表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

粛清-Ⅰ

 「付いてこい」


 全身を朱に染めたアルトスに対してベズグが吐いた言葉は、それだけだった。ベズグは、傷を負った相手、いや正確には、自らが斬り刻んだ相手を振り返ることなく、闇の鐘のアジトへと帰っていった。あの時の感情を、アルトスは思い出せない。生き永らえたことへの安堵だったのか、それとも、屈辱だったのか。おそらく、後者ではないと思っている。


 「殺せ。今、殺さなければ、いつか殺してやる」


 少なくとも、そんな言葉をアルトスは吐かなかった。殺すどころか、傷を負わせる日が来るとも思えなかった。


 結局、アルトスはベズグの後を追った。道に血の跡を残しながら闇の鐘のアジトへ辿り着いたとき、アルトスは瀕死の状態になっていた。唯一、幸運だったのは、医者崩れの人間がアジトに居たことだ。看病を受けたアルトスは五日後に目を覚まし、辿り着いた場所が盗賊団であることを知った。


 闇の鐘におけるアルトスの生活は、そこから始まった。




 ドアの前で立ち止まり、アルトスは、声が漏れないように深呼吸をした。ベズグが生活する建物の前だ。確認したことはないが、ベズグはアルトスの気配について気づいているはずだ。構いはしない。何をしているのかまでは掴めないだろう。


 ウィザーブに所属していた時期、アルトスは何度も緊張を経験した。ウィザーブの任務は、時に生命の危険へ及んだからだ。その結果、緊張を和らげる特効薬も知っていた。何のことはない。経験だ。何度も経験するうちに、過度の緊張は感じなくなる。しかし、ベズグと会って数年も経つというのに、あの男に会うときはどうしても緊張してしまう。苦手意識があるわけではない。アルトスに対する敵意も感じない。それでも、近くにいれば、潜在的な恐怖を感じずにはいれなかった。


 強者に対する弱者の本能だろうか。そうであれば、どれほど時が経っても慣れることはないのかもしれない。


 深くなった呼吸を確認したアルトスは、ドアをノックするために右手を上げた。


 「時間か」


 右手が叩く前に、ドアが開いた。抑揚のない声だ。ただし、いつもよりも強い。血に飢えたときの特徴だ。アルトスの横を通り過ぎるベズグは、アルトスに視線を向けなかった。自然な足取りだが、両目は血走って濡れ、粘液質の光が漏れている。これも、血に飢えたときの特徴だった。アルトスは、ドアを閉めてから、ベズグに従った。


 やはり、不思議な男だった。細身で身長も低い。後姿からは恐るべき戦闘能力どころか、戦士にさえ見えない。歩行もそうだ。しっかりした足取りではなく、どこかふらつく様にして、前に進む。横から足を出せば、転んでしまいそうだ。もちろん、実際に試そうとは思わない。転びはしないだろうし、気付いた時には、こちらの首が切り落とされているだろう。


 血に飢える発作のような衝動を除けば、この男にもっとも合う形容は「超然」だろう。アルトスは、ときどき、そう考えた。ベズグほどの戦士であれば、望みさえすればたいていの物は手に入る。豪華な食事や酒、女、さらなる権力。力を得た多くの者は、そんな物を欲しがる。しかし、ベズグは、物欲、性欲、支配欲など、成り上がりの多くが拘りそうな欲を一切持っていない。興味すら無いようにみえた。


 アルトスは、本質的に、ベズグを理解できなかった。しかし、理解はできなくとも、その能力や価値は充分に認識していた。端的に言えば、この男は本物なのだ。世の中は、偽物で溢れている。外面を飾り、肩書きをかざすことによって、己の無能さを周りの目から遠ざける。愚かな連中だが、状況判断に富み、己と周りを利用することにだけは長けている。一方、ベズグは戦闘能力に対して本物であるにもかかわらず、その力を全く利用しようとしない。ある意味で極めて純粋であり、潔い生き方だが、世の中の大多数を占める偽物どもからみれば、間抜けに映るだろう。


