第2章 想いはなかなか伝わらない 2
津軽さんが帰った後、俺は野球部の練習を見に行った。津軽さんにはああ言ったものの、やはり気になる。睦美も、十和田も。
野球部では、紅白戦を行っていた。今の三年生にとって最後の大会が近いこともあって、実戦形式での練習をしているのだ。レギュラー中心のチームと、控え中心のチームに分かれている。今はレギュラー組の攻撃中である。
俺は試合を見守る睦美の背後に立った。いつものことながらジャージ姿が似合っている。そしてその隣に立っているのが、十和田雪だ。きりっとした目に、モデルのような長身。中学二年までは俺より背が高かったほどだ。髪が肩まで届くほど長く女子用のジャージを着ているから女だとわかるが、格好によっては男に見えなくもない。そういう女の子だ。
控え組のマウンドに上がっているのは、 馬渕大吾だ。例の、入学初日に睦美にちょっかいを出してきた図体のでかい奴だ。さっきから長身をいかした伸びのあるいい球を投げている。
まだ一年生だというのに、紅白戦とはいえマウンドで投げさせてもらっているだけでも大したものだ。いきなり睦美に声をかけてきたことはまだ許せないがな!
その馬渕の投げた球を、打者は初球からフルスイングし、あっさりセンターの頭を越えた。そのまま三塁まで一気に走る。外野から素早い返球が届くが、ゆうゆうセーフだ。馬渕は参ったね、とでも言うように苦笑いした。
実際、これは打ったほうがすごいのだ。あんな鋭いスイングはなかなかできるものじゃない。がっちりした体格の三塁走者の顔を見る。 三沢恭平。二ヶ月だけ俺と一緒に練習した、三年生だ。正捕手にして四番打者、そして主将。二年顔を見ないうちに、ずいぶん上手くなったものだなあ。相当練習してきたのだろう。じゃがいものような地味な顔が、輝いて見えた。
「三沢先輩、すごいですね。今日三安打」
「当然よ。うちの四番なんだから。一年生にそうそう抑えられるわけないでしょ」
感心する睦美に対して、十和田はめんどくさそうに答える。
「そんなことより、ちゃんとスコアブックつけてるの?」
「あ。す、すいません」
「しっかりしてくれないと困るよ。三年生が引退したら、あんたが公式戦でもずっとスコアつけなきゃいけないの。失敗は許されないんだからね」
「は、はい」
うわあ、睦美がカチコチに緊張している。十和田は別に怒っているわけじゃないと思うんだが、ぶっきらぼうな話し方だから怒っていると誤解されやすいのだ。もうちょっと、優しく言ってくれないものだろうかね。
紅白戦が終わり、後片付けが始まった。ボールを拾い、ベースを倉庫に片付け、グラウンドを整備する。
部員たちがてきぱきと動いているのに比べると、睦美はおろおろしている。何をすればいいかわからないのだ。スポーツだと素早く動くのに、なんでこういうときはトロいかなあ。兄としてもちょっと心苦しい。後ろで十和田がにらんでいるからだ。イライラしている。すごくイライラしている。
「黒石さあ、もうちょっときびきび動けないかな」
「すすす、すいません」
これはおびえている。完全に。
「先輩、もうちょっと言い方を考えてあげて下さいよ。黒石さん、気が弱いんだから」
馬渕が口を挟んできた。また、いらんことを……。
「あら、馬渕は優しいんだねえ。それとも黒石が気になるのかなぁ? まあ仕方ないかなあ、黒石はかわいいもんねぇ」
トゲのある嫌な言い方だ。馬渕の顔が紅潮した。睦美の顔も赤くなった。え、何そのリアクションは。いやいやそれよりも!
周囲の部員たちも後片付けの手を止め、こちらを不安そうに見ている。部員たちもどうしていいかわからず困っているようだ。それにしても……十和田って、こんな奴だっただろうか。
「いい加減にしろ、十和田。馬渕も」
見ていられないといった感じで、三沢が二人に声をかける。
「さあ、さっさと片付けようぜ」
三沢はその言葉で終わりにしたかったのだろう。だが十和田は引き下がらなかった。
「へえ、黒石はお咎めなしなんだ。みんな甘いのねえ。やっぱり、妹だから? 仲間だったあいつの妹が、あいつの遺志を継いで野球部に来てくれたから気を使ってるの?」
睦美の表情が変わった。顔が青ざめている。
「十和田!」
三沢が吠えた。それでもまだ、十和田は黙らない。
「……みんなの気持ちはわかるよ、あたしにも。ええ、わかりますとも。黒石はいい奴だったからね。 みんながその妹に優しくしてあげるってのは理解できるのよ。だけど、あたしはこの娘が許せない。憎いとさえ思ってるの。顔も見たくない」
こいつは……。なんなんだ、なにが十和田をそうさせるんだ。
「なんでですか。なんでそんなに黒石を憎むんですか」
馬渕が責めるような口調で言う。
「聞きたいの? 聞きたいんだ、馬渕。そうね、一、二年生は死んだ黒石の兄貴が野球部だったってところまでは知ってても、詳しいことは知らないでしょうからね。あたしもわざわざ言おうとは思ってなかったけど、この機会に教えてあげる」
睦美が辛そうな顔をして目を閉じた。やめてくれ、十和田。睦美の前でそれを言うな!
「この娘のせいで死んだの、黒石は。この娘が殺したの!」
ああ……。
「十和田ぁ!」
驚くほどの勢いだった。誰も止められなかった。三沢が十和田を殴ったのだ。十和田が体をのけぞらせた。だけど、それでも十和田は泣いたりしなかった。すぐに三沢をにらみ返す。
「あ……」
十和田ににらまれて、殴った三沢のほうがビビッている。いや、そもそも三沢は温厚だから、女の子を思いきり殴ってしまった自分自身に驚いているのかもしれない。
「痛いじゃない」
「す、すまん」
謝ってるし。
「……帰る」
そう言って十和田はすぐにその場から立ち去った。野球部員たちの目を気にすることもなく、堂々と。みんな、ポカンと口を開けて十和田を見送ることしかできなかった。そして、睦美はその場にへたりこんでいた。放心状態だ。
睦美、こんなときお兄ちゃんはなんて声をかけてあげたらいいんだ。いや、どうやっても俺の声は届かないのか。睦美……。




