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第3章 さよならは言わない 4

 どうなの、調子は。高校に入って初めての試験だろ? いい点取れそうか?

「正直言って、試験どころじゃありません。全身筋肉痛で……」

 ひょっとして俺が体を借りてたときにバッティングセンターに行ったからか? あれって土曜だったよな。

「昨日はそれほどでもなかったんですけど、今日になって急に痛くなってきたんです」

 一日置いて痛みがくるのか。あっはっは、完全におばちゃんじゃないか。どれだけ普段運動してないんだよ。

 俺の思考を読むと、津軽さんはこちらを恨めしげににらんできた。

 中間試験一日目の月曜日。例によって、女子トイレの個室である。今日の試験が終わり、俺はまた津軽さんと話していた。

「もういいでしょう、どうせむっちゃんに打ち明けるのは試験が終わってからなんですし。今日はもうとっとと帰りますよ。勉強もしなくちゃいけないし」

 へいへい。津軽さんは話を強引に切り上げるとトイレから出た。廊下では、藤崎さんが待っていた。

「お待たせ。あれ、むっちゃんは?」

「それがねえ」

 藤崎さんはニヤニヤしながら言った。

「馬渕くんに今日だけはどうしても一緒に帰ってくれってお願いされて、二人で行っちゃった。これは何かあるかもねえ」

 馬渕! 睦美になれなれしく接する、同じクラスの野球部員だ。この間の睦美に対する態度を考えると……非常に嫌な予感がする。津軽さん、頼む! 睦美たちを尾行してくれ!

 俺を無視して、津軽さんは藤崎さんにたずねる。

「二人はいつごろ帰ったの?」

「五分くらい前かな。もう学校は出てるんじゃない?」

「じゃあ、追いつくのは無理かしら」

 甘いな。霊として妹を見守り続けて約二年、離れていても俺には睦美のいる場所くらい感覚的にわかるんだよ! 今、ちょうど校門のあたりにいる! さあ津軽さん、ダッシュで追いかけてくれ!

 津軽さんはしょうがない、という風にため息をついた。


 藤崎さんは当初ノリノリだったのだが、二人が自分の帰り道とは全く正反対の方向に進んだため、脱落した。

「冥紗ちゃん、どうなったか明日必ず報告してね!」

 と、口惜しそうに言い残して。

 かくして俺と津軽さんは、気配を消して二人を追いかける。

 人を尾行するのも十和田たちのときに続いて二回目か。もう慣れっこになっちゃったんじゃないか?

「慣れたくありませんね、こんなの。というか、もう放っておいてあげたらいいじゃないですか」

 津軽さんは睦美が気にならないのか?

「それは気になりますけれど……」

 だったら、頼むからついてきてくれ。後を追うだけなら、俺だけでもいいんだ。気付かれずに接近できるし。

 だけど、津軽さんがいないといざという時、止めに入れないからさ。

「いざという時って……」

 津軽さんが小声でつぶやいたとき、十メートルほど先を行く二人が、ファミレスに入った。時刻は午前十一時過ぎだし、早目の昼飯を食べる気か。ちくしょう、試験があるんだからおとなしく勉強しろ、この野郎。津軽さん、俺たちも入ろう!

「暴走しないでくださいよ」

 困ったような口調で津軽さんが言った。


 睦美と馬渕は、店に入ると奥の席に案内されていた。向かい合った席に座ったようだ。ということは、津軽さんが近くの席に座るとどちらかに気づかれてしまう可能性が高い。津軽さん、離れた席に座ってくれ。俺が様子を見てくるから。

「わかりました。まあ仕方ないですね」

 店内に入り、津軽さんは店員にお願いして離れた席に向かった。俺は睦美たちの席へ移動し、向かい合う二人の間に陣取った。そんなことをしても二人には俺が見えないから邪魔をすることはできないわけだが、気分の問題だな。

 二人は楽しそうにテストの出来やら他の野球部員の話やらをしゃべりながら、注文した料理を食べる。ああ、何この雰囲気。なんでこんな奴の冗談で笑ってんの、睦美。負の感情で俺の心が満たされていくのがわかる。イライラは頂点に達しようとしていた。

「それで、話があるって言ってたのはなんだったの?」

 あらかた食べ終えると、睦美が切り出した。

「ああ、今から話す。その……テストのある日にこういうこと言うのは迷惑かもしれないと思ったんだけどさ、でも部活がある日はなかなか二人にはなれないしさ、今日くらいしかないと思って誘ったんだけどさ」

「んんん?」

 何を言おうとしているのかわからない、といった様子で睦美が微妙な相槌を打った。それに比べると、馬渕が緊張しているのは見ていてはっきりとわかる。

「まあなんだ、その……俺とつきあってください」

「へ?」

 やはりきたか。睦美がポカンと口を開けている間に、俺は高速で津軽さんの席へと向かった。彼女の体を借りるために。

 スープを飲もうとしていた津軽さんは、全速力で近づく俺を見て、

「どうしたんです?」

 頼む、何も言わずに体を貸してくれ!