 アルトスは、どちらの視点でベズグを捉えているか。間抜けと見るべきだ。そう、アルトスは思う。しかし、それ以上の思考はやめていた。


 「鬼神に関する先日の件、どうしましょう。闇の鐘にとって不利な話ではありませんが、鬼神の真意は読めません」


 「好きにすればいい」


 アルトスの問いに対し、ベズグの返答までの間はほとんどなかった。すなわち、考えていない。


 「分かりました。もう一つ、報告があります。非常に戦闘能力の高い者が一名、この地域に入っています。鬼神との関連性は無く、今のところ、闇の鐘の活動に関して支障はありません。しかし、ベドガ騎士団と通じている者であれば、今後、危険な存在となる可能性はあります。その男というよりも、ベドガ騎士団の動向を注視すべきかと」


 「任せる」


 やはり、抑揚の少ない、いつも通りの受け答えだった。アルトスは、ベズグが怒声や笑い声を上げる姿を想像できない。


 「戦闘能力が高い、か。お前のような理詰めの剣術か」


 「いいえ。抽象的な表現ですが、剛剣を振ります。通常であれば、扱えないサイズの獲物です」


 「……そうか。面白いな」


 アルトスは、ベズグの背中を凝視した。無論、何かが見えるわけではない。返答までにいつもとは違う間があり、明らかな興味を示す感情を口にした。なるほど。斬りたいのだ。強敵であればあるほど、血を望む衝動は満足されるのだろう。


 ベズグとアルトスは、両脇に並ぶ建物の間を抜けて広場へ向かった。山の中腹に位置するこのアジトの規模は小さくない。実際、中腹というよりも麓の方に近く、傾斜は小さい。また、平地も多い。アルトスがここで暮らし始める前から幾棟もの建物があり、収容人数の限界は二百を超えていた。今は、百五十人程度がいる。また、切り開かれて広場のようになった場所が四つあり、その場所は訓練に使用していた。もっとも、そのうちの三つは、アルトスが指示して作らせてものだ。アルトスが入るまでの闇の鐘には訓練という概念はなく、落後者たちの単なる吹き溜まりでしかなかった。


 訓練はほぼ毎日実施しているが、今日は週に一回の休息日であり、月に一度の「粛清」の日だった。ほぼ全ての盗賊は、ベズグとアルトスが向かっているもっとも大きな広場に集まっている。


 闇の鐘において、粛清は規律を破った者の公開処刑であり、いくつもの意味を持った。一つは、血に飢えるベズグを満足させるための口実であり、もう一つは生きる価値がない者の処分だった。また、副次的ではあるが、盗賊たちへの見せしめにもなった。さらに、すでに過去のものとなったが、アルトスが入る前に闇の鐘で力を握っていた輩の半数近くは、この粛清によって価値のない命を落とした。


 粛清を考えたのはアルトスだ。闇の鐘は、鬼神だけでなく、ベドガ騎士団とも暗黙の了解がある。このため、ベズグの発作にまかせて無作為に街人や騎士を襲わせるわけにはいかない。考えた当初はベズグのための苦肉の策でしかなかったが、結果として、合理的なイベントとなった。


 また、アルトスにとっては興味深い規律でもあった。言いかえるならば、盗賊団で知った数少ないノウハウの一つであり、一般社会と盗賊団との違いを再認識させてくれたイベントだ。


 一般社会のルールは弱者を守る必要がある。さらに、害となる者であっても厳罰を科すためには必要以上の証拠が必要であり、罪人であっても最低限の生活を保障しなければならない。しかし、盗賊団のルールでは力無き者、もしくは、害となる者は弾きだせばいい。ようするに、基本的には、有用な者たちを主眼にしてルールを作ればいい。


 アルトスは、闇の鐘において、大枠で二段階の規律を作った。一つは有用な者たちが自主的に従うべきルールであり、もう一つは無能な盗賊たちが守るべき最低限の規律だ。ルールを守れない者は人としてではなく駒として扱われ、規律を破った者は粛清の対象となる。


 幸運なのかどうか分からないが、規律を破る者はごく少数だが、ゼロになることはなかった。傾向としては、新たに闇の鐘へやってきた者の割合が高い。つまり、ベズグの恐怖を知らないのだ。粛清は、ベズグによって執行されるが、規律を破った者にも武器が与えられる。形式としては決闘となるが、盗賊どもでは万に一つも勝ち目はない。武器を与えるのは、ベズグがそれを望むためでもあり、盗賊団が従うべき掟を想定しているからでもある。掟とは、上に立つ者は、下に位置する者よりも強くなくてはならないという原始的な掟だ。たとえ偶然であれ、ベズグを打倒す者が現れれば、次の瞬間から闇の鐘の首領はその男になる。もちろん、これまでも、これからも、実現する者は出てこない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