第1章 彼女は協力してくれない 4
二週間が過ぎた。睦美は順調な高校生活を送っているように思える。やはり最初から藤崎さんという友人がいるのは心強い。
交友関係もそれなりに広がり、クラスでも藤崎さんに数名の女の子を加えたグループで行動していた。休み時間のたびに楽しそうに他愛のないおしゃべりに花を咲かせている。
野球部のマネージャーとしても、しっかりと自分の居場所を作っているように思えた。県内の公立校では屈指の強豪だけあって、白神高校の野球部は練習が厳しい。毎日死ぬほど疲れる部員たちをサポートするため、睦美も走り回っていた。
津軽さんはと言えば、やはりクラスでも浮いていた。ほとんど誰とも必要以上に話そうとしない。教室でも、常に一人だ。
昼食は昼休みに一人で屋上に行って食べているようだ。元々近寄りがたい雰囲気を持った娘ではあるけれど、自分が近づこうとしていないのだから仕方がない。俺も屋上での一件以来、積極的に近づいたりはしていない。もちろん、俺の思考は津軽さんに筒抜けではあるが……。
せっかく話せる相手ができたのだから、このままではもったいない、という思いはある。でも、あれだけ拒絶されたら相手をする気も失せるってものだ。そんなわけで、俺と津軽さんはこの二週間口を利いていないのだった。
あのとき、屋上で津軽さんは今まで悪意にとりつかれた霊に振り回されたことをほのめかしていた。霊と必要以上に接触しない、とも。
でも、津軽さんは霊どころかクラスメイトたちとも全くと言っていいほど接触しようとしていないじゃないか。津軽さんは、霊とは人間の精神がむき出しになったものだと言っていた。
そして、津軽さんの頭の中には否応なく彼らの意識が流れ込んでくるんだ。人間なんて、心の中では様々なことを考えているものだ。汚いことも、醜いことも、おぞましいことも。
幼いころからそんなものを直接感じ続けてきたとしたら?
とてもじゃないが人間なんて信じられなくなるんじゃないんだろうか。津軽さんが全ての人間に対して距離をおくのは、そんな理由もあるのかもしれない。そう思った。
四月も下旬に入り、俺も高校での生活に慣れてきた。放課後になると、睦美が野球部の練習に向かうので、ついていく。ジャージ姿もだいぶ板についてきた。睦美はなんでも似合うなあ。
最近、睦美はノックの手伝いをするようになった。もちろんノックをするわけではなく、ノックをする監督へのボール出しが仕事だ。
このとき、睦美の側にいるよりは近くで守備を見たほうが楽しいので、俺は睦美から離れてグラウンドをぶらぶら見て回る。部員たちに気付かれないので邪魔にならないし、ボールがぶつかることもない。
生きていたころに守っていたショートの位置に立ってみる。俺の真横では一年生が固い表情で守りについていた。
「次、ショート!」
「来ぉい!」
監督が叫び、ショートもそれに応えて叫んだ。打球がショートのやや左に転がってくる。鋭いゴロだ。速い。ショートの一年生も反応してはいるが……あららら。打球はグローブのわずかに下を抜けていった。
「バカヤロー! 捕ってこい!」
「はい!」
「次、サード!」
外野まで転がっていくボールを、ショートが追いかけていく。俺もせっかくなのでついて行く。
決してショートの守備が下手なわけではない。彼はまだ一年生だ。この間まで中学で軟球を使っていたので、まだ硬球の速度に体がついていけない。この時期、一年生はとにかく硬球に慣れる必要があるのだ。まあ、俺ならたぶん捕れてたけどね。いや本当に。
ボールの勢いはなかなか衰えず、どんどん転がっていく。転がっていく先を目で追うと、意外な人物がちょうど通りがかるところだった。津軽さんだ。下校中のようだ。
「すいません! ボール捕ってください!」
ショートの声に反応して、津軽さんがこちらを見た。俺とも目が合う。なんか気まずいな。やがて津軽さんは転がってきたボールを、立ったまま腰を曲げて捕ろうとする。あー、いくら減速しているとはいっても、その捕り方じゃあ……。
「あ」
津軽さんが声をあげた。俺の予想通りボールは津軽さんの手をすり抜け、もっと先へと転がっていく。ショートはがっくりした表情で、それを追いかけてダッシュで津軽さんの横を通り過ぎていった。津軽さんはばつの悪そうな顔をしている。
あっはっは。常に無表情を貫いている津軽さんのその顔が珍しくて、つい笑ってしまう。
「すいませんね、捕れなくて」
俺にだけ聞こえる声で、津軽さんがぼやく。あの捕り方じゃダメだわ、津軽さん。ゴロのときにはボールが転がってくる正面に移動して、腰を落として片膝をついて捕らなきゃ。
「こうですか」
俺の指示通りに津軽さんが腰を落とし、片膝をつく。そうそう、それでいい。意外に素直じゃん。よっぽど悔しかったのかな。津軽さん。こうして話すのも二週間ぶりだね。
「そうですね」
言いながら彼女は帰ろうとする。冷たいなあ。学校でも全然口を利いてくれないし。
「だから、霊と必要以上に接する気はないと言ったじゃないですか」
そうだけどさ。君の場合、霊だけじゃなく普通のクラスメイトと接することも避けているように見える。もうちょっと協調性というか、他人とコミュニケーションをとったほうがいいんじゃないの。毎日が楽しくなると思うよ。
「あんまり構わないでください。そのほうが楽なんです、私は」
それだけ言って、彼女は去る。怒ってはいない。ただ悲しそうな目をしていた。俺は彼女を見送ることしかできない。……おせっかいだったのだろうか。