「ちょ、ちょっと! きゃああっ!」

 俺の念が強烈だったからか、津軽さんの心の準備が出来ていないにも関わらず、彼女に取りつくことに成功した。

(ひどいですよ、こんな無理矢理……)

「すまん、緊急事態なんだ!」

 言うが早いか、津軽さんの姿をした俺は睦美たちの席へと走った。二人とも接近する俺に気がつかず、顔を赤くしてブツブツ言っている。

「急にそんなこと言われても、困る……」

「きゅ、急だったかな。だったら、返事はすぐじゃなくても……」

「でも、早いほうがいいよね。ううん、あたしも馬渕くんのことは好きと言えば好きだけど、つきあうとかそういうのは、わかんない……。まだつきあったことないし」

「そうか。でもまあ俺はとにかく、黒石のことが好きだべぶらあっ!」

 馬渕は最後まで言い終えることができなかった。なぜなら、俺の回し蹴りがもろに後頭部に入ったから。

 俺の蹴りで馬渕は意識が飛んでしまったようだ。机に突っ伏してしまった。

「め、冥紗ちゃん? なんでここに? ていうか、なんで馬淵くんを? え? え?」

 睦美も事態が全く把握できず、混乱しているようだ。

(ちょっと! 何やらかしてるんですかっ!)

 津軽さんの怒声が頭の中に聴こえる。

「やっちゃった。我慢できなくて、つい……」

(つい、じゃないですよ!)

 店内は騒然としている。そりゃそうか。ど、どうしよう。

「ううん……」

「馬渕くん、大丈夫?」

 意識を取り戻したらしい馬渕に、睦美が駆け寄る。またイラッとした。

「津軽? お前いきなり何を……」

 言いながら、馬渕が睦美の肩を借りて立ち上がろうとする。その瞬間、

「なに睦美に触ってんだコラァ!」

「あがっ」

 自分でも驚くほどの速さで馬渕を張り倒していた。

(うわぁ……)

 津軽さんがため息をつくのが聞こえた。

「もうやめてよ、冥紗ちゃん! なんでこんなことするの!」

 睦美が割って入ろうとするが、俺は構わず、馬渕の胸ぐらをつかんで叫んだ。

「俺の妹に手を出したらただじゃすまさんからな!」

 その瞬間、睦美がきょとんとして俺を見る。

「……へ?」

「あ」

 言ってしまった。

(あーあ……)

 もう一度、津軽さんのため息が聞こえた。


 それからの展開をどう説明したものやら。

 まず、すぐに津軽さんの体から強制的に追い出された。まあ当然だと思う。俺を追い出すと、津軽さんは素早く馬渕や店の人に謝った。さっきまでの乱暴な様子(中身は俺だったわけだが)と違い、落ち着いて謝罪するのを見て、みんな面食らっていたようだった。

 店長らしき人に保護者へ連絡するように言われたときも、津軽さんは素直に従った。お父さんへ電話をかけ、すぐに迎えに来てくれるように頼んでいた。

 お父さんが店にやってくるまでの間、睦美と馬渕はやや離れた位置で津軽さんを見ていた。馬渕はまだ痛そうに頭を押さえている。さすがに悪いことをした、という気になってきた。

 と言うより、あのときの俺はどうかしていたんだ。いきなり馬渕に対する怒りがわいてきて……。以前津軽さんに指摘された通りの暴走じゃないか。自分が恐ろしくなった。

 ふと睦美を見ると、恐る恐るといった感じで津軽さんを観察していた。津軽さんと目が合うと、おびえたような表情を見せる。

「ね、ねえ、冥紗ちゃん……」

「ん?」

「あなた、冥紗ちゃんだよね? あたしの友達の、冥紗ちゃんだよね? さっき暴れてたときの顔、あれはまるで別人……」

「私は私よ」

 不安そうにたずねてきた睦美に対して、津軽さんはきっぱりと答えた。

「事情は必ず後で話すから、今は待って、ね?」

「うん……」

 睦美はまだ納得していない様子だ。俺のことを説明しなければならない時が、予定より早く来てしまったのだろうか。

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