、退屈しないのだ。思考をやめたアルトスは、自身の剣を取りに部屋へと戻った。久しぶりに、激しく剣を振る気になっていた。

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